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大ヒット中の『昨日星を探した言い訳』。山田風太郎賞候補入りを記念して短編を特別公開!「ふたりが二四歳だった頃」

過去一年間で最も「面白い」と評価されたエンタテインメント小説に贈られる山田風太郎賞
昨日星を探した言い訳』(河野裕・著)の本年度ノミネートを記念して、電子書籍特典・短編「ふたりが二四歳だった頃」を公開します。

 坂口孝文

 僕と茅森良子が互いに誕生日プレゼントを贈り合っていたのは、中等部三年の夏から、高等部二年の夏までだった。僕は五月生まれだから、彼女から受け取ったプレゼントは合計でふたつということになる。
 一方はしっかりとした作りの、立派な革製のブックカバーで、もう一方は一対のトランシーバーだった。そのトランシーバーは僕と茅森がひとつずつ持ち合い、ずいぶん繰り返し使用することになった。あのころ、僕たちはいくつもの個人的な考えを、トランシーバーの電波に乗せて交換し合った。
 僕は彼女からもらったトランシーバーが気に入っていた。郵便ポストに似た、少しノスタルジックな印象の赤いトランシーバーで、その色が愛らしかった。スイッチを入れるときの手触りにも、周波数を合わせるときのノイズにも、携帯電話にはない物理的な心地の良さがあった。そしてなにより、控えめに小さく、でもなんだか誇らしげに刻まれている、メーカーのロゴが素敵だった。そのメーカーのことを、僕は知っていた。それは綿貫条吾の父親の会社で、彼自身も、大学を卒業してすぐにその会社に就職している。
 その会社は、四〇年ほど前に京都にできたそうだ。元々の主力製品はトランジスタだったと聞いている。僕たちが制道院にいたころは集積回路に強い会社だったが、海外の企業との競争で不利な状況が続き、現在はLEDの製品で売り上げを伸ばしている。基本的には部品を作って大手家電メーカーに卸している会社で、その部品にも社名を入れていないから、売り上げに対して一般的な知名度はとても低い。でもたまに――綿貫の言葉を借りるなら、ふとした思いつきで気まぐれに――自社の製品を売り出すことがあり、茅森からもらったトランシーバーもそういった「気まぐれ」のひとつだった。

       *

 僕が二四歳だった年の一一月に、久しぶりに綿貫に会った。彼の実家からそう離れていない安いイタリアンレストランで、簡単なオードブルとパスタの夕食を共にした。僕がある資格を取った祝いという名目だったけれど、そんなことは乾杯のあいだしか話題にしなかった。代わりにトランシーバーについて話した。
「うちの製品じゃ、わりと気に入っているんだよ」と彼は笑った。「あちこちに携帯電話の基地局がある世の中じゃ、なんだか古臭い感じがするだろう? でも、その古臭さが好きなんだ。切実な感じがして」
 僕もトランシーバーは好きだ。
 スマートフォンに比べればずいぶんかさばるし、できることも少ない。通話の質も良いとは言えない。でも、ふたりが充分に歩み寄り、同じ周波数を共有していたならこの星の上のどこでだって繋がれるのが好きだ。
 それから僕たちはしばらく、トランシーバーを褒め合った。
「つまりそれは、手を繋ぐようなものなんだよ」と綿貫は言った。「互いに手を差し出さないといけない、面倒臭さがいいんだ」
 僕は頷く。
「うん。少し手間がかかるから、良いこともある。小学生のころ、おもちゃ屋に行く道中も楽しかったように。なにもかもが、あんまり効率的になり過ぎると、イベント性みたいなものがなくなってしまう」
「そう。心地よい手間が、作業をイベントにする」
 それから僕たちの話題は、制道院のことに移った。
 綿貫にとっても、制道院の廃校は意外だったようだ。
 少なくとも新入生の募集を止めると発表するまで、制道院の実質倍率は三倍程度を維持していた。欠員が出たことは一度もなかった。地元で私立の進学校といえばまず名前が挙がる学校だった。
「根本がおかしいんだよ。あの学校は、入学金と授業料だけじゃ運営を賄えない体質だった」
 と彼は言った。
 どうやら制道院は、収入の三割ほどを寄付金に頼っていたようだ。学友会が制道院を支えていた、と言える。だから学校側と学友会の意見が折り合わなくなったとき、廃校の道をたどることになった。
 正確には、制道院という名前のつく学校が、完全に消えてなくなるわけではない。東京のある有名な私立大学が制道院を買い、その大学の付属高校という形で別の場所に移転すると聞いている。制道院の名の頭に「付属」なんて言葉がつくのは、学友会にとって屈辱だろう。
 僕たちが在学していたころから、学友会は明らかにその力を落としていた。長い不況で母校にいくらでも寄付金をつぎ込める卒業生がずいぶん減った、というのが、いちばんの理由だろう。でもそれだけでもない。
 僕たちが高等部三年のときに起きた大きな地震の影響で、様々な教育機関の建物の耐震構造が見直されることになった。制道院の校舎は、建て替えないままその安全基準をクリアすることが困難だった。
 だが綿貫の話では、学友会はそもそも校舎を建て替えることに反対していたそうだ。校舎の多くは歴史的にも価値のある建物で、現状のものを補修して使いたい、というのが学友会の考えだった。だから学校側は学友会の消極的な態度を変えられないまま、寄付金集めに奔走することになった。でも充分な金が集まらず、制道院はどこかの大学に身売りした。
 ワインで頬を赤くした綿貫が、寂しげにつぶやく。
「みんな、トランシーバーみたいなものなんだよ。周波数が合っていなけりゃ、どこにも繋がりはしないんだ」
 僕はそのとき、「イルカの唄」のことを考えていた。清寺時生の、世には知られていない脚本の、ある印象的な一場面のことを。

       *

 もちろん清寺時生が、どんな思いで「イルカの唄」を書いたのかはわからない。でもあの脚本と、綿貫と話したトランシーバーのことは、奇妙に繋がっているような気がしていた。
 群れからはぐれたイルカは、仲間を捜して必死に鳴き声を上げる。その鳴き声が、まるで歌のように聞こえる。
 それは悲しい歌だ。でも、悲しいだけではない歌だ。必死に誰かと繋がろうとする音だ。
 あのころ――まだ制道院にいたころの僕は、幸せだった。
 電波を共有できる距離に、茅森良子がいたから。繋がるべきもうひとつのトランシーバーが用意されていたから。彼女からプレゼントされたトランシーバーは、そのすべてが愛らしかったけれど、いちばんはトランシーバー自体ではなかった。その向こう側に茅森がいたことがなによりも素敵で、素晴らしくて、夢のようだった。
 今も僕は夜ごとに、あのトランシーバーを握りしめていた。多くの場合は空想の中で。でもたまには、実際に。
 僕たちのトランシーバーはすでに遠く離れ、音を立てることはもうない。
 でも、僕は今もまだ、僕たちの電波が繋がり合うときを夢見ていた。独りきり必死に鳴き声を上げるイルカみたいに。

   茅森良子

 久しぶりに坂口孝文の名前を聞いたのは、年の瀬にあった学友会の集まりだった。
 学友会の会長――三木さんとは、最近はそれなりに仲良くしている。少なくとも顔を合わせたなら、互いに笑顔で世間話をする程度には。三木さんはまだ私のことを認めたわけではないように思うけれど、制道院から著名人が出ることを歓迎してもいる。将来有望な政治家というのはその筆頭で、私はまだまだ政治家を名乗れる立場ではないけれど、でも彼の青田買いのリストの末席には名前を加えてもらえたようだった。きっと制道院にいたころ、私が荻さんに近づいたときの思惑に似た考えなのだろう。つまり、当たり前に成功する相手に手を貸しても旨みは少ない。不利な相手を勝たせた方が、ずっと多くの恩を売れる。
 三木さんは坂口の祖母と親しかったようで、それで自然と、彼の話になった。坂口は大学卒業後、けっきょくは実家の会社に就職したそうだ。私がまだ坂口と親しかったころ、彼はどちらかといえば家を離れたいと考えていたから、その進路は少し意外だった。おそらく私たちが高等部の三年生だったころにあった、大きな震災の影響もあるのだろう。あれで坂口の実家の会社は、東北にあった製紙工場に大きな被害を受けた。それで坂口家が傾いた、というほどでもないようだが、多少は危機感のようなものを感じたのだと思う。
「勤勉な子だよ」と三木さんは言った。「なんと言ったかな、横文字の難しい資格を、最近になって取ったそうだよ。あの子はいずれ独り立ちするつもりなのかもしれないね」
 三木さんは坂口を気に入っているようだった。
 坂口の話をするときには、孫を自慢するような、温かな表情を浮かべていた。
 私も、とくに苦労もなく笑って答える。
「でも彼は頑固ですから。一度、親の会社の力になろうと決めたのなら、それをやり切るでしょう」
「そうかな」
「はい。私は、彼がなにかを投げ出したところを、一度しかみたことがありません」
 その、たった一度だけ投げ出したものが、私だ。
 私の一七歳の誕生日に、彼は私に背を向けて立ち去った。テーブルの上のハイクラウンと、イルカのレリーフがついた時計を残して。
 三木さんは柔和に笑ったまま続ける。
「なんにせよ、変わった子だよ。勤勉さというのは野心を伴うものだ。誰だってそうだ。野心がなければ継続もない。でも孝文くんには、不思議とそれを感じない」
 私は微笑むだけに留めたけれど、内心では首を振っていた。
 坂口にだって野心はあるだろう。それを隠すつもりもないだろう。でも、傍目には彼の野心が、野心にはみえないだけだ。彼の反抗はとても静かだから。静かに、大きなものを望んでいる。あの夏、彼はもしかしたら私よりも熱心に、イルカの星を探していた。あくまで寡黙なままで。
 それから三木さんとは、少しだけ私の近況の話をした。
 私は今、ある弁護士の事務所に所属していて、その仕事にやりがいを感じてもいるのだけれど、そろそろ次のステップ――政治の道に本格的に足を踏み込もうと準備を進めている。とりあえず政策担当秘書から始める予定で、下に付きたいと狙いを定めている国会議員がひとりいる。彼女――その国会議員は女性だ――との話は順調に進んでいるのだが、私の「清寺時生の娘である」という肩書きに加えて、もうひとつ手土産を用意したくて、そちらで学友会に相談があった。
 私は三木さんに、いくつかの具体的な相談をして、基本的には快諾をもらった。
 彼は別れ際に、もう一度坂口の名前を出した。
「孝文くんに、君をよくみておくようにと言われているんだよ」
 私は、きちんと笑っていられたはずだ。おそらく。
 たしかによくみるとなかなか面白い、と言い残して、三木さんは私の前から立ち去った。

       *

 坂口孝文のことは、今もまだトラウマだった。
 彼だけが私の天敵で、戦い方がわからない相手だった。――いや、正確には、私は彼との戦いに勝利することを望めないでいた。
 高等部二年の夏、坂口と決別してから私は、彼のことを忘れるのに必死だった。彼をその他の大勢と同じように扱い、彼にだって同じ笑顔を向けられることが成長なのだと信じていた。
 でも、本当にそれで良いのだろうか。
 私は心の底から、彼を「その他大勢」にすることを望んでいるのだろうか。
 答えはわからない。今も、まだ。
 それでも私は、戦わなければならない。私のプライドを守るために。私自身が信頼できる私でいるために、いつまでも、記憶の中の彼と戦い続けなければならない。



▼河野裕『昨日星を探した言い訳』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322004000166/

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