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試し読み

豪雨、河川の氾濫、災害になすすべはないのか? 「治水」の知恵を解く、名著の教え。『平野が語る日本史』試し読み

 地震や火山爆発により急速に、流水や氷河・風・波浪の浸食や堆積によりゆっくりと変化してきた平野は、人間とどのように関わってきたのでしょうか。
 遺構・遺物や古文献、古地図・地籍図から、過去の景観と地形環境を復原。畿内、大井川、紀ノ川、筑後川を事例に、人々の自然への思いや生きざまに迫ったのが、『平野が語る日本史』(日下雅義著)です。



 迫りくる「水害」と、これから私たちはどう向き合えばよいのか。そのヒントが得られる本書から、一部を紹介します。

「文庫版あとがき」より

 わが国の「平野」は弥生時代以降長年にわたって〝生活の場〟として重要な役割を果たしてきたが、今では〝災害の舞台〟として人びとの注目を集めている。
 原著【単行本】を出した頃には、現在のような大水害はこんなに多く発生していなかったと思う。以前に比べて時間雨量が激増したし、瀬戸内海北岸の平野や千曲川流域(長野盆地)で発生した水害は、これまでの常識を覆すものであった。最近は河川流域で水害が目立っているが、臨海部も油断することはできない。津波や高潮発生のおそれがあるからである。
 本書を俎上に載せて、平野と水害との関係について広く論じ合って下さると有り難い。

第6章 大井川扇状地の洪水と住民の知恵

◆扇状地の地形と洪水

 狭い山間部を流れてきた河川が、急に開けたところに出ると、上流から運んできた物質をあたり一面にまき散らす。流路はつねに何本かに分かれており、洪水のたびに本流を移動させるため、いつしか扇型の地表面ができあがる。これが扇状地と呼ばれる地形であるが、以上のほかに断層がいに沿って規模の小さい扇状地がエプロン状に並んで発達していることも多い。その例として近畿地方とその周辺では六甲さんろく、生駒山麓、ようろう山麓などがあげられる。
 このように、扇状地は表面傾斜が急な山麓堆積面であり、れきよりなる。地下水位面が低いため、田を開くことが難しく、しばしば畑として利用された。
 東海地方の大井川扇状地は、扇頂にあたるしま付近の標高が40メートルあまりであり、平均傾斜は250分の1となっている。この地方にみられる安倍川・富士川などと同様、下流にさんかくをともなわないで、そのまま海に至っている。扇頂に近い所では大井川の旧分流(たとえばとちやま川)によってこくが進み、扇状地面は上・下のふたつの面に分かれている。上位面が一般面、下位面が河跡(旧河道)ということになる。扇頂付近では、上位面と下位面との比高が3~4メートルに達しているが、標高25メートルより下流ではがけが低くなり、やがて消滅する。そして扇状地の末端に近い標高5メートル前後のところには、新しいたいせきぶつによってできた自然堤防状の微高地が存在する。
 これら上位面の間に下位面、すなわち旧河道が無数に存在する。図13は縮尺1万分の1の空中写真から検出したものであり、これらは長期的な旧河道と短期的(洪水時のみ河道となる)なものとに分けられるが、ここでは一括して示した。曲流ではなくて網流をなすことが、洪水の激しさを物語る。そしてこのような流れのパターンは、「ひろき河原の中に、一すじならず流れわかれたる川瀬ども、とかく入れ違ひたる様にて」(『東関紀行』)、「一すじの大河となりて大木沙石をながす事もあり。あまたの枝流となりて、一里ばかりが間にわかる事もあり」(『丙辰紀行』)などの文章とうまく対応する。



 洪水の記録を少しあげてみよう。慶長9年(1604)秋の大洪水によって、島田の宿駅がほとんど押し流された。そのため宿駅は約20年間、北方山麓のもとしまへ移転し、げん年間(1615~1624)になってから以前の島田が再建された。また寛永16年(1639)には、左岸の西にしじま付近の堤防がことごとく破壊され、従来高366石1斗3升6合のところが、わずかに96石余と4分の1近くに減少した。そしてもともと70戸だった民家は頻発する洪水によって、わずか12~13戸となってしまったのである。

◆水害と三角屋敷の構造

 このようにして、大井川扇状地に住む人びとの生活は、すなわち洪水との戦いの歴史でもあった。したがって、長い歴史の間に洪水へのさまざまな対応形態が培われてきたのである。下流のふじもりかわしりにはじゆうがつくられているが、ここでは上・中流部を中心に点在する、この扇状地特有の防御施設ともいえる三角屋敷を取り上げ、激しい洪水に対する住民のなみなみならぬ努力の跡を辿たどってみよう。



 地元では、三角屋敷のことを「三角宅地」「舟形屋敷」などとも呼んでいる。これは屋敷地の一角を90度以下とし、この鋭角の部分で水を分け、洪水の激しい攻撃を避けようとするものである。この扇状地に頻発する洪水の性格を十分経験した結果生まれた、個人的な対応形態といえる。三角屋敷の鋭角の部分にはマキ、マツ、タケなどの樹木が密に植えられており、高さ1~1・5メートル、幅3~5メートル程度の堤によって縁どられているものが多い。三角屋敷の鋭角の部分の向きが、かつて洪水がやってきた方向を示すのもおもしろい。たとえば、JR東海道線沿いやそれ以北のものはほぼ西に向かっており、以南では必ずしも一定しないが、一般に西北西を示す。これは大井川の有力な旧流路「栃山川」の方向に近い。これに対して、現在の大井川右岸では西北方向に向かうのが普通である。
 徳島県のがわ平野は緩やかな扇状地の地形を示す。この平野の上流部右岸にも三角屋敷がある。うっそうと茂る樹木に囲まれた屋敷は、遠くから眺めるとあたかも海上に浮かぶ大型船のようである。河原の石で築かれた堤(盛り土)の高さは60~70センチメートルであり、鋭角の部分には洪水に強いといわれるタケ、ツバキのほかに、エノキ、クス、マキなどがぎっしりと植えられている。

◆三角屋敷の立地と分布状態

 つぎに興味深いのは、三角屋敷が扇状地の上位面に分布し、しかも浅い谷(旧河道)の肩の部分に位置するものが多い点である。この扇状地では、古くからの民家の大部分が上位面に存在するため、三角屋敷が同じ上位面に位置すること自体は特異な現象ということはできないが、それが旧河道との境界付近に多いという事実は注目される。これは三角屋敷がつくられたのちにやってきた洪水が、屋敷に沿って新しい谷を刻んだことを意味するようである。



 三角屋敷は、洪水による家屋の被害を防ぐために、優れた役目を果たすとともに、洪水の流れる方向にも、かなりの影響を与えたと考えられる。規模のきわめて大きい洪水が、1カ所に集中して襲ってきたときには、どのような形態の民家も、ひとたまりもなかったが、何本かに分かれた洪水の流れに対しては、三角屋敷が有効であったといえる。



 昭和36年(1961)に撮影された縮尺1万分の1の空中写真から読みとりうる大井川扇状地の三角屋敷の数は544戸にのぼる。そして扇状地の扇頂部から扇央部にかけて密度が大きく、そのほかに有力な、そして長期にわたる旧河道に沿って、かなり下流部にまで分布している。もっとも、近年になって新しい住宅や工場などが扇状地面に進出するようになり、三角屋敷は形を変えたり、あるいは消滅したものも多い。
 現在では、頑丈な堤防が築かれ、また大井川のしようが低下したため、扇状地面が洪水の危険にさらされる心配はなくなったが、住民の知恵と努力の結晶ともいえる三角屋敷は、大切な文化遺産としていつまでも残したいものである。

本書目次

序 章 平野をどうとらえるか  
第1章 呼び名の歴史をめぐって  
第2章 日本の平野の特異性  
第3章 平野は変わる  
第4章 段丘と古代の開発  
第5章 畿内の盆地群と都京の立地  
第6章 大井川扇状地の洪水と住民の知恵  
第7章 紀ノ川氾濫原の河道変遷  
第8章 筑後川三角洲の水路網と舟運  
第9章 ラグーン(潟湖)型平野と古代の港  
終 章 地域史研究への第三の方法

日下雅義『平野が語る日本史』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000139/



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