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レビュー

【解説】既存の分かりやすい物語とは異なるアプローチで、読者にカタルシスを与えようとする――『あさとほ』新名 智【文庫巻末解説:澤村伊智】

新名 智『あさとほ』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



新名 智『あさとほ』文庫巻末解説

解説
さわむら (小説家)

 本書は二〇二二年七月にKADOKAWAより刊行された単行本『あさとほ』を、加筆訂正し文庫化したものである。その加筆訂正には「結末の大幅な変更」が含まれる。これにより作品の構造も単行本と大きく変わった。なので各読者の読後感も異なるものになるだろう。が、私が言いたいのはそこではなく、「単行本と文庫で結末が異なること」そのものに、著者であるにいさとしさんが意味を持たせている点だ。物語は様々な局面で(かつては著者以外の人間の手でもやすく)加筆訂正され、その結果、多くのバリエーションが生み出される──本文にもこうした「物語の増殖」についての言及はあるが、今回の文庫化はまさにその実践であり、デビュー二作目にして「物語についての物語」を書き切ろうとする新名さんの勇敢な試みである。気になった方は是非、単行本と読み比べてみてほしい。読書のハードルを上げるのは本意ではないが、両者を読めば更に、本書の魅力がたんのうできるはずだ。かく言う私は実際に読み比べ、そのたくらみに大いにうならされた。

『あさとほ』は、新名さん自身の言葉で言えば「物語がお化けになって襲ってくる話」だ。雑誌『怪と幽』vol.013(二〇二三年四月発行)で対談した際、私はご本人から直接そう聞いている。では具体的にどういう内容なのか。
 語り手「わたし」であるところのおおはしなつは、双子の妹・あおに複雑な感情を抱いていたが、小学生の頃のある時、廃屋に足を踏み入れた青葉は、夏日の目の前で姿を消してしまう。以来、二人の両親も、周囲の人間も、青葉の存在を忘れる。青葉に関する記録も消えてしまう。まるで彼女が、この世界に最初から存在しなかったかのように。
 月日が経ち大学生になった夏日は、卒論の指導担当の教授の失踪事件や友人の異変をきっかけに、「あさとほ」という平安時代に存在し、今は失われた物語の存在を知る。それが青葉の「消失」と無関係ではないらしいことも。夏日は自分以外で唯一青葉のことを覚えているおさなじみきりあきとともに、失踪した教授の行方と、「あさとほ」の正体を追うが──
(※以降の文章には本作の終盤の展開や、結末をほのめかす記述があります)
 構造としてはミステリ的で、題材としては超自然ホラー的で、総体としてはよくある物語の一つに思える。不可解な事件が複数起こり、事件は全てつながっていて、その中心に「あさとほ」がある、といった物語に。
 文庫解説から先に読むタイプの読者諸氏は、ここまで読んでこうお考えかもしれない。じゃあきっと「わたし」が「あさとほ」の謎を解くことは事件の解決とイコールで、きっと終盤に事件は「わたし」の手で解決され、その結果「わたし」の傷は癒え、きっと「わたし」と幼馴染は自分の気持ちに気付き、特別な感情で結ばれるのだろう。そしてめでたしめでたしで終わるのだろう、と。
 結論から言うと、本書はあなたが想像したとおりの物語であると言えるし、まるっきり正反対の物語とも言える。
 終盤、「わたし」は真相を暴く。
 だが「わたし」は暴かれた真相そのものである。
「わたし」の傷は癒える。
 だが「わたし」は自分が負ったはずのない傷を負っている。
「わたし」は自分の本当の気持ちに気付く。
 だが「わたし」は「わたし」がこれまでの「わたし」ではないことにも気付く。
 ぼんやりとしか書けないのがもどかしいが、つまり本作は物語の類型をなぞりながら、同時に反転してみせるのだ。
 重要なのはあくまで「反転」であって「否定」ではないこと。「人間は物語というフィルターを通してしか現実を認識できない」という趣旨の冷めたモノローグが繰り返されはするが、だからといって物語であること、娯楽小説であることを手放さない。メタでありながらベタであろうとし、かんしつつ密着しようとしている。ホラーのようでも、ミステリのようでもある。つまりどの角度から見てもどっち付かずであり、乱暴に言えば「分かりにくい」。
 この分かりにくさは何なのか。言い換えると、新名さんはどうしてこんな分かりにくい小説を書くのか。面白さより分かりやすさが大切、いや分かりやすければつまらなくてもいい、と言わんばかりの「分かりやすさ至上主義」が蔓延はびこる出版界において、こんなアプローチはリスキーでしかないというのに。

 ありのままの現実はてつもなくランダムで分かりにくくて恐ろしく、直視することなどできない。だから人間は自分にとって都合がよい、つまり「偽りの秩序」をねつぞうし、それを通して現実を理解しようとする──これが現時点で刊行された新名長編、全作に共通する人間観だ。
 デビュー作『虚魚』において、偽りの秩序とは「怪談」だった。第三作『きみはサイコロを振らない』では「ゲーム」だ。第四作『雷龍楼の殺人』では位相こそ異なるが「ミステリ」だろう。本作にはミステリという虚構を現実にえんすることで、不合理を解消しようとする人物が登場する。そして『あさとほ』における偽りの秩序とは、もちろん「物語」だ。
 偽りの秩序。言い換えるなら幻想であり、もっと言うと「分かりやすさ」だ。たしかにこうしたものは人間に必要だ。不条理な世界を生き抜くための手掛かりになる。だからといって、新名さんは無邪気に幻想を肯定しない。現実を直視することは怖いが、現実を物語のように消費することも「同じくらい怖い」と、『あさとほ』の登場人物に語らせている。その具体例が後半に登場する「友人の不幸をダシに面接用のドラマチックな自己PRを作成し、それを恥じない就活生」だろう。
 また、先述した対談で、新名さんは「いわゆるジャンル小説みたいなものはあまりやりたくない」「チェックシートを埋めただけの小説は嫌」と、類型的な物語を書くことへの抵抗を表明していた。類型的、つまり分かりやすい物語に批判的なのだ。事実、『きみはサイコロを振らない』は特殊設定ミステリなんて書いてやるもんか、と言わんばかりの内容だし、『雷龍楼の殺人』には密室ミステリ好きを後ろから蹴り飛ばすような「密室」が登場する。幻想はしょせん幻想にすぎず、物語もしょせん物語にすぎない。どれほど分かりやすくても、偽りの秩序が真の秩序になることは決してない。作品内容でも、執筆態度でも、新名さんの冷ややかな視線は一貫している。
 だが、その冷ややかさは冷酷であることを意味しない。読者の幻想を打ち砕き、突き放すことを狙った物語は無数にあるが(私もしばしば書く)、新名さんはそのような真似はしないのだ。現実を現実のまま受け入れられない人間の弱さを暴きつつ、新名作品はその弱き者たちに寄り添う。或いは幻想に傷付けられた人間に焦点を当てる。そして既存の分かりやすい物語とは異なるアプローチで、読者にカタルシスを与えようとする。
 新名作品全般にある「分かりにくさ」の本質はここにある。それを新名さんの「優しさ」と言語化するのは簡単だが、私はそうしたくない。何故なら「作者がこういう性格だからこういう小説を書いたんです」も、一つの分かりやすい物語、偽りの秩序に過ぎないからだ。そもそもを言うなら、この文庫解説という代物もそうだ。
 長々と書いてきたが、最後に私が言いたいのは以下のようなことだ。というより『あさとほ』を解説するなら、こういう結びにせざるを得ない。すなわち──

 読者諸氏におかれましては、私の書き連ねた解説という名の物語ごときで、新名作品を「分かった」「理解した」つもりにならないでください。誰かに見つけてもらうんじゃない。

作品紹介



書 名:あさとほ
著 者:新名 智
発売日:2025年06月17日

この物語を追うと、人が消える。横溝ミステリ&ホラー大賞、受賞第一作!
夏日が通う大学で教授が突如失踪し、「事情を探る」と言う同級生も大学に来なくなった。部屋を訪ねると本が山積みになっており、「あさとほ」という無名の古典を執拗に調べていたらしい。そして風呂場には彼女の遺体が……。同じように失踪した人が他にもいると知った夏日は、幼いころ双子の妹が失踪した日の思い出を重ねてしまい、恐る恐る調査に乗り出す。はたして単なる”お話”に、生き死にを左右する力があるだろうか? 人間と物語の本質に迫る、精緻を極めたホラーミステリ。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322503000692/
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