- なぜ、皇太子一家はある「岬」を訪ね続けたのか?
- なぜ、陸軍と米軍は「台」を拠点にし続けたのか?
- なぜ、富士の「麓」でオウムは終末を望んだのか?
- なぜ、「峠」で天皇制と革命思想は対峙したのか?
- なぜ、皇室の負の歴史は「島」に閉ざされたのか?
- なぜ、記紀神話は「湾」でいまも信仰を得るのか?
- なぜ、「半島」で戦前と戦後は地続きとなるのか?
『平成の終焉』、『皇后考』、『増補新版 レッドアローとスターハウス』など、話題作を送り出し続けてきた政治学者・原武史さんが新たな挑戦をした、最新ルポ&評論『地形の思想史』が、12月20日(金)に発売となります。
今回は岬、峠、島、麓、湾、台、半島。7つの地形に着目しながら風土をめぐり、不可視にされた日本の「歴史」を浮き彫りにしていきます。
日本の一部にしか当てはまらないはずの知識を、私たちは国民全体の「常識」にしてしまっていないでしょうか?
人間の思想は、都市部の人工的な空間だけで生み出されるわけではありません。地形が思想を生み出したり、地形によって思想が規定されたりすることもあるのです。
7つのテーマと共に、独特な地形と、伝説を含めてそこに滞在ないし生活する人々の間にきわめて強い関係がみられる場所を実際に歩く。すると、死角に沈んだ日本の「思想史」が見えてきます!
発売まであと少し! 待ちきれない皆様のために、『カドブン』では「まえがき」と「第一景 「岬」とファミリー 上」を先行公開します。ぜひご覧ください!!
まえがき
民俗学者の柳田國男は、『婦人の友』一九二六(大正十五)年一月号に掲載された「雪国の春」のなかで、こう述べている。
白状をすれば自分なども、春永く冬暖かなる中国の海近くに生れて、このやや狭隘な日本風に安心し切っていた一人である。本さえ読んでいれば次第次第に、国民としての経験は得られるように考えてみたこともあった。記憶の霧霞の中からちらちらと、見える昔は別世界であったが、そこには花と緑の葉が際限もなく連なって、雪国の村に住む人が気ぜわしなく、送り迎えた野山の色とは、ほとんと似も付かぬものであったことを、互いに比べてみる折を持たぬばかりに、永く知らずに過ぎていたのであった。七千万人の知識の中には、こういう例がまだ幾らもあろうと思う。(『柳田國男全集2』、ちくま文庫、一九八九年)
柳田の言う「中国の海」は、瀬戸内海を指している。瀬戸内海に近い兵庫県の福崎で生まれ育った柳田は、同じ日本のなかに、自分の故郷とは気候も風土も全く異なる「雪国の村」があることを全くわかっていなかった。そればかりか「本さえ読んでいれば次第次第に、国民としての経験は得られるように考えてみたこともあった」ことを、一人の学者として痛烈に反省しているのだ。「七千万人」というのは、当時の日本の人口を意味している。日本の一部にしか当てはまらないはずの知識が、あたかも国民全体の「常識」になっているケースは、まだほかにもあるのではないか─柳田はこう警鐘を鳴らしている。
柳田は、『塔』一九三三(昭和八)年一月号に掲載された「豆の葉と太陽」(前掲『柳田國男全集2』に所収)でも、「全体に今は少しく『読む』ということに偏している。この拘束を抜け出して、改めて生存の意味を学び知るためには、旅でも散歩でも、とにかくにもう少し『あるく』ことが必要だと思う」と記している。書物を読むだけでわかった気になってはいけない。自分の足で歩いてみないことには、「生存の意味」をわかったことにはならないと繰り返し言っているわけだ。
柳田の指摘は、現在の日本の学問をめぐる状況にも、十分に当てはまる。大学で研究している多くの人文社会系の学者は、首都圏や近畿圏などの都市部に住み、空調の効いた研究室で書物に囲まれながら日々研究に励んでいる。そうした環境のもとに書かれた日本の政治や社会などに関する論文では、明治以降に成立した国民国家の存在を自明のものとし、日本という言葉を何の留保もなく使う場合が少なくない。
私の専門である日本政治思想史もまた例外ではない。
だが一口に日本と言っても、日本ほど過去から現在にかけて形成された多種多様な地形からなる国家も珍しい。全体として平地(台地や低地)は約二五%しかなく、山地や丘陵地が約七三%を占めていて、峠も数え切れないほどある。川の数も公式に三万五千以上あり、一級河川はしばしば扇状地や河岸段丘をつくり、海へと注ぐ。海岸線の長さは約二万九千七百五十一キロと、米国や中国よりも長く(世界で六番目)、半島や湾や汽水湖が織り成す複雑な地形を形成している。島の数も約六千八百と、世界で三番目に多い。
こうしたデータは抽象的であり、地図を見ただけでわかった気になっている場合が多い。最近では通信機器が発達したことで、まるで本物のような体験が得られることすらある。けれども実際に全国各地を訪ね歩いてみると、そうした体験はあくまでもヴァーチャルであり、いかに本物と掛け離れているかを痛感させられる。柳田國男が「雪国の村」をいかにわかっていなかったかを実感したのと同じような体験を味わうのである。
もちろんいまでも日本人は、都市部だけで生活を営んでいるわけではない。人間の思想というのは、必ずしも都市部のような、自然の地形とは関係のない人工的な空間だけで生み出されるわけでもない。逆に地形が思想を生み出したり、地形によって思想が規定されたりする場合もある。たとえ自然を破壊する開発がいくら進もうが、長い年月をかけてつくられた地形そのものを根本的に改変してしまうことはできない。
本書はこのような問題関心のもとに、柳田にならって「読む」ことよりも「あるく」ことに重点をおき、いわゆる観光地とは異なる国内のさまざまな場所に出掛けながら、地形と思想の浅からぬ関係について考察した紀行文風のエッセイである。
具体的に言えば、静岡県の奥浜名湖に突き出た岬、東京都から山梨県にかけての奥多摩の峠、瀬戸内海に浮かぶ岡山県と広島県の島、山梨県と静岡県にまたがる富士山麓、神奈川県の三浦半島と千葉県の房総半島にはさまれた東京湾の沿岸、相武台と呼ばれる神奈川県の台地、そして鹿児島県の大隅半島を訪れてみた。
いずれも、独特な地形と、伝説を含めてそこに滞在ないし生活する人々の間にきわめて強い関係が見られる場所と言ってよい。
移動手段としては、主に鉄道と自動車を用いた。鉄道が通じていない場所へはタクシーやレンタカーを利用したが、東京から比較的近い場所へはKADOKAWAのPR誌『本の旅人』の編集長だった小林順さんの車や自分の車で行った。島への渡航や湾の横断に際してはフェリーを使い、鹿児島までは飛行機を使った。
だがいずれの回も、現場を「あるく」こと、ただ鉄道や自動車に乗っているだけではよくわからない、地形が織り成す風景をじっくりと観察すること、そして必要があれば現地の人々に直接会って話を聞くことに精力を費やした。このため、関連する著作への言及に劣らず、自分自身が現場で見たり聞いたりしたものの描写に紙幅を割いた。読者の方々に臨場感を味わっていただければ幸いである。
目 次
まえがき 3
第一景 「岬」とファミリー 13
上 14 下 30
第二景 「峠」と革命 49
上 50 下 67
第三景 「島」と隔離 85
上 86 下 103
第四景 「麓」と宗教 119
上 120 下 137
第五景 「湾」と伝説 155
上 156 下 173
第六景 「台」と軍隊 191
上 192 下 209
第七景 「半島」と政治 227
上 228 下 245
あとがき 261
主要参考文献一覧 264
〈第2回へつづく〉
ご購入はこちら▶原武史『地形の思想史』| KADOKAWA