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試し読み

【第1章がまるごと読める!】ホラー界の異才が満を持して放つ、因習に満ちた村の怪異――芦花公園『極楽に至る忌門』試し読み

 次の朝、また我が物顔で出入りしている男性に匠の行方を聞いた。すると「もう警察には言った」と言う。信用できなかったから、隼人も自身で連絡してみる。予想に反して本当に連絡を受けており、捜索中だと言う。
「でもなあ、匠くんが小さいころも、こういうことはあったけん。お友達さんも心配せんでええんやないかね。大方、山におりますけん。今日は、さんのお葬式もあるろう」
 山にいるというのは、きっと匠は小さい頃、このあたりの野山を駆け回っていたということなのかもしれないが、大学生になってまで、そんなことをするだろうか?
 長閑のどか、とでも言えばいいのかもしれないが、あまりにも緊張感がない様子に、隼人はそれ以上何も言えなかった。
 男性が置いて行ったサイズの合わない礼服を着用し、セレモニーホールに向かう。
 行く途中ちらちらと視線を感じたが、これは「よそ者」に対する警戒の視線であって、それ以上の悪意は感じなかった。
「遺影はどちらにありますか?」
 業者に聞かれて、親戚の男に指示されたものを手渡す。
 少しほっそりとした輪郭と、年相応のたるんだ頰。隼人が見た彼女よりも生気に満ちているように見える。屈託なく笑っているからかもしれない。
 隼人が到着すると、すでにそれなりの人数が集まっている。
 参列者の顔を、一人ひとりじっと見る。もし犯人がいれば、目があったら気まずそうな反応を見せるかもしれないからだ。
 しかし、やはり目が合っても、誰もが優しいまなしを向けて来るばかりなのだ。
「休んでいてえいよ」
 そう声をかけてきたのは野崎だった。隼人は驚いて野崎の顔を見つめた。あの日わざとらしく目をらしたのと同じ人間とは思えない。心からいたわるような優しい表情だ。
「匠くんのお友達やろ。東京から来たばっかりで、ほんで突然、こんなことになってしまって……よう頑張ったねえ」
 そう言って手を伸ばしてきて、幼い子供に対してするように頭をでてくる。思わず手を振り払ってしまっても、野崎は怒ったりしなかった。
「本当に、本当に、大変じゃったねえ。なんも分からんで、それなのに残ってくれて、えい子じゃねえ」
「あの、匠は……」
 そう言ったのとほぼ同時に、せ型の老人が野崎に声をかけた。
「ごめんねえ、私、やることがあるき、後で話しましょうねえ」
 そう言って、野崎は受付に座った。
 名簿を見ながら弔問客たちに丁寧に対応する野崎を見て、あきらめた。こんなに親切なのだから、野崎は犯人ではない、と思うことにした。野崎よりも、もっと疑うべき人間がどこかにいるはずだ。弔問客の、中に。
 葬式は仏式で、特に詳しくない隼人は宗派とかそういうものは分からない。心の中には焦りだけがあった。この中にはきっと、電話の犯人がいる。この機会を逃せば一生分からないままかもしれない。強烈な違和感が増していく。匠が出席していないことはもっと騒がれるべきだ。それなのに、声をかけてくる人間は皆、東京から来た隼人を気遣うばかりで、匠のことは口にしない。居心地が悪いのに、そう感じているのは恐らく自分だけだ。それを口に出すのもはばかられる。これから通夜が始まるからだ。
 どんなに耳を澄ましても、あの電話と同じ声は聞こえない。そもそも、老人ばかりだった。
 ふと、ざわめきが止まる。
 きょろきょろと見回すと、後方から、紫の僧衣をまとったそうりょが入場してくるのが見えた。
 布を引きる音が、やけに耳障りに感じた。
 僧侶はひつぎの前に腰かけ、読経どきょうを始めた。僧侶の声もまた、犯人とは程遠い。
「ととをくうちょるんですよねえ」
 神妙にお経を聞いていないといけないはずだ。死者が安らかに成仏できるように。
「ととをくうちょるんですよねえ」
 でも、頭から離れないのだ。ととを、くうちょるんですよねえ。
「ととをくうちょるゆうことは、ばちあたりゆうことですよねえ」
 顔を上げる。
「ばちあたりゆうことは、みなしぬゆうことですよねえ」
 自分の脳内から漏れ出していると思っていた言葉だった。しかし、違う。電話で聞いた妙に若い男の声ではない。
「みなしぬんやから、これは練習ちゅうわけですよねえ」
 何が面白いのか、声が震えている。
 老人の声だ。老人の、女の声。
「そうしきは、しぬ練習ですよねえ」
 読経はもう聞こえない。皆、声の主を探している。
「みなしんだら、葬式する人もおらんくなりますねえ」
 誰かが、「あ」と声をあげた。隼人も声をあげるところだった。
「ほしたら、しんだひとは、わだかまるんですかねえ」
 わはは、と笑っている顔は、先程声をかけて来た時と変わらない野崎だ。よう頑張ったねえ、大変じゃったねえ、と隼人を労わった、優しい笑顔だ。
「わだかまって、どこにもいけんのんじゃねえ。でも、ごくらくは、あるんかいねえ」
 ギギ、という音がした。野崎がパイプ椅子を引き摺って立ち上がった。
 野崎を止める人はいなかった。小さくて腰の曲がった老女を止める人間など、どこにも。
 野崎は右足を引き摺りながら、ひょこひょこと歩いて、僧侶の後ろに立った。
「ねえ、ごくらくと、じごくは、あるんかいねえ」
 僧侶の口が鯉のように開いたり閉じたりを繰り返す。野崎は、ねえ、あるんかいねえ、と何度も繰り返した。答えは返ってこない。
「しんでみんと、わからんこともありますよねえ」
 野崎は手を伸ばし、木魚を取る。
 やめろとか、そういう言葉を僧侶は力ない声で言った。ほとんど聞こえもしなかった。
「わからんことは、おそろしいことですよねえ、ほいじゃったら、わだかまっちょったほうが、やさしいですかねえ」
 野崎が木魚をたたいている。ばちからは先端の丸い部分が取れて、それでかちかちと歯を鳴らすような音が鳴った。
「まわりまわりのこぼとけはぁ」
 野崎は木魚を鳴らしながら楽しそうに歌う。
「なぁぜにせがひくいぃ」
 野崎の手から木魚が転がり落ちる。しかし木魚などなくてもいいようで、野崎の指は何もない所を行ったり来たりする。
「おやのたいやにととくうてえ、そおれでせがひくいぃ」
 野崎がそこまで歌ったところで、やっと、野崎の家の者が野崎の腕をつかんだ。野崎を引き摺るようにして、その場から立ち去ろうとする。
 野崎は抵抗することはしない。ただ、にこにこと微笑んでいる。
「しんだらどんなきぶんかききたいんですよねえ」
 野崎と目が合う。野崎の目は黒々としている。口元に笑みを張りつけて、しかし少しも笑っていなかった。隼人を見つめている。
「しんでみなくてはわからないですねえ」
 語尾がき消される。
 野崎の顔から、棒のようなものが生えている。生えているのではなく、刺さっているのだ。自分で、自分の顔に桴を──それを理解できたのは、女性の悲鳴が聞こえたからだった。
 鼓膜が引き裂かれるような声で、女性がわめいている。それをきっかけに、参列者が騒ぎはじめる。
 女性をその場から連れ出そうとする者。女性と同じように悲鳴をあげる者。警察、救急車、という声。何もできず右往左往している老人。ぼうぜんと立ち尽くしている誰か。
 野崎の手を引いていた、彼女のおいにあたる人物は、ひざ立ちで野崎の体を支え、懸命に呼びかけている。
 抜かない方が良い、と誰かが大声で言った。刺さったもののことだ。抜くと、脳の一部を傷つけてしまったり、出血量が増えることがあるらしい。
「あはぁ」
 どちらにせよ、野崎はもう駄目だ。
 笑い声を漏らしながら、体を揺すっている。
 何故、彼女に寄り添えるのか分からない。
 彼女はすでに、化け物にしか見えない。
「まわ、り、まわ、り、の」
 隼人は耳をふさいだ。


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