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試し読み

ミステリ界に現れた超新星! 本格ミステリ大賞&日本推理作家協会賞の候補作『教室が、ひとりになるまで』大ボリューム試し読み! 第1回

「2020本格ミステリ・ベスト10」13位に入るなど
2019年2月に刊行された『教室が、ひとりになるまで』が話題の浅倉秋成さん。
本作は第20回本格ミステリ大賞と、第73回日本推理作家協会賞
長編および連作短編集部門の候補作にも選ばれています。
本格ミステリとしてはもちろんですが、青春小説としても傑作の本作。
今回は特別に第一章を全文試し読みとして公開いたします。

 ◆ ◆ ◆

 1

「一カ月という短い期間で、悲しいことに三人もの生徒が、自ら命を絶ってしまいました」
 口に出して改めて事態の異常さに打ちのめされたのか、校長はそこからしばらく言葉を紡げなくなってしまった。意味もなく原稿を握り直し、その度に紙が揺れる悲しげな音をマイクが拾う。予想だにせず生まれた沈黙に、体育館の空気はいっそうよどんでいく。
 つられたように、一度は鎮まったはずのえつが僕の周りで再び響き始めた。最も大きな声を上げていたのは命を絶ってしまったたかけんゆうと交際していたはやしで、もはや立ってもいられない状態だった。うずくまった彼女を慰めるように背をさすっていたやまぎりえきも、やはり同じように涙に飲まれている。男子も、むらしまたつと特に親交の深かったがしこおりやまはこらえきれない様子だった。
「ときには──」
 小さく声が裏返ってしまったことを誤魔化すように、校長は鼻頭を触った。
「ときにはつらいこともあるでしょう。投げ出したくなることもあるでしょう。死にたくなることも──あるのかもしれません。そして本当に辛いとき、ひょっとすると私たち教員は頼りにならないのかもしれません」
 校長はそこで原稿から目を切り、生徒たちを正面から見つめた。
「でも、皆さんには、かけがえのない友人がいます。いま皆さんの隣にいる一人一人が、皆さんにとって何よりの支えとなります。手を取り合えば、越えられる壁もあります。手を取り合えば、見えてくる光があります。どうか辛いときは、周囲の人に相談してみてください。きっと誰もが皆さんの力になってくれます。もちろん私たちも力になります。どうか一人で悩まず、近くにいる誰かに──」
 ポケットに入れていたスマートフォンが震える。僕は目立たないよう最小限の動きで画面を確認した。バイト先のLINEグループに店長から連絡が入っていた。
きゆうきよ一人足りなくなってしまいました。今日(木)、明日あした(金)の午後6時から、どなたか入れませんか?]
 すぐに[かきうちです。今日、行けます。明日も行けるかどうか確認してみます]とだけ返し、僕は隠すようにスマートフォンをポケットに滑り込ませた。それから体育館の空気に再び溶け込めるよう慎重に背筋を伸ばす。
 もはや嗚咽というよりは叫びに近い、そんな声がまた響いた。僕はゆっくりと目を閉じ、体中の空気をすべて追い出すように、深く息を吐いた。

「垣内、ちょっと」
 ホームルームが終わり、荷物をまとめて教室を出ようかと思ったところで担任に手招きをされた。名をかわむらという僕らの担任は、まだ三十代前半で他の教師に比べればいくらか若いと言えた。専門は体育。学生時代は長距離の選手だったということもあって、体つきは頑丈というよりは細身でしなやか。いわゆる体育会系らしい空回り気味な情熱や威圧感はまるでなく、むしろそこはかとない気の弱さと繊細さをにじませている教師だった。
「お前、しらとおんなじマンションだったよな?」
「……そうですけど」
「悪いんだけど、少し様子を見てきてやってくれないか?」
「……僕が、ですか?」
 うん、とうなり声のようなあいづちを打つと、しばらく目をつむってから「山霧なんかが連絡しても、最近は全然おとがないらしいんだな。でも、放っておけないのはわかるだろ? クラスメイトたちが急にああいうことになって、かなり精神的に参っていると思うんだ。誰かが声をかけてあげなくちゃいけない」
「それは……そうだと思いますけど、だったら僕より適任が他に。ほら、白瀬にも彼氏とかいるだろうし──」
 担任は僕の言葉を右手で遮ると、お前の言いたいことはすべてわかるといわんばかりに何度か小さくうなずいてみせた。それから、どれだけ仲がよくても、当人の許可なしに住所は教えられないこと(仲のいい友人たちは白瀬の家を知らなかった)、自分が直接訪問するのは問題ないが、いきなり教師が出向くのはあまり得策とは思えないこと、クラスメイトが声をかけてあげるほうがより自然で、白瀬も心を動かされやすいだろうということ、よって中学時代からの同級生である垣内が適任だというようなことを並べられた。
 僕は少しばかりの難色を示してみせたが、聞き入れてはもらえなかった。切り札であるはずの、今日はアルバイトがあるのでという一言は、学校に届けを出さずに働いていたので使えなかった。気づいたとき担任はすでにプリント類を詰めた封筒を僕に手渡し、
「短い時間でいいんだ」と話をまとめにかかっていた。「先生としても、このクラスは本当に自慢なんだ。こんなにみんなの仲がよくて、結束が固くて、いじめも差別もないクラスは本当に──お世辞じゃないんだぞ──本当に初めてなんだ。これ以上クラスの誰かが欠けるなんてのは絶対に見たくない。垣内もそうだろ?」
「……それはもちろん、そうですけど」
「今は少しよくない空気が流れてしまっているのは確かだ。でもきっと、うちのクラスは立ち直れる。頼むよ、な」
 担任と入れ替わるように、目を赤くらした山霧こずえと佐伯りんがやってきた。二人は僕にパステルブルーの封筒に入った手紙を差し出すと、これを一緒に届けて欲しいと言う。
づきのこと本当お願いね、垣内くん。こんなときだからこそ、私たちが一つにならなくちゃいけないんだから」
「今度の、美月抜きじゃやらないって言っといて。うちら絶対に待ってるから」
 僕は笑顔を作ってから「わかった。伝えておくよ」と言って、渡された手紙を担任がくれた封筒の中へとしまった。
「本当に、本当にお願いね」
「精一杯努力してみる。白瀬もきっとわかってくれるよ」
 部活が始まるまでの時間を廊下でつぶすサッカー部やバスケ部の連中の間をすり抜け、ようやく階段にまでたどり着いたとき、我慢していたため息がこぼれた。
 美月──白瀬美月とは確かに同じマンションに住んでいたし、もっと正確に言うのなら彼女の住んでいる部屋は僕の隣だった。担任は『中学時代からの同級生』と言っていたが、これも正確に言うのなら小学二年からの付き合いだ。小さい頃はよく一緒に遊んだ。近くに住んでさえいれば相手の性別も性格も気にせず遊ぶのが小学生だ。マンションの駐車場で走り回ったり、互いの親を巻き込んでアスレチックのある公園や遊園地に出かけたり──思い出は両手でも数え切れない。そんな僕たちが今ではほとんど会話をしなくなってしまったのは決定的な事件があったからでも、親同士の仲が急速に冷え込んでしまったからでもない。
 なんとなく。これにつきる。
 あるときから自然と子供向けの教育番組から興味を失していくように、なんとも形容しがたい斥力が、二人を隔てた。中学の時点で会話はほとんどなくなっていたので、高校二年になって久しぶりに同じクラスに編成されたときは複雑な思いを抱かずにはいられなかった。『またよろしくね』というよりは『どう接したらいいのだろう』。
 いつもは意識して足早に通り過ぎる501号室の前で立ち止まると、弱気な自分が出てくる前にインターホンを押し込んだ。呼び出し音が沈黙に溶けていく間、僕は理由もなく封筒を右手から左手に、また左手から右手にと三度ほど持ち替えた。応答はなかった。
 もし以前と状況が変わっていないのなら美月の両親は共働きだ。よって今、中に人がいるとすれば美月一人きりだろう。応答できないほどにメランコリックになっているのか、コンビニにでも出かけてしまっているのかはわからない。ただ、出てきてもらえないのならどうしようもなかった。言い訳作りのためにもう一度だけインターホンを押してから、彼女との面会をあきらめることにする。どこかほっとしている自分がいた。
 さすがに何の記載もない茶封筒をそのまま郵便受けに押し込むのは非常識に思われ、ささやかでもメモ書きを添えておこうとかばんからペンを取り出したとき、かぎが開く音がした。自分でも情けなくなるくらいに驚いてしまって、握りかけたペンを落とす。扉はほんの数センチ、チェーンの幅の分だけ開かれた。
「いま……垣内ひとり?」
 姿は見えなかったが、美月の声だった。あまりに唐突だったのでドアスコープの向こう側の美月に「ひとりだけど」と答えるまで随分と時間を要してしまった。
「誰もいない?」
「……いない」そこまで答えて、僕はようやく用意していた台詞せりふを思い出した。「突然ごめん。担任に様子を見てきて欲しいって言われて来たんだ。みんな白瀬に学校に来て欲しいって言ってた。これ、休んでた間のプリントと、山霧さんと佐伯さんからの手紙」
 何の返事もなかった。すでにそこに美月はいないのかと不安になり、
「……体調は大丈夫?」と控えめに尋ねてみる。
 もう一言くらい付け足そうかと思ったところで、「具合は……別に」と弱々しい声が返ってきた。
「……そっか。なら──」
「ごめん」と美月は僕の言葉を遮るように言った。「学校には……行けない」
 何か言うべきことがありそうな気がしたが、それらしい言葉はついに思いつかなかった。僕は諦めるように頷くと「……そう言っておくよ。無理してもよくないし、あれだけのことがあったんだから、やっぱり気持ちの整理をつける時間が──」
「違う」
「……何が?」
「人殺しがいる」
 意味を、すぐには把握できなかった。しかし聞き返すタイミングを完全に逸してしまい、僕らの間には明らかに不自然で不気味な空白が生まれてしまう。僕は息をすることも忘れて、扉の隙間から次の言葉が繰り出されるのを待った。ほんの数秒、でも僕にとっては数十分にも感じられる沈黙の後、美月はようやく言った。
「助けて」
 のどが震えていた。
「三人とも自殺なんかじゃない。とうも、竜也くんも、けんくんも、みんな殺されたの。このままじゃ、こずえも殺されちゃう」

(第2回へつづく)



浅倉秋成教室が、ひとりになるまで』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321809000178/


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