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レビュー

【解説】長編小説としての強靱さを備えた見事な怪談――『虚魚』新名 智【文庫巻末解説:小野不由美】

新名 智『虚魚』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



新名 智『虚魚』文庫巻末解説

解説
(作家)

 この作品は二〇二一年、第四十一回のよこみぞせいミステリ&ホラー大賞の大賞受賞作です。選考委員も絶賛するほどの完成度の高さで鮮烈なデビュー作となりました。ミステリの手法を用いたホラー小説ですが、ホラー小説と言うよりも長編怪談だと言ったほうがいいような気がします。
 とはいえ、ホラーと怪談の違いをわたしは上手く説明することができません。ホラーと怪談は確実に違う、という感覚があるのですが、その違いをいまだに言語化できずにいます。あえて言うなら、ホラーは怪異を題材にした物語であるのに対して、怪談は怪異そのものを語る物語である、というところでしょうか。
 ホラーにはいくつかのバリエーションがあるのですが、総じて「恐怖」を題材とする物語である、と言って良いのだと思います。ホラー小説は読者を恐怖させること、不安にさせること、不快にさせることを主眼にして描かれます。超常的な怪異を扱うホラー小説の場合、怪異によって読者を怖がらせたり、ぞっとさせたり、不安な気分にさせたり、嫌な気持ちにさせることが主眼になります。これに対して怪談は、怪異を語ることそのものが主眼ではないかと思うのです。読者は怪談を読んで怖い気持ちになったり不思議な気持ちになったり、といろいろな感情を抱くのですが、これは本来的には怪異の持つ性質であって、話者(作者)が読者を怖がらせているのではありません。怖い怪異があって、それが忠実に表現されているから怖い。ですから、怪談の語り手(主人公)に求められているのは優秀なカメラとしての性能です。なので主人公の強い個性やキャラクターとしての厚みなどは必要とされません。実話怪談などにおいて、怪異の経験者がどういった人物なのか、ほとんど語られることがないのはこのためです。主人公に対する強い個性付けは、むしろ怪談としての読み味を損ないます。舞台背景などについても同様で、怪談においては、いつどこでどんな状況だったかが分かれば良く、必要以上の作り込みは怪談としての味わいをいでしまいます。
 つまり、怪談は物語を語るうえでのきようざつぶつを嫌うのです。個性的な主人公、魅力的な舞台設定や説得力のある状況、厚みが増せば増すほど怪談としての味わいを損なってホラー小説に近づいてしまう。怪異を語る「語り口」はありますが、それ以上の演出も怪談としての読み味を殺します。すると──怪談は長編小説には向かない、ということになってしまうのです。
 邪魔にならない主人公、最低限の舞台背景だけでは長編小説としてちません。原稿用紙にして数百枚もの文章を読者に読み続けさせることができないし、そもそもただ語るだけでそれほどのボリュームも要する怪異なんて存在するのでしょうか。そこまで壮大な怪異があったとしたら、それはもう怪異ではなく常態になってしまいます。──パンデミックを起こした感染症のように。
 けれどもわたしは長編の怪談が読みたい。怪談のあの空気感の中に長い時間浸っていたいのです。たぶんそう思う人は多いのでしょう、そのために考え出されたのが「百物語」という手法なのではないかと思います。たくさんの怪談を集めて連続で語る、という。けれどもこれは小説で言えば短編集のようなもので、短編集ではなく長編が読みたいんだ、という場合にはどうすれば良いのか。この一つの解が「生き人形」です。いながわじゆんさんの傑作怪談に「生き人形」という話があるのですが、あまりにも有名なこの長編怪談は、いくつもの怪異についての話が連なり、全体を通して「生き人形」という一つの怪異を描く、という趣向になっています。
「生き人形」の在り方は、長編怪談という課題に対する唯一無二の最適解であることは間違いないのですが、残念ながらこれは稲川さんが実際に語る、という話芸としての最適解で、同じことを小説でやれば長編小説として成立するかというと、その結果については疑問です。長編小説を読む、という行為は、話を聞く、という行為とは違う、人間にとって非常に負荷の高い行為なのです。しかも、「生き人形」ほどのスケールであっても長編小説として成立するボリュームには足りない。長編小説なみのボリュームになると、負荷が高すぎてたぶん読者は読み続けることが苦痛になるし、話芸としても苦行になるレベルで長時間の話になることは確実です。
 では、どうすれば怪談を長編小説にすることができるのか。その解の一つがすじさんの『近畿地方のある場所について』であり、もう一つの解がにいさんの本作『虚魚』です。前者は「生き人形」の発展形だと言えるでしょう。複数の怪異を場所にフォーカスして並べ、それがいくつかの怪異にしゆうれんしていく、という手法です。前者が優れている点は、最終的に一つの怪異にまとめ上げるのではなく、まとまることを予感させるにとどめている点でしょうか。複数の色調のタイルをランダムに貼っていって大きな図柄を描く──描けそうだ、と思わせることで怪談としての読み味を最大限引き出しています。
 一方の『虚魚』は、複数の怪談を置き、それを怪談とは別の作法の物語でつづり合わせる、という手法です。選評でみちしゆうすけさんがおつしやっているように「縦糸と横糸が互いに補強し合い」、結果として「遠目で見ても間近で見ても、珍しいくらい上質な布」になっています。横糸が怪談であり、縦糸はミステリです。ミステリ的な手法で複数の怪談を綴り合わせていった結果、長編小説としてのきようじんさを備えた見事な怪談に仕上がっています。片や長編の怪談小説、片や怪談の長編小説で、どちらが良いとか優れているとか言えるものではありません。二つの解が同時代に提示されたことを、怪談好きとして大いに喜びたいところです。
 作者が縦糸にミステリを選んだのは、御本人がミステリ好きであるためだと思われます。学生時代は有名なワセダミステリクラブに所属しておられたぐらいですから筋金入りのミステリファンです。実際、最新作である『雷龍楼の殺人』はマニアックなたくらみに満ちた本格ミステリの逸品でした。『虚魚』においても、謎で引っ張る呼吸が見事で、怪談らしい淡々とした筆致ながら物語に引き込む力がとても強い。世界に漂う不思議な透明感とキャラクター造形の巧さ、怪異を作る発想の良さ、そして物語を語る文章の抜群の巧さ、デビュー作であるにもかかわらず、お手本にしたいような完成度でした。
 特に主人公と同居人のキャラクター造形は見事です。二人は充分に魅力的で長編小説を支えるに足る存在感があるのですが、そのくせどこか淡い。それはおそらく、それぞれが抱えた生きづらさに由来する、しっかりと地に根を下ろすことができない在りようによるものです。この存在感の淡さが怪談の読み味を損なわない。強すぎる色彩は怪談としての読み味を損ないます。しかしながら登場人物に厚みがなければ長編小説として保たない。充分に厚みがあるのに色彩が淡い──透明感のある二人の存在が、長編小説であり、なおかつ怪談であることを可能にしています。
 これはおそらく作者の本能的なバランス感覚によるものではないでしょうか。作品の世界観、登場する怪談、怪異そのもの──すべてに、相反する二つのものを絶妙なバランスで同時に成立させるセンスの良さがかいえます。このセンスの良さは『虚魚』に続く長編、『あさとほ』、『きみはサイコロを振らない』でも発揮されています。どちらも作者らしい不思議な恐ろしさに満ちた秀作ですが、同時にまだ見たことのない景色を見せてくれる意欲的な作品でもあります。とにかく新名さんは発想力が優れているし、それを作品に落とし込む技術も優れています。作品からうかがえる作者の誠実さも素晴らしい。作者のこれからの活躍が楽しみでなりません。

作品紹介



書 名: 虚魚
著 者: 新名 智
発売日:2024年11月25日

私は探している、「人を殺せる」怪談を。怖いのに泣ける感動のミステリ!
怪談師を生業としている三咲は、体験した人が本当に死ぬ怪談を探している。相棒は「呪いか祟りで死にたい」というカナちゃんだ。新たな怪談が見つかると、死ねるかどうか確かめてくれる。そうして”本物”を見つけたら、あの男に復讐ができる。
ある日、カナちゃんが「釣ると死ぬ魚」の噂を聞きつける。静岡県のある川の河口付近で見たこともない魚を釣った人が、数日のうちに死んでしまったというのだ。類似する怪談を知らなかった三咲は、噂の発生源を辿って取材を始める。すると、その川沿いには不思議なほどに共通点を持った怪談が伝わっていることが分かってきた。これは偶然か、それとも狗竜川には怪異の原因が隠されているのだろうか。もしや、この怪談を追えば、ついに”本物”に辿り着けるのではないか?
“本物”の怪談の気配を感じ、三咲は調査にのめりこんでいく。しかし、うまくいくということは、カナちゃんが死んでしまうということだ。自分はそれを望んでいるのだろうか――?

第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞、圧巻の〈大賞〉受賞作!

解説:小野不由美  カバーイラスト:遠田志帆

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322407000007/
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