『神都の証人』(講談社)で第16回山田風太郎賞を受賞した作家・大門剛明さん。
本記事では受賞を記念して、千街晶之さんによるブックレビューをお届けします。
冤罪を書く作家・大門剛明 ブックレビュー
評者:千街晶之
『神都の証人』(講談社)
第16回山田風太郎賞を受賞した大門剛明の『神都の証人』(講談社)は、著者にとって集大成的な大作である。
物語の主な舞台となるのは、著者の出身地である三重県伊勢市(かつては宇治山田市)。戦時中の昭和18年、民衆の人権を守るため検察を辞めて弁護士になった吾妻太一は、8歳の少女・波子と知り合ったのを機に、彼女の父で死刑囚である谷口喜介の冤罪を晴らすべく、事件の再調査に取りかかる。谷口を救うには再審請求に持ち込まなければならないが、それは困難極まる道であった。
この第一部から始まって、物語は戦中、昭和中期、昭和後期、平成中期という4つの時代を縦断する大河小説の趣を呈する。作中では歳月が流れ、主人公も交替し、その時代ごとの壁が彼らの前に立ちはだかる(例えば、昭和18年ならば人権を掲げる弁護士など戦時下には無用……という時勢、現代ならば事件関係者の高齢化、といった具合に)。だが、そのあいだに多くの人々の縁が生まれ、時を超えて吾妻の志は受け継がれてゆく。
▼作品詳細(講談社オフィシャルサイト)
https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000410062
『雪冤』(角川文庫)
山田風太郎賞受賞時の記者会見で「デビュー作からずっと冤罪というものにこだわりがあった。それを最高の形で昇華させたいという思いがあり、長い時間をかけて完成させられた」と語っていたように、著者は冤罪というテーマを絶えず描き続けてきた作家である。2009年、第29回横溝正史ミステリ大賞の大賞とテレビ東京賞をダブル受賞したデビュー作『雪冤』(角川文庫)からして、タイトルから窺えるように冤罪を扱っていた。
15年前、京都で男子学生とスーパー勤務の若い女性が殺害され、八木沼慎一という男が逮捕された。慎一の父で元弁護士の八木沼悦史は、死刑囚になった息子の無実を信じて活動を続けていた。一方、被害者女性の妹・沢井菜摘のもとに、15年前の犯人は自分だという電話がかかってくる。電話の主(後にメロスと名乗る)は、現場から消えたものが何かを知っていた……菜摘と警察しか知らない筈の事実を。
ここから物語は、驚くべき方向に展開してゆく。自分が犯人だと主張しながら正体を明かそうとはしないメロスの目的は何か。それぞれの立場でメロスと戦う悦史と菜摘は、やがて悲痛な真実を知ることになる。2009年の小説(文庫化は2011年)なので作中の法制度は現在と異なる部分があるが、死刑の是非をめぐる考察は今でも通用するものだ。
この『雪冤』を出発点として、著者は冤罪をテーマとする作品を次々と発表してゆく。だが、そう聞けばひとつの疑問が湧いてこないだろうか――このテーマばかりだと、冤罪が証明されて終わりになる筈だから、ワンパターンに陥らないのだろうか、と。
ところが、同じテーマを扱っても毎回見せ方が異なる点に著者の凄みがあるのだ。
▼作品詳細(KADOKAWAオフィシャルサイト)
https://www.kadokawa.co.jp/product/201101000513/
『テミスの求刑』(中公文庫)
例えば『テミスの求刑』(中公文庫)は、弁護士サイドが主人公になることが多い冤罪ミステリとしては珍しい、検察サイドの視点で繰り広げられる物語だ。主人公の平川星利菜は、警察官だった父を殺害されたという過去を持つ検察事務官。逮捕された沢登という男を自白させたのは、現在の彼女の上司・田島検事である。ところがある日、星利菜の前に弁護士の黒宮が現れ、沢登が冤罪である可能性を示唆する。やがて黒宮が殺害され、現場付近の監視カメラには田島の姿が映っていた。
罪を糾弾する側の検察官に殺人の嫌疑がかけられるという、あってはならない非常事態である。姿を消した田島が捕まるくらいなら死んでいてほしい……という空気が検察組織を覆う中、星利菜は田島が冤罪である可能性と、これまで父の仇だと思っていた沢登が冤罪である可能性とを追うことになる。クライマックスの法廷シーンは、著者の作品でも屈指のドラマティックさだ。なおこの作品には、『ボーダー』(中公文庫)などの「負け弁・深町代言シリーズ」の主人公・深町代言弁護士もゲスト的に登場する。
▼作品詳細(中央公論新社オフィシャルサイト)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2017/08/206441.html
『両刃の斧』(中公文庫)
弁護士でもなく検察官でもなく、警察官の視点で冤罪を描いたのが『両刃の斧』(中公文庫)である。捜査一課の刑事・柴崎佐千夫の娘が殺害された。15年後、柴崎の後輩刑事・川澄成克は、その犯人らしき男に辿りつく。ところが、男は他殺死体となって発見され、今は退職している柴崎に嫌疑がかかる。警察組織へのダメージを防ぐため、柴崎が正当防衛を認めてくれればそれでいいと上層部が考える中、川澄は黙秘を続ける柴崎の真意に迫る。冤罪を着せられた側が何らかの理由で真実を伏せているパターンは著者の複数の作品に見られるが、その動機の悲痛さによって印象に残る作品だ。
もちろん、弁護士を主人公とした正統派冤罪ミステリも多い。その代表として挙げたいのが『完全無罪』(講談社文庫)である。弁護士の松岡千紗は、21年前に香川県で起きた少女誘拐殺人事件、通称「綾川事件」の再審裁判の担当に任命される。だが、千紗は同時期に発生した少女誘拐事件の被害者の1人でもあった。香川県に赴いた千紗は地元の弁護士・熊とともに当時の事件を再調査し、やがて岡山刑務所で容疑者の平山聡史と対面する。平山は彼の主張通り無実なのか、今も千紗のトラウマであり続けている「怪物」なのか。
この作品には、平山を逮捕した元刑事・有森の視点のパートもあり、彼の行動が事態を複雑化させることになる。物語は冤罪が証明されて終わりというわけではなく、驚くべき展開へと突き進んでゆく。二転三転する物語のツイストと、冤罪を着せられた者の癒されぬ無念が滲み出る劇的な結末という点で、著者の冤罪ミステリの中でも白眉と言える出来映えだ。松岡千紗はその後、ある事件の死刑評決を支持した裁判員が新たな殺人事件の容疑者となる『死刑評決』(講談社文庫)でも活躍する。
▼作品詳細(中央公論新社オフィシャルサイト)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2019/02/206697.html
『シリウスの反証』(角川文庫)
著者には弁護士のチームワークを扱った作品もある。その代表が『シリウスの反証』(角川文庫)だ。この作品には、冤罪被害者の救済活動に取り組む「チーム・ゼロ」という団体が登場する。彼らのもとに、救いを求める手紙が届く。それは、30年前に郡上で起きた一家4人殺害事件、通称「吉田川事件」の死刑囚・宮原信夫からのものだった。「チーム・ゼロ」の若手弁護士・藤嶋翔太は拘置所で宮原に面会するも、拘禁反応で会話が通じない状態だ。チームの生みの親である東山佐奈弁護士は、指紋の鑑定ミスによる冤罪だと結論づけるが、指紋の再鑑定への道は容易ではない。
通常、科学鑑定こそが冤罪を防ぐ確実な方法だと思われている。実際、鑑定技術の進歩によって真相が突きとめられた事件は数多く存在する。だが、鑑定にバイアスが存在した場合、それが冤罪を作りかねないのではないか……というのがこの作品における問いかけなのだ。冤罪に加担してしまった側の苦悩をも描いた重厚な作品である。また、いかに冤罪を証明するためとはいえ許されざる行為が存在するのではないか……という問いは、その後の『神都の証人』とも共通する。正しい目的のためであっても誤った行為に走るべきではないというメッセージは、デビュー作『雪冤』から一貫している。
もちろん、著者の小説が冤罪を扱った作品ばかりでないことは記しておく必要があるけれども、デビュー以来のこうした歩みが、大作『神都の証人』において集成され、山田風太郎賞受賞という輝かしい結果につながったことは事実である。思えば、この賞の名の由来である山田風太郎にも、犯人が確定しているかに見えた6件の事件を大岡越前守忠相の娘・霞が再調査して真犯人を暴き、冤罪を着せられていた罪なき女性たちを救う……という冤罪テーマの傑作時代小説『おんな牢秘抄』(角川文庫)が存在した。その意味でも著者は、人間の善悪や、罪に対する罰の軽重などのテーマを考察し続けた巨匠・山田風太郎の志を継ぐ作家だと言えるだろう。
▼作品詳細(KADOKAWAオフィシャルサイト)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322506000520/














