大好評の「小説 野性時代」新年号から、新人ノンフィクション作家4名の作品を随時ご紹介。本日は、将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞を受賞するなど、棋界注目の書き手・北野新太さんの「最終局」です。
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最終局――北野 新太
棋界八大タイトルのひとつ、王座戦は最終第五局を迎えた。後のない真剣勝負で、二人の若きトップ棋士が見た景色とは――。
〔王座〕
静かな夜だった。
平成三十年十月二十九日。僕は第六十六期王座戦五番勝負最終局の前夜を迎えていた。
挑戦者・斎藤慎太郎七段との決戦である。
台風が接近する中で戦った九月四日の開幕局から不思議と雨に降られ続けたシリーズだった。最後は穏やかな一日の中で戦うことが出来そうだな、と思った。舞台となる甲府市内の旅館「常磐ホテル」最上階の洋室で一人、眠りに就く前に考えていた。
初防衛を目指すシリーズは第一局、第二局と連敗してカド番に追い込まれた。なんとか第三局、第四局と取り返して星を並べ、決着は最終局に持ち込まれた。最後に勝つか負けるか。過去の四局など、もう関係ない。
新しく考えるべきことなど何もない。斎藤七段のこと、斎藤七段の将棋のことは彼が挑戦者に決まった七月二十七日から今まで、ずっと考えてきた。あらゆる研究をした。考えられるだけの想定は全てした。
でも、準備に完璧はない。翌日の将棋で想定される序盤戦のある局面で、自分がどんな一手を指すべきかを、もう一度確認した。
そして直近に行われた公式戦の棋譜を調べておかなくてはならない。誰かが指した戦型、戦法、構想、新手の成否はどうか、有力だったかどうか、どのような対応を取ればいいのか。
逆に、自分が用意している作戦に対し、既に何らかの対抗策が成立してしまっていないかどうか。一通り確認しておかないと、実戦でいきなり出現した局面には対応が難しくなってしまうケースもある。
現代将棋は、少なくとも僕の場合は、そのような研究を続けることによって初めて勝負の場に臨むことが出来る。棋譜を見る作業を一日怠っただけで、何らかの結論が出されていることに気付かなかったりするものだ。
もはや研究と言えるようなものでもない。心を落ち着かせるための儀式のようなものだ。
二十三時頃には眠れたと思う。もうタイトル戦も四度目になった。独特の緊張感、経過する時間のリズムに慣れた部分もあるのかもしれない。
夜、将棋を指している夢を見ることはもちろんある。持ち時間が無くなり、一分以内に次の手を指さなくちゃいけない「一分将棋」に突入して、記録係が「五十秒、一、二、三、四……」とギリギリまで秒読みをする中でハッと目が覚めることもある。でも、不思議と今回の五番勝負に入ってから将棋の夢は見なかった。斎藤七段と指している夢も見ていない。
朝、予定通り七時に目覚めた。
思った通り、澄み渡るような青空が広がっていた。コンディションは万全だった。
七時に起きられるように目覚まし時計を二つ掛けていた。七時半には宿の人が朝食を運んで来てくれるから寝坊してしまう心配はなかったのだけれど。
目が覚めてしまえば、もう過去の将棋のことを考えたりすることはない。新しい勝負へと向かう真っ新な気持ちしかない。朝食を摂り、自分で和服の着付けをして、少し間を置いてから部屋を出た。対局室「九重の間」に入ったのは八時四十三分。対局開始十七分前だった。
斎藤七段の姿はまだなかった。十二畳半の空間に二十人くらいの報道の人や関係者が犇めいている。僕は上座に座り、身支度を整えた。いつもと変わりなく、腕時計を将棋盤の前に置いた。
信玄袋に用意している扇子は僕自身が「木鶏」と揮毫したものだ。以前から用いている好きな言葉で、戦いにおいて木彫りの鶏のように何ものにも動じないことを意味する中国の故事である。一九三九年に横綱・双葉山の記録が六十九連勝で止まった時に「未だ木鶏たり得ず」と語ったことで知られるようになったらしい。
対局室の室温は少しだけ冷たく感じた。夏の終わりに始まったシリーズも、今はもう冬の気配の中にある。
沈黙の中で過ごす十七分間は長い。一度、全てを忘れ去って、心を澄ませた。
全く覚えていないが、僕は天井の片隅に零れている蛍光灯の光を見つめていたらしい。後で記者の人から聞いた。
彼は「神に祈りを捧げているようにも見えた」とも言っていたけれど、当然ながら祈っていたわけではない。
棋士は祈らない。将棋に運は存在しないからだ。盤上に風は吹かないし、雨も降らないし、採点も判定もない。一見するだけでは小さな、しかし広大な盤上で頼れるのは自分の力だけなのだ。正解が分からないまま指した手が思わぬ効果をもたらした時に「指運が良い」と言ったりもするが、自らの感覚を頼りに選んだ指し手なのだから、結局は実力である。
棋士は何にも頼らずに戦う。孤独は棋士の宿命であり、魅力でもある。
斎藤七段が入室し、盤の向こう側に座った。少し間を置いて互いに一礼をする。タイトルホルダーである僕が盤上中央に置かれた駒箱に手を伸ばす。駒袋の封を解き、盤上に全ての駒を出す。
駒の山から王将を選り出し、自陣最下段中央に据える。相手と交互に、左から右の順に金、金、銀、銀、桂、桂、香、香、角、飛、そして九枚の歩を並べていく。子供の頃から同じ動作を何万回繰り返してきたか分からない。でも、並び終えた初型の駒の配置を見ると、いつも澄んだ気持ちになる。
そして振り駒を迎えた。将棋に運は存在しないと語ったばかりだが、将棋を指す前に唯一、運の要素が加わることがある。対局によって、先手・後手を決める振り駒を行うからだ。
タイトル戦では必ず第一局に振り駒を行い、先手か後手かを決める。先手を引けば、その後の偶数局は後手に、奇数局は先手になる。そして最終局まで勝負が持ち込まれた場合、もう一度振り駒を行って先後を決めるのが慣例になっている。
記録係が五枚の歩を両手で包み、サイコロのように畳に振り、表の「歩」が三枚以上出たら、上座が先手番で、裏の「と金」が三枚以上なら、下座が先手番になる。
もちろん先手番は欲しい。棋士それぞれの棋風、つまり将棋のスタイルにもよるが、僕は攻め込んで主導権を握るタイプでもあり、一手先に相手玉に迫ることの出来るアドバンテージは確実にある。実際に近年のタイトル戦では先手番勝率が著しく上がっている。
でも、後手番でも正確に指せば問題はない、という思いもある。正確に指すハードルが少し高くなるだけだ。だから、あまり振り駒の結果を強く受け止めることはない。
記録係が振った五枚の歩は、畳の上に敷いた絹布に散った。シャッター音が重なる。
歩が二枚、と金が三枚だった。
斎藤七段の初手は飛車の前にある歩を前進させる▲2六歩。僕も同様に△8四歩と応じた。
居飛車党で棋風も似ている僕らの将棋は、過去の類型を辿ることから始まる。通い慣れた道だが、一手ずつ繊細な注意が必要であることに変わりはない。
記者やカメラマン、関係者の方々が退室すると、対局室は無音になった。
窓に下りた簾の合間から朝の光が柔らかく漏れ差している。広大な庭園からは雀や椋鳥の声が聞こえる。
視線を盤上へと向ける。
勝負が始まったのである。
〔挑戦者〕
前の夜に深く考えることもある。
でも、最終局を前にして考えてしまうと果てしなく考え続けてしまいそうだ、と思った。
いや、もちろん翌日指される将棋のイメージは常に頭の中にあった。私の手番はどちらになるのだろうか。先手になった場合、後手になった場合、どのように指していこうか。最終的な結論は考えてある。
五番勝負が開幕してから、中村太地王座と指した四局は深い事前研究が試される将棋ばかりだった。最終局も序盤の精度が勝負を分けるだろうと思った。そして勝負所を迎えた時、引くに引けないような、走り出したら止めることの出来ないような将棋になっていくだろう、とも。
私が甲府市に入ったのは前々日だった。通常、対局者を含めた関係者一行がタイトル戦の現地に入るのは前日と決まっているので、珍しいケースかもしれない。
私の住む大阪から甲府へのアクセスは難しい。東京駅を経由すると新大阪駅から東京駅まで新幹線、東京駅から新宿駅まで在来線、新宿駅から甲府駅までは特急と乗り継いで、四時間以上も掛かってしまう。
スケジュールにも余裕があったので、今回は一日早く入ることにした。新大阪から名古屋、塩尻を経て甲府へ。経験のないルートを通って、ちょっとした気分転換にもなった。
宿に到着し、ゆっくり温泉に浸かった。連戦で少し疲労が溜まっていたので良い休息になった。
翌朝、中村王座や東京からの皆さんが到着するまで甲府市内を歩いて回った。私は散歩するのがとても好きで、歴史的建造物を眺めながら歩いたりしていると心が落ち着くのだ。甲府駅までてくてく歩いて、駅前に建つ武田信玄像を眺めたりした。二時間くらいは歩いたかもしれない。
それから、ホテルで関係者の皆さんと合流して対局場検分に臨んだ。
検分はタイトル戦ならではの慣例行事である。実際の対局室の座布団に座り、使用する将棋盤や駒はどのようなものか、明るさや室温が適しているか、などをチェックする。中村王座と実際の盤を挟んだが、いつも通りの和やかな空気のまま、すぐに終わった。
関係者との夕食を終え、自室に戻る。
泣いても笑っても明日が最後なんだな、という昂ぶる思いとは裏腹に、体が心地良い疲れに包まれていたせいか、二十二時半には眠りに落ちていた。
普段は二十三時くらいなので、少し早く眠れたのは散歩のおかげだろう。
目覚めたのは六時だった。頭が冴えた状態で勝負に臨めるよう、普段から対局開始の三時間前に起床している。風呂に入って七時には戻り、朝食の後、和服の着付けをしていただいていたら、八時二十分くらいになっていた。
それからの二十分間は、勝負に向けて静かに集中力を高めた。
対局室には熱くなりすぎることもなく自然な心境で入れた。もちろん、最後の一局なのだ、という思いはあった。ここ一番で結果を出せる棋士に、勝負強さを発揮できるようにと思ったが、一方で自分らしさを盤上に表現できたらな、とも思った。どこか落ち着いていた。
勝負の前に震えるようなことはマイナスにしかならないと分かるくらいの経験は、私も重ねて来たのかもしれない。どのような勝負になろうと、自信を失い、自分を悲観しながら一手を指すようなことだけはないようにと心に決めていた。
もちろん先手番は欲しいと思っていた。現代将棋では、ある一手を理解していなかったり、一手のミスを犯すと致命傷を負う。しかし先手番ならば、どこか一手の猶予があるようにも感じられるのだ。
振り駒の結果は「と金」が三枚だった。
勝負が始まった。
根拠のない自信を持っていた。
根拠のない自信を持っていないと戦えなかった。
(このつづきは「小説 野性時代」2019年1月号でお楽しみください)
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北野 新太(きたの・あらた)
1980年石川県生まれ。2002年報知新聞社入社。14年に将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞を受賞。
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