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【解説】世界を見る目が次第に変わっていく――『彼女が知らない隣人たち』あさのあつこ【文庫巻末解説:町田そのこ】

あさのあつこ『彼女が知らない隣人たち』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



あさのあつこ『彼女が知らない隣人たち』文庫巻末解説

解説
まちそのこ(作家)

 人口百万を超す地方都市で生きるかみえいは、夫のたけふみと高校生の息子かけ、小学生の娘と猫のチロの四人と一匹暮らしだ。四十歳を目前とした彼女は、縫製工場でパートとして働いている。
 作中はコロナ禍にある。不安と息苦しさが停滞している世の中で、咏子はいくつもの悩みを抱えている。肥満傾向にある紗希の食事管理、家庭内のことを妻に任せきりの夫への不満、そして反抗期を迎えている翔琉との向き合い方。咏子は、笑顔が絶えない愛情豊かな家庭にしたいのに、なかなかうまくいかない。咏子には、両親から虐待を受けて育った過去がある。家庭に恵まれなかったからこそ、しあわせな家庭を追い求めているのだ。また、それらを相談できるような心安い友がいないことも悩みのひとつである。
 理想の家庭像がある咏子はいい母でありいい妻であることを心掛け、公正であろうと努めているが、かんぺきではない。生真面目すぎて融通が利かなかったり、子どもと接する中で過去がフラッシュバックして引きずられたりする。その結果、紗希は咏子の顔色をうかがうし、翔琉は咏子のやり方にキレる。夫は咏子の手の回らなさを指摘するか、知らん顔を決め込む始末。ちっとも、うまくいかない。わたしは、境遇こそ大きく違えど共感に似た思いを覚えながらページをめくった。自分の頑張りが報われないむなしさを感じたことのないひとなど、いないはずだ。家族という確かなつながりのあるコミュニティであっても、互いの歯車ががっちりみ合いスムーズに回ることは難しいものなのだ。きっと、どの家庭でも同じようなやり取りがあるはずだ。咏子は、この日本のどこにでもいるであろう女性で、何ら特殊ではない。
 その咏子の平凡な日々が、ある日様相を変える。
 咏子や家族も利用する商業施設で、爆破事件が起きたのだ。毎日心穏やかに眺めていた景色に不穏な煙が立ち上るのを見て、咏子はぞっとする。しかも、爆破事件はまた起きる。その規模は小さいものだったが、人々に不安は広がってゆき、不安は外国人技能実習生たちへのぼう中傷へとへんぼうしていく。それだけにとどまらず、咏子のパート先のベトナムからの技能実習生たちが一方的な暴力を受けてしまうのだった。
 咏子の目線から、さまざまな違和感が描かれる。外国人労働者に対する偏見や差別、非正規雇用問題。共に生きている、同じ人間であるのに、きっぱりと存在している断絶に咏子は戸惑う。自分の見ていた、身を置いていた世界は、こんなにもしんらつで残酷だったのか。
 また、紗希のクラスメートの母親で、PTA活動を通じて知り合ったよしざわももと関わりを深くしていく中で、咏子は難民問題も知る。桃子は難民支援団体で活動していたのだ。咏子の見ていた世界が変わる──いや、世界を見る目が次第に変わっていく。
 読んでいくうちに、体温がすっと下がっていくのを感じた。咏子のことを、この日本のどこにでもいる自分にも近い感覚の女性だと思っていた。どこにでも息づいている日常の話だと感じていた。だからこそ、咏子の受ける衝撃があまりにもリアルに迫ってくる。咏子が知っていく世界はわたしにとってもあまりにも無慈悲で残酷で、だから咏子と共に立ち尽くしてしまう。
 作中、翔琉が咏子に言う。
「母さん、テロってのはいつどこで起こっても、誰が起こしても不思議じゃないんだぜ」
 この言葉がひたひたと心に迫ってくる。問いかけてくる。自分の平和が突如奪われるはずなどない。あなたもそう思っていただろう? と言わんばかりに。
 そして、その言葉を投げかけてきた翔琉が、話が進むにつれて疑惑のひとになっていく。爆破事件に関わっているのか、あるいは外国人技能実習生に対して高まる一方のヘイトを扇動しているのか。咏子は母として「ありえない」と信じようとしつつも、「まさか」を感じてしまう。
 タイトルの『彼女が知らない隣人たち』が、次第に色を濃くしてゆく。
 隣人とは、隣で生きるひとのことだ。もっとも身近な隣人──家族であっても、何を考え、何を誇りとし何を正義としてどう行動しているか正しくは分からない。日々の他愛ない歯車すら合わせることが難しいのだから、それは当然なのかもしれない。
 しかし、傍に生きるひとのことを『知らない』『分からない』と気付くのはとても恐ろしいことだ。自分の立っている場所があやふやになってしまったような頼りなさを覚える。世界が不安定になっていれば、なおさらのことであろう。不安に駆られて、ひとは恐怖を膨らませ、嫌悪を抱き、敵視してしまうのだ。そこから、さまざまな問題が生まれていく。
 作者のあさのあつこ氏の視線は、どこまでも冷静だ。足元が崩れそうになっている咏子に、我々読者に、「どうする?」と静かに問い続けてくる。『知らない』ことを『知った』あなたはどう行動していくの? と。
 だからこの物語は『めでたしめでたし』では終わらない。はっきりとした『こう』という行動も書かれていない。それは読み終わったわたしたち読者全員に課せられたものなのだ。
 わたしは、ひとは寄り添い支え合って生きていかなければならないと思う。苦しい寂しいつらい、そういう思いを伝える相手がいて、伝えてもらえる自分でありたいと願っている。
 そして、苦しみだけでなく、しあわせも伝えてもらいたい。どう生きるのが一番心穏やかなのか、教えてもらいたい。わたしも伝えて、互いを思いやって生きていく。それが、共に生きることだと思う。
 ラスト、咏子が「怖い」とため息を吐くパート仲間のに言う。
「一緒に考えよう」
 わたしたちは互いを思い合って共に考えることができる。知らない部分を埋め合うことができる。その時間こそが、すべての始まりではないだろうか。
 あさのさん、これがわたしの答えです。
 いかがでしょうか?

作品紹介



書 名: 彼女が知らない隣人たち
著 者: あさのあつこ
発売日:2024年11月25日

愛する人の本当の「顔」を、あなたはどこまで知っていますか――?
縫製工場でパート勤務をしつつ、夫や子どもたちと平凡な日々を送っていた咏子は、駅前での爆発事件をきっかけに周囲の不穏な変化を感じ始める。同僚の外国人技能実習生に対するネット上での誹謗中傷、不可解な言動を繰り返す反抗期の息子、図書館での第二の爆発騒動。一連の事件に家族が関与しているのではと疑念が膨らんだ咏子は……。
人は、愛する人の心のうちをどこまで理解できるのか。世界が鮮やかに反転する、衝撃の社会派ミステリ! 
解説・町田そのこ

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322403000787/
amazonページはこちら
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