KADOKAWA Group
menu
menu

レビュー

【解説】原典に勝るとも劣らない内容をそなえている――『タイガー田中』松岡圭祐【文庫巻末解説:吉野 仁】

松岡圭祐『タイガー田中』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



松岡圭祐『タイガー田中』文庫巻末解説

解説
よし じん(書評家)

 タイガーなかが帰ってきた。
 もしかすると、最初にこのタイトルが目に入り「それはいったい誰だ」と分からなかった人も少なからずいるだろう。逆にすぐ反応したのならば間違いなく007のマニアだ。そう、タイガー田中とは、世界的な人気をほこるスパイアクションヒーロー、007シリーズの登場人物なのである。長編第十一作、日本を舞台とした『007は二度死ぬ』で活躍したのが、我らのタイガー田中だ。ジェームズ・ボンドが英国秘密情報部員なら、タイガー田中は日本の秘密情報機関、公安調査庁の責任者だった。ショーン・コネリー主演の映画版(監督ルイス・ギルバート、脚本ロアルド・ダール、一九六七年公開)でタイガー田中の役を演じたのがたんてつろうだったといえば思いだす人も多いだろう。とらどし生まれの田中とら、それでタイガー田中と呼ばれたのだ。
 まつおかけいすけ『タイガー田中』は、題名どおり、タイガー田中を主人公にしたスパイアクション小説であるばかりか、きわめて本格的なパスティーシュのスタイルをとっているため、新たな007シリーズの一作といってもおかしくない。パスティーシュとは先行する作品の設定、主人公、登場人物、文体などを模倣し、新たな作品をつくりあげたものを指す。作者は、原典といえるイアン・フレミング『007は二度死ぬ』をはじめとしたシリーズの設定を忠実に引き継いだだけにとどまらず、新たな物語をつくりあげた。まず驚嘆したのは、その徹底したこだわりだ。
 映画の007は見ているが、原作には疎いという人のために、もうすこし詳しく説明しておくと、英国作家イアン・フレミングが第一作『カジノ・ロワイヤル』を発表したのは、一九五三年のことだ。大ヒットしたのは、アメリカのケネディ大統領が第五作『ロシアから愛をこめて』を愛読書リストに入れていたことがきっかけとされている。フレミングが残した長編は全部で十二作、短編集が二巻のみである。興味のあるかたはぜひ原作を手にとってほしい。その際、かならずしも刊行の順番どおりに読む必要はないが、第十作『女王陛下の007』、第十一作『007は二度死ぬ』、そしてとうをかざる第十二作『007/黄金の銃をもつ男』はできれば順番に読んだほうがいい。物語のラストが次の冒頭につながっているからだ。『女王陛下の007』でボンドは宿敵ブロフェルドと対決したものの、大いなる悲劇がボンドを襲う。そのせいで『007は二度死ぬ』の冒頭は傷心の日々を送る弱り切ったボンドが描かれている。案じたMが日本へ送り込み、その任務の果てに「二度死ぬ」目にあうわけだ。『黄金の銃をもつ男』の冒頭は、死んだはずのボンドが英国に帰還し、思いもしない行動に出る場面が語られ、驚かされる。
 なによりこの『タイガー田中』は、『007は二度死ぬ』の後日談および『黄金の銃をもつ男』の前日談、すなわちこの二作の間に何が起こったのか、その空白期間の謎と事件が語られていくのである。
『タイガー田中』は、北海道のわつかないからはじまる。まず登場するのは、タイガー田中の部下、みやざわくにひこだ。とうで連絡船を注視していた。そして同行したオーストラリア大使館の二等書記官ヘンダーソンと待機した車のなかで語り合う。ディッコというあだ名で呼ばれるヘンダーソンは、『007は二度死ぬ』でも登場した外交官だ。そこへ現れたのが、タイガー田中の娘、田中らんだ。作中現在の日付は一九六三年四月十八日。宮澤、ヘンダーソン、斗蘭の三人は、ある男が現れるのを待っていた。行方不明となり、一時は死亡したとされていたジェームズ・ボンドその人である。
 物語は、北海道・稚内の場面から舞台を北九州・福岡のくろしまへ移し、そこでいよいよ公安外事査閲局長タイガー田中が登場する。彼がこの島へ訪れたのは、キッシーことすずきすに会うためだ。『007は二度死ぬ』でボンドの潜伏先としてこの島が選ばれ、キッシーは彼と過ごしただけでなく、ブロフェルドとの対決を終えて海に流されたボンドの運命に関わった過去がある。その話を聞くために田中は島にやってきたのだ。
 本作は、死んだとされたジェームズ・ボンドをめぐる攻防のみならず、ブロフェルド率いるスペクターのたくらむ悪事を阻止せんとタイガー田中たちが奮闘するアクション大作だ。田中と彼の部下たちを中心に物語は展開し、公園内、船上などさまざまな場所における派手な銃撃戦や格闘劇が繰り広げられる。そのなかでひときわ目立つのが田中の娘の斗蘭だ。映画版とちがって、セクシーなボンドガールが登場しない分、彼女のアクションがじつに派手で華々しい。題名こそ『タイガー田中』だが、真の主役は、田中斗蘭ではあるまいか。
 一方、脇役勢もにぎやかだ。『女王陛下の007』で登場した〈ユニオン・コルス〉の首領カピューことマルク゠アンジュ・ドラコが姿を見せているほか、フレミングによる第一作『カジノ・ロワイヤル』から準レギュラーのごとく登場している元CIAのフェリックス・ライターも活躍を見せている。また、こくりゆうかいの残党以外に、スメルシュの殺し屋、ロシア人のアキム・アバーエフ、そしてスペクターの元メンバーで偽札製造の達人、ディートリヒ・クンツェンドルフらがひそかに日本で活動を行っており、やがてタイガー田中や斗蘭らは彼らの襲撃に立ち向かうこととなる。
 そのほか、一九六三年十一月から発行されたとうひろぶみの肖像画が入った新千円札の話題をはじめ、この時期に起きた出来事や事件が、単に盛りこまれているだけでなく、物語のなかで効果的に使われている点も印象深い。
 フレミングの小説にあった登場人物のに関する誤認などについて、作者の松岡圭祐自身が「追記」で指摘し、それを本作ではちゃんと訂正している。フレミングによる原典を徹底して精査したうえで書きあげられたのがよく分かり、その読み込みの深さに恐れ入るばかりだ。
 じつは、なにをかくそう松岡圭祐が書いた007に関する本は、これがはじめてではない。ファンならご存じのとおり、二〇一四年に『ジェームズ・ボンドは来ない』を発表している。これは、実話をもとにしたノンフィクション・ノヴェルである。
 007シリーズの小説は、作者イアン・フレミングがなくなったあと、別の書き手による新作が多く発表されている。そのうちの一作、レイモンド・ベンスンの手による『007/赤い刺青の男』(原書は二〇〇二年刊行)は、舞台が日本であり、なんとここでもタイガー田中が登場している。この作品が出たことから、作中に舞台として選ばれた瀬戸内海の小さな島・なおしまにおいてその映画化とロケ誘致活動がはじまった。いわゆる島おこしの一環だ。署名運動、ボンドガール・コンテスト、記念館設立などが実際に行われたのである。そのてんまつの一部始終を松岡圭祐が小説のかたちで発表したのが、『ジェームズ・ボンドは来ない』なのだ。角川文庫版の「まえがきにかえて」によると、松岡氏は六年間にわたって直島へ何度も足を運び、映画制作会社のあるとらもん、果てはイギリス・ロンドンへも赴き、情報を集め、直島の関係者に直接インタビューしたとある。007への情熱は、原作を読み込むだけではなかった。おそらく映画化作品を含め、すべての007を愛し、自分のものとしているのではないだろうか。だからこそ『タイガー田中』が生まれたのであり、原典に勝るとも劣らない内容をそなえているのだ。
 そればかりか、なんと『007/黄金の銃をもつ男』の後日談を描いた『続タイガー田中』が二〇二四年十二月に刊行予定だというではないか。ジェームズ・ボンドがまた来るのだ。どこまで我々を驚かせてくれるのだろう。たのしみでしかたない。

作品紹介



書 名: タイガー田中
著 者: 松岡圭祐
発売日:2024年11月25日

全世界注目のスリラー巨編、ここに登場!
日本初、007の本格的後継小説! イアン・フレミング著「007は二度死ぬ」の後日譚にして、原典の謎や矛盾を解決する一篇。日本を舞台にした近代史ミステリとしての側面も併せ持つ。福岡で失踪したジェームズ・ボンドを、公安トップのタイガー田中と、その娘斗蘭が追う。ボンドの生涯における不可解な半年間の全容をサスペンスフルに描く、必読にして全世界注目のスリラー巨編、ここに登場!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322408001334/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら


紹介した書籍

関連書籍

新着コンテンツ

もっとみる

NEWS

もっとみる

PICK UP

  • 森 絵都『デモクラシーのいろは』特設サイト
  • 畠中恵KADOKAWA作品特設サイト
  • ダン・ブラウン 特設サイト
  • 楳図かずお「ゾク こわい本」シリーズ
  • 「果てしなきスカーレット」特設サイト
  • 辻村深月『この夏の星を見る』特設サイト

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年11月・12月号

10月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2025年12月号

11月6日 発売

怪と幽

最新号
Vol.020

8月28日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

映画ノベライズ(LOVE SONG)

橘もも 原作 吉野主 原作 阿久根知昭 原作 チャンプ・ウィーラチット・トンジラー

2

夜は猫といっしょ 8

著者 キュルZ

3

恐竜はじめました4

著者 クラナガ

4

意外と知らない鳥の生活

著者 piro piro piccolo

5

小麦畑できみが歌えば

著者 関かおる

6

まだまだ!意外と知らない鳥の生活

著者 piro piro piccolo

2025年11月3日 - 2025年11月9日 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

レビューランキング

TOP