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試し読み

【『座右の書「貞観政要」』試し読み⑤】器は「大きく」しようとするより、「中身を捨てる」ほうがいい

「1300年間、読み継がれている帝王学の教科書」といわれる『貞観政要』。稀代の読書家であり、立命館アジア太平洋大学(APU)の学長である出口治明さんも座右の書にする中国の古典です。新刊『座右の書「貞観政要」』から、出口さん流の「読み方・活かし方」を、試し読みしてみましょう。
>>第4回「リーダーは、部下に支えられる〝寄生階級〞である」
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この「秩序の感覚」を
持っていますか?

●「むやみに行使しない」のが「強い権力」

 貞観3年、太宗は臣下の房玄齢ぼうげんれいに次のように語っています。

古人の中で、国を良い方向に治めた者は、必ずまず自分自身を修めている。その身を修めるには、謙虚さを持って学ばなければならない。正しく学ぶことができれば、その身も正しくなる。その身が正しくなれば、君主があれこれと命令しなくとも自然と物事はうまく運ぶ
(巻第一 政体第二 第十九章)

 この太宗の発言は、儒家の「修身しゅうしん斉家せいか治国ちこく平天下へいてんか」の教えを引き合いに出したものだと思います。

 天下を治めるには、まず君主が自分の行いを正しくコントロールすべきである。自分をコントロールするためには、勉強をしなければいけない。勉強をするときは、素直さと謙虚さを忘れずに、正しい教えを請こうべきである。正しい教えを学べば、正しい君主になることができる。そうすれば、天下は自ずと平和になると太宗は考えました。

 中国の皇帝は、臣下の生殺与奪せいさつよだつ権という伝家の宝刀を持っていました。部下や人民を生かすも殺すも、与えることも奪うことも自分の思うままです。
 けれど、皇帝は、むやみに権力を行使してはならない。権力は正しく使うべきであり、そのためには自分が正しい人間にならなければいけない。太宗は宝刀の威力を知っていたからこそ、その力をもって人民や家臣を服従させてはいけないと自分を戒めたのです。
 太宗の考えの根本には、常に、公正さ、謙虚さ、自制心、自律心が根付いています。太宗の思想の根底にあるのは、権力の感覚であり、秩序の感覚です。
 上に立つ者は、人事権や決裁権など、オールマイティのパワーを持っています。もし人間が賢ければ、そのパワーがどれほど大きくても、正しく使うことができるでしょう。
 しかし、残念なことに、人間はそれほど賢くはありません。不完全で愚かな動物です。
 不完全で愚かな人間がオールマイティのパワーを持つとどうなるか。太宗はそのことの怖さをわかっていたのだと思います。権力は極力、使わないに越したことはありません。

●どんな組織も「上に立つ人の器以上のことはできない」

 僕は、人間ちょぼちょぼ主義者です。人間の能力は、それほど高くはなく、大差もないと考えています。
 太宗も同じで、人間ちょぼちょぼ主義者だったのではないでしょうか。
 ちょぼちょぼの自分にできることは、限られています。何事かを成し遂げようと思っても、皇帝ひとりでは何もできない。臣下や人民に頼るしかありません。
 つまり、ビジネスを成長させるのも、国を豊かにするのも、他人の力を借りなければならない、ということです。
 人の能力も時間も、有限である以上、他人に任せる以外に、組織を強くする方法はありません。
 僕は、「どんな組織も、上に立つ人の器以上のことはできない」と考えています。歴史を学ぶとそのことがよくわかります。では、上に立つ人が器を大きくすれば組織は強くなるのかといえば、そうではありません。
 そもそも、人の器のおよその容量は決まっていて、簡単に大きくすることはできないからです。
 人間には持って生まれた器(能力)があります。「努力をすれば人の器は大きくなる」という発想は、根拠なき精神論に過ぎません。不断の努力をすれば、ほんの少し器が大きくなることはあるかもしれませんが、それは微増に過ぎず、大きく変化することはありません。
 僕は陸上の100メートル走が大好きでした。ですが、どれほど練習を積んでも、11秒台のタイムを出すことはできませんでした。12秒フラットがベストです。それは、僕が持っているスプリンターとしての器(才能)が決まっていたからです。



●いっそ「上司の器」は「空っぽ」にする

 基本的に、自分の器を大きくすることはできません。しかし、器が大きくならなくても、自分の器の容量を増やす方法はあります。それは、器の中身を捨てることです。器に入っているものを全部捨てて、空っぽの状態に戻すことは、優れた人ならできると思っています。いい換えれば、自分の好みや価値観など、こだわっている部分をすべて消してしまうのです。
 今、自分の器の中(頭の中といい換えてもいいでしょう)に入っている、好き嫌いの感情、仕事観や人生観、ちょっとはいい格好をしたいという見栄、あれが欲しいという欲求、自分は正しいという思い込み、まわりは間違っているという偏見、上から目線などといったものをすべて捨てて、無にしてしまう。頭の中をゼロの状態に戻すことができれば、器が大きくならなくても、新しい考え方を吸収し、自分を正しく律することができるのではないでしょうか。
 4畳半に住んでいる人が、荷物が増えて手狭になったからという理由で、8畳の新居に引っ越したとします。このとき、旧居の荷物を捨てないまま引っ越してしまうと、8畳の新居に引っ越しても、3.5畳分のスペースしか使うことはできません。
 けれど、捨てるという発想があれば、わざわざ引っ越さなくてもすみます。4畳半の荷物をすべて捨ててゼロにすれば、4畳半分のスペースを確保できるからです。何事であれ、“上手に捨てること”が大事なのです。
 もう一つ例を挙げましょう。よく中小企業等では採用候補者の面談をすべて自分でこなす社長がいます。いい人材をよく見極めて採りたいから、というのがおそらくその理由でしょう。しかしその結果、結局は社長好みの人間ばかりが選ばれて、組織の多様性は失われてしまいます。この場合に“捨てる”べきは採用面談であり、どうしても捨てられないのであれば、自分で面談するのは幹部人材採用に限るようにするなど、自らに枠を課す度量がリーダーには求められています。
 太宗は「その身を修めるには、必ずその習ふところを慎む」と述べています。慎むとは、謙虚になるということです。そして謙虚になるために必要なのが、つまらない自尊心や羞恥心しゅうちしんを捨てて、器を無の状態に戻すことです。
 太宗が部下の諫言かんげん(上司を諫める言葉)を受け入れられたのは、器を無にすることができたからです。自分が今まで持っていた価値観を捨てたのは、新しい価値観を受け入れるためだったのです。

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