今、最も注目される作家・芦沢央さんの新作『僕の神さま』は驚きと切なさが共存する、新境地ミステリー!
何でも謎を解決してしまう「神さま」のような小学生探偵・水谷くんと僕は、図工の時間に起きた事件をきっかけに、クラスメイトの川上さんから相談を受けますが、二人がとったある行動が、思いがけぬ結果を引き起こしてしまうことに……。
一話目とはまったく違う展開、そして予想もつかないラストには驚くこと間違いなし。
一話目をすでに読まれた方も、一話目をこれから読まれる方も、是非この二話目で、その驚きを体験してみてください。
◆ ◆ ◆
家の外に出てしまってからも、すぐに歩き出す気にはなれなかった。
本当に、このまま帰ってしまっていいのだろうか。でも、どう言えば川上さんがついてきてくれるのかもわからない。
「どうしよう」
ドアを見つめたまま水谷くんに問いかけたけれど、水谷くんは答えなかった。
水谷くんは、ただ川上さんの家をじっと見上げている。
しばらくして、水谷くんが来た道を戻り始めた。
「帰るの?」
僕は足は動かさないまま首だけを捻る。
水谷くんが角を曲がってしまう。
僕は慌てて追いかけて「どこに行くの?」と問いかけた。
水谷くんは、無言で先に進んで行く。
「ねえ、水谷くん。本当に帰っちゃっていいの? やっぱり川上さんを連れてきた方がよくない?」
本当にこのまま帰るつもりなんだろうか。川上さんのことはどうするつもりなんだろう。親に話す? 先生に話す? でも、本当にそれでいいのか。
水谷くんは、途中で来た道とは反対側へ曲がった。
「どこへ行くの?」
僕は再び問いかける。
周りを見たけれど、まったく見たことがない場所だった。どこへ向かっているのか、自分の家がどっちの方角にあるのかも見当がつかない。
水谷くんは躊躇いなく左へ曲がった。突然広い道へ出る。
それまでの迷路のような細い道とは打って変わって、歩いて行けばとにかくどこかへは辿り着きそうな道だった。
僕は水谷くんに話しかけるのをあきらめて、斜め後ろからついていく。
牛丼屋の前を過ぎるとラーメン屋があり、獣っぽいこもった匂いがした。コンビニが見えてきて、ちょっと寄って飲み物を買いたいと思ったけれど、水谷くんは顔を向けることすらせずに大股で通り過ぎる。
さらに小さな写真館を越えるとパチンコ屋があって、ぎくりとした。だけどすぐに、古びた看板が見覚えのないものだとわかって、先ほどのパチンコ屋とは別のお店だと理解する。
ドアが開いて、漏れていた騒音がものすごく大きくなった。気持ち悪くなるようなきつい煙草の臭いに顔を背け、少し離れてしまった水谷くんを小走りで追いかける。
やがて、道の先に川が見え始めた。
「もしかして、川上さんの家に戻るの?」
僕は、どうせ答えは返ってこないだろうと思いながら尋ねたが、水谷くんは「うん」と短いながらも返事をくれる。
それに励まされて「何て言うの?」と重ねて訊いたら、それにはもう答えが返ってこなかった。
けれど、とにかくこのまま帰るわけではないんだとわかってホッとする。
やっぱり、このまま川上さんを一人にするわけにはいかない。また断られるかもしれないけれど、何とかして説得して──
水谷くんが、立ち止まった。
僕はその視線の先を見上げる。
外階段があった。
先ほど玄関の側から見たときと全然家の印象が違うけれど、水谷くんがここで立ち止まったということは、川上さんの家なのだろう。
そう言えば、川上さんは新しい道ができたから外階段を造ったのだと言っていた。つまり、この道が新しくできた道ということか。
水谷くんは、鋭い目で外階段を見つめ続けている。
全体的に錆びて汚れた感じの階段には、先週の台風で飛んできたものなのか、葉っぱや木の枝、ビニール袋や泥がこびりついていた。
階段の脇には倒れて割れた植木鉢やブロック塀がそのままになっていて、何だかひどく荒れ果てた状態になっている。
──全然使っていないと言っていたから、気づいていないんだろうか。
水谷くんが、階段の一段目へ足を踏み出した。
僕も続こうとすると、「ここにいて」と腕で行く先を遮られる。
有無を言わせない口調に反射的に止まったものの、下で待っているのは嫌だった。水谷くんが川上さんを説得するつもりなのなら、僕も一緒に行きたい。
僕は、水谷くん、と声をかけようとして、口をつぐんだ。
水谷くんが、鼻の下を指でこすっていたからだ。
いつも、水谷くんが何かを推理するときにするポーズ。水谷くんは一歩一歩、何かを探すように視線を動かしながら、手すりとは反対側の壁に手を当てたまま階段を上っていく。
僕は、階段に目を凝らした。
水谷くんは、一体何を探しているのか。何を推理しているのか。そもそも、何が謎なのか。
ふいに、水谷くんの歩く速度が上がった。そのまま一気に階段を上りきり、勝手口のドアをノックする。
「水谷くん?」
僕は慌てて下から声をかけた。さすがに待っていられなくなって階段を上り始めると、半分ほど上ったところで「待って」と制される。
ガタ、とドアから音がした。
けれどドアは開かず、何度か力ずくでドアに体当たりするような音が続いてから、やっと開く。
「どうして」
川上さんは動揺しているようだった。
突然水谷くんの腕をつかみ、そんな自分に驚いたように手を離す。
「どうしたの、忘れ物?」
普段と変わらないような声音で言ったけれど、明らかに不自然だった。今、水谷くんの腕をつかんだのは何だったのか。
なぜ、そんなに動揺しているのか。
「この外階段を降りた道を進んですぐのところにもう一軒パチンコ屋があるんだね」
水谷くんは川上さんの質問には答えず、僕のいる階段の下の方を見て言った。
え、という川上さんの声が、僕の声と重なる。
一瞬、川上さんと視線が合った。そこには何かを問うような色があったけれど、僕にも水谷くんが何の話をしようとしているのかはわからない。
「あそこが、前に出禁になったっていう店?」
水谷くんは、穏やかな口調のまま問いを重ねた。
川上さんは口を開かない。ただ、目だけが水谷くんを見ている。
「でも、川上さんは、『最初に行っていたお店は出禁になったらしくて、その近くにある別のお店に通うようになった』って言っていたよね。あそこは、お父さんが通っている店からは近くない」
二人の間に、緊迫した空気が流れる。
僕は、なぜ水谷くんが、今この話を始めたのかわからなかった。けれど、水谷くんは何かを推理したのだろうということだけはわかる。
水谷くんは、いつも僕と違うものを見ている。
いや、同じものを目にしていても、僕とは全然違う情報をそこから読み取っているのだ。
「だとすると、川上さんのお父さんが出禁になった店というのは、今通っている店の近くにあったもう一軒の方だったということになる」
僕は、川上さんのお父さんが通っているというパチンコ屋に行く途中で見たもう一つのお店を思い出す。
そうだ、あのとき僕は、あそこが前に出禁になったというお店だろうかと思ったのだった。
そして、さっき、水谷くんと一緒にもう一軒のパチンコ屋を見た。
つまり、少なくともこの辺りには三軒のパチンコ屋があることになるのだ。だけど、それが何を意味するのか──
「お父さんは自分でも行かないようにしようと思っても、どうしても行っちゃうんだよね。だったら、今回の店を出禁になったとしても、まだ出禁になっていない方の店に行くようになるだけなんじゃないかな」
──たしかに、そうだ。
「この辺りにあるパチンコ屋が二軒しかないのであれば、その二つが出禁になることでパチンコを続けるハードルがかなり高くなるんだろうと思っていた。家には車はないようだし、タクシーやバスや電車を使えばお金がかかる。障害者手帳があれば割引が利くけれど、少なくともやめてほしいと頼むよりは止める力が強いのはたしかだ。でも、こんなに近くにもう一軒あるのなら、話は変わってくる」
水谷くんは、そこで一度言葉を止めた。
息継ぎをしてから続けるのかと思ったけれど、そのまま川上さんの答えを待つように口を閉じる。
先に視線を逸らして口を開いたのは川上さんの方だった。
「……そうかもね」
ため息交じりに言って、再び口を閉ざす。
僕は、身体が重くなるのを感じた。
だとすれば、今回のことは無駄だったのだろうか。せっかく計画を立てて、計画自体は上手くいかなかったけれど、それでもとにかく川上さんのお父さんはあのお店を出禁になったかもしれないのに。
「あの人は、どうやっても続けるんだと思う」
川上さんが宙を見つめて言った。その目が、急速に曇っていく。
何か言わなくては、と思った。でも、何を言えばいいのかがわからない。どうすればいいのかも、何を言えば、川上さんを慰められるのかも。
僕は、水谷くんを見た。
水谷くんが、何か言ってくれることを願って。
水谷くんは、川上さんから視線を外していなかった。
先ほどと同じ姿勢のまま、口を開く。
「だから、死んでほしいと思ったの?」
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