いよいよ明日、映画「Fukushima 50」公開! 試写をご覧になった方々からは「全日本人が観るべき映画」「涙が止まらなかった」と熱い声を頂いています。あのひ、福島第一原発で何が起こったのか。今こそ知るべき真実がここにあります。
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すべて が、手探りだった。
明かりもなく、電気もない。手工具や懐中電灯はあっても、それ以上の道具はない。パソコンも消えている。目の前に
何もできない。それが現実だった。だが、
俺たちがここで、ぎりぎりまで踏みとどまれるかどうか。伊崎には、それができるか否かで、運命も決まるように思えたからだ。
それに、まだ万策尽きたわけでもなかった。
例えば、手元だ。照明が落ちた中にあって、伊崎の机は明るく照らされていた。
空いていたバッテリーを見つけてきて卓上蛍光灯に
知恵を使えよ。まだできることはあるだろう? どこかで誰かが伊崎にそう言った気がした。
「当直長、持ってきました!」
外に出ていた運転員たちが、ぞろぞろと中操に駆け込んできた。
伊崎は立ち上がると、「そうか、すぐ取り掛かってくれ」
「わかりました!」と元気に返事をすると、運転員たちはさっそく作業を始める。
彼らが手にしているのは、何十本ものケーブルの束と、サービス建屋前の駐車場に停められていた車から外してきたバッテリーだ。彼らはそれらを床に並べると、手早くケーブルで繫いでいった。
乗用車のバッテリー電圧12ボルト。それを直列に10個接続すれば、単純計算で120ボルトになる。中には弱くなったバッテリーもあるかもしれないが、制御盤の計器類を動かすのに必要な100ボルトの電圧は十分に確保できる。
全員、腕利きのエンジニアでもある。作業はものの10分で完了した。
「そんじゃ、いくぞ」
全員が息を飲む中、大森が、制御盤に最後のケーブルを繫げた。
計器を、全員が凝視する。
「おっ、きたぞ!」
「きたきた! 当直長、格納容器の圧力計が回復しましたぁ!」
皆が歓喜のどよめきを上げた。
核燃料は頑丈な金属で作られた圧力容器の中に収められている。圧力容器は、もし内圧が高くなり過ぎたときには、爆発を防ぐため、圧力をあえて外に『逃がす』仕組みが設けられていた。
その圧力を受け止めるのが、圧力容器のさらに外側を包む格納容器だ。
電源をつなぐことで読み取れるようになったのは、この格納容器内の圧力だった。まだ読めない計器は山ほどあったが、それでも、まったく『目が見えない』状態からは一歩、脱したことになる。
まさしく、大きな進展だった。
ほら見ろ! 知恵を使えば、まだやれることはあるんだ。伊崎は笑みを浮かべながら、「いくつだ?」と、
圧力計を読んだ西川が、青い顔で振り返った。
「当直長、ろ……600キロパスカルです」
「600だと?」伊崎は思わず、顔を
キロパスカルは、圧力の単位だ。100キロパスカルが大体1気圧に相当する。
つまり格納容器の内側は現在、6気圧まで上昇していることになる。
家庭用の圧力
伊崎は問うた。「設計限度圧力、いくつだ」
「427キロパスカルです」すぐさま工藤が、答えた。
大森が、ややあってから続けた。「1・5倍かぁ。こんな状態じゃあ、いつ格納容器が壊れても、不思議じゃねぇな」
「…………」伊崎は、沈黙した。
大森の言葉が脅しではないことは、すぐに理解できた。
容器の設計には『安全率』が考慮される。したがって、設計限度圧力を超えてもすぐ壊れるわけではない。しかし、それはあくまでも『通常時』の話だ。もし炉心溶融が起きているならば、温度が異常に上がっていて、容器の強度が低下する。加えて、地震による影響も未知数だ。どこをどう切り取っても『尋常ではない』今、格納容器が、設計通りの強度を保つことができる保証は、どこにもないのだ。
そもそも、まだ圧力が上がるなら、今は大丈夫でも、いずれ格納容器は壊れる。
つまり、大爆発だ。内部にある放射性物質が大量に放出され、一巻の終わりだ。
それだけは防ぎたい。そのために、どうすればいい?
──10秒間、じっくり考えてから、伊崎は結論を
「……ベントしかねえのか」
ベント。その言葉に、中操の全員がはっと息を飲んだのがわかった。
プラントエンジニアであれば、ベントが何を意味するのかは明らかだからだ。
だがベントは、これまで実施の前例のない操作だ。しかも、実行するとなればそれ相応の覚悟が伴うことになる。なぜなら、あらゆる電源が途絶し、原子炉をコントロールできない今、ベントは手動で行うしかないからだ。
それでも、もはや解決方法がそれしかないのは明らかだった。
伊崎はひとつ息を吐いてから、ホットラインの受話機を取り上げると、
「吉やんか?……1号、格納容器圧力、600キロパスカルだ」
『600キロパスカル、だと……』
吉田と、緊対中が絶句しているのが、受話器越しにも伝わってきた。
だが吉田は、数秒の沈黙を経て、伊崎に冷静に指示を出した。
『わかった。1号の圧を下げよう、ベントの準備だ』
「……了解」
やはり吉田も、同じ結論に至ったか。思わず口角を上げた伊崎に、吉田は、
『炉心はいつまでもつ?』
端的な質問。伊崎は、少し考えてから、
「はっきりとしたことは言えない。だが、明け方までもってくれれば御の字か」
『……わかった』
また連絡する、と言うと吉田はホットラインを切った。
伊崎も受話器をそっと置きながら、思った。
明け方。それですら希望的観測だ。格納容器にいつ何があってももうおかしくはない。
「俺たちが、やるしかねえ」伊崎は、目の前で手を組むと、覚悟とともに小さく呟いた。
(このつづきは本書でお楽しみください)
▼周木 律『小説 Fukushima 50』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
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