「1300年間、読み継がれている帝王学の教科書」といわれる『貞観政要』。稀代の読書家であり、立命館アジア太平洋大学(APU)の学長である出口治明さんも座右の書にする中国の古典です。新刊『座右の書「貞観政要」』から、出口さん流の「読み方・活かし方」を、試し読みしてみましょう。
>>第2回「上司を諫める部下がいなければ、組織は滅びる」
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リーダーは、この
「3つの鏡」を持ちなさい
●銅の鏡、歴史の鏡、人の鏡
優れたリーダーにもっとも必要なのは、正しい意思決定ができる能力です。
リーダーの意思決定は、世の中や人の生き方に大きな影響を与えます。組織で何かが決まったのに、実行されないことはまずありません。
つまり、意思決定とは、人やモノやお金を動かすことなのです。人やモノやお金が動かないのであれば、それは本当の意味での意思決定ではありません。
では、良い意思決定をする上で必要な心構えは何かと問われれば、僕は迷うことなく、『貞観政要』の中で語られる「三鏡」を挙げます。
太宗、嘗(かつ)て侍臣(じしん)に謂ひて曰く、
夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。
古(いにしえ)を以て鏡と為せば、以て興替(こうたい)を知る可し。
人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。
朕(ちん)常に此の三鏡を保ち、以て己(おの)が過(あやまち)を防ぐ
(巻第二 任賢第三 第三章)
「銅を鏡にすれは、自分の顔や姿を映して、元気で、明るく、楽しそうかどうかを確認することができる。歴史を鏡にすれば、世の中の興亡盛衰を知ることができる。人を鏡とすれば、その人を手本として、自分の行いを正すことができる」
という意味です。太宗は、リーダーの要諦として、「銅の鏡」「歴史の鏡」「人の鏡」の3つの鏡を持つことを説いています。
〈銅の鏡〉――部下が自然についてくる「いい表情」をしているか
銅の鏡は、現代でいえば、姿見に使われる「普通の鏡」のことです。あとの2つの鏡と比較すれば「実物の鏡」と呼んでもいいかもしれません。
リーダーは部下にとって、一番身近なロールモデルです。リーダーの振る舞いが、部下の振る舞いを決めるといっても過言ではないでしょう。
上に立つ人が、元気で、明るく、楽しそうに仕事をしていれば、下の人も、元気で、明るく、楽しそうに仕事をします。反対に、上に立つ人が、つまらなそうな表情をしていれば、下の人も、つまらなそうに仕事をするようになります。
以前、あるメガバンクの総合職の女性のみなさんから講演会に招かれたことがあります。講演を終え、参加者のみなさんと食事に行ったのですが、そこで、彼女たちの本音に触れる機会がありました。
彼女たちはほぼ一様に「昇進試験を受けたくない。偉くなりたくない。今のままでいい」というのです。彼女たちがそう思うようになったのは、上司の泣き言ばかりを聞かされたからでした。上長の多くは、お酒が入るたび、
「管理職は大変だ。おまえたちには突き上げられる。上からもビシビシ詰められる。板挟みで本当に辛い。ちょっとはオレの立場もわかってくれ。もうちょっとやさしくしてくれ」
と恨うらみ節ぶしを口にするそうです。
そんな上司を見て、彼女たちは、「たとえ少しばかり給料が上がったとしても、そのような辛い立場には立ちたくない」と考えるようになった、というのです。
部下は、上司の表情を見ています。部下は、上司の言動に影響されます。だから、上司はいつも鏡を見て、元気で、明るく、楽しい顔を見せることを心がけるべきです。そうすれば、彼女たちもきっと昇進試験を受けようという気になるはずです。なぜなら、「あれだけいつも楽しそうにしているのだから、上長の立場になれば私たちの知らないおいしいことが山ほどあるに違いない。早く上に上がろう」と思って頑張るようになるからです。
逆にいえば、その程度の顔(表情)を作ることができない人は、リーダーになってはいけないということです。
〈歴史の鏡〉――過去に照らして、将来に備える
将来を想像するには、過去の事例をたくさん勉強するしかありません。過去のケースを知っていれば、今の状況と照らし合わせながら、将来を類推することができます。
将来、過去と同じことが起こるとは限りませんが、似たような出来事に見舞われたとき、歴史を学んでいれば、上手に対応することができます。
将来に何が起こるかは誰にもわかりません。そして将来に備えるための教材は、残念ながら歴史(過去)しかないのです。
〈人の鏡〉――直言をしてくれる「他人」が大事
人の鏡とは、自分のそばにいる人のことです。
自分のことは、目の構造からして、自分には見えません。ですから、「あなたは間違っている」「あなたは裸の王様です」といってくれる人をそばに置く必要があります。直言してくれる部下がいなければ、上司は、自分の本当の姿を見ることはできないでしょう。
人間は、不愉快なことを聞きたくはありません。でも、不愉快なことをいってくれる人をいつまでも遠ざけていたら、ゴマすりしか集まらなくなります。ゴマすりは、裸の王様を見ても、裸だとは言ってくれません。
僕が日本生命の企画セクションにいたとき、隣の部署に、Aくんという若手社員がいました。
企画セクションは、他部門に仕事の依頼をすることが多かったのですが、僕が仕事を頼むと、Aくんはいつも小走りにやってきます。僕は「なかなか見どころのある社員だ」と思い、気を許していた部下のBくんに、ついつい酒の席で「隣の部署のAくんは、なかなかいいじゃないか」と話したことがありました。普段は酒席では原則として仕事の話はしないのですが、おそらくそのときは気持ちが緩ゆるんでいたのでしょう。
するとBくんは、あきれた顔をして、僕にこういいました。
「出口さんは人を見る目が甘くて、アホな上司だと思っていたけれど、ここまでアホとは思いませんでした。Aくんが走ってくるのは、出口さんに気に入られたいからです。『出口さんは、きっと偉くなる』と思っているから、走ってくるんですよ。僕らが仕事を頼んでも、何ひとつやってくれません。あれだけ上にゴマをすり、下に冷たい人は見たことがありませんが、出口さんは、そんなこともわからないほどアホなんですか。アホらしいから明日からもう仕事はしませんよ」
ずいぶんないわれようですが……、Bくんの指摘は当たっていました。Aくんの言動を翌日から注意深く見てみると、Aくんは、僕にゴマをすっていただけのことだったのです。
上司は忙しく、ゴマすりはそれなりに賢いので、よほど丁寧に接していないと、見抜くことはできません。僕は、Bくんの直言を受けて、はじめてそのことを学ぶことができました。「直言してくれる人間がいないと、忙しい上司は絶対にゴマすりには勝てない」と。
リーダーが正しい意思決定を行うためには、魏徴(太宗の臣下)のように、厳しい直言をしてくれる人をそばに置き、鏡とすべきです。もしダメ出しをしてくれる人がすでに周りにいるのなら、「イヤな奴だ」などと思わずに、むしろ喜ぶべきでしょう。
ですが、側近や部下がすべて魏徴のようなタイプだと、四六時中ダメ出しをされることになるので、承認欲求が満たされません。少しくらいの悪口なら平気でも、悪口をいわれ続けると、人間やはり腹も立ちます。
打たれ続ける覚悟が持てない場合は、側近のバランスを考える。側近を5人にするなら、「3人は茶坊主でいいけれど、残りの2人は自分を嫌っている人間(あるいは、反対勢力の人間)から選ぶ」などの工夫をしたほうがいいと思います。