menu
menu

試し読み

【明日公開】映画「Fukushima 50」 忘れてはならないあの日の記憶を今こそ『小説 Fukushima 50』試し読み⑦

いよいよ明日、映画「Fukushima 50」公開! 試写をご覧になった方々からは「全日本人が観るべき映画」「涙が止まらなかった」と熱い声を頂いています。あのひ、福島第一原発で何が起こったのか。今こそ知るべき真実がここにあります。
>>前話を読む

    *

 すべて が、手探りだった。
 明かりもなく、電気もない。手工具や懐中電灯はあっても、それ以上の道具はない。パソコンも消えている。目の前にそびえ立つ制御盤も、こうなってしまえばただの『鉄の箱』だ。
 何もできない。それが現実だった。だが、あきらめるわけにもいかない。
 俺たちがここで、ぎりぎりまで踏みとどまれるかどうか。伊崎には、それができるか否かで、運命も決まるように思えたからだ。
 それに、まだ万策尽きたわけでもなかった。
 例えば、手元だ。照明が落ちた中にあって、伊崎の机は明るく照らされていた。
 空いていたバッテリーを見つけてきて卓上蛍光灯につなぎ、光を確保できたのだ。
 知恵を使えよ。まだできることはあるだろう? どこかで誰かが伊崎にそう言った気がした。
「当直長、持ってきました!」
 外に出ていた運転員たちが、ぞろぞろと中操に駆け込んできた。
 伊崎は立ち上がると、「そうか、すぐ取り掛かってくれ」
「わかりました!」と元気に返事をすると、運転員たちはさっそく作業を始める。
 彼らが手にしているのは、何十本ものケーブルの束と、サービス建屋前の駐車場に停められていた車から外してきたバッテリーだ。彼らはそれらを床に並べると、手早くケーブルで繫いでいった。
 乗用車のバッテリー電圧12ボルト。それを直列に10個接続すれば、単純計算で120ボルトになる。中には弱くなったバッテリーもあるかもしれないが、制御盤の計器類を動かすのに必要な100ボルトの電圧は十分に確保できる。
 全員、腕利きのエンジニアでもある。作業はものの10分で完了した。
「そんじゃ、いくぞ」
 全員が息を飲む中、大森が、制御盤に最後のケーブルを繫げた。
 計器を、全員が凝視する。
「おっ、きたぞ!」
「きたきた! 当直長、格納容器の圧力計が回復しましたぁ!」
 皆が歓喜のどよめきを上げた。
 核燃料は頑丈な金属で作られた圧力容器の中に収められている。圧力容器は、もし内圧が高くなり過ぎたときには、爆発を防ぐため、圧力をあえて外に『逃がす』仕組みが設けられていた。
 その圧力を受け止めるのが、圧力容器のさらに外側を包む格納容器だ。
 電源をつなぐことで読み取れるようになったのは、この格納容器内の圧力だった。まだ読めない計器は山ほどあったが、それでも、まったく『目が見えない』状態からは一歩、脱したことになる。
 まさしく、大きな進展だった。
 ほら見ろ! 知恵を使えば、まだやれることはあるんだ。伊崎は笑みを浮かべながら、「いくつだ?」と、いた。
 圧力計を読んだ西川が、青い顔で振り返った。
「当直長、ろ……600キロパスカルです」
「600だと?」伊崎は思わず、顔をしかめた。
 キロパスカルは、圧力の単位だ。100キロパスカルが大体1気圧に相当する。
 つまり格納容器の内側は現在、6気圧まで上昇していることになる。
 家庭用の圧力がまで2気圧強だから、その3倍近い圧力が掛かっている計算だ。もちろん圧力容器から格納容器に圧力を『逃がした』場合に備えて、格納容器自体も、それなりの内圧には耐えられるように造られているが──。
 伊崎は問うた。「設計限度圧力、いくつだ」
「427キロパスカルです」すぐさま工藤が、答えた。
 大森が、ややあってから続けた。「1・5倍かぁ。こんな状態じゃあ、いつ格納容器が壊れても、不思議じゃねぇな」
「…………」伊崎は、沈黙した。
 大森の言葉が脅しではないことは、すぐに理解できた。
 容器の設計には『安全率』が考慮される。したがって、設計限度圧力を超えてもすぐ壊れるわけではない。しかし、それはあくまでも『通常時』の話だ。もし炉心溶融が起きているならば、温度が異常に上がっていて、容器の強度が低下する。加えて、地震による影響も未知数だ。どこをどう切り取っても『尋常ではない』今、格納容器が、設計通りの強度を保つことができる保証は、どこにもないのだ。
 そもそも、まだ圧力が上がるなら、今は大丈夫でも、いずれ格納容器は壊れる。
 つまり、大爆発だ。内部にある放射性物質が大量に放出され、一巻の終わりだ。
 それだけは防ぎたい。そのために、どうすればいい?
 ──10秒間、じっくり考えてから、伊崎は結論をつぶやいた。
「……ベントしかねえのか」
 ベント。その言葉に、中操の全員がはっと息を飲んだのがわかった。
 プラントエンジニアであれば、ベントが何を意味するのかは明らかだからだ。
 だがベントは、これまで実施の前例のない操作だ。しかも、実行するとなればそれ相応の覚悟が伴うことになる。なぜなら、あらゆる電源が途絶し、原子炉をコントロールできない今、ベントは手動で行うしかないからだ。
 それでも、もはや解決方法がそれしかないのは明らかだった。
 伊崎はひとつ息を吐いてから、ホットラインの受話機を取り上げると、
「吉やんか?……1号、格納容器圧力、600キロパスカルだ」
『600キロパスカル、だと……』
 吉田と、緊対中が絶句しているのが、受話器越しにも伝わってきた。
 だが吉田は、数秒の沈黙を経て、伊崎に冷静に指示を出した。
『わかった。1号の圧を下げよう、ベントの準備だ』
「……了解」
 やはり吉田も、同じ結論に至ったか。思わず口角を上げた伊崎に、吉田は、
『炉心はいつまでもつ?』
 端的な質問。伊崎は、少し考えてから、
「はっきりとしたことは言えない。だが、明け方までもってくれれば御の字か」
『……わかった』
 また連絡する、と言うと吉田はホットラインを切った。
 伊崎も受話器をそっと置きながら、思った。
 明け方。それですら希望的観測だ。格納容器にいつ何があってももうおかしくはない。
「俺たちが、やるしかねえ」伊崎は、目の前で手を組むと、覚悟とともに小さく呟いた。

(このつづきは本書でお楽しみください)


周木 律『小説 Fukushima 50』(角川文庫)

周木 律『小説 Fukushima 50』(角川文庫)

周木 律小説 Fukushima 50』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000667/


紹介した書籍

関連書籍

MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年4月号

3月10日 配信

怪と幽

最新号
2020年1月号

12月19日 発売

小説 野性時代

第197号
2020年4月号

3月11日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

暴虎の牙

著者 柚月裕子

2

去年の雪

著者 江國 香織

3

これが恋だとわかるまで

著者 文之助

4

うちの父が運転をやめません

著者 垣谷 美雨

5

人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても

著者 戸田 真琴

6

青くて痛くて脆い

著者 住野 よる

3/23~ 3/29 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP