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試し読み

モラハラ男への意外なお仕置き方法は? 村田沙耶香の新たなる代表作特別試し読み『丸の内魔法少女ミラクリーナ』③

2月29日(土)に村田沙耶香さんの最新短篇集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』が発売されます。新刊の発売を記念して、表題作一篇を発売前に特別試し読み!
36歳のOL・茅ヶ崎リナは、オフィスで降りかかってくる無理難題も、何のその。魔法のコンパクトで「魔法少女ミラクリーナ」に“変身”し、日々を乗り切っている。だがひょんなことから、親友の恋人であるモラハラ男と魔法少女ごっこをするはめになり……。
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 ◆ ◆ ◆

 次の月曜日から、ミラクリーナと二代目マジカルレイミーのパトロールがはじまった。
 毎日ではないが、定時であがった日は正志に連絡を入れ、二人で1、2時間のパトロールをする。仕事を終えたあとの無駄な作業はきつい。加えて土日まで駆り出されそうな雰囲気だ。「それで、何をすればいいんだ!? 二人は魔法少女ペアだったころ、何をしてたんだ!?」と聞いてくる正志に、うっかり「近所のパトロールとか……」と答えてしまった自分を悔やんだ。
 とにかく二週間、パトロールをしてマジカルレイミーとしての任務をこなせなければ、レイコは家に帰さないという協定を結んだ。
 木曜日、なんとか仕事を終わらせて定時であがり、ロッカーへ行って携帯を見ると、『お先にパトロールしてます! 二代目マジカルレイミーより☆』と正志からメッセージが入っていて、どっと疲れが押し寄せた。
 私が行けない日も自分はレイコのために皆勤すると言って、一人でパトロールをしているようだ。子供のころレイコとパトロールしたときはあんなに楽しかったのに、今はその意味のない労働が億劫で仕方がなかった。
 一瞬さぼることも考えたが、『了解。30分後には着く。ミラクリーナより』と入れた。
 着替えを終えた私は、三越みつこし前の地下鉄から東京駅へと向かった。
 パトロールは、東京駅構内と決めてある。東京全部だと疲れてしまうからせいぜいどこかの駅周辺にしようと提案した私に、「それじゃあ東京駅にしよう」と言ったのは正志だ。
「レイコは丸の内OLだからな。俺がレイコの通う駅の平和を守ってみせるよ。そして絶対に君から取り返してみせる」
 取り返すって、それじゃあ私が悪者みたいじゃないかと、1万円のクリームを毎晩丹念に塗りこんでいる眉間に盛大に皺をよせてしまった。だが駅構内ならそんなに大変じゃないかもしれないと思ってその提案に乗ることにした。
『でも失敗だったよね……東京駅があんなに広いなんて、いや、知ってたけど、でもあそこまでとは思わなかったよね、ポムポム』
 セリーヌのバッグの中で、ポムポムは『今日は疲れたから僕は眠るよ……』と言い残して私の呼びかけに応じなくなってしまった。身体が疲れすぎて、妄想で可愛く世界を彩る元気もない。
 駅に着くと、銀の鈴の前でコンパクトを持った正志が待っていた。
「さあ、今日もがんばろう、ミラクリーナ」
「わかった……」
「あれ、コンパクトは? まさか忘れたわけじゃないよな?」
「持ってるわよ……」
 私は鞄から、買ったばかりのラインストーンが付いたプチプラコスメのコンパクトを出してみせた。単に一番キラキラしてるという理由で、三人でドラッグストアで買ったものだ。
 おそろいのコンパクトを持って向かい合うと、二人でコンパクトを開け、銀の鈴の前で叫ぶ。
「キューティーチェンジ! ミラクルフラッシュ!」
「ビューティーチェンジ! マジカルフラッシュ!」
 周囲の人が一瞬ぎょっとして足を止め、目をそらして歩き去っていく。このまま死んでしまいたいほど恥ずかしいが、これが小学生の私たちがいつも唱えていた秘密の呪文だったので仕方がない。見た目はまるで変わらないが、これで私と正志はミラクリーナとマジカルレイミーに大変身だ。
「よし、今日は京葉けいよう線のほうを重点的にパトロールしよう!」
 やけにきびきびと正志が歩きだす。本当に魔法少女になりきっているみたいだ。溜息をついた私は、小太りな二代目マジカルレイミーの後ろを顔を俯かせながら歩き始めた。

 ミラクリーナと二代目マジカルレイミーの主な仕事は、小学生のころしていたパトロールの内容とあまり変わらない。別に事件があるわけではないので、駅の通路のゴミ拾い、道に迷っている人の道案内、迷子を案内所へ連れて行く、新幹線に乗る人の荷物を持ってあげる。これくらいだ。
 といっても、思ったより道に迷っている人が多くて、そういう人に声をかけ、目的のホームまで連れて行ってあげるだけでも一苦労だ。切符の買い方がわからなくて困っている人に声をかけるのもパトロールの一環だ。おかげで、新幹線の名前をたくさん憶えてしまった。
 昨日は迷子を三人、案内所へ連れて行った。最初は、心優しいカップルだとでも思ったのか、えらく感謝していた駅員さんも、三人目になると不審な目で見た。今後もパトロールを続けたいなら全部ぶっちゃけて説明してしまったほうがいいのかもしれないが、活き活きとした正志を見ているといっそ逮捕してくれという気すらしてくる。
「ふう、もうこんな時間か」
 正志が時計を見たのは夜の10時だった。2時間もパトロールしていたことになる。
「それじゃ、俺は帰るから。レイコに愛してると伝えてくれ」
 正志がコンパクトを鞄に放り込み、京葉線で帰っていった。
 今日の成果は荷物持ちが三件と道案内が五人、それと京葉線近辺のゴミ拾いを少々だ。私は溜息をつくと、地下街で一番高い駅弁とビールを買って、家へ向かった。
 マンションに着くと、そわそわとしたレイコが待ち構えていた。
「ね、今日はどうだった? あいつ、ちゃんとやってた?」
「……やってたよ。頑張ってることを私に見せつけるように頑張ってるよ、不気味なくらいね」
「そっかー、そうなんだ、頑張ってたんだ。ね、今日は何やったの? 道案内? 何か特別なことあった?」
「パトロールなんて、特別なことが起こらないようにやることなんだから。荷物持ちと道案内くらいだよ」
 変にうきうきとしたレイコにいらだちながら、私はぬるくなってしまったビールを飲み始めた。
 何でこんなことになってしまったのだろう。ミラクリーナへの変身は、もっとひそやかで愛らしい楽しみだったはずなのに。なんで大好きな友達を傷つける大嫌いな男と、恥をかきながら疲れた身体で歩き回らなくてはならないのだろう。ずっと妄想していた自分が言うのも何だが、これが44と36の大人のすることだろうか。
「あ、メールだ」
 レイコがうれしそうに言う。
「正志からだあ……ほんとに頑張ってるんだね」
 パトロールを終えて家に着くと、正志はいつもパトロール中にとった写真を携帯で送ってくる。そういう、「こんなことまでやっちゃう俺を見てくれ!」というところが本当に最悪だと思うのだが、レイコは頬を赤らめてうれしそうだ。付き合って5年目の二人には、いいスパイスですらあるのかもしれない。弁当の中の鮭に箸を突き刺しながら、私は溜息をつく気力すらなく、ぬるいビールをのどに流し込んだ。

 パトロールを始めて一週間がたとうとしたころだった。
 日曜日にまで正志に呼び出されて、朝から立て続けに三人、階段の荷物持ちを手伝った私はすでにへとへとになっていた。
「大丈夫? リナ」
 今日はお弁当を持ったレイコも一緒に来ていた。パトロールには参加しないが、私たちを見守って応援するという。朝から台所で弁当を作っていて、から揚げだのコロッケだのを大量に揚げていくので、油のにおいで目が覚めた私は朝食をパスしたくらいだった。
 レイコがいるせいか、正志のこれ見よがしの張り切りぶりはいつもより何倍もひどかった。
「今日は電車の中もパトロールしないか!?」
「え!?」
「せっかく時間があるんだし、丸ノ内線を往復しながらパトロールしようじゃないか。池袋いけぶくろまで行ってさ、この駅まで戻ってくるんだよ」
「わー、すごーい」
 何がすごいのか、レイコが大きく頷き、私の同意を得る前に、二人は大股で地下鉄へ向かっていった。

 日曜日だというのに、丸ノ内線は混んでいた。
 パトロールといっても自由に動き回れるわけでもない。何やってんだか、と私は手すりによりかかって今日何度目かの溜息をついた。
 そのとき、「こら、お前!」という声がした。まぎれもなく、今週一週間で聞き飽きた、マジカルレイミーの野太い声だった。
 身体をひねってそちらを向く。レイコも戸惑った様子で、背伸びをしてマジカルレイミーのほうを向いている。
「泥棒です! それ、私のお財布です!!」
 続いて聞こえたかぼそい女の子の声に、まさか正志が何かしたのかとひやりとしたが、「放せ!」と正志とは違う甲高い男の声がした。
「お前、さっきからこの子のバッグを触っていただろう。観念しろ!!」
 人が多くてよく見えないが、どうも背の高い眼鏡の男の手を、正志が掴んでいるみたいだった。
 次の停車駅の赤坂見附あかさかみつけで乗り換えの人がどっと降り、泥棒男と正志と女の子も流されるようにホームへ降りた。私とレイコも慌てて電車を降りた。
 すぐに駅員が駆けつけ、泥棒は連れられていった。大人しそうな女の子も、頭を下げて「ありがとうございます」と言った。
「ああ、あなたも来て、状況を説明してくださいますか」
「わかりました!」
 正志は、意気揚々と答えた。女の子が、「お忙しいのにごめんなさい、本当にありがとうございます」と再度頭を下げると、
「いいんだよ。皆の笑顔を守るのが僕らの役目だからね! 困ったときはいつでも二代目マジカルレイミーに言うんだよ」
 と正志が答え、女の子は、この人も犯罪者の一種なのではというようなおびえた顔で正志を見た。
 詳しく説明するために駅員と女の子についていった正志は、しばらくすると、ホームのベンチで待つ私たちの許へ機嫌よく戻ってきた。
「いやあ、パトロールしていた甲斐があったよ」
「かっこよかったよ、正志」
 レイコが目を潤ませた。
「リナ、ごめん。まだ一週間だけど、私、やっぱりこの人のところに戻る」
「……わかった」
 内心ショックだったが、どこかで予想していた私は、顔を伏せて頷いた。
 最初は友達をモラハラ男から救ってやりたいという正義感からだったはずだ。それがなんでこんなことになったのだろう。寝不足で肌はボロボロだし、かえって二人は盛り上がっただけだし、ポムポムはバッグの中で死んだように眠ったままだし、私のキュートな日常はすっかり台無しになっていた。
 結局、正義なんてどこにもないんだ、というのがミラクリーナの出した結論だった。大人になるということは、正義なんてどこにもないと気付いていくことなのかもしれない。そういう意味で、私はやっと大人になったのかもしれない。
「ありがとう、レイコ。僕はまだパトロールを続けるよ」
「いいのよ、もう、無理しないで」
 正志は力強くレイコの手を握りしめた。
「いや、この一週間で気付いたんだ。誰かを助ける喜びがどんなに素晴らしいか。それに悪いやつを懲らしめると本当にすっきりするし。会社のストレスが全部発散できている気がする。パトロールを続ければ、きっと僕はもうレイコに八つ当たりなんかしないと思う」
「ありがとう……正志」
 二人を見ているのが苦しくて、私は立ち上がって、「じゃ、私は帰るから」と言った。
「ミラクリーナは? パトロール、続けないのか?」
「うるせえ! 続けるわけないだろ!」
 低い声で正志に向かって吐き捨てると、私はプチプラコスメのコンパクトをゴミ箱に叩き入れた。
 もう二度と、ミラクリーナになんかなるもんか。そう誓って、私は滑り込んできた丸ノ内線に乗り込んだ。

〈第4回へつづく〉

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村田沙耶香丸の内魔法少女ミラクリーナ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321903000373/


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