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試し読み

近付く破滅の足音。伏線の狙撃手が放つ、青春ミステリ! 浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』試し読み③

 夜風を浴びながら数分歩くと適度に酔いも覚める。
 同じ路線で帰宅予定だった嶌さんと矢代さんと一緒に改札をくぐり、次の電車の時刻を確認するため電光表示を見上げる。終電まではまだ何本か残されていることもあり、メトロの構内は比較的空いていた。さすがに飲みすぎたのだろう、お手洗いに消えていった嶌さんの背中を見送ると矢代さんが、
「好きでしょ、衣織ちゃんのこと」
 九賀くんのトイレでの与太話と、先ほどまでの酒が中途半端に残っていたのがよかった。ほどよく鈍麻されていた頭で言葉を嚙みしめているうちにようやく意味がわかる。理解するまでにタイムラグがあった分、動揺を表に出さずに済んだ。
「そんなに態度に出てる?」
「衣織ちゃんのこと話題に出しすぎなんだよね、波多野くん。いつも横目で追ってるし。でも衣織ちゃん本人が気づいてるのかはわからないね。他のみんなは気づいてないんじゃない」
「なるほど」
「いいんじゃない。入社前から社内恋愛。気も合いそうに見えるけどね、二人」
 今日、最も酒を飲んでいたのは明らかに袴田くんだったが、次点は間違いなく矢代さんだった。袴田くんはさすがに終盤になるにつれて酒に飲まれていったが、矢代さんは十分後に面接ですと言われても何ら問題なさそうなほどに凜としている。顔色に変化もない。飲み会の最中も全員の飲み物の残量に気を配り、注文も率先してとっていた。酒の注ぎ方もどこか板についたものがあり、歴戦の猛者を思わせる。僕もこのくらい酒席で上品に立ち回りたいものだとそんなことを考えていたところで、嶌さんが戻ってきた。
 車内は混雑こそしていなかったが、空いているのは優先席だけであった。仕方なくつり革に手をかけたところで、矢代さんが三席ある優先席の真ん中に腰かけた。
「二人も座んなよ。どうせ空いてるんだし問題ない問題ない」
 堂々とした振る舞いに少々面食らいつつ、互いに伺いを立てるように嶌さんと苦笑いを浮かべ合う。別の誰かに席をとられることを危惧したのか、矢代さんは綺麗な足を滑らかな動作で組むと、空いている座席に自らの鞄を置いた。薄茶色をした本革の鞄。ブランド品にも鞄にも疎い僕であったが、HERMÉSの読み方がハーメスではなくエルメスだとわかる程度の教養はあった。実物を見たのは初めてかもしれない。
「波多野くんもそれ重いでしょ、座らないにしても席に置いちゃいなよ」
 矢代さんがそれと呼んだのは、僕が持っている大きなビジネスバッグだった。確かに尋常ではなく重かった。というのも中には僕らが今日まで活用してきたあらゆる資料がすべて詰まっていたからだ。
 果たして今後、集めた資料はどこに保管しましょうかという問題が立ち上がったのは最初の打ち合わせのときで、僕は自ら荷物係を買って出た。就活用に小さい倉庫をレンタルしてるんで、もしよかったら僕が持って帰りますよ――そう言った瞬間に一同はお金持ちですね、すごいですねと騒いだが、謙遜でも何でもなくお金持ちではなかった。おそらくガレージか廏舎のようなサイズのそれをイメージされているのだと思うが、実際はコインロッカーに毛が生えたような代物にすぎない。レンタル料は月々二千円ポッキリ。実家暮らしなのだが単純に自分の部屋が狭いため、気軽にものを置いておける場所が欲しかったのだ。生活に余裕があるから借りたのではなく、空間に余裕がないから借りざるを得なかったというだけの話だ。
 本当のお金持ちは僕ではなく、たぶん――電車の振動で優先席のエルメスが微かに揺れる。
 ビジネスバッグが重たかったのは事実だが、かといって座席の上に載せることには抵抗があった。そんなに重くないから大丈夫だよと強がったとき、僕ら三人の携帯が一斉に震えだした。三人全員が同時に受信するメールということは、誰かがメーリングリストにメッセージを流したということだろう。そんな予想はしかし、あっけなく裏切られた。
 メールの送り主は株式会社スピラリンクスで、その内容に僕ら三人は面白いほどわかりやすく、絶句した。

 【四月二十七日最終選考内容、変更のお知らせ】
 株式会社スピラリンクスの採用担当鴻上です。
 先日は、当社までお越しいただき誠にありがとうございました。この度は、四月二十七日(水)に予定しておりました、グループディスカッション(最終選考)について、選考方法を変更することになりましたのでご連絡いたします。
 先月十一日に発生いたしました東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)による被害、当社の運営状況を鑑みた結果、残念ながら今年度の採用枠は「一つ」にすべきという判断が下りました。これに伴い、当日のグループディスカッションの議題は「六人の中で誰が最も内定に相応しいか」を議論していただく、というものに変更させていただきます。そして議論の中で選出された一名に、当社としても正式に内定を出したいと考えています。
 直前のご連絡になってしまい大変申しわけございません。
 ご理解とご協力のほど何卒よろしくお願いいたします。

 言いたいことは山ほどあった。六人で協力してチームディスカッションをやって欲しい――そう言われたとき、すでに震災が発生してから二週間は経っていた。ならあの時点で、少なくとも選考方法が変わってしまう可能性を示唆しておくべきだったじゃないか。あるいは採用枠が一つになったところで、何も自分たちで誰が相応しいか選ばせるような議題を用意する必要はないじゃないか。グループディスカッションをやめて普通の面接を再度実施すればいいのだ。こんな馬鹿げた選考方法、聞いたことがない。あまりに不誠実だ。
 腑に落ちないことばかりであったが、それでもやがて反論する気持ちが究極的には消失してしまうのは、僕らが社会のことなど本質的には何も理解していないただの『就活生』であり、相手にしているのが日本で最も先鋭的でトリッキーなスピラリンクスという会社であったからだ。目に映る異常なものの数々は、すべてが大人の世界では、あるいは日本最高峰のIT企業では常識として通る、普通の話なのかもしれない。
 携帯の画面から顔をあげたとき、矢代さんはもう優先席に座ってはいなかった。まるで先ほどからずっとそうしていたような顔で、エルメスを肩にかけ、つり革を摑んでいた。僕と嶌さんはしばらく顔を見合わせ、そこにいるのがすでに仲間でも味方でもない、ただの敵であることを認識し、それでもそんな事実をまだ受け入れきれないといった様子で苦笑いを浮かべた。
「参ったね」と僕がこぼすと、
「参ったね」と嶌さんも頷く。
「私、ここだから、じゃあ」と、あまりに素っ気なく矢代さんは電車を降り、僕らはそんな彼女の背中を、呆然と見送るしかなかった。
 この『呆然』は、そこから実に四日ほど続いた。落ち込んでいた、あるいは怒っていたというわかりやすい表現がもうひとつ自分の中でしっくりこないのは、とにかくそれが初めて経験する種類の感情であったからだ。強引にコンセントを引き抜かれたようにすべてが唐突に終わりを迎え、手元には行き場を失った言いようのない熱量だけが残っている。あの日々は、僕らが積み上げていたものは、いったい何だったのだろう。
 傍から見ても僕は随分と腑抜けていたのだろう。母親と妹にそれぞれまったく異なったタイミングで「就活は終わったのか」と尋ねられた。いやいやとんでもない、まだまだこれから――そんなふうに答えながら、しかし胸に穿たれた大穴のような喪失感は偽れなかった。
 そんな僕の呆然が図らずも終焉を迎えたのは、四月の二十一日の木曜日だった。
 あそこは地味だけど、地力のあるいい会社だよ――そんなふうに父が太鼓判を押していたとある中堅の化学繊維系の会社から、僕はありがたいことに内々定をもらうことができていた。つきましては内定承諾書にサインをしていただきたいのでご来社ください。久しぶりにリクルートスーツに袖を通し、電車に乗り込んだ。
 上石神井の駅で降り、新しくはないがよく手入れのされている清潔な三階建ての社屋に足を踏み入れる。いかにも人のよさそうな五十手前と思われる人事担当者に笑顔で迎え入れられ、中学の多目的室のような匂いのする会議室で、内定承諾書と対面する。
「おそらく弊社の他にもいくつかの選考に臨まれていると思います。ただ弊社としては、ぜひとも波多野さんに入社していただきたいと考えておりますので、承諾書にサインをしていただけたら、ですね。他社さんの選考は辞退していただく形でお願いしたいと考えております」
 内定承諾書にサインをした後に内定を辞退してもいいのか否か――というのは、就活生の間で度々議論の対象となる話題のひとつであった結論から言うと法律的には辞退しても問題ないというのが大勢の意見で、僕自身もとりあえずここはサインだけしておこうと考えていた。サラリーマンとしてはそれなりに優秀であるはずの父も認めている企業だし、滑り止めには十分に違いない。
 しかしペンを握ったその瞬間だった。この会社に入り、毎日この社屋に通い続ける自分の姿の欠片がイメージできた。同時に、爆発的に様々な思いが脳裏に去来した。
 本当に行きたい企業はどこだったのか。もちろんそれは、ここではない。スピラリンクスじゃないか。そしてスピラリンクスの選考は今どうなっているのか。まだ落ちてなどいないのだ。六人で入社できないなら意味がない――そんな馬鹿げた執着を抱いていたのはいつからだったのか。まだ何も終わってなどいないじゃないか。そして行きたい企業が別にあるのだとしたら、わずかでもこの会社に迷惑をかける可能性があるとするならば、いくらそれが法律的に正しかろうとも、道義的に正しい人間であることを優先すべきだろう。
 気づいたとき僕はペンを机の上に置き、
「辞退させてください」
 僕は再び就活生となり、翌日、また別の会社に内定辞退の連絡を入れた。

 スピラリンクス最終選考のグループディスカッション前日、袴田くんからメーリングリストでメッセージが届いた。
「久しぶり(というほどでもないけど)。どうせなら、みんなで渋谷駅に集合して一緒にスピラに行きませんか?」
 断る理由はなかった。
 玉川改札を出ると、すでに四人の姿があった。森久保くんは他社の選考の関係で先乗りすると言っていたそうで、僕が集合場所に現れた最後の一人だったようだ。
「まさかこんなことになるとはね」と僕が今さらなことを言うと袴田くんも笑い、
「本当だよ。でも、ま、きっちりディスカッションしようや。内定を譲るつもりはまったくないけどな」
「正々堂々やろう」と九賀くんがやっぱりはっとするほど端整な顔で頷いた。「『フェア』にやって、誰が勝っても恨みっこなしでいこう。僕も内定を譲るつもりはないけどね」
 僕はしっかり頷いてから、小さく笑い、
「前から言おうと思ってたけど、九賀くん、『フェア』って言葉好きだよね」
「……そう? そんなに使ってる?」
 嶌さんと袴田くんが「しょっちゅう」と言って笑う。
「でも本当にいい言葉だと思うよ。こんなことになっちゃったけど、『フェア』にやろう」
 僕の言葉にまたみんなが頷く。矢代さんだけがどうしてだか輪から少し外れたところに立っており、気分でも悪いのか険しい表情で携帯をいじっていた。初めて見る顔だったが、それも仕方あるまい。随分とイレギュラーな事態が続いた。心の整理ができていないのだろう。
 五人でエレベーターに乗り、受付で入館証を受け取る。現れた人事の鴻上さんは選考内容の変更を誠実な態度で詫びてから、今日はよろしくお願いしますと僕らの目をまっすぐに見つめながら言った。そんな鴻上さんの姿と洗練されたオフィスの佇まいにもう一度、僕は強い入社意欲を確認する。
「これで会うのが最後にならないよう、精一杯頑張りたいと思います」と口にしたのは嶌さんで、僕も負けじと鴻上さんに何かを伝えなければいけない気持ちになる。一度下を向いて頭を整理し、しかしすぐに、今鴻上さんに何をアピールしても選考結果には直接関係がないことに気づく。短い逡巡の末に僕が選んだ言葉はとてもシンプルな本心で、
「負けるつもりはないです。でも――誰が選ばれても、きっと正解だと思います」

(つづく)


書影

浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
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浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000377/


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