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試し読み

ただ、続きが気になるのだ。本の続きが。あの世界のことをもっと詳しく知りたいのだ――。深緑野分『この本を盗む者は』刊行直前特別試し読み#15

「本の呪い」が発動して、街が物語の世界に変わっちゃう? 本嫌いの少女が、街を救うために書物の世界を冒険することに――。深緑野分さんの最新刊は、本の魔力と魅力を詰め込んだ、まさに空想の宝箱。10月8日の刊行に先駆けて、特別に第一章をまるごと試し読み!



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 目を覚ました時、深冬は御倉館の二階にある書庫の床で、仰向けに横たわっていた。埃とかびが入り交じった古本のにおいと、甘くて香ばしい醬油のにおいが鼻を刺激する。
 頭が混乱したままひじをついて起き上がろうとすると、硬い板間で寝ていたせいか、体ががちがちに強張こわばっていた。
「いたたたた……あれ、真白?」
 返事はない。深冬は上半身を起こし、後頭部を掻きながらあたりを見回したが、天井まで届くどっしりとした書架が両脇にあるきりで、人の気配はない。狐もいなかった。その代わり、やきとりのパックと青果店のレジ袋が深冬の傍らにぽつんと佇み、おいしそうなにおいが漂っていた。鶏には戻っていなかった。
「えっ……夢?」
 書庫は静まり返り、ただひっそりと、本を読む者を待っている。ふと顔を上げてみると、書架にはぎっしりと本が詰まり、抜けている棚はない。
 関節をさすりながら起き上がって、やきとりを取り、パックの底に手を当ててみる。まだほんのり温かい。眠ってからさほど時間は経っていないようだった。
 現実世界に戻ってきたのか、それともあれは夢だったのか。深冬は混乱した頭を落ち着かせるように、書庫に並んだ本棚を端から端まで確認し、空いている棚がないか確認して回った。本はすべての棚にきっちりと収められていた。犬の耳を生やした少女、真白も、泥棒狐もいなかった。
 書庫から廊下に出てみると、ひるねがまだ床で眠っていた。水晶も、まぶたの〝母〟の字も消えている。
「ちょっと、叔母ちゃん。風邪引くってば」
 しかしひるねはふがっといびきをかいただけで、起きる気配を見せない。深冬は仕方なく、ソファに置きっぱなしのブランケットを取ってひるねにかけてやった。その時、ローテーブルの上にある本が目に留まった。布張りの凝った装幀に蔦模様の絵が描いてある。そのタイトルはこうだった。
『繁茂村の兄弟』──
 深冬は心臓が止まりそうなほど驚き、げほげほとむせる。そして震える指先で本を取った。本は思ったよりも軽く、手になじむ。表紙を開いてみると、オレンジ色の毛がひと束、するりと落ちた。
 これは何の毛だろう。狐だろうか。深冬は胸がどきどきと高鳴るのを感じながら、肩越しに振り返って、まだ爆睡している叔母を見下ろす。
「話して、〝夢でしょ〟って笑われたら嫌だしなあ」
 深冬はため息をつき、階段を下りかけ、思い直したように戻って本をリュックサックにしまった。
 御倉館の外は日が暮れていたが、西の空はまだかすかに橙色を帯びている。古書店街では会社や学校帰りの人々が百円均一棚を物色していて、遠くからは豆腐屋の笛の音が聞こえてくる。
 空から真珠雨が降ってくることはなく、満艦飾の旗が飛んでくることもない。馴染みの小太りの常連客が棚の前にいて、後ろを通りすがりざま、「御倉さんとこの子、こんちは!」と声をかけてきた。
 だが、安堵と同時に湧いてきたのは、奇妙な寂しさだった。帰り道を歩きながら何度も振り返る。犬の頭をした真白が今にも追いかけてくるのでないかと願ったが、通りを行き交う人はいつもどおり、友達と笑いながら帰る途中の中学生や、自転車のチャイルドシートに子どもを乗せて走る父親、スーパーの買い物袋をぶら下げた女性など。突然飛び上がったり、不思議なゼッケンをつけてしゃべりはじめたりはしない。
 深冬は瑠璃るり色に染まりはじめた空を見上げ、あのどこかに銀の棹が立ち、黒猫が鳴いているところを想像した。そして明日が土曜日で、休日であることを嬉しく思った。
 これほど本が読みたいと思ったのは、本当に久しぶりだった。ふと、幼稚園の制服を着た自分が、膝の上に絵本を乗せて熱心に読んでいた頃の記憶がよみがえる。
 ただ、続きが気になるのだ。本の続きが。あの世界のことをもっと詳しく知りたいのだ。

(このつづきは本書でお楽しみください)

▼第3章も公開▼
今度の世界はスチーム・パンク!著者が「どうしても書きたかった」世界を特別公開!

深緑野分『この本を盗む者は』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000257/


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▲深緑野分『この本を盗む者は』特設サイト


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