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連載

【連載小説】新堂冬樹『ダークジョブ』 vol.4

【第4回】連載小説『ダークジョブ』新堂冬樹

【連載小説】新堂冬樹『ダークジョブ』

新堂冬樹さんによる小説『ダークジョブ』を連載中!
1985年――東京・歌舞伎町で闇金融の世界に飛び込んだ片桐は、激しい「切り取り」に辟易しながらも、いつしかその世界に魅入られていく……。
闇金、特殊詐欺、そして闇バイトへと繋がる裏社会を、鬼才が徹底的に描く!

【第4回】新堂冬樹『ダークジョブ』

若宮★2025年夏

「金は!?」
 車に戻ってきた若宮と岩田に、運転席から振り返って中井が訊ねた。
「ジジイもババアも、ぶっ殺してやりましたよぉ!」
 返り血で顔を赤く染めた岩田が得意げに叫んだ。
 二人の老人を殴り殺した岩田は、神経が昂ぶり妙なテンションになっていた。
「ぶっ殺したって……それで、金は!?」
 車を発進させながら、中井がふたたび訊ねた。
「百万しかなかったっすよ!」
 岩田が血塗れの封筒を宙に掲げた。
 若宮は岩田の隣で、口を手で押さえていた。
 気を抜けば吐いてしまいそうだった。
「百万だと!? コングさんの情報だと、一千万あるはずだぞ!?」
 中井の血相が変わった。
「去年まではあったらしいっすけど、東京に住んでるガキが商売に失敗したとかなんとかで、仕送りしたみたいっす!」
「はぁ!? そんなの嘘かもしれないだろ!?」
「俺もそう思ったっすから、吐かせようと思って殴ってたら、顔がぐちゃぐちゃになって死んだっすよ!」
 岩田が他人事のような口調で言った。
「おいっ、本当か!? お前ら、金をくすねようとしてるんじゃないだろうな!?」
 中井が疑わしそうな顔で問い詰めた。
「だったらあんたが見てこいや! おおっ、ジジイとババアがくたばってる部屋を探してこいや! ああん!? おらぁ!  車を停めろや!  停めろや!  停めろや!  停めろや!  停めろや!」
 岩田が百万円の入った封筒を中井に投げつけ、背後から肩を掴み激しく前後に揺すった。
「こらっ、離せ……危ないだろっ……やめろ……」
 中井が必死にハンドルをコントロールしながら言った。
「いまは、仲間割れをしてる場合じゃないだろ!」
 若宮は岩田にヘッドロックをかけ、中井から引き離した。
「九百万を俺らがパクったと思われてんだぞ! お前は腹が立たねえのか!? ああっ!? こらっ、てめえっ!  取り消せや!  取り消せや! 取り消せや! 取り消せや! 取り消せや!  取り消せや! 取り消せや! 取り消せや!」
 岩田が若宮の腕を振りほどこうと身を捩り、足をバタつかせながら叫び続けた。
「わかった……取り消すから、とにかく落ち着けって! 疑ったのは悪かったが、コングさんになんて報告するんだ!? 俺は信じても、コングさんは信じてくれないぞ!」
 中井がうわずった声で言った。
「信じなくても、本当だから仕方ねえだろうが!」
 岩田はコングを恐れるふうもなく開き直った。
「仕方ないじゃ、済まないんだよっ。俺ら、実家や親戚の住所を押さえられてるんだぞ!? 逃げることもできないし、最悪、親が殺されることになる」
中井の言葉が、若宮の恐怖心に拍車をかけた。
「俺らはなにも悪いことしてねえんだし、なんでビビらなきゃならねえんだよっ。おい、てめえっ、いつまで抱きついてんだっ! 離れろや!」
 岩田が中井に吐き捨て、返す刀で若宮に怒声を浴びせた。
「お前の言う通りかもしれないが、それをコングさんが……ヤベっ……かかってきちゃったよ」
 中井が震える声で言いながら、スマートフォンを耳に当てた。
「あ、お疲れ様です。いま、移動中です。はい、はい……終わったんですけど、百万しか
なかったみたいで……あ、はい。代われって」
 中井が、強張った顔でスマートフォンを岩田に手渡した。
「ジジイとババアをぶち殺しましたけど、百万しかなかったっすよ! 一千万あるんじゃなかったんすか!?」
 岩田は電話に出るなり、開口一番に訊ねた。
 コングを恐れるどころか逆ギレ気味に問い詰めるとは、岩田は鉄の心臓の持ち主だ。
 それとも、老夫婦を躊躇ためらいなく撲殺できるあたり、やはりヤク中なのかもしれない。
「おいっ、馬鹿っ、なんて口の利きかたをしてんだ!」
 慌てて中井が岩田をたしなめた。
 連帯責任でペナルティを科せられるかもしれないと危惧しているのだろう。
 スマートフォンから、コングの怒声が漏れてきた。
「なんで俺が怒鳴られるんすか! ガセネタ掴ませたのは、そっちじゃないっすか!」
 岩田がコングにキレ返した。
「代われって」
 不機嫌そうに、岩田が若宮にスマートフォンを差し出した。
「も、もしもし……」
 若宮は怖々と電話に出た。
『岩田の野郎は、シャブでも食ってんのか!?』
 コングの野太い怒声が、若宮の鼓膜を震わせた。
「す、すみません……俺にはわからないです」
『まあ、いい。シャブ野郎の代わりに、お前が説明しろっ。金は本当に百万しかなかったのか!?』
「は、はい。東京に住む息子さんがレストランの事業がうまくいってないらしく、手持ちの一千万を仕送りしたと言ってました」
「俺は嘘吐いてないっすよ! 分け前はどうなるんすか!? 一千万がなかったのは俺らのせいじゃねえから、きっちりくださいよ! ねえっ、くださいよ! ねえぇっ、くださいよ!」
 岩田が若宮に顔を近づけ、スマートフォンに向かって叫んだ。
 岩田の充血した眼は、完全にイッていた。
「おいっ、いい加減にしろ!」
 中井が岩田を一喝した。
 岩田を黙らせるのが目的というより、自分は彼とは違うというコングにたいしての保身のアピールだろう。
『マジでイカれてやがるな。で、シャブ野郎がジジババを殺したのか!』
「は、はい……」
『誰にも見られなかったか!?』  
「た、たぶん、大丈夫だと思います」
 パニックになり逃げるのが精一杯で、絶対に目撃されていないとは言い切れなかった。
『テレグラムで送る住所に向かうように中井に言え』
 コングは一方的に言うと電話を切った。
「テレグラムに送る住所に向かえと言われました」
「なんだって!?」
 若宮がコングからの伝言をうわずった声で伝えると、中井が車を路肩に寄せて停めた。
「貸せ!」
 中井は若宮からスマートフォンを奪うと、テレグラムのアプリを開いた。
「中央区晴海……倉庫街じゃないか。どうして呼ばれたんだよ!? いままで電話やテレグラムでしかやり取りしてないのに、呼び出すなんておかしいだろ!?」
 中井は怯えていた。
 若宮には、中井の危惧がわかった。
「金をくれるんだろ?」
 岩田は他人事のように、隣でスマートフォンの漫画を読みながら呑気な口調で言った。
「報酬は、こっちの取りぶんを引いた金額を口座に振り込むって手筈になってるんだよ」
 中井が呆れた顔で言った。
「口座って、コングさんの口座ですか?」
 若宮は率直な疑問を口にした。
「そんなわけないだろ。自分の口座を使ったら、警察の捜査が入ったときに身元がバレるだろうが? 買い取った他人の口座を使ってるんだよ」
 中井の呆れた顔が、若宮に向いた。
「じゃあ、俺らが捕まっても上の人達は困らないってわけですね?」
 若宮は訊ねた。
 脳裏に浮かんだ老夫婦の崩壊した顔面を、慌てて打ち消した。
「そういうことだ。だから、呼び出されるなんて異常事態なんだよ」
 中井が強張った顔で言った。
「百万しか奪えなかったから、疑われて呼び出されたんですかね?」
 若宮は恐る恐る質問を重ねた。
「ああ。あっちも、リスクがあるのに俺らを呼び出すわけだから」
 相変わらず、中井の表情は強張っていた。
「百万を山分けして、バックレればいいじゃねえか。俺はジジイとババアを殺したから四十万で、お前らは三十万ずつな」
 岩田が漫画を読みながら言った。
「ふざけんなっ。俺らがバックレたら、家族が危険な目にあうんだぞ?」
 中井の血相が変わった。
「親父もお袋も家出してから十年くらい会ってねえし、どうでもいいや」
 岩田の言葉に、若宮は耳を疑った。
 薬物でイカレ過ぎて、両親がどうなろうと関係なくなっているのか?
「お前、なんにもわかってないな。俺らがバックレたら、制裁のために警察にチクられるかもしれないんだぞ!?」
 中井が運転席から身を乗り出した。 
「大丈夫だって。チクったら奴らだってサツにパクられるから、そんなことしねえよ」
 岩田が能天気に言った。
「どうやって? 俺らは上の人達の本名も連絡先も知らないんだぞ!? 指示のときに使ってるスマホだって、他人名義のトバシだろうしな。逆に俺らは身分証のコピーも取られてるし、じっさい、お前は二人殺してるし。強盗タタキで二人も殺してるとなれば、間違いなく死刑だ」
「死刑!? 冗談じゃねえ! 俺は、やりてえことが一杯あんだよ! 金貯めてフェラーリ買ってFカップのグラドルとヤリまくって! Dカップじゃねえぞっ。Fカップのグラドルだ! だから、闇バイトをやってんだろうが! まだ、Fカップのグラドルと一発もやってねえのに、死刑なんて冗談じゃねえ! 冗談じゃねえ! 冗談じゃねえ!」
 岩田が白目を剥き、中井の襟首を掴んだ両手を激しく前後に動かした。
「落ち着け……バックレなきゃ……警察にチクられないから……」
 中井が、岩田の両手を襟首から引き離しながら言った。
「なんだ。びっくりさせんじゃねえよ」
 岩田が何事もなかったように、スマートフォンの漫画を読み始めた。
「お前は、どう思う?」
 首を擦りながら、中井が若宮に意見を求めてきた。
 岩田とは、まともな話ができないと判断したのだろう。
「コングさんは、俺達が金を誤魔化していないか疑ってると思うんです。だから、疑いを晴らせばわかってくれると思います」
 若宮は希望を込めて言った。
 頭から疑ってかかられたら……。
 アウトローの世界の映画やドラマでよく観る拷問シーンが頭に浮かび、若宮の恐怖心を煽った。
 岩田の存在も心配の種だ。
 もし、このイカれた調子でコングに歯向かい怒りを買えば、自分達も巻き添えを食らい制裁されてしまうかもしれない。
「誤魔化してなんかねえよ! おおっ! 俺がコングの野郎にバシッと言ってやるよ!」
 若宮が危惧しているそばから、興奮した岩田が話に割って入ってきた。
「死刑になりたくないなら、お前はおとなしくしてろ! Fカップグラドルとできないまま死んでもいいのか!?」
「冗談じゃねえ! おとなしくしてりゃ、死刑にならねえのか!? Fカップグラドルとヤレるのか!?」
 岩田が中井に不安げに訊ねた。
「ああ、Fカップのグラドルとヤレるかどうかはわからないが、少なくとも死刑にはならない。とにかく、お前はなにを言われても絶対に歯向かうな」
「わかったよ。Fカップグラドルとヤレねえまま死刑はごめんだ」
 中井は岩田のコントロール法をみつけたようだ。
「まあ、なんにしても、行くしかない。正直に話せばコングさんもわかってくれるだろう。俺らは、金をくすねたりしてないんだからさ」
 中井は若宮にたいしてというより、自らに言い聞かせているようだった。
「そうですね。でも、もし……」
 若宮は喉元まで込み上げた、コング以外にヤクザがいたらどうします? の言葉を飲み下した。
「もし、なんだよ?」
 中井が訝しげに、若宮の言葉の続きを促した。
「いえ、なんでもありません」
 若宮は思い直して質問をやめた。
 ヤクザが待ち構えているとしても、逃げるわけにはいかないのだ。
 津波のように襲いかかる後悔――何回、いや、何十回も悔やんだ。
 どうして、応募する前にもっと慎重に考えなかったのだろうか?
 荷物を運ぶだけで五十万……まともな仕事であるはずがなかった。
 母に楽をさせたいという思いが、皮肉にも危険な状況に巻き込んでしまった。
「そうか」
 中井が言いながら、岩田に見えないようにスマートフォンのディスプレイを若宮に向けた。
 
 本当に百万しかなかったのか? もし嘘なら、俺とお前がそのことをコングにチクる。そしたら、俺らは助かる。

 メモのアプリに打ち込まれた文字を読むと、若宮は自分のスマートフォンのメールの送信欄を開いた。

 本当に百万しかありませんでした。それで逆上した岩田が二人を殺しました。

 若宮はメールの送信欄を中井に見せた。
「おいっ、てめえら、なにこそこそしてんだ? 俺に黙って、報酬が入ったらキャバクラに行く相談でもしてんのか? そうだろ? 図星だろ? 俺も連れてけよ。Fカップのキャバ嬢がいる店によ!」
 岩田が手の甲で涎を拭いながら、若宮と中井を交互に見た。
「コングさんに呼び出されているんだ。そんなわけないだろうが。じゃあ、出発するぞ」
 中井が正面を向き、イグニッションキーを回した。
「おいっ、もしかして、キャバクラじゃなく風俗か!?」
 岩田が中井に執拗に食い下がった。
 中井は岩田を無視して、アクセルを踏み込んだ。



「ここですか?」
 晴海埠頭――黒いシャッターの倉庫の前で足を止めた中井に、若宮は訊ねた。
 体育館くらいの大きさの倉庫だった。
「ああ、E-5の倉庫にこいと書いてあるから、ここで間違いない」 
 中井が、倉庫の壁に貼ってあるプレートを指差した。
「早く電話しろよ。金貰って、パーッと遊びに行こうぜ!」
 岩田が呑気な口調で中井を急かした。
 対照的に硬い表情の中井が、スマートフォンを耳に当てた。
「あ、中井です。いま、倉庫の前に着きました。はい、はい……わかりました」
 中井が電話を切ると、モーター音に続いてシャッターが上がった。
 外観と違い倉庫の中は二十坪ほどのこぢんまりしたスクエアな空間で、奥には縦列駐車されたバスのようにコンテナが並べられていた。
 よく見ると、コンテナには防犯カメラがついていた。
 コンテナのドアが開き、黒いスーツにプロレスのマスクをつけた二メートル近い大男が現れた。
「岩田は誰だ?」
 聞き覚えのある下腹を震わせるような低音……コングが、訊ねながら歩み寄ってきた。
「俺だよ! 真っ先に俺に金を払ってくれんのか……」
 コングが岩のような拳を岩田の腹に打ち込んだ。
 体をくの字に折った岩田の口から、胃液がほとばしった。
「シャブ野郎が!」
 コングが腕を振り下ろし、岩田の背中に叩きつけた。
 俯せに倒れる岩田を、コングが蹴りつけて仰向けに引っ繰り返した。
 コングは岩田に馬乗りになり、左右の拳で顔面を殴りつけた。
「誰に盾突いてんだ! クソボケが! クソボケが! クソボケが! クソボケが! クソボケが! クソボケが! クソボケが! クソボケが!」
 コングが怒声の数だけ、拳を振り下ろした。
 一発ごとに、岩田の顔が変形し、血が飛散した。
 若宮の足元に白い欠片が飛んできた。
 よく見ると、欠損した歯だった。
 若宮の背筋は凍てつき、金縛りにあったように動けなかった。
 中井も若宮の隣で、岩田が一方的に殴られるのを蒼白な顔で見ていた。
「シャブ野郎がっ、わかったか! 今度舐めたこと言いやがったら、この程度じゃ済まねえぞ!」
 コングが立ち上がり、ズタボロになった岩田の顔面を蹴り上げた。
「てめえらも、本当に誤魔化してねえだろうな!? おお!?」
 コングが険しい形相で、若宮と中井のほうに歩み寄ってきた。
「ほ、本当にこれだけです」
 中井が、老夫婦の血に染まった封筒に入った百万円を震える手で差し出した。
「二人とも、服を脱げや」
 コングが中井の手から封筒をひったくりながら命じた。
「え? 服を脱ぐんですか?」
 中井が怪訝な顔で訊ね返した。
「金を隠してねえか、調べるんだよっ。車はあとでチェックする。ほらっ、さっさと脱げや!」
 コングの怒声に、若宮と中井は競うように衣服を脱ぎ始めた。
「全部だ!」
 コングが二人の脱いだ服のポケットをチェックしながら、トランクスをつけたままの若宮に命じた。
 若宮はトランクスを脱ぎ、性器を両手で隠した。
 コングは若宮と中井の衣服を調べ終えると、失神している岩田の服を剥ぎ取るように脱がせた。
 全員の衣服のチェックを終えたコングが、スマートフォンを取り出し誰かに電話をかけた。
「とりあえず、衣服はチェックしました。あとで、車を調べます。はい、わかりました」
 コングが誰かに報告すると、電話を切った。
 言葉遣いから察すると、上の者なのだろう。
「いま、上の人がくるからそこに正座してろ」
 コングが床を指差した。
 コングだけでも失禁しそうなのに、さらにコワモテが出てくるというのか?
 もしかしたら、ヤクザかもしれない。
 いや、コング自体がヤクザの可能性があった。
ここから、無事に出ることができるのだろうか?
 若宮は絶望的な気分で、コンクリートの床に正座した。
  縦列している最後尾のコンテナのドアが開いた。
 若宮の心臓の鼓動が早鐘を打った。
 コンテナから出てきた二人の男はコングより背は低いが、それでも百七十五センチの若宮より頭一つ高かった。
 二人はコングと違いプロレスラーのマスクではなく、それぞれ白と黒のフェイスマスクをつけていた。
 黒フェイスマスクが手にするスタンガンを見た若宮の頭が真っ白に染まった。
 九百万円を隠していないかを確認するために、自分と中井を拷問にかける気か?
「おいっ、てめえら、白状するならいまのうちだぞ? ここにくるまでに、どこかに隠すチャンスなんていくらでもあったからな」
 コングの恫喝――若宮の危惧は当たった。
 正座している膝が震えた……口内の唾液が干上がった。
「本当に、百万しかなかったの?」
 コンテナから、黒のベネチアンマスクをつけた小柄な女性が冷え冷えとした声で訊ねながら出てきた。
 白フェイスマスク、黒フェイスマスク、コングの三人が弾かれたように頭を下げる光景に、若宮は眼を疑った。
 まさか、この女が三人の上役なのか?
「ターゲットが子供へ仕送りしたっていう話は、本当なのかと訊いてるの」
 ベネチアンマスク越しの女の瞳は、声同様に凍えるように冷たかった。
 露出している肌は雪のように白く、かなりの美女であることが窺えた。
 若宮は、女に見られないように性器を両手で隠した。
「はい……本当です!」
 中井が、怯えながらもきっぱりと言った。        
「こいつらの言うことは当てになりませんから、これから拷問で吐かせ……」 
「小沢壮太。ターゲットの小沢庄吉と小沢静子の長男で、中目黒のスペイン料理店『エルドラゴ』のオーナー。経営は火の車で、高利の街金融からの借金の一部を父親からの仕送りで払っている」
 女が抑揚のない口調で言った。
「あの、それは、どういう意味でしょう?」
 コングが恐る恐る訊ねた。
「あなたが三人に指示したターゲットの裏を取ったのよ」
 女がコングを一片の情もない瞳で見据えた。
「えっ、裏を……」
「始めなさい」
 女が命じると、黒フェイスマスクがスタンガンをコングの首筋に当てて放電した。
 硬直したコングを羽交い絞めにした白フェイスマスクが、口を開かせ小瓶の中の液体を流し込んだ。
 電流で痺れたコングは眼を見開いたまま、もがき苦しむこともせずに吐血して倒れた。 
 三十秒も経たないうちに、正座する若宮と中井の目の前でコングは小刻みに痙攣したのちに白泡を吹いて事切れた。
 あまりに唐突で衝撃的な光景に、若宮は声と表情を失った。
「いつもの手順で処理して」
 涼しい顔で命じる女に、若宮は底知れぬ恐怖を覚えた。
 彼女の言動からは、まったく感情というものが伝わってこなかった。
 白フェイスマスクが、コングの両足を引っ張り先頭のコンテナに運んだ。
「あなた達に、汚名返上のチャンスをあげるわ」
 女が若宮と中井を見下ろし、片側の口角を吊り上げた。
「汚名返上……のチャンスですか?」
 若宮は、恐る恐る訊ねた。
 もう、女の前で裸で正座していることの恥ずかしさを感じる余裕はなかった。
「次のバイトを紹介してあげるってことよ。今度の情報源は私だから、間違いなくお宝はあるから安心して」
 女が口元だけで微笑んだ。
「あの……もう、バイトは……」
「いまの、見たでしょう? 私は無能な人間は処理するタイプなの。あなた達は私に有能であることを証明しなければならないの。断るのは勝手だけど、あなた達はもちろん、家族もすべて処理することになってもいいの?」
 女の加虐的な口調に、若宮の全身に鳥肌が立った。
 脅しとは思えなかった。
 現に、これまで貢献してきたであろう部下のコングを、たった一度のミスで眉一つ動かさずに殺した。
 一日で、三人が殺されるのを目撃した。
 まるで、犯罪映画を観ているような気分だが、今日起きていることは紛れもない現実だ。
「さあ、どうするの? 選択肢は与えてあげるわ」
 女が若宮と中井に二者択一を突きつけてきた。
 新たな闇バイトを受けるか、断って自分と家族の命を危険にさらすか……選択肢など、ないも同然だった。
「なにを……すればいいのですか?」
 掠れた声で、中井が訊ねた。
「あなたは、どうするの?」
 女が若宮に冷視を移した。
「……やります」
 若宮は言うと項垂れた。
「今度の現場は青山の宝飾店よ。個人商店で、還暦過ぎた男性オーナーとアルバイトの二人でやってるわ。実行日は明日で、時間は正午」
「お昼ですか!?」
 中井が素頓狂な声を上げた。
「昼休憩の一時間だけ、オーナー一人で店番をしてるから狙い目よ。店の商品を半分換金するだけでも、二、三億にはなるから。三分以内で可能なかぎり詰め込んで。オーナーは最初に殺しちゃってね」
 まるで、ゴキブリを駆除するとでもいうように、さらりと女が指示した。
「また、殺すんですか!?」
 思わず、若宮は大声で訊ねた。
「彼にやらせればいいじゃない。詳細は、テレグラムで送るから」
 女は、コングに滅多打ちにされて気を失ったままの岩田を指差すと倉庫の出口に向かった。
「あ、因みに、ここは他人名義で臨時に借りたところだから、跡は追えないわよ。自分と家族の命を守りたいのなら、妙な気は起こさないように」
 女は思い出したように立ち止まり釘を刺すと、足を踏み出した。
 進むも地獄、退くも地獄――若宮の脳内は漆黒の闇に覆われた。

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連載小説『ダークジョブ』は毎月末日の正午に配信予定です。更新をお楽しみに!
https://kadobun.jp/serialstory/darkjob/


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