確率捜査官 御子柴岳人 密室のゲーム

「事件捜査に数学の専門家?」異色の取り調べチーム結成/神永学『確率捜査官 御子柴岳人 密室のゲーム』試し読み②
シリーズ第 3 作『確率捜査官 御子柴岳人 ファイヤーゲーム』(角川文庫)発売まであと 1 日!
おさらいも兼ねて、第 1 作『密室のゲーム』の冒頭約 50 Pを公開します。
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>>前話を読む
殺意のジレンマ
1
友紀は、
突き当たりにあるドアの前に立ち、貼り付けてあるプレートを確認する。
〈特殊取調対策班〉
──ここで間違いない。
友紀はノックしてからドアを開けた。
「えっ」
目の前の光景に、思わず声を上げた。
八畳ほどの広さの部屋に、段ボールや書類が乱雑に積み上げられ、まるで倉庫のような状態だ。
新設部署なので、引っ越しのゴタゴタなのかもしれないが、それにしても
「失礼します」
声を張ったが、返事はなかった。
──誰もいないのだろうか?
友紀は、首を伸ばして部屋の中を見回す。
ガサッ!
友紀は、音に反応して飛び跳ねる。
部屋の奥で何かが動いた。
段ボール箱が邪魔で、はっきり確認することはできないが、奥のデスクに誰かがいるのは分かった。
「あの……」
友紀は息を
「愚か者め!」
声とともに、男が立ち上がった。
「きゃっ」
友紀は、思わず飛び退いたあと、男と見合った。
年齢は三十代前半くらいだろうか。見上げるほどに背が高く、紺のスラックスに白衣という
中性的で
「何だ、お前」
男は友紀を指さした。
やけに白くて長い指先だった。
「本日付で配属になった、新妻友紀です」
戸惑いながらも答える。
男は顔を近づけ、犬のように鼻を鳴らしながら、友紀の臭いを
──何?
友紀が困惑している間に、男は興味をなくしたらしく、デスクに座り直し、パソコンのマウスを操作し始めた。
「あの……」
声をかけてみたが、男は完全に無視している。
「残念だが、その戦術は通用しない」
男がニヤリと笑った。
「はい?」
友紀は、訳が分からずに
「お前に言ったんじゃない」
男は、白衣のポケットから棒付きのアメ、チュッパチャプスを取り出し、それを口の中に放り込むと、再びパソコンのモニターに向かい合った。
──この人は、何をやっているの?
モニターを覗き込むと、そこにはチェス盤が映し出されていた。どうやら、パソコンを使ってチェスをやっていたらしい。
対戦相手がコンピューターなのか、ネットの向こうにいる第三者なのかは分からないが、戦術
「あの、ここは特殊取調対策班ですよね」
「そうだ」
男がモニターを凝視しながら答えた。
「私は、本日付で配属になった……」
「さっき聞いた」
かぶせるように男が言う。
「失礼ですけど、あなたは?」
「人間だ」
「知ってます」
友紀は、思わずため息をついた。
さっきから、会話が全然
「なぜ?」
「え?」
「なぜ、ぼくが人間だと知っているんだ?」
男は、無表情に友紀を見ている。
「見れば分かります」
「視覚だけで判断したのか?」
「視覚だけで充分に判断できると思いますが……」
見た目で、その人の内面まで判断したのであれば問題があるが、人間であることを断定したに過ぎない。
「もしかしたら、ぼくは人間に酷似した地球外生命体かもしれない」
冗談かと思ったが、男の顔は真剣そのものだった。
「まさか。そんなはずはありません」
「なぜ、そう言い切れる?」
男がゆっくりと立ち上がった。かなりの身長差があるので、友紀は見上げるかっこうになる。
「なぜって……」
「そうやって先入観だけで判断するから、お前たち警察は、同じ過ちを繰り返すんだ」
「な、何が言いたいんですか?」
「ぼんやりしていないで、少しは頭を使えってことだ」
男は自分のこめかみを、指でトントンと
「チェスで遊んでいる人に、言われたくありません」
「ぼくは、遊んでいるわけではない。これは研究だ」
「そうは見えませんでしたけど」
「視覚だけで判断するバイアス女には、分からんだろうな」
「バイアス?」
友紀が
「バイアス、つまり偏りだ。お前の考えは偏っている。よってバイアス女だ。分かったか」
男が、友紀の頭にポンと手を置いた。
子ども扱いされているようで、恥ずかしさがこみ上げ、顔が熱くなる。
「止めて下さい」
身体を引いて男の手から逃れたところで、ドアが開き、猫背の男がのそっと部屋に入って来た。
五十代半ばくらいだろう。茶色のジャケットに、紺のパンツ。真っ白になった髪を後ろになでつけ、いかにも人の良さそうな顔つきをしている。
「おはよう。新妻君だね」
男が笑顔で言った。
「はい」
「
権野が丁寧に腰を折って頭を下げる。
──この人が、権野
「こちらこそ、よろしくお願いします」
友紀も頭を下げる。
うちの署の中で、権野道徳の名を知らぬ者はいない。落としの権野として知られ、彼の取り調べで自供しなかった犯人はいないと噂されるほどの敏腕刑事だ。
顔を上げ、改めて権野と向き合った友紀は、イメージとのギャップに戸惑った。
落としの権野という異名から、もっと
「イメージと違ったのかな」
権野が、友紀の心中を見透かしたように言う。
「いえ、そういうつもりでは……」
「気にしていないから平気だ。それより、彼とは
権野が、例の長身の男に目を向ける。
「あ、いえ。まだ……と、いうか、彼も警察官なんですか?」
「半分正解だ」
「半分?」
「彼の名は
「どういうことです?」
「彼は、大学の准教授で、数学の専門家だ。オブザーバーとして参加してもらっている。説得するのに、なかなか苦労したよ」
「准教授……」
友紀は、改めて御子柴に目を向けた。
自分が話題の中心であるにもかかわらず、彼は完全に興味を失っているらしく、パソコンのモニターに向かってチェスに興じている。
「事件捜査に、数学の専門家──ですか?」
友紀は、疑問を口にした。
数学と事件捜査は、全く結びつかないような気がする。
「新妻君は、なぜ、特殊取調対策班という部署ができたか知ってるかい?」
権野が目を細め、質問で返してきた。
「取り調べの精度を上げることが求められたから……ですよね」
配属先を伝えられたとき、その存在意義については説明を受けていた。
取り調べは、外部との連絡を遮断された密室の中で行われる。そのため、誘導尋問や自白の強要が行われてきた。
そうでもしなければ、容疑者が自ら罪を認めないという側面もある。
だが、近年になって、度重なるえん罪や、裁判員制度の導入などにより、取り調べの可視化と正確性を求める声が高まり、警察として対策を講じなければならなくなった。
そうして、効率的かつ正確な取り調べの方法を検証するために新設されたのが、〈特殊取調対策班〉だ。
「新妻君の言う通りだ。だからこそ御子柴君が必要になる。数学的なアプローチから、客観的に、事件の真偽を計ってもらうんだ」
権野の説明を聞いても、今いちピンと来なかった。
「本当にそんなことが可能なんですか?」
「可能だ」
答えたのは、御子柴だった。
友紀が視線を向けると、御子柴がひどく緩慢な動きで顔を上げた。
「ゲーム理論を用いれば、容疑者が黙秘を続けたとしても、真相を導き出すことができる。チェスと同じだ」
御子柴は、白衣のポケットからチェスの白い駒を出し、友紀の眼前に突きつけた。
「事件は人が起こすものです。チェスとは違うと思いますが……」
友紀が言うと、御子柴はふんっと鼻を鳴らした。
「何も違わない。チェスだって、相手にしているのは人間だ。Strategy(戦略)とTactics(戦術)を読み、次の手を打つ」
御子柴の言わんとしていることは分かる。だが──。
「あなたの言っていることは、絵に描いた
「ぼくは、餅の絵など描かない」
「はい?」
友紀は虚を
「だから、ぼくは餅の絵など描かないと言ったんだ。だいたい、今は餅など関係ないだろ」
御子柴は真顔で言う。
──噓でしょ。
「
「諺?」
「実現不可能であることの、たとえです。もしかして、知らなかったんですか?」
「バカにするな! それくらい知ってるもん!」
御子柴が地団駄を踏んだ。
「負け犬の
さっきのお返しとばかりに言ってやった。
御子柴が、辺りを見回す。
「犬がどこにいる?」
これはかなりの重症だ。数学では准教授でも、国語は小学生レベルのようだ。
「この程度の諺も知らないで、よく准教授が務まりますね」
「うるさい! 今は、ちょっとど忘れしてただけだ。だいたい、諺なんて回りくどい言い回しをするのは、非効率的だ」
「非効率的って……」
「まあまあ。それくらいでいいだろう」
会話に割って入って来たのは権野だった。
「議論の続きはあとにして、まずは実践といこう」
そう続けた権野は、自分の席に座った。
「実践──ですか?」
友紀が
「とにかく、座って話そう。新妻君の席は、そこだ」
権野が、御子柴の向かいの席を指差した。
実践とは、いったいどういうことか──友紀は、疑問を抱きながらも指定された席に座った。
視線を上げると、向かいには興味無さそうに
──本当に分からない人だ。
〈第3回へつづく〉
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