【カドブンレビュー】
大人数でのカラオケが苦手だ。場のテンションを上げるため、頑張らざるを得ないあの雰囲気が嫌いだ。自分のノリに場を染めようとする人は、大嫌いだ。彼らは「みんなを楽しませるため」と言うけれど、私は楽しくない。同調圧力が息苦しい。
『教室が、ひとりになるまで』は近年流行している「スクールカーストもの」の最高傑作であると思う。感情移入しながら一気に読んでしまった。
私立北楓高校の2年A組とB組は「最高に仲がいい」クラスに思えた。定期的に生徒主催のレク企画を全員参加で行うほど団結力が強く、快適な環境の中で「みんな」がキラキラとした青春を過ごしているはずだった。ところが、5月の末頃からクラスの中心だったメンバーが次々と自殺をしてしまう。彼らにとっては最高の場所だったはずなのに何故……。主人公の垣内友弘は学校で代々継承されている「嘘を見破ることが出来る」という特殊な力を授かったことをきっかけに、連続自殺の真相を突き止めていく。
人はひとりで生きていくことは出来ない。常に何らかの集団に属しながら、人生を歩んでいくことになる。だから、「スクールカーストもの」で描かれる人間関係の煩わしさが、程度の差こそあれ、「学校」に限定された話でないことに私たちは気づいている。その普遍的な視点にまで到達する本作は、だからこそ、あらゆる人の感情に刺さるはずだ。居心地の悪い空間を生み出している人物への敵意。一方で、雰囲気を作っているのは「みんなのため」という逆サイドの悪気のなさ。「加害者と被害者」という単純な図式ではなく、都合の良い論理をお互いぶつけているだけという複雑な構造。違いを認めることの難しさ。単なる「青春時代の自意識」で片づけない作品の奥行きに、私自身、学生の頃だけではなく、現在の自分の行動にも想いを巡らされることになった。異なる価値観を持つ人たちの中でどう生きていけば良いのか。登場人物たちの成長の先にある一つの答えには、切なさだけでない、力強さが宿っている。