松岡圭祐『JK V』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
松岡圭祐『JK V』文庫巻末解説
解説
細谷 正充(書評家)
松岡圭祐の作品に登場する女性たちは、美しく、そして強い。たとえば、「千里眼」シリーズで活躍する臨床心理士の岬美由紀は、元航空自衛隊の二等空尉で、女性初のF‐15Jのパイロットである。それによって並外れた動体視力を獲得し、一方では各種の格闘技にも通じていた。
また、「探偵の探偵」シリーズの主人公で、悪徳探偵を相手にする探偵の紗崎玲奈も注目に価する。個人的な理由で悪徳探偵を許せない玲奈は、目的のためには暴力も厭わないのだ。初めて読んだときは彼女の、バイオレンスというべき過激な描写に、ビックリしたものだ。ヒロインがバイオレンスと無縁のシリーズもある。もちろんそちらも面白いのだが、松岡作品の戦うヒロインに魅了されずにはいられないのだ。
そんな作者が女子高生を戦うヒロインとしたのが、二〇一九年五月の『高校事変』から始まる、「高校事変」シリーズである。主人公は優莉結衣。児童養護施設で暮らしながら武蔵小杉高校に通う彼女は、校内に立てこもり首相を狙う武装集団に立ち向かうことになる。普通に考えれば女子高生が武装集団と戦えるはずもないが、そこは大胆な設定を軽々と成立させる作者である。なるほど、これなら戦えるというキャラクターを見事に創り上げているのだ。
「高校事変」シリーズは、スケール・アップしながら、二〇二五年現在、二十巻を超える大作になっている。二〇二二年から、惨殺された家族や自分と似たような悲惨な境遇を体験した女の子たちのために、元女子高生の有坂紗奈が復讐者となる「JK」シリーズも開始。二〇二五年から、東大の入試に落ちた燈田華南が、公安調査庁の管轄下にある諜工員育成機関にスカウトされる「令和中野学校」シリーズも始まった。それぞれ方向性は違うのだが、どれも戦うヒロインを堪能できるのだ。
さらに三つのシリーズは、同じ世界の物語になっている。「令和中野学校」シリーズには優莉結衣の名前が出てくるし、「JK」シリーズでは令和中野学校について触れられている。もっといえば「高校事変」シリーズは、「千里眼」「探偵の探偵」シリーズとも繫がりがあり、「令和中野学校」シリーズはイアン・フレミングの「007」シリーズのパスティーシュ「タイガー田中」シリーズと繫がっている。どんどん広がっていく物語世界も、松岡作品の大きな魅力になっているのだ。
以上のことを踏まえて「JK」シリーズの全体像と、第五弾となる本書『JK Ⅴ』を見てみたい。川崎市の懸野高校に通う一年生の有坂紗奈は、同じ学校の同級生や上級生からなる不良グループに家族を惨殺される。自身は沖縄にある輪姦島(この通称からどんな島かはお察しください)で悲惨な境遇に陥るが、結果的に島民を皆殺しにして島を脱出。別人に成りすまして暮らし、ユーチューブで人気のK‐POPダンサーの江崎瑛里華として活動しながら、復讐者の道を歩んでいく。
シリーズ第三弾まで紗奈中心でストーリーが進んできたが、第四弾の前半は渡邊絵夢という女性と同棲していた李沢直也が中心となって進行していく。失踪した絵夢を捜しに広島に来た直也は、しだいに暴力の渦に巻き込まれていくのだ。それがどう紗奈と絡んでくるかは、読んでのお楽しみ。いままでのシリーズとは、ちょっとテイストの違う内容が楽しめるのだ。
そして第五弾の本書で、シリーズは大きな転換点を迎えた。物語は紗奈が、飯田橋駅から歩いて十分ほどのところにある、出版社・燈字社を訪ねるところから始まる。紗奈の目的は、『JKの哲学』の著者である、ジョアキム・カランブーについて聞くことだ。なお、一介の女子高生だった紗奈が戦うヒロインになれたのは、『JKの哲学』をバイブルとして、肉体と精神を鍛えたからである。シリーズ・タイトルの「JK」が、女子高生を指すのはいうまでもない(とかいいながら、本書の紗奈の実際の年齢は二十一歳になっている)。同時に『JKの哲学』も意味しているのだ。かつて女子高生の本と誤解し、それがなぜビジネス書の棚にあるのか不思議に思って手に取り、冒頭を読んで迷わず購入した。この『JKの哲学』が紗奈を大きく変えたのだ。彼女にとっては大切な本。しかし出版社で紗奈は、『JKの哲学』が自費出版で、ほとんど売れなかったこと、著者が日本人のことなどを知るが、著者の本名や居場所などは不明なままだ。
その後、神楽坂のスタバで『JKの哲学』を読んでいた紗奈は、ナリミという女性店員に声をかけられる。ナリミが『JKの哲学』を知っていたことと、片頰に黒い痣があったことが気になり、紗奈はスタバを退店したナリミの後を尾行。そして暮らしているらしいアパートで、男に暴力を振るわれている場面を目撃し、男を殺してしまうのだった。ここから意外な展開の連続になり、作者のミステリー作家としての腕前が存分に楽しめた(この先、本書及び、『優莉匡太 高校事変 劃篇』の重要なポイントに触れるので、未読の人はご注意願いたい)。曲折あって、見知らぬ場所に囚われていた紗奈。部屋を出て廊下をうろついているときに、五十代の男を発見する。この男こそが、「高校事変」シリーズのキーパーソンである優莉匡太だったのだ。作者のファンには周知の事実だが、匡太は優莉結衣の父親だ。そして、七つの半グレ集団を率い、デパートにサリンを撒いて大量の死傷者を出した、平成最大のテロ事件の主犯である。すでに死刑になったのだが、結衣を始めとする子供たちに、今もなお大きな影響を与えているのだ。
ところが、匡太はあろうことか死刑を切り抜け生存していることが判明する。詳細は優莉匡太というモンスターの誕生の経緯を描いた『優莉匡太 高校事変 劃篇』で確認してほしいのだが、ここではさらに「JK」シリーズとの繫がりも、明らかになる。とはいえ本書に、匡太本人が登場するとは思わなかった。しかも匡太は『JKの哲学』の著者であった。その匡太と紗奈が共闘し、囚われていた罠だらけの一軒家から脱出しようとする。うおおおお、何てことをやってくれるのだ! これだから松岡作品はたまらないのである。
さらにいえば、一軒家にいたのは紗奈と匡太だけではない。かつて紗奈と良好な関係だった、三人の男女も囚われていたのだ。平和な日常の象徴である三人と、すでに手を血に染めている紗奈と匡太の対立構造など、幾つもの読みどころを盛り込みながら、作者はヒロインを激しく動かす。エンターテインメント作品の要諦のひとつは、主人公が動くことでストーリーが動くこと。どんな困難や危険に直面しても、『JKの哲学』の教えを参考に、常に行動する紗奈の在り方が、とにかく恰好いいのだ。
そして終盤で、当然のごとくバイオレンスが爆発。激しい戦いが繰り広げられるのである。正義ではない、大義でもない。ただ己の感情に従い、自分にとって大切な人たちを護るために奮闘する、紗奈の戦いを見届けてほしいのである。
ところで私は、エンターテインメント作品の解説や書評を書くとき、よく“痛快”という言葉を使う。しかしいつも、痛快の“痛”という漢字に、かすかな違和感を覚えてしまう。もちろん痛快は、痛いほど快いことであり、たまらなく愉快なこと、胸のすくことを意味している。けして痛みが快いのではないのだ。
だが本書の“痛快”は、痛くて快いといっていいのではないか。紗奈と敵、どちらの行動もバイオレンスの域まで達している。殴る、蹴る、刺す。紗奈も敵も、とにかく容赦がない。血が大量に流れ、人はあっさりと死ぬ。そして紗奈の、戦うヒロインとしての肖像が際立ち、読者は熱狂する。まさに痛快。痛いからこそ快いのだ。
さて、繰り返しになるが、「高校事変」「JK」「令和中野学校」の各シリーズ世界は同じ地平に存在している。しかし「JK」シリーズのみを読む場合と、それ以外のシリーズを併読した場合では、感想が異なってくるだろう。特に、「高校事変」シリーズと「JK」シリーズでは、匡太のイメージが違っているように感じられる。匡太という人間の多面性を表現しているのか。それとも別の意図があるのか。まだ想像するしかないが、新たなステージに立つであろう紗奈の今後も含めて、シリーズの行方が気になってならない。だから、あれこれ考えながら、第六弾の刊行を、首を長くして待っているのである。
作品紹介
書 名:JK V
著 者:松岡圭祐
発売日:2025年11月25日
TBS「THE TIME,」で話題の、青春バイオレンス文学!
”幽霊”になってしまった女子高校生有坂紗奈。彼女を何度も救った人生のバイブル『JKの哲学』の著者、ジョアキム・カランブーの正体を探りに出版社に足を運んだ。詳細な情報を得ることは出来ないまま帰路のつく紗奈だが、襲撃を受け誘拐されてしまう。目が覚めた彼女とともに捕らえられていたのは、高校時代の友人・植村と中澤、そして元恋人の李沢、そしてもう一人、五十前後の男がいた。その男は「優莉匡太」を名乗り――。
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