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試し読み

六つの告発文×六人の嘘つき。人生を賭けた心理戦が始まる――浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』試し読み⑤

2019年に刊行された『教室が、ひとりになるまで』で、推理作家協会賞と本格ミステリ大賞にWノミネートされた浅倉秋成さんの最新作『六人の噓つきな大学生』が3月2日に発売となります。
発売に先駆けて、前半143Pまでの大ボリューム試し読みを公開!
成長著しいIT企業「スピラリンクス」が初めて行う新卒採用。最終選考に持ち込まれた六通の封筒。
個人名が書かれたその封筒を開けると「●●は人殺し」だという告発文が入っていた。
最終選考に残った六人の嘘と罪とは。そして「犯人」の目的とは――。是非お楽しみください!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

前の回を読む

 紙の上部に印刷されていた写真は、とある高校の野球部の集合写真であった。男子部員三十名ほどが、おそらくは学校のグラウンドで三列になって写っている。前列はおそらく背番号をもらえた主力メンバーなのだろう。皆、正規のユニフォームを着ている。心なしか体も大きい。一方で後列の部員たちは、白い汎用ユニフォームにマーカーで名字を書き記した練習着を着用していた。浅黒く日焼けした彼らが着ているユニフォームの校名は、さほど耳馴染みのあるものではなかった。知らない学校の、知らない野球部の、何の記念なのかもわからない集合写真。しかしそんな集合写真には二つだけ赤い丸がつけられた顔があった。一つ目は、最後列にいる体の小さな男の子につけられている。弱々しい笑みを浮かべる彼の胸には『佐藤』と書いてあるので、たぶん佐藤さんなのだろう。それ以上のことは何もわからない。
 しかしもう一つの赤い丸がつけられている人間は、見知った顔だった。最前列中央で胸を張るひときわ大きな男性は、他でもない――袴田くんだ。高校時代ということは少なくとも三年以上は前の写真なのだろうが、十分に面影がある。これだけならなんてことのない、ただの袴田くんの高校時代の一ページを切り取った写真であった。
 しかしその下部には、新聞記事の切り抜きと思われる画像が印刷されていた。あまりに刺激的な見出しは、僕の心臓に冷たい汗をかかせた。

【県立高校野球部で部員自殺 いじめが原因か】

 やや拡大されて印刷されていたので、僕の席からも難なく記事の詳細を読むことができた。

【先月二十四日、宮城県立 緑町 高校の野球部に所属する男子生徒、佐藤勇也さん(十六歳)が石巻市内にある自宅にて首を吊っている状態で見つかり、死亡が確認された。自室には遺書が用意されていたことから、警察は自殺と見て捜査を進めている。遺書の内容によると部活内でいじめに遭っていたことが示唆されており、学校、県教育委員会は実態について速やかに調査を開始するとしている】

 記事の下には、新聞記事とは別の――おそらくはこの封筒を用意した人間が記したであろうメッセージが添えられていた。

袴田亮は人殺し。高校時代、いじめにより部員「佐藤勇也」を自殺に追い込んでいる。
(※なお、九賀蒼太の写真は森久保公彦の封筒の中に入っている)

 このままじっと告発文を睨み続けるのも、告発を受けた袴田くんの様子を確認するのも、平等に恐ろしかった。それでも僕は恐る恐る、慎重に、紙面から顔を上げた。これまで散々見せてくれた穏やかな笑顔で、なんだこれ、よくできてるな、本物の新聞みたいじゃんかというようなことを口にしてくれたら、僕らはどうにか元の空気に戻ることができていたかもしれない。しかし袴田くんは、明らかにとり乱していた。抑えきれぬ感情に突き動かされるようにして椅子から立ち上がり、顎の下から一滴の汗を垂らし、肩を大きく上下させる。ただでさえ大きかった体が、さらに二回りほど大きくなったように膨らむ。顔が赤みがかっているのも気のせいではない。袴田くんは尋常ではないほどに、動揺していた。
「……何だよこれ」
 僕らは、何も答えられなかった。何だよこれ。僕らだって袴田くんに問いかけたかった。何だよこれ。袴田くんは僕ら五人の顔を一人一人、瞳を震わせながら時間をかけて観察すると、顔に浮いた汗を手のひらで乱暴に拭った。
「誰が……誰が、こんなもの用意したんだよ。なあ?」
「事実なの?」
 興奮した猛牛の手綱を決然と引くような質問をしたのは、矢代さんだった。
「……は?」
「その紙に書いてあること、事実なの?」
 矢代さんも、袴田くんを恐れていないわけではないようだった。身を守るように組んでいた両腕には相当の力が入っているのが傍目にもわかる。明らかに緊張し、恐怖している。しかし彼女の眼差しには力があった。怯んでたまるかという決意が滲み出ている。
 袴田くんは矢代さんのことを獰猛な瞳で睨みつけ、獲物を前にした獅子のように身を小さくくねらせる。右の拳は岩のように堅く握りしめられていた。
「矢代が用意したのか……この封筒」
「そんなこと言ってないでしょ……私は訊いてるの。それは事実なのか、って」
「今どうでもいいだろ、そんなこと」
「どうでもいいわけないでしょ。もしそれが事実だったとしたら、正直、一緒の空間にいるのも最悪の気分。最低なんて言葉じゃ足りないくらい最低。内定どうこう以前の問題になる」
「……デマに決まってんだろ」袴田くんは威嚇するように言った。「知らねぇよこんなの」
「知らない? 知らないはさすがに噓でしょ? 一緒に写真に写ってるんだから」
「いや、そりゃ、知ってるよ……知ってるに決まってんだろ」
「この佐藤って人が自殺したのは本当なの?」
「そうだよ! ただこの佐藤のクズのことは」
 袴田くんはそこで慌てて言葉を切った。口にしたと同時に失策に気づいたのだろうが、放たれた言葉は僕らの耳にはっきりと、悲しいほど鮮明に、焼きついてしまっていた。僕らの疑うような視線を浴びた袴田くんは慌てて挽回の言葉を探すが、
「……今、何て言ったの?」
 矢代さんの言葉が先に覆い被さる。
「自殺した人のこと、『クズ』って言った?」
 なおも口を開くことのできない袴田くんを追撃するように、
「いじめて、自殺に追い込んで、その挙げ句にクズ呼ばわりまでして……信じられない。確かキャプテンだったよね? キャプテンとしていじめを先導したの? それとも部内のいじめをみすみす黙認したの? どっちにしたって最低であることには――」
 変わらないけど――矢代さんが言い切った瞬間だった。袴田くんが硬い拳でテーブルを思い切り叩いた。決して大げさな表現ではなく、この会議室が爆撃されたのではないかと思うほどの衝撃だった。僕らは反射的に身をすくめる。そして幻の爆風が収まるのを十分に待ってから、袴田くんの様子を窺う。
「悪い……カッとなった。すまない」
 謝罪の言葉を素直に受け入れられた人間は、たぶん一人もいなかった。むしろカッとなってテーブルを勢いよく殴りつけたその行為こそが、先の告発が真実であると証明する、揺るがしがたい根拠ですらあると思えてしまった。あの拳が、『佐藤勇也』さんのことを殴りつける――そんな光景が、今ではあまりにも簡単に想像できた。
『チームの和を乱すやつは大嫌いなんで、そういうやつ相手にはすぐに手が出ると思うんですけど』――初対面の日のファミレスでの台詞が残酷なタイミングで蘇ってしまったところで、
「デマだ」
 乱れた場の空気を整えるように九賀くんが力強く断言した。
「デマなんだよな、袴田」
 説得するような口調で、袴田くんに問う。袴田くんは唇を嚙んでゆっくりと言葉を咀嚼すると、やがて不自然なほどに長い間をとってから、
「……そうだ、デマだ」
 九賀くんは自分を納得させるように頷き「得体の知れない封筒を開けてしまったのは、紛れもない僕の失点だ。本当にすまなかった。みんな、今見たものは忘れよう。本人がデマだと言っているんだから、デマなんだ。責めるなら僕を責めてくれ、それでこの封筒は――」
「封筒は――」九賀くんの言葉が終わらないうちに、嶌さんが口を開いた。目を真っ赤に充血させ、不安をどうにか抑え込もうと何度も口元を手で押さえながら、「封筒は、スピラが用意するわけ……ないんだよね」
 あまり考えないようにしていたことだったが、そのとおりだった。
 スピラリンクスは確かにベンチャー的な側面の強い新進のトリッキーな企業ではあるが、だからといってここまで倫理に反するようなことをするはずがない。もし仮に鴻上さんたちが事前に袴田くんのいじめ問題を把握できていたのだとしたら、ただ彼を不採用にすればよかっただけの話なのだ。わざわざ彼を最終選考にまで残す必要も、あるいはそれを封書にして会議室に置き、議論のネタにさせるような必要も、まるでない。
 僕は目の前に置かれた『波多野祥吾さん用』の封筒に視線を落とす。
 中に、何が入っているのか。想像できないわけがなかった。『九賀蒼太さん用』の封筒の中からは、袴田くんに対する告発が出てきた。ならば僕に配付された封筒の中にも、この場にいる五人の中の誰かに対する告発が封入されているのだ。そしておそらくは、この中の誰かが持っている封筒の中に、僕に対する告発が封入されている。
 息苦しくなって封筒から顔を上げると、五人全員と目が合った。互いが、互いに疑いの眼差しを向けていた。しかし恐ろしいほどに、叫び出したくなるほどに、誰もが一律、同じように怯えた目をしていた。五人は、本当に、心からの不安に支配されている。でもたった一人だけ、ただの演技として表情を歪めている人間がいる。
 被害者のような顔をして、この会議に劇薬を持ち込んだ裏切り者が――
 、この中にいる。


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