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晴にじわじわと迫る黒い影。その頻度は増して―― 『きみはサイコロを振らない』冒頭特別公開#05

5/18発売の新名智さん書き下ろし長編小説『きみはサイコロを振らない』。呪いがじわじわと迫る静かな怖さに加え、友人の死によって心に傷を抱えた少年の成長物語としても評判になっています。ホラー&ミステリ界が注目する新鋭の期待の第3作、発売前に物語の冒頭を特別公開!



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新名智 特設サイト:https://kadobun.jp/special/niina-satoshi/
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322211001529/

『きみはサイコロを振らない』冒頭特別公開#05

 変な気分はずっと晴れなかった。授業中もずっと時計を見て、終わるなり教室を飛び出した。胸がむかむかして、じっとしていられない。酒を飲んだことはないが、二日酔いというのはもしかしたらこんな感じなのかもしれない。
 授業が始まる前に見た異様な光景が頭から離れなかった。黒い影――いや、今にして思えば、黒くなかったような気がする。かといって何色だった気もしない。強いて言えば、「何色でもない」という色だった――が、校舎から落下し、地面にこびりついて消えた。
 夢や幻だったとは思えない。意識ははっきりしている。だとしたら、あれはなんだったのだろう。
 午後の授業はもうひとつあったが、こんな体調では受ける気になれないと思い、黙って帰ることにした。昇降口を出たところで、上のほうから視線を感じたけど、おれは無視した。
 長い坂道を下り、駅までの道を歩く。ちょうど、ほろ酔いになった観光客の集団とすれ違う。このあたりには日本酒の酒蔵がいくつもあって、それらを巡りながら酒を試飲するスタンプラリーが人気だと聞いている。ああして飲み歩いた結果、今のおれのような気分を味わうと思うと、どこが魅力的な企画なのか、まるでわからない。
 蘇芳駅周辺は、そういうわけで、地方の中都市の駅前にしてはにぎわっている。表通りには土産物店やスーパー、新築のマンション。そして裏通りにはスナックや居酒屋、それから例の〈シェヘラザード〉というカードショップがある。
 その店に続く路地の前を横切るとき、ちらっと覗いてみた。店名の書かれた黄色いビニールテントが目に入る。ビニールはくたびれて穴が空き、店の前に貼られたカードゲームアニメのポスターは、日焼けして青白くなっている。営業しているのかどうか、外からでは判別できない。あれじゃあ常連客以外は入りづらそうだ。
 そのとき、背後でクラクションが鳴った。振り返ると、軽自動車がウィンカーを出して停止している。路地に入ろうとする車の進路をふさいでしまっていたらしい。おれは慌てて道の端にどいた。すると車がずずずっと近づいてきて、どういうわけか、おれの目の前でまた止まった。
「奇遇だね、晴くん」
 車に乗っていたのは、葉月さんだった。おれはびっくりして、挨拶するのも忘れたまま、運転席の彼女を眺めた。今日はチャイナドレスじゃなかったが、フリルのついたセーラーカラーのブラウスを着て、リボンを巻いている。頭にはチェックのベレー帽。いずれにしても田舎のドライバーらしからぬ服装だった。
「学校の帰り?」
「ええ、まあ」
 授業をひとつサボった、とは言いづらい。葉月さんは、とくに気にした様子もなかった。
「よかったらちょっと手を貸してほしいんだけど」
「手を貸す?」
「後ろに箱が積んであるでしょ。それを下ろして、店の前で待っててくれないかな。わたし、駐車場に車を置いてくるから」
「店って」
「あそこ」
 葉月さんはフロントガラス越しに〈シェヘラザード〉を指差した。後部座席を覗くと、見覚えのある段ボール箱がふたつある。そういえば、例のゲームの山を返しに行くと言っていた。それが今ということか。
 胸のむかつきはさっきより収まっていた。服のすそで隠しつつ、数字を確認する。結果は六。
「いいですよ」
 おれはドアを開けると、段ボール箱を持ち上げた。ゲーム機本体が入っていることもあって、なかなかに重い。引き受けたことを後悔しながら、どうにか店の前まで運んだ。葉月さんは車をUターンさせて路地を出て行く。たぶん駅前の市営駐車場にでも向かったのだろう。
 戻ってくるまで手持ち無沙汰だった。おれは荷物の番をしながら、〈シェヘラザード〉の店頭に貼ってあるポスターを眺めた。昔、雪広と遊んだカードゲームのポスターもある。あれからいろいろと新製品が出ているようで、カードのデザインもずいぶん違って見えた。
 そうして待っていると、いきなり店のドアが開いた。客が出入りするのかと思ったが、そうではない。エプロンをつけた坊主頭の男が、ぬっと顔を覗かせている。
「いらっしゃい」
「いや、その」おれはなんと答えるべきか迷った。「もしかして、店長さんですか」
「そうですが」
「葉月さんに、ゲームを貸したっていう」
 おれがそう言うと、坊主の男はおれの足元に積まれた段ボール箱を見て、ああ、と言った。
「どうぞ」
 それだけつぶやいて中へ戻っていく。何がどうぞなのかはっきりしないが、ドアにストッパーを噛ませてから戻ったところを見ると、入れという意味なのだろう。寡黙なタイプらしい。とにかく、おれは段ボール箱を抱え、店に入った。内部は細長い構造で、手前には椅子やテーブルがたくさん置かれており、奥にカウンターがある。おもちゃを売る店というよりは、飲食店を思わせる。客はだれもおらず、カウンターの向こうで店長が手招きしている。
 おれは二回往復して、店長に段ボール箱を手渡した。これで用事は済んだわけだが、まだ葉月さんが来ていない。仕方なく、店内を見て時間をつぶす。
 並んでいるテーブルは、ここへ来た客がカードゲームを遊ぶために用意されているのだと、注意書きを見てわかった。それ以外の壁には、透明なポケットに入ったカードがびっしり並べられていて、それぞれに値札がついている。コンビニなどで、中の見えない袋に入って売られているのを見たことがあるが、こうして一枚ずつ買える仕組みとは知らなかった。
 不意に、店長が言った。
「きみもやるの」
 カードゲームをやるのか、と聞かれているようだ。おれは首を振った。雪広に誘われて遊んだことがあるとはいえ、ルールブック片手にかろうじて相手をしてやった程度で、経験者とは言えない。
 坊主の店長は、目を伏せたまま、ぼそりと言った。
「おもしろいよ。奥が深い」
「はあ」
「そっちのカードは無理に買わなくてもいい。安くて強いデッキもあるから」
 おれが値段を見て尻込しりごみしてると思ったのかもしれない。たしかに、壁に並んでいるカードはどれも数百円から、ものによっては数千円もする。これを何十枚も集めようとしたら大変だ。
「こっちのストレージは一枚十円。これでも工夫次第で戦える。それか、構築済みデッキを買って……」
「こんにちはー!」
 元気のいい声がして、店の入り口を見ると、葉月さんが立っていた。このままでは店長によるカードゲーム講座が始まりかねないところだったので、ちょうどよかった。
「ごめんね、晴くん。いい場所がなかなか見つからなくてさ。ゲーム、もう渡してくれた?」
「はい」
「ありがと。あとでなんか買ってあげるね」
 そこで葉月さんは、カウンターに並べられているカードストレージやカードパックに気づいたらしい。
「もしかして、カードゲーム始めるところだった?」
「いや、説明してもらっただけで、始める気は……」
「えー、なんで、いいじゃん。奥が深くておもしろいよ」
 店長と同じことを言う。おれは思わず微笑した。
「葉月さんはカードゲームやるんですか」
「もちろん。この店だって、中学から高校まで通ってたし」
 ね、と葉月さんに笑いかけられた店長は、うん、と答えて顔を伏せた。十年近い付き合いがあってこれでは、相当シャイな性格と見える。それにしても。
「カードゲームをやる女の子って、珍しいですよね」
「晴くん、それは偏見だよ」
「すみません」
「事実なんだけどさ。だいたいこの店の雰囲気からして、常連以外は入りづらいよね」
 おれが思っていたことをそのまま言っている。店長のリアクションが薄いところを見ると、とっくにわかりきっているか、わざとこうしているのだろう。初めての客がひっきりなしに集まるような店だったら、人見知りの店長には荷が重い。
 葉月さんは、対戦用のテーブルの前に座った。晴くんも座りなよ、と言うので、渋々ながら向かいに腰を下ろした。
「晴くんと会えるって知ってたら、デッキ持ってきたんだけどな。そうしたら教えてあげられたのに」
「別に興味ないです」
「そう言わず。ルールを覚えたら、きみと莉久とふたりで遊べるよ」
「あいつもやるんですか」
「何年か前にわたしが教えてあげた」
 今のおれと似たような状況だったなら、たぶん、それ以来やってないと思う。少なくとも莉久のほうからカードゲームの話題が出たことは一度もない。
 それからしばらく、葉月さんは店長と、おれにはわからないカードゲームの話をあれこれしていた。「環境」という言葉が頻繁に出てくるので何かと思ったら、流行っているカードや戦術の傾向を指してそう呼ぶのだそうだ。新しいパックが発売されたり、ルールが改定されたりするたびに、その環境とやらが変わっていく。それがカードゲームの醍醐味だいごみだという。
「カードにも相性があるんだよ。するとたとえば、パーが人気でみんな使ってるから、自分はあえてチョキを出す、みたいな駆け引きができるわけ」
「情報戦ですね」
「そうそう。ゲームってのは人が遊ぶものだからね。ゲームのルールを研究するよりも、遊んでるプレイヤーを研究したほうが勝ちに近づくってこともある」
 だんだん盛り上がってきた葉月さんは、身振り手振りを交えながら演説する。店長はそんな葉月さんを無視してカードを片付け始めた。よくあることなのかもしれない。
「ゲームを遊んでるときに、その人の本性が出るって、よく言うでしょ。ゲームはね、鏡みたいなものなの。予期せぬトラブルにどう向き合うのか、リスクを抑えるか、それとも利益を最大化するのか、理想と現実、自分と他人、どちらを優先するか……ゲームのプレイスタイルには、人間のすべてが詰まってるんだよ」
 葉月さんは、よほどゲームが好きなのだろう。ただの暇つぶしではなく、ゲームで遊ぶことを心から楽しんでいるタイプの人なのだ。そんな人間と、おれは今までにひとりしか出会ったことがない。
 話しているうちにカードへの熱が高まってきたのか、葉月さんは店長からパックを買って、その場でき始めた。出てきたカードをおれに見せてきて、効果がどうの、シナジーがどうのと解説してくれる。おれは適当に相槌あいづちを打って聞き流しつつ、逆に尋ねた。
「昨日、おれたちが帰ったあと、残りのゲームも遊んだんですか」
「全部じゃないけどね」
「じゃ、あの中に呪いのゲームは?」
 葉月さんは、おれの顔を見てにやっと笑った。
「呪われてるように見える?」
「見えないです」
 呪われてる人の実物を見たことがないから、厳密には判断できないが、少なくとも目の前の葉月さんは元気そうに見える。葉月さんは、新しいパックの封を切りながら、言った。
「これといって異常なことは起きなかった。そんなに期待してなかったけども」
「そのシュウさんって人は、呪いのゲームを集めてたんですよね」
「うーん、集めてたっていうか」
 今度のパックからは、かなりレアなカードが出てきたらしい。葉月さんはそれだけ取りけて、テーブルの中央に置いた。イラストの部分が加工され、きらきらと光っている。
「馬鹿な男がいてね。一度でも自分が引き当てたものは、あとで売ろうが捨てようが自分のものだと思ってるわけ」
「はあ」
「わたしが大学で呪いの研究をしてるっていうの、だれかから聞いたんだろうね。『呪いのゲームの噂、知ってる?』みたいなメッセージが来てさ。『研究者を目指してるならアンテナ高くしとかなきゃ駄目だよ』とかなんとか。うるせえよ」
 要するに、そのシュウさんという人は、葉月さんが呪いにまつわる研究をしていると知り、何かしら接点を持ちたくて、呪いのゲームと呼ばれるものの実物を入手しようとした、らしい。それで死んでしまった。
「本当に呪いで……」
「そんなわけないでしょ。偶然に決まってる。たぶん順序が逆なんだよ。わたしに教えてくれるために、呪いのゲームのことを調べてたんじゃなく、たまたまどっかでそんな話を聞いたから、マウントを取りに来たってだけ」
 葉月さんは、シュウさんのことに関して、何も信用してはいないようだった。
「シュウさんって、どんな仕事をしてたんですか」
「仕事なんかしてないよ。自称でよければ、シナリオライターとか、ゲームデザイナーとか、フリーランスの編集者だとか……あと、なんだっけ?」
 奥で商品の整理をしていた店長に向かって、葉月さんが尋ねた。すると店長は後ろを向いたままで答える。
「ソーシャルメディアマーケター」
「言ってたねー。うさんくさいPR記事をシェアするだけなんだけど」
 とにかく、口を開けばシュウさんへの悪態ばかりだ。おれはついに我慢できなくなって言った。
「あの……聞いてるとまるで、そのシュウさんって人はクズみたいな」
「みたいな、じゃなくてクズだったんだよ」
 葉月さんは、あっけらかんと答えた。高校を卒業後、ゲームデザイナーを目指すと言って専門学校に進学したシュウさんは、すぐに辞めて地元へ戻ってきた。親には、やはりゲーム業界への就職に有利な難関大学へ入り直すと説明し、そのかたわら、この〈シェヘラザード〉でアルバイトとして働いていた。そこで葉月さんと出会った。
「だけど、一度は付き合ったわけですよね」
 おれが尋ねると、葉月さんはふうっと深く息を吐く。
「何も知らない時期はね、きらきらしてたら全部よさそうに見えるの。このカードと一緒」
 そう言って彼女は、さっきテーブルの中央に置いたレアっぽいカードを、軽く指先ではじいた。てっきり強いカードだと思っていたので、おれは驚いた。
「よくないんですか、これ」
「いちいちコストを要求するくせに能力が低すぎ。上位互換がいくらでもあるし、愛がなきゃ使えないね」
「で、でも愛さえあれば……」
「晴くん」葉月さんは目を細めた。「愛は理由じゃなくて結果なのよ」
 店のドアが開いて、学生服を来た中学生らしい集団が入ってきた。ひとりが店長のところへ声をかけに行き、残りは対戦用のスペースに座って、持ち寄ったカードを広げた。みんな、葉月さんのことを珍しそうにじろじろと眺めている。でも葉月さんはそういう視線に慣れているのか、これといって反応も見せなかった。
 それでも他の客を気にしてか、葉月さんは若干、声のトーンを落として続けた。
「呪いのゲームがもしあるとしたら、どんなものだと思う?」
 おれは少し考えて、それから、昼休みに教室で思いついたことを、葉月さんに伝えた。
「呪いのゲームっていうのは……ただ『呪い』っていうのとは違う何かがあるっていうか」
「何か?」
「ひょっとしたら、ルールがあるっていうのが重要なのかもしれません。ゲームにはルールがある。呪いにも」
 すると葉月さんはちょっと意外そうな表情で、おれの顔を見つめた。それから、うんうんとうなずいて、おもしろい、とつぶやいた。
「そうだね。呪いにはルールがある。法則というか」喋りながらカードの束をシャッフルしている。「たとえば、そうだな、トイレの花子さんって知ってるでしょ」
 おれがうなずいたのを見て、葉月さんは続けた。
「よくあるパターンだと、トイレの三番目の個室のドアを叩いて『花子さん、遊びましょ』って唱えると花子さんが出てくることになってる。でもさ、花子さんがトイレのおばけで、その個室に住んでいるなら、唱えなくたって出てくる気がするじゃない」
「それが儀式なんじゃないですか。花子さんを呼び出すための」
 軽い気持ちでおれが言うと、その答えを待っていたように、葉月さんは微笑した。
「つまりね、物自体でなく、手順が重要なんじゃないかってことなの。オカルトっていうのは知識の体系だから。『世界の法則を書き換える秘密のバグ技があって、それをあなただけに教えますよ』ってのが大事。アイテム欄の上から何番目でセレクトボタンを押して、壁に向かってBボタンを押して……みたいなのを現実でやろうとすると、占いとか、魔法とか、加持祈祷きとうとか呼ばれるものになる」
 そういえば、雪広から聞いたことがある。昔はゲームの裏技を集めた本や雑誌があって、しかしその中には、嘘やガセネタもたくさん載っていたんだと。試してみればすぐわかりそうなものだが、実際には、手順がとても難しかったり、ランダム要素があったりして、簡単に嘘だと決めつけることもできず、真偽不明のまま、何年も伝わっているものがあるのだと。
 呪いとかいうものだって、それと似たようなものなのかもしれない、と思った。実はこの世界にはバグがあり、それを利用した抜け穴があると言われたら、多くの人が魅力を感じることだろう。ほとんどはすぐに嘘だとばれるけど、簡単に再現できないような複雑な手順のものだったら、しばらくは反論されず残り続ける。
「さて、その中に万が一、本物の裏技があったとしましょう。数字の書かれた札をシャッフルして、同じ数字を四回連続で引いたら悪魔が出てきます、とかね。日常生活で、わざわざそんなことを試したりしない。けど、ゲームの中なら?」
 葉月さんはさっきまで手の中でもてあそんでいたカードの束を、ぱっと開いてみせた。カードの表面には、ゲーム上での能力を表す数字がいくつも書かれている。
「なんらかの呪いをもたらす手順、コードがあって、それがたまたまゲームのルールに埋め込まれている……そんなこともあるんじゃないかな」
 そう言って葉月さんは締めくくった。おれはうつむく。この世界はルールで満ちている。一方では銀河系にある無数の星々が渦を巻くように動くルールがあり、もう一方では渦巻き型のパンをどっちから食べるかというルールで人々が悩んでいる。それがあまりに複雑だから、神様すら途中で調整をあきらめたのかもしれない。不具合がひとつふたつ紛れていても気づかれないと高をくくって。だったら。
「だったら、昨日のゲームの中に呪いのゲームがあったかなかったか、それもまだわからない」
「ん?」
「葉月さんの言うように、特定のコードが原因なんだとしたら。ただ遊ぶだけでは呪いが発動しないってこともありますよね」
「言われてみればそうだね」
 葉月さんは、最後のパックから出てきたカードを確認すると、つまらなそうに首を振った。たいしたものはなかったようだ。
「だけど、正直なところ、どっちでもいいんだ。これで義務を果たしたかな、って気もしてる」
「昨日も言ってた、供養って話ですか」
「そうそう。晴くんには悪いんだけど」
 おれは首をかしげた。シュウさんの供養が、おれにどう関係するのだろう。葉月さんはカードを束ね、一番上に、例の使えないきらきらカードを置いた。
「悪いって、何が」
「わたしから誘っておいて、こんなこと言うの。せっかく手伝ってくれてるのに」
「いや、おれは手伝うなんて一言も」
 すると今度は葉月さんがきょとんとした顔で、おれを見返した。
「てっきり、莉久が呼んでくれたんだとばかり思ってた。だからお店の前にいたんだって」
「莉久が?」
 そのとき、また店の入り口のドアが開いた。嫌な予感がして振り向くと、そこに莉久が立っていた。莉久は、葉月さんを見つけると手を挙げて合図し、その前におれが座っていることに気づくと、詮索せんさくするような目で見てきた。
 莉久はおれの斜め向かいの椅子に腰掛けて、葉月さんを見ながら、おれを指差した。すると葉月さんは何やらうなずく。
「ああ、そう。莉久が誘ったときは断られたのね。なのに、なんでいるんだ、って」
 葉月さんは本当に、顔を見ただけで莉久の言いたいことがわかるのか。それにしたって、ここまで正確だとちょっとした読心術のレベルだ。
 睨んでくる莉久に向かって、おれは言い訳をした。
「偶然なんだよ。駅に向かって歩いていたら、葉月さんの車と出くわしたから」
 荷物を運ぶのを手伝っただけで、呪いのゲームの調査に協力するつもりはないということを、おれはふたりの前で説明した。葉月さんは驚いた様子も、気にした様子もない。呪いのゲームについて調べること自体、そこまで乗り気じゃないというのは本当なのだろう。
 ところが莉久のほうは、不満げに頬を膨らませたまま、いつまでもおれを睨んでいた。横で葉月さんが、そうだよねえ、と言う。
「彼女からのお誘いは断るくせして、美人のお姉さんに荷物持ちを頼まれたら手伝うのかよって」
 例によって翻訳の精度は疑わしいが、そういう意味のことを思われているような感じはする。
「いいだろ。頼み事の中身が違うんだから」
 それでも莉久の表情は変わらなかった。理不尽な仕打ちだ。しかし、こちらもルーレットでランダムに決めているのだから、あまり大きな顔はできない。おれと莉久は、しばしそのまま睨み合った。
 不意に葉月さんが言った。
「こうなったら……デュエルで決着をつけるしかないね」
「は?」
「店長、なんかデッキ貸して」
 どうやら葉月さんは、おれと莉久とをカードゲームで対戦させるつもりだ。冗談じゃない、と思ったが、莉久のほうはやる気みたいだ。葉月さんが借りてきたデッキを受け取ると、中身を見ながら、ふむふむとあごをさすっている。もしかして葉月さんの言う通り、本当に今でも続けているのか。
 おれのほうは、何がなんだかわからない。手札の枚数とか、最初に山札からカードを引くだとか、そのくらいのことをおぼろげに覚えているだけだ。葉月さんが席を移動して、おれの隣に座った。
「いい?」葉月さんは莉久に目配せする。「じゃ、晴くんの先攻で」
 葉月さんの指示に従って、カードを引き、プレイした。触っているうちにだんだんと、昔、雪広と遊んだときのことが思い出されてくる。手札に見覚えのあるカードがあった。たしか雪広は、こんな感じで使っていたんじゃなかったっけ。
「お、やるね」
 うまい使い方だったのか、葉月さんに褒められた。莉久にとっては困った盤面になったらしい。苛立ったように手札をシャッフルしている。
「こら、シャカパチしない」
 手が止まった莉久は、ほとんど何もせずにターンを返した。あと一枚か二枚、攻めに使えるカードを引き込んだら、おれの勝ちだ。おれは山札の一番上のカードをめくって、手札に加えようとした。
 引いたカードには、何も書かれていなかった。
 おれは驚いて固まった。書かれていないわけじゃない。ただ、どういうわけか文字を読むことができない。まるで日本語によく似た別の言語が書かれているみたいで、意味をつかもうとしてもできず、頭の中をすり抜けていく。
「晴くん、どうしたの?」
 それでも、じっと見つめていると、少しずつ文字がほぐれて、意味のある言葉が浮かんでくる気がする。イラストの部分がぐるぐるぐるぐるねじれて、黒い渦になる。渦の向こうから何かが見ている。大きな目。カードに書かれた文字のような文字じゃないようなものは、その渦の先にいる大きな存在を表している、そう思った。そのことを確かめるには、文字を読めばいい。まず、一文字目から。
 あ。
「ねえ、晴くん!」
 気がつくと、葉月さんに肩を揺さぶられていた。手に持っていたはずのカードがない。きょろきょろと見回すと、それは葉月さんの手の中にあった。
「あの、それ」
「急に動かなくなったから、心配したよ。どうしたの?」
「いや……」
「うわ、すごい汗」
 言われて、おれは自分の額を触った。びしゃっと音がしそうなほど、汗をかいてれている。店内には暖房もなく、どちらかと言えば寒いくらいなのだが。
「やっぱり無理にやらせたら駄目だね。ごめんよ」
「あの、そのカード」
「ん、これが何?」
 葉月さんは、持っていたカードをちらっとおれに見せてきた。雄々しいドラゴンの姿が描かれた、なんの変哲もないカードだ。さっきまでおれが見ていた意味不明のカードではない。おれが何も答えないでいるうちに、葉月さんはそのカードを他のカードと混ぜてしまい、店長のところへ、まとめて返しに行った。
 莉久は、まっすぐおれのほうを見ていた。しかし、その目は心配しているというより、何かを探るような雰囲気だ。おれはたじろいだ。
 結局、勝敗はうやむやになった。車で莉久を家まで送っていくという葉月さんと、店の前で別れた。また遊ぼうということを言われたけれど、おれは疲れていて、ストップウォッチを見ることもせず、曖昧にうなずいた。さっきの現象のことで頭がいっぱいだった。自分の身に何が起きているのか、見当もつかない。
 ただ、あの黒い何かの気配を、おれはそのときも感じていた。

(続きは本書でお楽しみください)

作品紹介



きみはサイコロを振らない
著者 新名 智
定価: 1,815円 (本体1,650円+税)
発売日:2023年05月18日

「呪いのゲーム」はどこにある?――新鋭によるホラーミステリの感動作
――人生なんて、しょせんはゲームだ。
中学時代の友人の死が忘れられず、そんな信条で日々を淡々と過ごす高校生の志崎しざきはる
「遊ぶと死ぬ」ゲームを探しているという同級生・莉久りくに頼まれ、彼女と、呪いの研究をしている大学院生・葉月はづきと共に、不審な死を遂げたゲーマー男性の遺品を調べることに。
大量に残されたゲームをひとつずつ遊んで検証する三人。するといつのまにか晴の日常に突然〈黒い影〉が現れるように――。
〈晴くんって、実はもう呪われてない?〉
呪いのゲームはどこにあるのか? その正体と晴の呪いを解く方法は――。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322211001529/
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