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連載

【連載小説】新堂冬樹『ダークジョブ』 vol.1

【第1回】連載小説『ダークジョブ』新堂冬樹――闇金、特殊詐欺、そして闇バイトへと繋がる裏社会を、鬼才が徹底的に描く!

【連載小説】新堂冬樹『ダークジョブ』

新堂冬樹さんによる小説『ダークジョブ』の連載がスタート!
1985年――東京・歌舞伎町で闇金融の世界に飛び込んだ片桐は、激しい「切り取り」に辟易しながらも、いつしかその世界に魅入られていく……。
闇金、特殊詐欺、そして闇バイトへと繋がる裏社会を、鬼才が徹底的に描く!

【第1回】新堂冬樹『ダークジョブ』

片桐★闇金編 1985年

『タダイマルスニシテオリマス。ゴヨウケンハピーットイウハッシンオンノアトニ……』
「くそがっ、居留守ばかり使いやがって!」
 黒塗りのプレジデントのドライバーズシートで、じまがショルダーホンに向かって怒声を浴びせた。
 サイドシートに座るかたぎりの全身の筋肉は、緊張で硬直した。
 オールバックの髪、切れ長の目、デザイナーズブランドのピンストライプのスーツをまとった長身で筋肉質の体……十五歳から不良仲間とつるんでいた片桐は、いわゆるヤンキーには免疫があった。
 だが、百八十五センチ、百キロの巨体でパンチパーマに口髭をたくわえた矢島は迫力が違った。
 無理もない。
 それまで片桐がヤンチャをしていたヤンキーと違い、矢島はきょくせいかいさいとう組の準構成員だった。
 先月から片桐が働いているちょうの「スマイルローン」は、十日で五割の金利を取る闇金融で、斎藤組のフロント企業だった。
 電話ボックスに貼られていた、経験不問、学歴不問、年齢不問、月収五十万以上可、幹部候補生募集の魅力的な言葉が並ぶチラシを見て、片桐は電話で面接を申し込んだのだった。
 九州の高校を中退してから十五歳で上京した片桐は、チラシポスティング、とび職、パチンコ屋のホールスタッフ、キャバクラのボーイと職を転々としたが、どれも長続きしなかった。
 九州の不良グループでもリーダー格だった片桐は面倒を見るのが好きな親分肌で、人に使われるのは性に合わなかった。
 だが、同棲しているみずが妊娠していることを知り、一念発起した。
 子供の将来のために金を稼ぎ、偉くなること。
「スマイルローン」のチラシは、片桐にとって渡りに船だった。
 赤ん坊を抱いた女性客を怒鳴りつけるスキンヘッド、電話の受話器に怒声を浴びせる五厘刈り……事務所に足を踏み入れた瞬間に後悔した片桐だが、後には引けなかった。
 以前の片桐なら回れ右をして帰ったが、来年には父親になるのだ。
 もう、いままでのように気分でふらふら職を渡り歩く生活とはさよならだ。
「おいっ、なか! てめえっ、踏み倒してんじゃねえぞ! うらっ! 元金二十万と利息十万を合わせた三十万の期日は昨日だろうが! おおっ、てめえ、ナメてんのか! こらぁ! すぐに電話してこいや!」
 矢島は不良債務者の中田の留守番電話に怒声を残し、ショルダーホンを切った。
「中田の仕事場に行かないんですか?」
 片桐は怖々と矢島にたずねた。
 中田は池袋のレンタルビデオ店の店員だった。
「馬鹿かおめえは! 昨日の夜からアパートにガンガン取り立て行って留守番電話にも五十本以上取り立て電話入れてんのによ、職場に顔出すわけねえだろうが!」
 矢島が、剃り込んだM字の額に血管を浮かせて吐き捨てた。
「たしかに、そうですね。でも、どうしてここにきたんですか?」
 片桐の乗るプレジデントは、世田谷区立第一小学校の正門の前にめられていた。
「ほら、家族構成をよく見ろや」
 矢島が中田の申込用紙のファイルを片桐の膝上に投げた。
 中田は三十歳で独身だ。
 両親は山形に住んでおり、二つ上の姉と三つ下の弟が東京に住んでいた。
「姉貴は小学校の国語教師、弟はピンサロのボーイ。姉弟の借金の取り立てに乗り込まれて迷惑なのは、どっちだと思う?」
 矢島が訊ねてきた。
「そりゃ、学校の先生ですかね?」
「そういうこっちゃ。俺らに乗り込まれたら、おやじのちんぽしゃぶる店のボーイより小学校の先公のほうがダメージでかいだろ?」
 矢島がニヤニヤしながら言った。
「こういうときのために家族構成や交友関係を、時間をかけてき出すんですね?」
 片桐はファイルをめくった。
 家族構成や交友関係以外にも、パチンコ店、場外馬券場、スナック、バーなどが書いてあった。
「これはなんですか?」
 片桐は訊ねた。
「中田がよく行く場所だ。いいか? 金貸しっつうのは、最初がすべてだ。融資するときに、世間話のふりしてどれだけ情報を訊き出せるかで、“切り取り”の成功率が違ってくる。俺もパチンコ好きなんですよー、ちなみにどこの店が出ます?って感じで、さりげなく行動範囲の情報収集をするってわけだ」
「踏み倒した客が、顔を出す確率の高い場所に乗り込むためですね?」
「そうだ。闇金に金を借りるやつは、サラ金や街金にも相手にされねえゴキブリどもだから、平気で飛びやがる。だから、金を貸す前にいい気分にさせてベラベラ情報をしゃべらせるっつう作戦だ」
「ゴキブリ……」
 片桐はつぶやいた。
 仮にも客を害虫扱いすることに、片桐は抵抗を覚えた。
 中田は借金を踏み倒したといっても、二十万円の元金にたいして五割の利息である十万円を三回払っている。
 計算上では中田は、既に元金以上の三十万円を支払っているのだ。
「ああ、ゴキブリだ。片桐よ、おめえはまだ闇金歴一ヶ月だから、わからねえかもしれないが、闇金の金をまむ客なんて殺人犯より最低の奴らだ。殺人犯っつうのはほとんどが捕まって、長い懲役入るか死刑の罰を受けるけどよ、闇金の客は借りるときだけへこへこしやがって借りちまったら逃げることしか考えねえゴキブリ野郎だ。ゴキブリっつうのは残飯をくすねながら生活して、人間にみつかったら一目散に逃げる。闇金の客にそっくりだろうが」
 矢島が嘲るように笑った。
「さあ、行くぞ」
 矢島がドライバーズシートのドアを開け、車外に降りた。
「どこにですか?」
 訊ねながら、片桐もサイドシートを降りた。
「女神のとこだよ」
 矢島がニヤニヤしながら、正門に向かった。



 校舎に入った矢島は、迷わず職員室に向かった。
 まさか、姉のところに取り立てに行くつもりなのか?
 片桐は不安な気持ちで、矢島のあとに続いた。
 借金を踏み倒した不良債務者が厳しく取り立てられるのは自業自得だが、家族や親戚を追い詰めることには抵抗があった。
「三年二組の担任の、やまかず先生はいらっしゃいますかー!?」
 矢島は職員室に入るなり、大声で中田の姉の名を呼んだ。
 小山は姉の夫の姓だ。
 片桐の危惧が現実のものとなった。
 職員室にいる教師達の視線が、一斉に矢島に集まった。
「小山は私ですが……どちら様でしょうか?」
 三十代とおぼしき小太りの女性が、げんな顔で矢島に訊ねた。
 彼女のふくよかな顔は、警戒心に満ちていた。
 無理もない。
 およそ小学校とは縁のなさそうな派手なダブルスーツに剃り込みパンチパーマの男が、職員室に乗り込んできたのだから。
「中田しんって、あんたの弟だろう!?」
 矢島がドスの利いた声で訊ねた。
「そうですけど……信二がなにか?」
 姉が不安げな表情で訊ね返した。
「あんたの弟さんに、金を踏み倒されちまってな!」
 矢島が大声で言いながら、姉の顔前で金銭消費貸借契約書を広げた。
「え……」
 姉が絶句した。
 金額欄には、二十万円の元金と五割の利息の十万円を乗せた三十万円の漢数字が入っていた。
「職場にも自宅にもいねえし、それで、お姉さんのところに訪ねてきたってわけさ」
「わ……私も信二とはずっと連絡を取っていませんし、どこにいるのかわかりません」
 姉が震える声で言った。
「それじゃ困るなぁ。俺らも貸した金は返してもらわねえとよ」
「すみません、ここは職員室ですから、また、日を改めていただけませんか?」
 姉が周囲の教員の目を気にしながら、ささやくように言った。
「支払期日はとっくに過ぎてるわけだから~、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだよ! あんたの弟が金を踏み倒したせいで、俺は手ぶらで帰ったら社長にボコボコに殴られるんだって!」
 矢島が、これみよがしにわめき散らした。
「教頭のむらです。弟さんの借金なので、ここで騒ぐのはやめていただけませんか? 小山先生が借りたわけではないので、弁済義務はないですよね?」
 それまで静観していた白髪交じりの七三分けの男性……教頭が、矢島に抗議した。
「なんだ、おっさん! 誰がお姉さんに支払ってくれって言ったよ!? あ!? 俺はただ、小山先生の弟に金を踏み倒されたって事実を伝えてるだけだろうが!」
 矢島が大声を出すたびに、姉が周囲の目を気にするようにきょろきょろと首を巡らせた。
「と、とにかく、ここで大騒ぎされたら迷惑なので、お引き取りください。ば、場合によっては、警察に通報することになります」
 矢島の勢いにされながらも、教頭が警告した。
「は!? 警察!? 呼べるもんなら、呼んでみろや! こっちはきっちり借用書に署名も捺印も取ってあるし、恐喝もなにもしてねえ。そもそも、警察は民事不介入だからよ、借用書確認して帰るだけだ! そしたら、教頭さんよ、あんた、どうする気だ!? あ? もう誰も頼れる奴はいねえぞ? お? それともてめえがこの借金を肩代わりしてくれんのか!? ああ!? どうなんだよ!? うらぁ!」
 矢島がマシンガンのような勢いでまくし立てた。
「いえ……私はこの件とは無関係ですから……」
 教頭が愛想笑いを浮かべつつ、自分のデスクへ戻った。
「っつ~ことで、お姉様、相談なんだけどよ、手ぶらで帰れねえし、ここは肩代わりしてくんねえかな? 学校の先生が安月給っつっても、三十万くらい払えるだろ? お? 出来の悪い弟のために、一肌脱いでやってくんねえか?」
 矢島が姉に代理弁済を求めた。
「あの……お姉さんは保証人にもなっていませんし、本人から取り立てたほうがいいんじゃないですか?」
 片桐は、矢島に声をかけた。
 昔から、正義感が強いタイプだった。
 小学校の頃から、いじめられている生徒を見かけると後先考えずに助けに向かった。
 平気で金を踏み倒すようなろくでなしばかり相手にしているからこそ、「スマイルローン」は十日に五割という法外な利息を取っているのだ。
 中田はこれまでに三回の利息を支払っており、とっくに元金の二十万円は超えていた。
 片桐の考えは、元金を回収できた債務者に関しては無茶な取り立てはしない……少なくとも家族や友人に取り立てはしない、というものだった。
「あ? てめえ、誰が誰に物を言ってるんだ!? あ!?」
 矢島が鬼の形相で片桐をにらみつけた。
「中田さんのお姉さんは保証人じゃないので……」
 頬に衝撃。片桐は後方によろめいた。
 続けて、腹に拳が食い込んだ。
 まだ耐えることはできたが、ダメージが深くならないように片桐は自ら前のめりに倒れた。
「調子こきやがって! くそ野郎が! 姉貴なら弟の尻拭いすんのは、あたりめえだろうが! うら! なに一丁前に能書き垂れてんだ! おら! おら! おら!」
 脇腹、背中、肩、尻……容赦ない矢島の蹴りが飛んできた。
 片桐は後頭部を両手でガードし、亀の体勢になった。
「くそが! 弟が人殺ししたら姉貴は関係ねえって顔できんのか!? おおっ!? 俺ら金貸しにとっちゃ、金を取られたのは命を取られたのと同じなんだよ! うらっ!」
 全身に矢島の踵が飛んできた。
 悲鳴を上げるろっこつ……腹に食い込む爪先。
 熱く酸っぱい胃液が食道を逆流して床をらした。
「払いますから、もうやめてください!」
 姉の悲痛な叫びに、矢島の足がピタリと止まった。   
「本当ですかぁ? いや~、ありがたい! そんなつもりじゃなかったのに、申し訳ないっすね~。で、いつ払っていただけます?」
 それまでと百八十度豹変させたねこで声で、矢島が姉に訊ねた。
 片桐は小さく舌を鳴らし、のろのろと立ち上がった。
 息を吸い込むたびに、脇腹に鋭い痛みが走った。
「お待ちください」
 姉が矢島に言い残し、デスクに戻った。
「おい、車で渡したチラシを用意しとけ」
 矢島が片桐に囁いた。
「はい」
 片桐は上着のポケットから、折り畳んだチラシを引き抜いた。
 これからやらなければならないことを考えると、気が重かった。
「いま、三万しか手持ちがないので、残りはお昼休みに銀行で下ろしてお支払い致しますので」
 財布を手に戻ってきた姉が、矢島に三枚の一万円札を差し出した。
「じゃあ、十三時に正門で待ってるんで。もしバックレたら……おい、お姉様に見せてやれ」
 矢島に命じられた片桐は、チラシを姉の顔の前で広げた。
 A4サイズのチラシには借入時に撮影した中田の拡大した写真が印刷され、三年二組小山和江先生の実弟、中田信二は当社の三十万円を踏み倒して行方不明になりました! 見かけた方は、『スマイルローン』までご連絡ください! と赤字で書かれていた。
 チラシを見た姉の顔が瞬時に凍りついた。
「残額をお支払い頂けなかったら、このチラシを校内にかせてもらいます」
 片桐は、事前に矢島から教え込まれたセリフを口にした。
 金を借りてもいない姉の職場に乗り込み脅す……。
 片桐は、罪悪感に支配されそうな心から意識を逸らした。
 水樹のおなかに宿る小さな命のためにも、心を鬼にしなければならない。
「必ず払いますから、そんなもの撒かないでくださいっ。お願いしますっ」
 姉が悲痛な顔で懇願してきた。  
「残り二十七万きっちり払ってくれれば問題ねえから。っつうことで、十三時に正門で待ってるからよ! お邪魔様!」
 姉に言い残し職員室をあとにする矢島を、片桐は逃げるように追った。



「よっしゃ! 任務完了! 片桐、なかなかの演技だったじゃねえか! よくやった!」
 プレジデントの車内――中田の姉に銀行のATMで下ろさせた二十七万円を回収した矢島が、喜色満面で言いながら片桐の肩をたたいた。
 演技――姉は無関係だと矢島に進言したことで、げきりんに触れて蹴りまくられたことだ。
 姉に暴力を振るうと犯罪になるので、盾突いた部下に上司が焼きを入れるというシナリオを矢島が書いたのだった。
 自分の弟の借金が原因で、目の前で片桐がひどい暴行を受けている光景を見せれば、恐怖と罪悪感で姉は代理弁済するだろうというのが読みだった。
 それまで渋っていた姉があっさり弟の借金の肩代わりを承諾したのだから、矢島の読みは見事に当たったと言えるだろう。
「でも、手加減してくださいよ。息を吸うたび、脇腹や背中がズキズキしてます」
 片桐は遠慮がちに抗議した。
「馬鹿野郎、本気で蹴り入れたからリアリティが出て姉貴も信じたんだろうが? 名誉の負傷ってやつだ。酒飲んで女でも抱きゃ、痛みなんか消えちまうって」
 矢島が豪快に笑った。
 矢島の言うように片桐の演技がうまかったとすれば、それは本音だからだ。
 職員室で言ったセリフは矢島のシナリオだが、片桐の心の声でもあった。
 だが、口に出さないのは生活のためだ。
 現在の貯金は三万円……これでは、一家の大黒柱として失格だ。
 来年から家族に加わる子供のためにも、これからは自分を殺して金を稼がなければならない。
「お、いけねえ、こんな時間だ。あがつまさんの現場行かなきゃ」
 矢島が思い出したように言うと、慌ててイグニッションキーを回した。
「我妻さんって、誰ですか?」
「ああ、お前はウチに入ってひと月だから、まだ知らなかったか。ウチの本部……『斎藤組』の若頭だ」
「え!? そんな偉い人が取り立ての現場に出るんですか?」
 片桐は素頓狂な声で訊ねた。
「やっぱ、そう思うよな? 若頭は俺と同じ準構成員の頃に冷血鬼の異名で恐れられた伝説の切り取り屋で、とにかく容赦ない追い込みをやっていたらしい。『極悪闇金道』って知ってるか?」
「もちろんです。人気漫画で、連ドラや映画にもなったやつですよね?」
「ああ、極悪非道の主人公、かねいってつのモデルは若頭なんだよ」
「じゃあ、不良債務者の腎臓と角膜を売り飛ばしたとか、不良債務者の実家で飼っていた柴犬を中国人に食肉犬として売り飛ばしたとか、不良債務者の中学生のイケメンの息子をセレブのおばさんに売り飛ばしたとか……漫画に描かれていたことは、すべて本当のことなんですか? さすがに、あれは作り事……」
「全部実話だ」
「えっ……」
 片桐は絶句した。
「漫画に描かれているエピソードは、過去に若頭がやってきた切り取りだ」
「マジですか!?」
 片桐は大声を張り上げた。
 漫画や映画だけの話だと思っていた。
 あれが実話なら、我妻は正真正銘の冷血鬼だ。
「ああ、マジだ。で、今日は俺らに切り取りのイロハを叩き込むために、久々に現場復帰してくれるってありがてえ話だ」
 矢島がヒーローに会えることになった少年のように瞳を輝かせた。
「お前も、こんな機会は滅多にねえんだから、闇金道を究めるためにしっかり勉強しろや」
 矢島は片桐の肩を叩くと、プレジデントを発進させた。
「はい」
 返事はしたものの、片桐は気乗りしなかった。
「スマイルローン」で働いているのは生活のためであり、闇金をずっと続ける気はない。
 片桐は、暗鬱な気分で車窓越しに流れる景色を視線で追った。



「『スマイルローン』で店長やってる矢島っす! 今日は、俺達のためにありがとうございます!」
 ターゲットが潜むマンション近くの駐車場で、矢島が巨体を折り曲げ深々とお辞儀した。
「ありがとうございます!」
 片桐も大声を張り上げ、矢島より深く頭を下げた。
「目立つから頭上げろや」
 我妻のドスの利いた声に、片桐と矢島は直立不動の姿勢になった。
 氷のように冷たい瞳、右の目尻から口角まで走る白く盛り上がった刃傷、白地に黒のストライプ柄のダブルスーツ……百八十センチの片桐より五センチは低いだろう我妻だが、言葉では表現できない狂気の威圧感が漂っていた。
「ここはネズミの愛人のマンションだ。愛人はソープ嬢だ。ネズミが一週間くらい前から潜り込んでるって情報が入った」
 我妻が不良債務者の状況を説明した。 
 我妻が呼ぶネズミとは今回のターゲット……のことだった。
 〈佐久間伸一 四十三歳 大福ファイナンス社長〉 
 移動中の車内で矢島に渡された佐倉の申し込み用紙のデータを、片桐は脳裏によみがえらせた。
 
『佐倉は同業の闇金の社長でよ、「斎藤組」系列の裏ポーカー屋にはまって負けが込んで、一千万の借金を作ったってわけだ』
『同業なら、あっちにもケツ持ちのヤクザがいるんじゃないんですか?』
 片桐は素朴な疑問を口にした。
『ああ、いるだろうな。だけど、天下の斎藤組の金を踏み倒して居直る組はいねえよ。しかも、相手が我妻さんとなれば、ヤクザならなおさら喧嘩けんかしようとは思わねえ』

「着替えるぞ」
 我妻の声で、片桐は現実に引き戻された。
「着替える?」
 矢島が怪訝そうに訊ねた。
「ああ、こんなヤクザ丸出しの格好で行けるわけねえだろ。矢島はでけえし人相悪いし、お前が配達人になれ」
 我妻が片桐に顔を向けた。
「配達人ってなんですか?」
 今度は片桐がいぶかしげに訊ねた。
「とりあえず、ついてくればわかる」
 我妻が、二十メートルほど離れた場所に停めてある軽自動車へと片桐と矢島を促した。
「若頭……いつものリンカーンじゃないんすか!?」
 矢島が驚いた顔で軽自動車を見た。
「馬鹿野郎っ、くそ目立つリンカーンなんぞで乗り付けたら、切り取りにきてますって言い触らしてるようなもんだろうが。てめえもえらそうにプレジデントなんぞに乗らねえで、軽でこいや!」
「すんませんでした!」
 我妻に叱責された矢島が、はじかれたように頭を下げた。
 たしかに、もし自分が借金の取り立て人に追われていて、自宅近辺に派手な車が停まっていたら警戒して逃げるだろう。
「着替えるから、さっさと乗れや」
 我妻に追い立てられるように、片桐は軽自動車の後部座席に乗った。



「行くぞ。切り取りの手本を見せてやるからよ」
 宅配便の配達員のユニフォームに着替えさせられた片桐は、軽自動車を降りた。
「よろしくお願いします!」
 矢島が大声で言いながら、マンションのエントランスに向かう我妻のあとに続いた。
「大声出すなって言ってんだろうが! くそボケが!」
 足を止め振り返った我妻が、誰よりも大声で怒鳴りながら矢島の頭を平手で叩いた。



 七〇五号室のドアの両脇――ノブ側の壁に我妻、反対側の壁に矢島が背中を貼りつけ、正面に配達員に変装した片桐が立っていた。
 両手には届け物を装った三十センチ四方の空の段ボール箱を抱えている。
 我妻が目顔で片桐に合図した。
 片桐の口内は、緊張でからからに干上がっていた。
 鳴り響く鼓動――震える指先で、インターホンを押した。
 返答がなかった。
 ふたたび、我妻からの目顔の合図。
 片桐は二度目のインターホンを鳴らした。
『……はい』
 スピーカーから、若い女性の声が流れてきた。
「『斎藤急便』でーす! お届け物に参りました!」
 片桐は打ち合わせ通りのセリフを口にした。
 束の間の沈黙……ドアスコープをのぞかれている気配があった。  
『なんの荷物ですか?』
 女性は警戒しているようだった。
「『自由が丘フラワー』様からです」
 この返答も、打ち合わせ通りだ。
 家主が女性の場合、送り主が花屋ならば警戒心が薄まるというのが我妻の読みだった。
『お花……誰だろう?』
 スピーカー越しに、女性が呟いた。
『置いていってもらってもいいですか?』
「すみません、受け取りのサインを頂かなければなりませんので」
 想定内の言葉の返答も、我妻は用意していた。
『もう、面倒くさいな……』
 ふたたび聞こえる呟きに続いて、解錠音が聞こえた。
 片桐の鼓動の高鳴りに拍車がかかった。
 ドアが細く開いた瞬間、我妻が片桐を突き飛ばしくつ脱ぎ場に踏み込んだ。
「誰……」
 我妻はスエット姿の愛人を羽交い絞めにして唇をてのひらふさぐと、土足のまま廊下へと上がった。
 矢島、片桐の順で我妻のあとに続いた。
 我妻が愛人を羽交い絞めにしたまま、リビングルームのドアを開けた。
「宅配便か?」
 パンツ一丁でロングソファに横になりテレビを観ていた中年男……佐久間が、でっぷりと太った背中を見せたまま訊ねてきた。
「斎藤急便で~す!」
 我妻が小馬鹿にしたように言うと、佐久間が弾かれたように振り返った。
「ぬぁ……」
 声にならない声を上げた佐久間が、動転してロングソファから転げ落ちた。
「てめえこらっ、金踏み倒してるくせしやがって、なに女の家でのんにテレビ観てんだっ、おら!」
 我妻が愛人を矢島のほうに突き飛ばし、佐久間の顔面にサッカーボールキックを浴びせた。
「ちょ……ちょっと待っへくだふぁい!」
 鼻血にまみれた顔の前で手を合わせ、佐久間が懇願してきた。
 前歯が折れたのか、佐久間の言葉は空気が漏れたような発音だった。
 奥からチワワが、我妻に向かってキャンキャンと吠え立てた。
「おい、捕まえろ!」
 我妻が片桐に命じた。
「はい!」
 片桐はダッシュし、佐久間を羽交い絞めにした。
「馬鹿野郎! 豚じゃなくてチワワを捕まえろって言ったんだよ!」
 我妻が怒声を浴びせてきた。
「えっ、チワワですか?」
 意味がわからず、片桐は訊ねた。
「オスなら売り飛ばして、メスなら交尾させまくりゃ金になるだろうが!」
「わ、わかりました……」
 犬好きの片桐としては抵抗を感じたが、我妻に反論などできなかった。
「怖くないからね……じっとしてて」
 片桐は優しく声をかけながら、チワワに近づいた。
「よしよし……いい子……いい子!」
 片桐は、チワワのきゃしゃな体を捕まえることに成功した。
「ティンカーちゃんに触らないで!」
 矢島に羽交い絞めされている愛人が叫んだ。
 片桐の手の中で、チワワが激しく身をよじらせた。
「お? ティンカーっつうならメスだな? じゃあ、薬漬けにして一年中交尾させたら百万は稼げそうだな?」
 我妻が、ニヤニヤしながら愛人に近づいた。
 片桐の胸は痛んだ。
 できるなら、チワワをどこかに逃したかった。
 だが、それをやってしまえば片桐は半殺しの目にあうだろう。
「ふ、ふざけないで! ティンカーちゃんにそんなこと……」
「ティンカーちゃんだけじゃねえんだよ! てめえにもウチのホテトルでおまんこしまくって稼いでもらうからよ!」
 我妻が愛人を遮り一喝した。
「じょ……冗談じゃないわ! なんで私が、そんなことしなきゃならないのよっ」
 愛人が血相を変えて反論した。
「てめえはソープでも股開いてんだから、カマトトぶるんじゃねえっ、腐れバイが!」
 ふたたび我妻が一喝した。
「あの、俺の借金ですから、には関係……」
「黙れやっ、くそ豚!」
 我妻が正座している佐久間の顔面を蹴りつけた。
 佐久間が歯の欠片かけらを飛ばしつつ後方に倒れた。
「豚が逃げねえように見張ってろ」
 我妻は片桐に命じ、室内の物色を始めた。
 部屋はリビング以外に、もう一室あるようだった。
 我妻がクローゼットを開けた。
「お宝発見!」
 我妻がブランドものらしきバッグを次々と床に放り投げた。
「やめてーっ! それは自分のお金で買った『シャネル』だから!」
 愛人が金切り声で叫んだ。
「てめえの旦那に一千万を貸してんだから、お前の物も俺の物なんだよ!」
「この人は旦那じゃなく愛人……」
「まんこにちんこを突っ込まれてる関係だろうが! 愛人も旦那も同じだ!」
 我妻は毒づき、床に山積みした十個の「シャネル」のバッグの状態をチェックしながら、取り出した電卓を弾き始めた。
 さすがは『極悪闇金道』の主人公のモデルになっただけあり、情け容赦ない取り立てだ。
 我妻の過激さに比べれば、小学校での矢島の取り立てがソフトに思えてきた。
「全部で七、八十万ってところだ。たいしたことねえな」
 我妻が吐き捨てた。
「なに言ってんのよ! そんなわけないじゃない! 一個二十万円以上してるんだからね!」
 すかさず愛人が抗議した。
「そりゃ新品の話だろうが! お前の体と同じ使い古しだから、価値は半減以下なんだよ!」
 我妻が愛人を口汚く罵った。
 視界の端……佐久間が動いた。
 玄関に向かって、佐久間がダッシュした。
「おいっ、捕まえろ!」
 愛人を羽交い絞めにしている矢島が、片桐に命じた。
 片桐はチワワを床に置き、佐久間のあとを追った。
 二メートル、一メートル……片桐は佐久間の両足にタックルした。
 佐久間がうつぶせに倒れ、顔面を床に打ちつけた。
「くそ豚こらぁ! どけ!」
 鬼の形相の我妻が駆けつけ、両足に組みつく片桐を引き剥がすと佐久間の脇腹を蹴り上げた。
「てめえっ、逃げようとしやがって!」
 佐久間に馬乗りになった我妻が、左右の拳を容赦なく頬に打ち込んだ。
「くそ豚の家畜野郎が! 死ね豚! 死ね豚! 死ね豚! 死ね豚! 死ね豚!  死ね豚! 死ね豚! 死ね豚! 死ね豚! 死ね豚!」
 鬼神の形相で佐久間の顔面を滅多打ちする我妻に、片桐の全身に鳥肌が立った。
 佐久間の顔はジャガイモのように凸凹に腫れ上がり、鼻はL字に曲がり、両瞼は赤紫に変色して塞がっていた。
「おっ、この野郎っ、豚のくせに金歯なんてめてやがる!」
 我妻が振り上げた拳を宙に止め、大声を張り上げた。
「おいっ、金歯取れや」
 我妻が佐久間の返り血を浴びた顔で振り返り、片桐に命じた。
「えっ……金歯ですか!?」
 片桐は素頓狂な声で訊ねた。
「溶かして買い取り業者に売り飛ばすんだよ! 早くしろ!」
 我妻が立ち上がり、片桐を促した。
「はい!」
 片桐は佐久間のあんこ腹の上に馬乗りになり、口の中を覗き込んだ。
 右の犬歯が金歯だった。
「あの……これ、ペンチかなにかで抜くんでしょうか?」
 片桐は我妻に怖々と訊ねた。
「ペンチなんぞ使ったら金歯が傷つくだろうが! 手で抜けや! 手で!」
「手ですか……」 
 これ以上躊躇ためらうと我妻に殴られそうなので、片桐は左手で唇をこじ開け、右手の人差し指と親指で恐る恐る金歯を摘まんだ。
 佐久間の痛々しく腫れ上がった顔は直視するに耐えず、片桐は視線を逸らしながら摘まんだ金歯を上下に動かしてみたがビクともしなかった。
「すみません、金歯が動かないんですけど、どうすればいいですか?」
 片桐は我妻に伺いを立てた。
「殴って折るか、グラつかせろや!」
「えっ……」
 予想外の言葉に、片桐はひるんだ。
「早く殴らねえと、てめえをボコッてやろうか! おおっ!?」
 我妻の怒声――片桐は眼を閉じ、右の拳を振り下ろした。
 拳に鋭い痛みが走った。
 片桐は眼を開けた。
 佐久間の口が血塗れになり、金歯がぶらぶらしていた。
 不意に背中が波打ち、胃液が喉元に込み上げた。
 片桐は慌てて口を手で塞いだ。
「なにやってんだ、おら! さっさと金歯引きちぎれや!」
 我妻が片桐の髪の毛をわしづかみにし、怒声を浴びせてきた。
「はい!」
 片桐は破れかぶれになり、ぐらつく犬歯の金歯を摘まむと思い切り引いた。
 ブチッという湿った音とともに、歯茎が付着した金歯が抜けた。
 けいれんする横隔膜――おうぶつが、佐久間の血塗れのジャガイモ顔を濡らした。 
「情けねえ奴だな。こんなもんで吐いてんじゃねえよ。俺なんか新人の頃の一発目の切り取りで、自殺したじじいの死体からセラミックの入れ歯を外したんだからよ」
 我妻が片桐の手から金歯を奪い、高笑いした。
 ふたたびの嘔吐感――片桐は二度目の嘔吐物を床にぶちまけた。



 あらやくまえ駅から徒歩十分の家賃六万円のワンルームマンション――ちゃぶ台に並べられたハンバーグと玉子焼きに、片桐は箸をつけていなかった。
 水樹の料理が口に合わないわけではない。
 午後の取り立て……佐久間の崩壊した血塗れの顔と金歯を引きちぎった感触が蘇り、食欲が湧かなかった。
「元気ないけど、仕事でなにかあったの?」
 片桐とは対照的に、豪快にハンバーグにかじりつきながら水樹が訊ねてきた。
 お腹の子と二人分なので、旺盛な食欲だった。
「いや、なにも。ちょっと疲れただけだよ」
 妊娠中の水樹に、余計な心配をさせたくなかった。
 それに、水樹に話せる内容ではなかった。
 水樹は片桐が金融会社に勤めていると知っているが、サラ金だと思っている。
 片桐の勤務先がヤクザのフロント企業の闇金だと知ったら、やめろと言われるのは目に見えていた。
 水樹はいわゆるヤンキーだが、正義感が強く曲がったことが嫌いな片桐と似た者同士だった。
 新たな仕事がサラ金だと伝えたときでさえ、いい顔をしなかったくらいなのだ。
「もうすぐパパになるんだから、健康には気をつけてよ」
 水樹が不安げな顔を片桐に向けた。
「わかってるよ。心配しないで」
 片桐は笑顔で言うと、無理やりハンバーグを頬張った。
 今日の二件の取り立てだけで、寿命が一年は縮まった気分だ。
 気分だけでなく、こんな仕事が毎日続くといつかは大変なことに……。 
 片桐は思考を止めた。
 いまは生まれてくる子供のために、金を貯めることが先決だ。
 十分な貯金ができたら、「スマイルローン」を辞めるつもりだった。
「貯金とか全然ないけど、本当に大丈夫? この子が生まれたら、めちゃめちゃお金かかるよ」
 お腹をさすりながらの水樹の言葉に、ふたたび片桐の箸が止まった。
 ただでさえ食欲がないのに、不安の種を突っつかれたのだから無理もない。 
「いまの会社は、実力主義で金を稼げるところだから大丈夫だって。水樹はなにも心配しないで、子供のことだけ考えてな」
 片桐は懸命に作った笑顔で、水樹にうなずいて見せた。
 
 子供のためにも、もっと強くならなければならない。
 弱肉強食――家族を養うためには、強者であり続けなければならない。
 
 片桐は心で、己に言い聞かせた。

(つづく)

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