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レビュー

【解説】ジャンル横断的なプロットから生まれる興奮や驚き――『闇の聖域』佐々木 譲【文庫巻末解説:朝宮運河】

佐々木 譲『闇の聖域』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



佐々木譲『闇の聖域』文庫巻末解説

解説
あさみや うん(書評家)

 本書は二〇二二年十一月に単行本が刊行された、じようの長編『闇の聖域』の文庫版である。単行本の帯には「圧巻のサスペンス×ロマンス長篇」と銘打たれていたが、いつもの佐々木作品、つまり綿密な取材をもとに執筆された警察小説や冒険小説と思って手にした読者は、少々面食らったかもしれない。サスペンスでありロマンスであることは確かなのだが、実は帯には記されていないもうひとつのジャンルが掛け合わされており、読者を予想もしない景色に誘うからだ。
 その意外性も含めて本書の面白さなので、この解説でも明言はしないでおく(それでも先入観なく本書を楽しみたい人は、解説に目を通すのは後回しにしてほしい)。ただし普段ホラーや怪奇幻想小説を専門としている書評家の私が、本書の解説役を仰せつかったという事実から、おぼろげに推測ができるかもしれない。つまりはタイプの小説なのである。といっても史実を背景にした重厚にして起伏に富んだドラマや、厚みと味わいのあるキャラクター造型など、佐々木作品の魅力は健在なので、従来のファンも安心して手を伸ばしていただきたい。

 物語の舞台は昭和五年(一九三〇年)のまんしゆうだいれん。大連は中国大陸のりようとう半島南端に位置する都市で、日露戦争後、ロシアから租借権を譲り受けた日本が関東都督府と南満洲鉄道の本社を置き、大きく発展させた。終戦まで日本人が多く住んでいたこの港町に、元警視庁の刑事・かわむらしゆうへいが日本から渡ってくる。
 修平が大連警察刑事課で働き出して早々、大連駅の操車場近くで他殺死体が発見された。被害者は市内で写真館を営む男・あかまつせいぞう。赤松のけいどうみやくは、無残にも大きく切り裂かれていた。上司のたかやすとともに捜査を開始した修平は、赤松写真館で裸の女性たちを撮影したいかがわしい写真を発見する。
 一方、家族とともに大連で暮らすなかむらは、路面電車の中で親切なロシア人青年に声をかけられる。契約している画廊に水彩画を売って収入を得ている小夜は、写生のために訪れた植物園で、ロシア人青年に再会。大連に来たばかりだという彼を〈とう奨学会〉という団体の入ったビルまで案内する。
 物語は殺人事件の捜査に尽力する修平のパートと、ルカと名乗るロシア人青年にこころかれていく小夜のパートが並行して進行する。関係者への聞き込みを続ける修平は、外国らしい港町を背景に三人の男たちが並んだ、一枚の写真に注目する。そのうちの一人は、修平が警視庁時代、唯一解決できなかった殺人事件の被害者に似ていた。
 やがて第二の殺人が発生。被害者は日本に向けて留学生をあつせんする組織の職員で、いのうえという男だった。井上にはもう一つ、裏の顔があることが判明し、関東軍の憲兵が捜査に横やりを入れてくる。
 小夜を悩ませているのは、身体の筋肉が少しずつ動かなくなる原因不明の病気だ。作中では書かれていないが、彼女の病気はおそらく難病のきんしゆく性側索硬化症(ALS)なのだろう。絵筆を握れなくなるかもしれないという不安を、ルカと過ごす時間だけが忘れさせてくれる。
 大連警察の面々が関東軍による妨害をかわしながら、殺人犯の足取りを追う捜査の過程には、著者が得意とする警察小説の面白さがあふれる。やがて現場で目撃された〈黒いがいとうの男〉の姿が見えてくるが、それと並行して作品全体に言いようのない緊迫感が漂い始める。というのも小夜とルカのはかないロマンスは、ある部分で修平が追う殺人事件とつながっているからだ。
 物語の展開やトーンを決定づけているのは、昭和五年の大連という舞台装置である。ヨーロッパ風の街並みが広がる大連は、物語に異国情緒を添えるだけではなく、絵を売って暮らすという小夜のライフスタイルを可能にしているし、日本人よりも早くこの町で暮らしていた中国人やロシア人の存在は、展開上重要な役割を担う。井上殺害の捜査に関東軍が関わってくる流れも、張作霖爆殺事件によって中国全土で日本への反発が強まっていた時代を反映したものだ。著者は二〇二〇年刊行の短編集『図書館の子』所収の二編(「追奏ホテル」「傷心列車」)でも、複雑な歴史を持つこの町を舞台にしていたが、本書でも“準主役”といっていいくらいの存在感を示している。

 解説であらすじを紹介できるのは、ぎりぎりこのあたりまでだろう。写真の男たちはなぜ殺されていくのか。被害者の頸動脈をき切った凶器は何だったのか。現場で犬が死んでいた理由とは。クライマックスではこれらの謎にすべて答えが提示される。
 ただしそれは通常の捜査や推理ではたどり着くことができない、いわば闇の領域に属する真相だ。本書はリアリティを重視した警察小説として幕を開け、サスペンスやロマンスの要素を織り交ぜながら、最終的には非日常の世界へと突き抜けていく。ジャンル横断的なプロットから生まれる興奮や驚きこそ、著者が狙ったものだろう。
 一見異色とも思える試みだが、近年の佐々木作品に親しんでいる人ならば、それほど意外には感じないはずである。二〇一九年に刊行された『抵抗都市』とそれに連なる『帝国の弔砲』(二一年)、『偽装同盟』(同)において、著者は“日本が日露戦争に敗れた世界”というifの歴史を描き、SFと歴史小説の接近を試みた。また先述の『図書館の子』もタイムトラベルというアイデアを用いた短編集だった。
 重厚でリアルな手触りの警察小説・歴史小説に、SFやファンタジーの要素を加えることで、従来と違った角度から人間の営みに光を当てる。著者が近年取り組んでいるのはそうした物語であり、『闇の聖域』も間違いなくその流れに属している。
 さかのぼるなら、著者は一九八〇年代から折に触れてホラー系の作品を手がけてきた。一九八四年刊行の『死の色の封印』は札幌郊外の古い洋館を舞台にした本格的な幽霊屋敷小説だったし、九八年には『きばのある時間』という人狼伝説を扱ったホラーを発表している。幽霊屋敷や人狼と並んで海外ホラーの定番モチーフを取り上げた本書は、佐々木ホラーをひそかに愛好してきた読者には“待ちに待った”作品ともいえる。
 こうした著者のホラー志向に影響を与えたと思われるのが、スティーヴン・キングの存在だ。ホラーの帝王と称されるキングの作品は、超能力や幽霊などが登場する超自然ホラーであると同時に、アメリカ社会の現実をリアルに反映した現代小説でもある。たとえば『キャリー』(七四年)では超能力少女の悲哀がスクールカーストや宗教二世問題と絡めて描かれ、『シャイニング』(七七年)では幽霊ホテルを舞台に家族の危機が描かれた。血も凍るようなキング作品の底には、広範な読者に訴えかける普遍的なテーマが横たわっているのだ。
 キングの活躍は日本作家にも大きな影響を及ぼし、いけみやみゆき、などがキングをほう彿ふつとさせる作品を手がけている。佐々木譲もキングファンを公言している一人で、宮部みゆきとの対談では九四年に発表した『勇士は還らず』がキングの『IT』を下敷きにしていると明かしていた。
 なるほど言われてみると、王道かつ豊かな物語性といい、滋味深いキャラクター造型といい、佐々木作品の魅力のいくつかはキングの世界を連想させる。生まれ育った土地(佐々木譲は北海道、キングはメイン州)の歴史や風土に目を注ぎ、それを巧みに作品に取り入れるあたりも、両者に共通する特徴だろう。『闇の聖域』がホラーに接近する物語となったのも、キングの存在を考えに入れるなら不思議ではないのだ。
 キングは近年ミステリにも接近し、犯罪捜査をリアルに描いた物語が、途中から超自然ホラーにシフトチェンジする『アウトサイダー』(二〇一八年)という快作を放っている。佐々木譲が『闇の聖域』で狙ったのは、この『アウトサイダー』のような味わいなのではないか、とも思っているのだが、いかがなものだろうか。興味のある方は本書と『アウトサイダー』を読み比べてみていただきたい。
『闇の聖域』の結末近く、修平は自分には到達できない、人知を超えた世界があることを知る。しかし彼はそこに深入りすることなく、こちら側の世界に踏みとどまった。その節度ある姿には、あくまで現実的な悪を追うことを職分とする警察官のきようがにじむが、一方で一連の事件の中心にあるのは、目を背けたくなるような人間の醜悪さだ。人と人ならざるもの、本当に恐ろしいのはどちらなのか。本書が投げかける問いは、一九三〇年代の満洲を通過して、二〇二〇年代の日本にまで到達している。
 著者の語るところによると、現在の佐々木譲はバージョン5・0なのだという。1・0はデビュー間もない時期に書かれていた青春小説、2・0がハードボイルドや冒険小説、3・0が歴史小説、4・0が警察小説。そして5・0となった現在ではSFやファンタジーの手法を野心的に取り入れて、さらに作風を広げている。
 これは見方によっては、キング風エンターテインメントへの接近をあらためて宣言したものともいえそうだ。思えばキングも、ケネディ暗殺事件を時間旅行者を主人公に描いた『11/22/63』(二〇一一年)など、アメリカの歴史にがっぷり組み合った作品も執筆している。現在の佐々木譲が目指しているのは、こうした娯楽性と鋭さを共存させた作品なのかもしれない。
 ホラー小説が盛り上がりを見せるなか、このジャンルの先駆者の一人であり、キング作品のこよなき理解者でもある佐々木譲は、今後どのような物語を紡いでいくのか。新たな境地を拓き続ける著者の歩みにかつもくしていきたい。

作品紹介



書 名: 闇の聖域
著 者:佐々木譲
発売日:2025年11月25日

開戦前夜の満洲で起きた不審な連続殺人を追う、圧巻の警察サスペンス!
大連駅近くの空き地で男性の遺体が見つかった。遺体の頸動脈には凶器不明の不審な裂傷が残っていた。東京から大連警察署に赴任してきた河村修平は、赴任前に見た遺体と傷痕が似ていることに気付く。一方、大連で画家として暮らす中村小夜は、ある日、謎めいた青年ルカと出会う。穏やかで紳士的な彼に次第に惹かれていくが、やがて警察が殺人事件の容疑者としてルカを追っていると知り――。開戦前夜の満洲が舞台の、圧巻の警察サスペンス。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322502000846/
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