「1300年間、読み継がれている帝王学の教科書」といわれる『貞観政要』。稀代の読書家であり、立命館アジア太平洋大学(APU)の学長である出口治明さんも座右の書にする中国の古典です。新刊『座右の書「貞観政要」』から、出口さん流の「読み方・活かし方」を、試し読みしてみましょう。
>>第3回「リーダーは、この『3つの鏡』を持ちなさい」
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リーダーは、部下に支えられる
〝寄生階級〞である
●「腹に落ちる言葉」にはロジックと比喩がセットされている
『貞観政要』をはじめとする中国の古典には、たくさんの比喩表現が用いられています。比喩は、人間の直感に訴えるため、理解の手助けになります。
著者の主張したい論理が一般的であればあるほど、形があいまいで、目には見えません。そのため、「理屈はわかるけれど、腹に落ちない」「いいたいことはわかるけれど、イメージできない」ことがよくあります。
人間はそれほど賢くありません。理屈で納得しただけでは、そのときはわかったつもりになっても、すぐに忘れてしまうことがある。ですが、比喩を織り交ぜると、読み手(聞き手)が、その比喩に自分の知識や経験を照らし合わせることができるので、「腹に落ちる」という感覚が生じてよく理解できます。僕が、還暦で開業した前職のライフネット生命のビジネスモデルを説明したときも、ロジックと比喩をセットにしていました。
◎ロジックによる説明
ライフネット生命を立ち上げたのは、「20代から40代の子育て世代が、安心して子どもを産み、育てることのできる社会」をつくりたいと考えたからです。
若い世代は相対的に所得が低いので、そのためには保険料を半額にする必要があります。そこで、インターネットによる直販に踏み切ったのです。セールスをインターネットに置き換えると、その分、人件費も物件費もかからないので、保険料を従来よりもかなり低く設定できます。
◎比喩による説明
わかりやすい例でご説明します。インターネットによる保険の直販は、「自動販売機で缶ビールを売る」ビジネスモデルと同じだと思ってください。
自動販売機なら1本200円で買える缶ビールが、居酒屋で飲むと500円になります。同じビールなのに、どうして値段が高くなるのでしょうか? それは、ビール本来の価格の上に、家賃や光熱水費に加えて、居酒屋で働く人の人件費が乗せられるからです。
対面販売の生命保険会社は、居酒屋のモデルと同じです。保険自体のコストの上に、セールスの人件費などが乗っています。一方、ライフネット生命は、お店を持たずに少人数で運営しています。だから保険料を安くすることができるのです。(中略)
このように、インターネットをおもな販売チャネルとする直販型の生命保険(=ライフネット生命)を缶ビールという日常に引き寄せ、「ライフネット生命は缶ビールのビジネスだと覚えておいてください」と説明すれば、「なるほど!」とわかっていただけるようになりました。
●「自分の足の肉を割いて、食べる人」の愚
『貞観政要』にも、たくさんの比喩が使われています。たとえば、貞観初年に太宗が家臣に次のように語っています。
君主は、人民の生活の安定を心がけなければならない。人民から重税を取り立てて自分が贅沢をするのは、あたかも自分の足の肉を割(さ)いて、自分の腹に食わすのと同じ
である。満腹になったときには体が弱ってしまい、死んでしまう。天下を安泰にしようとするなら、まず、君主自らが姿勢を正す必要がある
(巻第一 君道第一 第一章)
太宗は、人民を「足」に、君主を「腹」になぞらえ、君主と政府と人民が一体であることを家臣に伝えています。自分のお腹をいっぱいにしようと思い、たくさんの肉を食べた。けれどその肉が自分の足の肉だとしたら、どうでしょう? 食べるたびに足が衰えて、いずれは立っていられなくなり、身を滅ぼしてしまいます。
人民と君主の関係も同じです。自分の贅沢のために重税を課せば、人民は疲弊します。君主を恨んで離反者が出てくるかもしれません。これでは国の安泰は図れない。だから太宗は、贅沢を戒めたのです。
当時、唐の根幹は農業でした。ですが、太宗自らが生産物を収穫していたわけではありません。太宗を支えていたのは、人民がつくる農作物や人民が納める税金です。つまり人民が生産階級だとすれば、君主(リーダー)は、人民に頼るしかない寄生階級です。
一国の生産物が「100」で、君主はこの中から「20」を税として召し上げているとします。人民の手取りは「80」です。仮に、人民の生存最低ラインが「75」だとすると、人民にはまだ「5」の余裕が残されています。
ところが、君主が贅沢を求め、税金を「30」に引き上げると、どうなるでしょう?
人民の生活は、脅おびやかされます。生存最低ラインの「75」を割り込んで、「70」になってしまうからです。
人を使うときは、気持ち良く働いてもらうことを意識しなければなりません。太宗が優秀なのは、「75」のラインを見極める目を持っていたことです。しかも、「75」ギリギリに設定するのではなく、「80」を残す割合にして、人民にプラス「5」のゆとりを与えていました。ゆとりがあるから人民は喜び、君主に背そむくことなく働いたのです。
太宗が贅沢をしなかったのは、君主と政府と人民を一体として捉えていたからです。太宗は、足(人民)が弱れば、寄生階級である自分も死ぬことをよく理解していました。だから、民衆に重税を課すことはしなかったのです。
●「奪いすぎると、後が続かない」――中国2000年の真理
「75」あるいは、「80」のラインを見極めることはとても大事なことです。
中国に、「官吏」という言葉がありました。公務員のことですが、「官」=官人と「吏」=胥吏は違います。官人はキャリアなので、税金から報酬が支払われます。一方の胥吏は、庶民の中から希望者を集めたノンキャリアです。
では、胥吏はどうやって生計を立てているのかというと、平たくいえば、チップであり賄賂です。胥吏は地方の役所に詰めていて、住民に代わって各種申請などの代行業務を行います。そして、代行の報酬として代行料という名のチップや賄賂を受け取るわけです。
このとき胥吏は、法外な額の賄賂を要求することはありません。なぜなら、一度にたくさん取りすぎると、あとが続かなくなるからです。しかも、役所には胥吏がほかにもいて、同業者同士の競争も働いています。あまり欲をかくと、住民の間で「あの胥吏は高い」と噂になって、誰も代行を頼まなくなってしまいます。したがって、代行料の「市場価格」は、適正なところに落ち着くのです。
現代の中国でも賄賂の横行が政治課題になっていますが、賄賂にも2000年の伝統があることを知れば、何ら不思議なことではありません。
▶第5回「器は『大きく』しようとするより、『中身を捨てる』ほうがいい」