梶よう子『吾妻おもかげ』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!
梶よう子『吾妻おもかげ』文庫巻末解説
解説
吉田 伸子
本書は「浮世絵の祖」と称される菱川師宣を描いた物語だ。彼が、安房国・保田にある縫箔屋の息子・菱川吉兵衛から菱川師宣になるまでが、そして、彼の代表作「見返り美人図」が出来上がるまでが描かれている。
縫箔とは、「模様を描いた布地に糊や膠をつけ、金や銀の箔を押す摺箔、あるいは刺繡模様を施す」もので、吉兵衛の父・吉左衛門は腕の良い縫箔師だった。吉左衛門の工房には、「縫箔刺繡の上絵のために、唐画、狩野派、土佐派、長谷川派といった異なる流派の画の手本が揃って」おり、吉兵衛は幼い頃からその手本を広げてきた。弟妹たちが外で遊ぶ間も、吉兵衛が夢中だったのは手本を写すことであり、「十を過ぎると、先人たちの画をそっくり描く臨画を始めた」。
十五を過ぎたころから、父親の使いでしょっちゅう江戸に出向いていた吉兵衛は、江戸に魅せられる。「海原を眺め、生きるために働く、それだけでない享楽と悦楽が江戸にはある。吉兵衛は自分の眼に映る物、すべてを描き留めたいと思った」。十七になった吉兵衛は、江戸へ出たい旨を父に告げ、そのことを許される。
物語は、吉兵衛が江戸に出て十年、吉原にある揚屋・丸川から始まる。窓から向かいの遊女屋・三浦屋をぼんやりと眺めているのが吉兵衛だ。外は雨で、吉兵衛の心持ちも雨模様だ。理由は、父からの手紙で、せっかくの馴染みの格子女郎との逢瀬だというのに気持ちが晴れず、妓楼にあがる気も湧かない。格子女郎に「今日は帰る」と告げ、店を出ようとしたその時、足元がおぼつかない妓が玄関にあらわれる。
丸川の女将・おさわから「さくら」と呼ばれたその妓は、もう四日も客を取れていないと嘆く。「お世辞にもいい女とはいえないご面相だが色気はある」とさくらを眺めていた吉兵衛は、虫の居どころが悪かったさくらから、立て板に水の如くに捲し立てられる。このすっとこどっこい! と威勢よく啖呵をきったさくらに、何故か心を乱された吉兵衛は、さくらが身につけていた粗末な小袖と帯に目をやる。これでは客が寄り付かないのも道理だ、と思った吉兵衛は、その小袖に刺繡を施してやることに。
このさくらとの出会いが、くすぶっていた吉兵衛の目を開かせる。さくらの頼みで、他にも客のつかない妓たちの小袖に刺繡を施してやることになった吉兵衛は、ある雨の日、自分の刺繡が入った小袖を着た妓たちを見て、心を打たれる。みんなただの女で、だから他人から優しくされたり、きれいな物を着たりすると、「心も身体も嬉しくなっちまう」のは本当で、それは、吉原の妓も町娘も変わらない、とさくらは吉兵衛に言う。
「この世は憂き世なんだ。ここにいる妓たちがみんな楽しそうに見えるかい? 違うよう。楽しくないけど、楽しまなけりゃやってられないんだ」。生きて吉原を出られるかどうかはわからない。「だから憂いばかりの世だと諦めたら負けなんだ。浮き浮きさせる浮き世と思って生きてるんだ」。
このさくらの言葉こそが、のちの菱川師宣の誕生につながる。
振り返れば、十年前。保田から江戸に着くなり、吉兵衛は鍛冶橋門外にある狩野探幽の工房へと足を運ぶ。「絵師を志す者であれば狩野での修業は当然のこととされていたからだ」。けれど、狩野探幽の弟子と思しき若い男は、吉兵衛を「職人風情の倅のくせに出向くところを間違ってはおらぬか?」と一蹴する。それでも、間違いではない、弟子にしてほしい、取り次いでもらえないか、と自らの画帳を差し出すも、「画を学びたくば、町狩野の画塾へ行け。狩野三家にはな、武家の子息しか入れぬことも知らんのか!」「この田舎者が! 恥を知れ」と面罵される。
とはいえ、吉兵衛を憐れんだのか、「はるばる安房から来たという熱心さに免じて」その画帳を法眼に見せることは約束する。「法眼さまのお眼鏡に適えば、町狩野の画塾を勧めてくださるかもしれんぞ」と。
不安と期待で眠れぬ夜を過ごし、約束の日を迎えた吉兵衛だが、彼を待っていたのは、痛烈な罵倒の言葉だった。渡した画帳は足下に叩きつけられたうえに、「お前の画はなんだ? 土佐か? 長谷川か? それとも唐画か? 狩野を侮っているのか。このようながらくたを見せられるのは不愉快だ」と。「さっさと安房へ帰れ。縫箔屋なら十分食っていけるぞ」と。
男の言葉は、吉兵衛ばかりか、縫箔師である父をも貶める言葉だった。この出来事が、吉兵衛生涯の心の傷になる。以来十年、吉兵衛はくすぶっていたのだ。
けれど、さくらの一言で吉兵衛は目が覚める。「憂いていては生きられない。だから浮き世として生きる」。吉兵衛の胸に響いたこの言葉は、現代を生きる私たちの胸にも、強く、深く響く。
ここから、吉兵衛が菱川師宣になっていくまでが描かれているのだが、吉兵衛の転機となったのは、詞書きと挿絵を同じ丁に入れて摺ることを思いついたことだ。それまでの、「詞書きが並び、丁を繰ると見開きで挿絵が入」るという草双紙の体裁を、「どの見開きにも挿絵と文字が入っている」ものに変えることにしたのだ。これ、現在の絵本の形ですよね。そうか、この形を編み出したのは、菱川師宣だったのか。
吉兵衛案は実現し、新たな体裁となった草双紙は売れに売れ、それまでは無記名だった挿絵絵師の名前も記されるように。やがて、菱川師宣を名乗るようになった吉兵衛は、工房を構え、弟子もとり、「菱川派」を形成していくようになる。吉兵衛の在り方は、ゆっくりと、昔日に自らを手酷く傷つけた「狩野派」の在り方と重なってくるようになるのだが、そのことに吉兵衛は気がつけない。若き日の心に残された傷は、かくも深手であったのだ。その様子が、読み手にはありありと伝わってきて、胸苦しくなってしまうほどだ。
けれど、そんな吉兵衛、いや、師宣の目を覚ましてくれたのもまた、さくらだった。さくらは、吉兵衛が彼女のために新たに誂えた小袖を取りに戻ったがために、明暦の大火で命を落としていた。本書では、このさくらといい、揚屋・丸川の女将で、後に吉兵衛の妻となり子も成したおさわや、師宣の妾となり師宣にとっては次男を産んだおいとも、それぞれに彼を支えているのがいい。
とりわけ、最終盤に、「大和絵師」を自称していた師宣を、「お前さんの画は、浮き世を映しているんですよ。浮き世は憂き世のことでしょう? あたしはね、お前さんの画は憂き世を浮き世に変えてくれるものだと思っていたのさ。だから、気に染まないかもしれないけれど、あたしは大和絵師よりも、やっぱり浮世絵師菱川師宣だと思うんだけどね」と諭すおさわにぐっとくる。このおさわの言葉を受けて、菱川師宣が描いた美人画こそが、後年、彼の名とともに常に語られることになる「見返り美人図」だ。
描かれているのは、菱川師宣という江戸時代の「絵師」のドラマだが、令和の時代の「憂き世」に日々疲弊している私たちの心にも、ずしりとしみてくる物語である。
作品紹介
書 名: 吾妻おもかげ
著 者: 梶よう子
発売日:2024年11月25日
「見返り美人図」で知られる浮世絵の祖・菱川師宣の火花のごとき生涯
絵師を志し故郷をあとにした吉兵衛は、吉原に入り浸る日々を過ごしていた。縫箔師の子に生まれながらも御用絵師・狩野一門に入門を請うが、門前払いされたことで腐っていたのだ。放蕩の日々のなか、気まぐれに遊女の小袖に刺繍を施した吉兵衛は、己の技巧で人々を笑顔にする喜びを知る。ふたたび創作の焔を胸に灯したことで、絵師として名を上げる決意を新たにした。浮世絵の祖・菱川師宣の熱き生涯を描いた歴史小説!
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