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試し読み

各紙誌絶賛の長編ノワールついに文庫化! 閉塞感を打ち破る弩級のエンタメ小説『暗手』試し読み#1(全3回)

『不夜城』で鮮烈なデビューを飾った馳星周さん。その二年後に発表された『夜光虫』の「その後」を描いた本書は、最悪な状況下でも「生きる」ことを決断する主人公の姿を描き、読む人を物語世界に引きずり込みます。今回は文庫化を記念して、冒頭部分を3回にわたって公開します。

関連記事:【インタビュー】『不夜城』『夜光虫』の衝撃から20年――。原点回帰にして最高到達点!『暗手』
※単行本刊行時の記事です。

◆ ◆ ◆

   0

 欲望に身を任せた。
 噓をつき、それをするためにさらに噓をついた。
 糊塗しきれなくなると、殺した。
 噓をついてまで手に入れたかった女に愛想を尽かされた。家族に捨てられた。
 さらに殺した。
 顔を変えた。名前を変えた。
 そして殺した。
 殺した。殺した。殺した。
 殺しすぎて台湾にいられなくなった。
 そしておれは今、イタリアにいる。

   1

 運河沿いのバルでオレンジジュースをすすった。
 ナヴィリオと呼ばれるエリア。運河のおかげで密貿易が発達し、かつては犯罪者のそうくつと呼ばれていた。今じゃ、お洒落しやれな観光地だ。
 運河の両脇の道を無数の人間たちが行き来する。大抵は地元民。少しダサいかつこうで歩いているのは外国からの観光客。
 オレンジジュースを啜りながらそんなやつらの顔を眺める。漫然と眺め続ける。
 いつしかそれが習性になっていた。顔を見られるのが嫌いだ。代わりに人の顔を見る。飽きることがない。
 しばらくすると、人混みの中にジミー・チャンの顔が浮かび上がる。中華系のマレーシア人。サッカーばく組織の末端に連なるチンピラで、ヨーロッパ中をせわしなく渡り歩いている。
 ジミー・チャンはおれの隣の席に腰をおろした。
「久しぶりだな、暗手アンシヨウ
 ジミー・チャンが言った。暗手というのはヨーロッパの黒社会ヘイシエアフウイにおけるおれの呼び名だ。暗闇から伸びてくる手。いつしかそう呼ばれるようになった。
 本名はだれも知らない。おれも忘れてしまった。
「なんの用だ」
 おれはオレンジジュースを啜りながら聞いた。目はまだ人混みの中の顔を追っている。
「おまえ、日本語ぺらぺらだったよな」
「英語もイタリア語もぺらぺらだ」
 おれは答えた。ジミー・チャンが顔をしかめた。
「レオ・オーモリを知ってるか」
「名前だけなら」
 おれはうなずいた。おおもり。五年ほど前に、日本からベルギーのサッカークラブに移籍してきたゴールキーパーだ。そこでの活躍が認められ、今はミラノから北東に車で一時間半ほど走った田舎町、ロッコのクラブにいる。
 プロビンチアの奇跡──田舎町の奇跡と呼ばれてセリエAに昇格したのが先シーズン。すぐにセリエBに落ちるだろうと目されていたが、なんとか踏ん張ってセリエAに残留した。そのロッコが守備力強化のために大森をベルギーのクラブから買ったのだ。
「ある筋がオーモリを手に入れたがってるんだ。引き受けてくれないか、暗手」
 それには答えず、グラスに残っていたジュースを飲み干した。
 八百長絡みの仕事は消してしまったはずの記憶を刺激する。
 おれは暗手。イタリア黒社会の何でも屋。殺し以外の仕事ならなんでも請け負う。殺しには飽いた。が出るほど飽き飽きした。
「うまく行けば、二十万ユーロがおまえのふところに入る」
 ジミー・チャンがた目でおれを見る。おれは人混みからジミー・チャンに視線を移した。
「おまえはいくら取るつもりだ」
 ジミー・チャンのまつげが震える。おれはジミー・チャンを殺すところを想像する。そうするだけで、おれの目は氷のように冷たくなるらしい。度胸のないチンピラはそれで震え上がる。
「お、おまえに三十万、おれに十万。それでどうだ」
「おまえはなにもしない。それなのに十万だと」
「話を持ってきたじゃないか」
 ジミー・チャンの口からつばが飛ぶ。おれはわらってやる。そもそも、四十万などという半端な金額がおかしいのだ。この件でジミー・チャンに提示された金額は五十万ユーロに違いない。
「おまえに四十万。おれに十万」
 ジミー・チャンが折れた。おれはグラスをテーブルに置いた。
「わかった。引き受けよう」
 おれの目はまた人混みに向けられる。無数の顔を眺めはじめる。

    * * *

 ヨーロッパのサッカーシーズンは秋にはじまり、夏が来る前に終わる。
 シーズンを通してサッカー賭博は行われているが、大きな金が動くのはシーズンが終わりを迎える時だ。
 優勝が絡む試合。チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグへの出場権が絡む試合。そして、降格や昇格が絡む試合。試合は熱くなり、金をける連中の頭も熱くなる。賭け金が跳ね上がる。
 八百長を仕組んでいるやつらがよだれを垂らす。
 イングランドのプレミアリーグ、ドイツのブンデスリーガ、イタリアのセリエA、スペインのリーガエスパニョーラ、チャンピオンズリーグにワールドカップ。そしてEURO。
 どれほどメジャーなリーグでも、どれほどメジャーな大会でも、八百長を仕組もうとする連中は跡を絶たない。つまり、八百長も跡を絶たない。
 スーパースターは八百長には関わらない。スーパースターを目指す連中も関わらない。だが、そんな連中は一握りに過ぎない。大抵のサッカー選手はスーパースターになるどころかビッグクラブから声がかかることもなく、弱小、もしくは中堅クラブでキャリアを終える。稼げる金もたかが知れている。
 あるいは、南米やアフリカからやって来る選手たち。やつらは金もうけのためにヨーロッパにやって来る。クラブが払ってくれる給料以上の金がもらえるのなら、モラルは簡単に道端に投げ捨てる。
 そうやって、ヨーロッパ中に八百長の触手は伸びていく。
 中国人が金を稼ぐようになって、その傾向は顕著になった。
 やつらほどばく好きな民族はいない。だれもかれもが博打にとち狂っている。
 おれも昔、台湾で野球の八百長に手を染めた。破滅した。
 今は秋。シーズンははじまったばかり。春が来る頃には大森怜央を落とさなければならない。
 おれは自分のアパートに戻り、作戦を練る。
〝暗手は引き受けた仕事は必ず成功させる〟
 それがおれの信用だ。信用を失えば生きてはいけない。
 それがルールだ。

    * * *

 地味だが金のかかったスーツ。丁寧にでつけた髪の毛。ぎんぶちの眼鏡。
 それだけでおれの印象はずいぶん変わる。顔見知りの車泥棒から借りたアウディQ5を駆ってアウトストラーダを北上し、ロッコへ向かう。
 大森怜央の行動パターンはすでに入手済みだ。今日は水曜日。練習が終わるとクラブハウスで昼食をとり、家の近くのバルでエスプレッソを啜りながら、スマホで日本の情報をチェックする。家にひとりでこもっているのが苦手なタイプ。日本人には珍しく語学習得にも意欲おうせいで、今では日常会話ならイタリア語にも不自由しない。
 ロッコは周囲を森に囲まれた小さな町だ。町の北西に細長い湖が広がり、景観は隣町のコモとうり二つ。だが、コモは高級リゾートとして発展したが、ロッコは田舎町のまま眠り続けている。
 町の中心にある教会のそばにスペースを見つけてアウディを停める。午後一時二十分。
 五分ほど歩いて大森の行きつけのバルへ向かい、カプチーノを注文する。
 無愛想な主人がおれのイタリア語を耳にして目を丸くする。
 バルは田舎町のバルなりに混んでいる。おれはカウンターにひじをつきカプチーノを啜る。
「日本人か? レオの取材に来たジャーナリストか?」
 隣にいた小太りの中年男が話しかけてくる。濃い緑のジャケットにオークリーのサングラス。典型的なイタリア男。
「日本人だが、ジャーナリストじゃない」
「じゃあ、レオのファンか。レオに会いたくてこんな田舎町までやって来たのかい?」
 おれはあいまいに微笑んだ。
「おれはレオの応援団の副会長なんだ。知ってるか? レオがゴールマウスを守るようになって、ロッコの失点は去年よりずっと減ってるんだ。レオが来た時は、日本人にゴールキーパーなんてできるのかって思ってたけど、レオはすごいぜ」
「もうすぐ日本代表の正ゴールキーパーになるさ」おれは言った。「それぐらいいい選手だ」
 男が破顔した。大森が誉められると自分が誉められたように感じるのだ。
「もうすぐ、レオがここに来るぜ。練習が終わったらここに顔を出すのが日課なんだ。今いる客の半分以上はレオ目当てで通ってるのさ。凄くフレンドリーな男だ。あいつに会ったらだれだってファンになる。なあ、会ってみたいか? よかったら、紹介してやるぜ。おれはなんたってレオ応援団の副会長なんだからな」
「いいのかい、お願いしても」
「もちろんさ。わざわざ日本から来てくれたんだ。任せておけ」
 イタリア人の単純さは賞賛に値する。おれは男が差し出してきた手を握った。
「ありがとう、アミーコ」
 友よという呼びかけに、男はまた破顔する。
「おれはレオのアミーコだ。おまえがおれのアミーコってことは、おまえもレオのアミーコだ」
「レオが来たぞ」
 だれかの声が響いた。客たちの視線が一斉に店の外に向けられる。深紅のアウディTTが爆音をとどろかせながらこちらへ向かってくる。
 TTはバルの真ん前に停まった。大森のために用意された特等席。大森は愛されている。このバルだけではなく、街中から愛されている。
 かつて、おれにもそういう時があった。ノーヒットノーランを達成したあの夜、おれは間違いなく街中のヒーローだった。
 大森が車から降りてきた。公表されているスペックは身長百九十二センチ、体重八十八キロ。日本人離れした体格に、あいきようのある顔。大森はだれかれかまわず笑顔を振りまきながらバルに入ってきた。迷う素振りも見せず、窓際のテーブルにつく。そこもまた大森のための特等席なのだ。
「来いよ、アミーコ」
 男がおれを促した。人混みをき分け特等席に近づいていく。
「レオ、紹介するぜ。日本からわざわざやって来たおまえの大ファンだ」
 男が大森の前に立つ。大森は一瞬、きょとんとした顔をする。男の早口のイタリア語が理解できなかったのだ。
たかなかと申します」
 おれは言った。高中まさ。パスポートも名刺も用意してある。
「この方が紹介すると言って聞かないものですから。申し訳ありません」
「大森です」
 大森はにこやかな笑みを浮かべて立ち上がった。百八十五センチのおれを見おろした。

    * * *

 サッカーの八百長と一口に言っても、その形態は様々だ。
 シーズン終了間際によく起こるのが、チームによる対戦相手の買収だ。降格圏にいるチームはなんとしてでも勝ち点を積み上げたい。優勝を狙っているビッグクラブや、降格争いを演じている弱小クラブに八百長を持ちかけても意味がない。
 中位に位置している中堅クラブ。勝ったからといって優勝争いに絡めるわけでも、ヨーロッパリーグへの出場権に手が届くわけでもない。負けても降格するおそれはまったくない。
 そんなチームに、なんとしてでもリーグ一部に残留したいクラブが話を持ちかける。
 次の試合で勝ち点を譲ってくれ。百万ユーロでどうだ。
 大抵の場合、取り引きは成立する。買収されたチームはフォワードがシュートをミスする。ディフェンダーがペナルティエリア内でファウルを犯す。キーパーがなんの変哲もないシュートを見送る。
 そして、試合後のプレスカンファレンスで言うのだ。
「シーズン終盤に来て、選手全員のコンディションが落ちてきている。あり得ないミスが続いて負けてしまった」
 疑いは残るが証拠はない。だれもなにも証明できないまま、すべてはうやむやの内にほうむられる。
 八百長組織が絡む場合、ことはもう少し複雑だ。
 だれかがだれかを買収する。金、あるいは女、あるいは脅し。
 買収されただれかが、まただれかを買収する。買収の対象は多岐にわたる。チームのオーナー、あるいはチームの監督、あるいは選手、あるいは審判。
 組織にとってうまみのある買収の対象は審判と選手、中でもゴールキーパーとディフェンダーだ。
 フォワードやミッドフィルダーを買収できたとしても、それで試合結果をコントロールすることは至難の業だ。
 素晴らしいスルーパスを出しても相手にカットされるかもしれない。生涯に一度というようなシュートを放ったとしても、キーパーのファインセーブに合うかもしれない。いずれにせよ、前線の選手は試合の勝敗を決定づけることには使えない。
 ディフェンダーなら相手の決定的なパスを見送ることができる。ペナルティエリア内でファウルを犯して相手にペナルティキックを与えることができる。
 そして、キーパーなら相手に得点をゆるすことができる。
 昔、ある男が得意げに言った。
「心を読むんだ。そして、いいように操ってやる。買収できないやつなんていない」
 かつて、おれは買収され、チームメイトを買収した。
 ほとんどの人間は買収できる。だが、できないやつもいる。
 おれは買収できなかった男を殺した。
 そして、ちはじめた。

(つづく)



馳星周『暗手』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000665/


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