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試し読み

ミステリ界大注目の著者、渾身の青春ミステリ!――浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』試し読み⑥

 ■第二回の投票結果
 ・九賀3票 ・波多野1票 ・矢代1票 ・嶌1票 ・袴田0票 ・森久保0票 
 ■現在までの総得票数
 ・九賀5票 ・波多野2票 ・袴田2票 ・嶌2票 ・矢代1票 ・森久保0票

 ぴたり、袴田くんに票が入らなくなった。
「……ふざけんなよ」
 袴田くんが睨んだのは、一回目の投票で自分に票を入れてくれた矢代さんと森久保くんであった。彼らに対して少なからずの憤りを覚えてしまう袴田くんの気持ちは大いに理解できた。二人の意見が変わってしまった原因は単純で、外部からの、根拠不明の、『アンフェア』な告発のせいなのだ。
 それでも投票先を変えた二人の気持ちも――袴田くんの気持ち以上に――痛いほどよく理解できた。デマだと言われても、デマだってことにしようと決めたとしても、やっぱり完全には、無視できない。どころか豹変した袴田くんの姿を見てしまった今となっては、匿名の告発のほうがよっぽど、信用に足りてしまう。
「……さあ、処分だ」
 九賀くんが改めて大きな封筒を差し出すと、袴田くんが凄んだ。
「先に犯人捜しだろ……どう考えてもこのまま終わっていいわけがねぇ」
「どうやって見つけるっていうんだよ」
 妙案がすぐに出せなかった袴田くんにとどめを刺すように、
「とにかく忘れるんだ。忘れて全部捨てる。これしかないだろ。まず、封筒の回収だ」
 会議室が膠着する。
「ほら」
 急かす九賀くんに対してすぐに封筒を返せなかったのは、言うまでもないが処分するのが惜しかったからではない。どことなく理由の如何によらず、今ここで積極的にアクションを起こせばそれとなく袴田くんの不興を買いそうな気配があったからだ。
 九賀くんは誰も封筒を戻そうとしないことに少々焦れたのか、もう一度ほらと言って、右隣に座っていた森久保くんへと封筒の口を向けた。森久保くんはそれを見てすぐに自分の封筒を九賀くんに渡す――と、思ったのだが、森久保くんは不自然なほど微動だにしなかった。
 気づいてないのかと訝った九賀くんが、
「まず森久保から入れてくれ」と声をかけると消え入りそうな弱々しい声で、
「……ちょっと考えさせてくれよ」
「……考える、って、何をだよ」
「わかるだろ」
「……は?」
「本当にこの封筒を、、だよ」
 耳を疑う僕をよそに、森久保くんはため息をついてから眼鏡を外し、それをハンカチで丁寧に拭い始めた。それは今まで何度も見てきた、森久保くんが熟考するときに見せるお決まりの仕草であった。痛みに耐えるように力強く目を閉じ、思い出したように目を開けると自分に配付された封筒を見つめる。ハンカチは忙しなく眼鏡を拭う。
 聞き間違いを願うようにずっと封筒を差し出していた九賀くんだったが、どうやら森久保くんが本当に告発封筒の有用性を検討していることを察し、失望したように空の封筒をテーブルの上にぱたりと落とした。それから力のない瞳で森久保くんのことを呆然と見つめた。
「わかってくれよ……今、俺はゼロ票なんだ。でもスピラには絶対に入りたいんだよ」
 森久保くんは眼鏡を見つめながら、言いわけするようにつぶやいた。
「なんとなく……こういう展開は予想できてた。心を開いていたつもりだったが、俺は他のメンバーに比べれば社交的じゃない。いわゆる友達として一緒にいて楽しい存在じゃない。学生たちで一番内定に相応しい人を選べと言われたら、きっと苦戦を強いられる。予想はできてた」
「だからって、こんな下劣な手に乗っかるのか?」たまらずに尋ねた僕に対し、
「違うだろ波多野。逆だよ。封筒のおかげで真に下劣な人間がわかったんだ。だろ?」
 僕は反論を飲み込んだ。袴田くんは変わらず怒りの瞳で森久保くんのことを睨みつけていたが、森久保くんは目を合わせようともしなかった。
「このまま行けば、どう考えたって内定は九賀に出る」森久保くんは言い切った。「二度の投票ですでに五票。順当に行けば、大差をつけて九賀が勝つ。誰が用意したのかはわからないが、それをひっくり返せるかもしれない手札が手元にあるんだ――綺麗ごと並べてる場合じゃないだろ。この封筒には『九賀の写真』が入ってるらしい――なら、俺のためにも、そして他の四人のためにも、封筒を開けることがプラスに作用する可能性がある。使える手なら、使う方法を考えなくちゃいけない。ここで善人を演じて落ちるくらいなら、多少の泥を被ってでも向こう数十年、スピラで働ける可能性に賭けたい」
「……なら逆効果だよ」
 今にも泣き出しそうな顔で訴えたのは、嶌さんだった。嶌さんは袴田くんのことを告発した紙をテーブルから拾い上げると、下部のメッセージを細い指先で示してみせた。
「この ※のメッセージ『なお、九賀蒼太の写真は森久保公彦の封筒の中に入っている』――どうしてこんなことが書いてあったと思う?」
 森久保くんは眼鏡を拭く動きを止めた。
「これってたぶん、九賀くんが封筒を開けたから、九賀くんの写真の在りかが示されたってことなんだよ。人を呪わば穴二つ。きっと封筒を開けたら相手にダメージを与えるだけじゃ済まない仕組みになっているんだと思う。このメッセージが噓じゃないなら、きっと森久保くんの封筒からは九賀くんについての写真が出てくると思う。たぶんそれは九賀くんを悪く言うような『デマ』で、九賀くんの印象を貶めるような何かなんだと思う。私はどんな写真が出てこようともそれをデマだと信じ切るけど、ひょっとするとそれのせいで九賀くんの得票数は減るかもしれない。でもそれだけじゃ終わらない。九賀くんを告発する写真の下にはおそらく『なお、森久保公彦の写真は誰々の封筒の中に入っている』っていうメッセージが書いてあって、森久保くん自身もピンチに立たされることになるんだよ。そして封筒に手をつけた森久保くん自身の評価も下げることになる。いいことなんて、一つもない」
「……そんなの、わかった上で言ってるんだよ」
 森久保くんはようやく眼鏡をかけると、射貫くように嶌さんのことを正面から見つめた。
「だったらなおのこと、この封筒を開けたほうが誠実だと言えるんじゃないか?」
「……何、言ってるの?」
「この封筒を開ければ、俺は自分の『写真』を公にされてしまうリスクを負うことになる。嶌さんの言うとおり、俺はピンチに立たされることになる。でもそれを承知の上で、それすら覚悟の上でこの封筒を開けるのならば、それはすなわち『俺には告発されて困るような後ろ暗い過去は何もない』ということを宣言する間接的なアピールにもなるんじゃないか。違うか? とりあえず開けてみて、九賀の『写真』を確認してみて、その結果それでも九賀が素晴らしい人間だと思えたなら支持するやつはそのまま内定に推したらいい。俺はリスクを負って選考に必要な情報を増やす――それだけだ。何か間違ってるか?」
 筋は通っている。そんな考えが一瞬だけ脳裏を過り、邪念を払うように小さく首を振る。何が正しい戦法で、何が人として正しい行いなのか、頭を冷やして考えられる環境が欲しかったが、そんなものはどこにもなかった。僕はそれでもやはり悪意の上に成り立つ作戦を容認するわけにはいかないと信じ、
「間違ってる」
 森久保くんは冷めた表情で僕を見た。
「封筒は、選考の枠外から持ち込まれたものだ。どんな形であれ活用するべきじゃない」
「じゃあ波多野、内定は俺に譲ってくれるか」僕が言葉に詰まると、森久保くんは即座に全員に対して問いかけるように、「この封筒を開けない代わりに、内定は俺でいいっていうんなら、封筒は開けない。でもそれ以外の条件なら飲めない。俺は封筒を開ける」
 ついに誰も、森久保くんを止めることはできなかった。森久保くんが紙の隙間に指を入れ、糊づけを剝がしていく。紙が裂けるような音を耳にしながら、僕は天井を見つめた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。無論のこと見えない犯人のせいだったが、誰が犯人なのかはまるで見当がつかない。
 互いのプロフィールはある程度把握し合っている。簡単ではないが、その気になれば互いの過去について調べることは、理論上、全員に可能だ。仕入れた過去を封筒に閉じ込めて会議室に置いておくだけでいいのだから、犯人候補を絞る作業はとんでもなく難易度が高い。
 森久保くんは一見していつもどおりの、理知的で、冷静な表情を装っていた。しかし明らかに何かにとり憑つかれていた。事務的に、淡々と封筒を開けるような素振りでいるが、一種の狂信が瞳の奥からゆらゆらと、陽炎のように滲み出ている。九賀くんはそんな彼への失望を惜しみなくその眼差しで主張しながらも、同時に封筒の中身への怯えを隠せずにいた。微かに呼吸が乱れている。嶌さんは頭を抱えて俯き、袴田くんは自らの怒りを飼い慣らしつつも、森久保くんが開こうとしている封筒を注視していた。そんな中――目を疑った。
 矢代さんが、笑っていたのだ。
 彼女は僕のすぐ右隣に座っており、僕は誰よりも彼女の表情をつぶさに観察することができた。さすがに何かの間違いだろう。三秒ほど、じっくりと彼女の横顔を観察した――したのだが、それは見間違えでも、表情が移り変わる一瞬の揺らぎが幻の笑顔を見せたわけでもなかった。彼女は間違いなく、笑っていた。まるで事態の悪化を歓迎しているように、あるいは熱に浮かされている森久保くんの醜態を楽しんでいるように、細く、鋭く、美しく――笑っていた。
 そのとき、僕はグループディスカッションが始まる直前のことを思い出した。矢代さんは開始前に扉付近で何やらおかしな動きを見せていたが、まさしく封筒が見つかったのはあの扉付近だったではないか。あのときは何かを探しているのかと思ったが、まさか――そんな僕の予測が完成を見る前に、森久保くんは封筒の中から紙をとり出した。
 森久保くんは一読もせず、その紙をいきなりテーブルの上に広げた。僕ら六人は同時に紙面を見つめ、そして同時に沈黙した。
 今度の紙には――三枚の写真が印刷されていた。
 一番上は、九賀くんが同年代の女性と浜辺でピースサインをしている写真であった。二人の距離の近さからして、おそらく女性は九賀くんの恋人であることが予想された。茶髪のショートカット、Tシャツにハーフパンツ姿で、足下にはビーチサンダル。水着姿ではなかったが海で遊んだのだろうということが一目でわかる。彼女は九賀くんの横に立つに相応しい美貌の持ち主だった。誰もがうらやむ美男美女カップル――そう表現して仔細ない。
 一方の九賀くんの笑顔も、これまで僕らに見せてきたものよりも数段階砕けたものだった。写真には赤いペンで「SOUTA&MIU」という文字と日付がサインされていた。可愛らしいハートマークも同様のペンでいくつか描かれている。
 袴田くんの野球部の集合写真と一緒で、ここまでは、よかった。
 しかし二枚目になると様子が変わってくる。どうやら大学の講堂での授業風景を――盗撮したものらしかった。五百人は入れそうな大講堂だ。木製の長机と椅子で構成されたオーソドックスなスタイルの内装だったが、デザインは比較的モダン、完成してから日は浅い印象を受ける。写真を撮った人間は、講堂の中段あたりの席からシャッターを切ったのだろう。幾人かの学生がホワイトボードのほうを向いて授業を聴いている姿が収められていたのだが、ここにも二つほど赤い丸がつけられていた。一つ目の丸は男女五、六人と固まって講義を聴いている九賀くんの姿で、もう一つの丸は九賀くんたちとは無関係と思えるほど遠く離れた位置にぽつんと、一人で座っている女子学生につけられていた――先の浜辺の女性だ。
 三枚目の写真は、とある書類をそのままコピーしただけのものだった。詳細を読む気にはなれなかった。というより、詳細を読み込む必要がなかった。『人工妊娠中絶同意書』という大きな表題が何よりも先に視界に飛び込んでくる。『本人』という欄に『原田美羽』という名前が、そして『配偶者もしくはパートナー』という欄に『九賀蒼太』という名前が確認できれば、それ以上の説明は不要だった。

九賀蒼太は人でなし。恋人である原田美羽を妊娠、中絶させ、その後一方的に恋人関係を解消している。
(※なお、森久保公彦の写真は嶌衣織の封筒の中に入っている)

 袴田くんのときよりも、なぜだろう――僕は遥かに大きな衝撃を受けていた。たぶんそれだけ九賀くんのことを敬愛し、憧れ、純粋にスポーツ選手を応援するのに近いような気持ちで、好いていたのだ。
 予感がないわけではなかった。それでもやっぱり信じていたかった。
 紙面から顔を上げれば、そこには平然とした顔でこれは酷いデマだと確かな論拠で告発を退け、さあ、議論に戻ろうと余裕のある笑顔を見せてくれる僕らのリーダーの顔があるものだと願っていた。しかし僕の期待するものは何一つとして用意されていなかった。
 乱暴に髪をかき上げると、うっとりするほど綺麗にセットされていた九賀くんの頭髪はそのワックスの強力さもあって情けないまでに撥ね乱れ、寝起きかと紛うほど間抜けに仕上がった。好青年という表現がぴたりと当てはまる端整だった顔立ちは、実は本人の巧みなコントロールによって成立していた仮初めの奇跡だったのだと知る。別人のようにだらしない表情を作った九賀くんは遠慮なく下品な舌打ちを放つと、まるで期待外れの競走馬を罵るような口調で、
「……クソが」
 僕は先ほどまで九賀くんが座っていた席に座っている、見慣れぬ男を、ただじっと、見つめ続けた。

(つづく)


書影

浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』
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