大好評の「小説 野性時代」新年号から、新人ノンフィクション作家4名の作品を随時ご紹介。本日は、日本テレビで皇室番組などのプロデューサーを務める、斉藤弘江さん、「平成は鈍色の空からはじまった」です。
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平成は鈍色の空からはじまった――斉藤 弘江
生前退位の意向によって、突然訪れた「平成の終わり」のはじまり。
私は〝おことば〟のある部分に引っ掛かりを抱き――。
鈍色
平安時代から見られる色名で、墨色の淡いものからかなり濃いものまで、近しい人に不幸があったとき、喪に服する気持ちをこめて着用した色である。
『日本の色辞典』より
それはある日突然に、駆け足でやってきた。平成二十八年七月十三日、その一報をNHKの夜七時のニュースで知ることになった。
会社のデスクのパソコンを閉じて、帰り支度をしているところだった。上司たちと暑気払いもかねて久々に焼き鳥を食べに行こうとしていた平和な夜は、そのテレビニュースにより一瞬にしてカオスと化した。
「天皇陛下が天皇の位を生前に皇太子に譲る〝生前退位〟の意向を宮内庁関係者に示されていることが分かりました」
モニターには「生前退位」というテロップが映し出され、担当記者が淡々と解説をはじめている。日本テレビで皇室の番組を担当する私にとって、その衝撃は計り知れないものだった。緊急速報というより、周到な準備のもとに報じていることを理解し、頭が真っ白になった。
だが、スクープの衝撃というより、常識だと思っていたことを覆されたことのショックのほうが大きかった。
天皇は崩御しないと新たな天皇は誕生しない。
〝平成の終わり〟も天皇の崩御と共に訪れるものだと思っていた。皇室典範にも、憲法にも〝生前退位〟という文字はどこにも記されていない。いったいなぜ、存命中に天皇の位を譲る必要があるのか。私の頭の中はぐるぐると自問自答を続けていた。荷物を持ったまま茫然とテレビ画面を見つめていたとき、上司からの電話が鳴った。
「NHK観てる? これ、どういうこと?」
「どういうことなんでしょう……」
あまりにも間抜けな応えしかできなかった。宮内庁記者他、取材部が一斉に情報収集、裏取りに走った。記者ではないが、私も周辺情報の収集に急いだ。元宮内庁関係者、皇室ジャーナリスト、皇室に詳しい学者など、考え得る人たちに片っ端から電話をした。
「〈生前退位〉のご意向という報道は事実なのでしょうか? 何かご存じのことは?」
皆一様に驚く反応ばかりだった。なかには、いくらかけてもつながらない、あえて携帯の電源を落としているとしか思えない元宮内庁幹部もいた。
翌日、宮内庁長官は「天皇陛下が生前退位の意向を宮内庁関係者に示された事実はない」と、その報道を否定した。
しかし、「天皇陛下〝生前退位〟のご意向」の真意は、それからおよそ一か月後の八月八日、天皇自らが国民に明かされる異例の事態となった。
『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば』と題した天皇のお気持ちは、ビデオメッセージのかたちで全国、世界に一斉に伝えられた。日本テレビでも八月八日午後二時五十五分から緊急報道特番として報じた。
陛下はたった一人で静かに座っていた。手元の原稿を整え、ゆっくりと一礼し、厳粛な面持ちで語り始めた。
戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。〈中略〉
国民に語りかけた異例のビデオメッセージはおよそ十一分に及んだ。お言葉の趣旨はこれまで、象徴として望ましい在り方を模索してきたこと、しかし、高齢により全身全霊でその務めを果たすことが難しくなってきた、というものだった。
八十歳を越えた年齢からも、この内容は私にも理解し得るものではあった。だが、後半のくだりから理解が追い付かなくなっていた。
〈中略〉天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
もっとも気になったのはこの一文だった。
「天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、一年間続きます」
重い殯の行事とは、いったい何を意味しているのか。『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば』として国民に伝えるにあたり、なぜ、天皇の終焉や、葬儀の苦労についてまであえて触れられたのか。
天皇の葬儀に関しては、数年前にこれまでの土葬から火葬に変えることを宮内庁が発表していた。関係があるのか否か……さっぱり私の理解は及ばないままだった。
そして、「その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」というこの言葉は、象徴天皇としてではなく、パーソナルなことを述べられている。「天皇も一人の人間である」ことを強く感じさせた。
そして、婉曲的な表現に陛下の歯がゆい思いが滲み出ているようであった。
天皇の崩御と同時に新たな時代がはじまることへの、強い危機感を訴えているかのように私には思えた。このことが重要なのか否かもよく理解できぬまま、ぬぐえない違和感を残して、特番の放送は終わってしまった。
この日、日本テレビのニュース番組に皇室の歴史に詳しい所功氏が解説者として出演した。放送を終えた後、所氏が帰り際に呟いた言葉が重く心に残った。
「まさかご自身で〈天皇の終焉〉の前後のことまで具体的にお話しになるとは……。〈親の心、子知らず〉でした」
所氏は、天皇を国の親にたとえ、今の陛下に〝生前退位〟のお気持ちがあることをあらかじめ読み取ることができなかったこと、そして、想像だにしていなかった展開に肩を落としているようだった。
歴史的にみれば、天皇の生前退位がなかったわけではない。百二十四代の天皇のうち五十八人は生前に天皇の位を譲っている。だがその最後は、二百年も前のことだ。半世紀あまりを皇室の歴史の研究に費やしてきた学者の「親の心、子知らず」の言葉に、この事態がいかに突飛なことであるかを痛感させられた。
この時、世の中で、退位の是非、象徴天皇の在り方について論じられることはあった。だが、「重い殯」について踏み込んだ言及はなかったように思う。
突然に訪れた「平成の終わり」へのはじまり。
陛下があえて触れられた「天皇の終焉に当たって」の「重い殯」とはいったいどのようなものなのか。「昭和の終わり」にはいったい何があったのか。
その当時、私はまだ中学生で、多少なりとも記憶はあっても、昭和の終わりについて十全な理解があったとは到底言い難い。皇室番組を担当する立場としてはそのことに、強い焦りを感じた。
〝生前退位〟による新しい時代の幕開けはどのような意味を持つのか。まずは、改めて昭和の終わりを辿ることで、その一端を知りたいと思った。
(このつづきは「小説 野性時代」2019年1月号でお楽しみください)
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斉藤 弘江(さいとう・ひろえ)
栃木県生まれ。2003年日本テレビ入社。「報道特捜プロジェクト」「NNNドキュメント」などの番組ディレクターを経て、12年より「皇室日記」他、皇室の特別番組などのプロデューサーをつとめる。
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