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連載

つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく vol.28

六車由実の、介護の未来14 みんなにとっての居場所であることと誰も排除しないということ(後編)

つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく

介護という「仕事」を、私たちはどれだけ知っているのだろう。そしてコロナという未曽有の災禍が人と人との距離感を変えてしまった今、その「仕事」はどのような形になってゆくのか。民俗学者から介護職に転身、聞き書きという手法を取り入れた『驚きの介護民俗学』著し、実践してきた著者が、かつてない変化を余儀なくされた現場で立ちすくんだ。けれどそんな中で見えてきたのは、人と人との関係性そのものであるという介護。その本質を、今だからこそ探りたい――。介護民俗学の、その先へ。

 ◆ ◆ ◆

刺激だらけのすまいるほーむ

 あゆみさんの他の利用者さんに対する言動や、感情を爆発させて出て行ってしまう行動の背景を少しでも理解しようと、少し前に、高次脳機能障害当事者の鈴木大介氏が書いた『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院)を読み返したりもした。そこには、高次脳機能障害や発達障害、認知症、鬱、パニック障害等、脳の機能に障害がある人たち(それを著者は「脳が壊れた人」、すなわち「脳コワさん」と名付ける)の困りごとが共通していることや、困りごととなる原因や支援者のかかわり方がイラストとともにわかりやすく説明されている。
 その中で一番なるほど!と思ったのは、音、光、触覚、匂い、突発的出来事等、日常には様々な情報が溢れていて、「脳コワさん」はその情報による刺激が強いと情報の処理ができずにパニックになってしまう、という説明だった。
 確かに、あゆみさんは音にとても敏感で、誰かが突然大きな声を上げたり、物が落ちて大きな音がしたりすると、「怖い!」と言って、身を震わせ、頭を抱えて縮こまってしまうことが度々あった。これは、音に対して脳での情報処理ができずに、あゆみさんがパニックになっていたと理解することができる。
 あゆみさんがすまいるほーむを飛び出してしまうのも、利用者さんやスタッフからかけられた言葉は、あゆみさんにとって予想外の突然の不快な出来事で、それによって沸き上がった怒りの感情があゆみさん自身も抑制できずに爆発し、パニックになってしまった結果と理解することもできる。
 また、認知症の進んだ利用者さんや高齢のため足腰の弱くなった利用者さんたちへの言動は、彼らが目に入ること、その存在自体があゆみさん自身に認知症や老いの現実を突きつける情報=負の刺激となって、彼女の心を常に不安定にさせているためではないか、とも理解できた。
 私は、スタッフたちにも、『「脳コワさん」支援ガイド』を読んでもらい、できるだけあゆみさんが不快に感じるような刺激を与えないように、みんなで配慮していこうと話し合った。けれど、そうは言うものの、突然発せられる利用者さんの大きな声を止めることはできないし、認知症の進んだ利用者さんや体の不自由な利用者さんたちがあゆみさんの目に入らないようにするのは、現実的には難しかった。
 だとしたら、あゆみさんが自身の認知症や老いを意識しないでいられる環境に身を移した方が、彼女自身も安心して過ごせるのではないか。刺激の多すぎるすまいるほーむは、あゆみさんにとって心地よい居場所にはなっていないのではないか、とも思うようになっていたのだった。


家族との話し合い

 たとえば、もっと同世代の方が多くいるデイサービスとか、若年性認知症の当事者の方が集まる会等だったら、あゆみさんは、自分の苦しみを仲間と分かち合うことができるのではないか。そう思い、地域包括支援センターに相談してみたが、市内には、若年性認知症の方のための集まりはないし、あゆみさんと同世代の60代から70代前半の方の利用が多いデイサービスもわからない、とのことだった。ネットで調べると隣接市町のいくつかには、若年性認知症の方の集まりが自治体主催や民間の事業所主催で開かれている。それなのに、沼津市にはいまだ一つもなく、問題意識もあまり共有されてないのが現実だった。
 では、あゆみさんが得意で熱中できる絵画やアートを主な活動としているデイサービスはないかと知り合いのケアマネジャーの何人かに電話して情報を収集してみたが、やはり市内ではそのようなデイサービスは聞いたことがないということだった。
 家族ともLINEでやりとりし、実際に会って話し合いを重ねてもきた。『「脳コワさん」支援ガイド』のイラストも見せながら、すまいるほーむでの様々な刺激が、あゆみさんの心を不安定にしたり、パニックにさせたりしてしまっているのではないか、という私たちの考えも伝えた。
 その上で、認知症についてあゆみさん自身が受けとめることが難しい今は、むしろ、認知症や老いや介護について意識しなくてもいい環境にいることの方が、あゆみさんにとってはいいかもしれない、とも提案してみた。たとえば、介護保険のサービスに限らず、今は週に1回通っている絵画教室の回数を増やしてみるとか、運動の好きなあゆみさんだったら体を動かすことに集中できる体操教室などもいいのではないか、と。でも、これまでのあゆみさんの様子を身近で見てきた家族は、介護サービスではない一般の教室では、認知症への理解が十分ではないので、不安だという。あゆみさんが何か失敗したり、忘れてしまったことにうまく対応できなかったりして、かえって、あゆみさん自身が深く傷ついたり、落ち込んだりしてしまうのではないか、というのである。それもまた然りである。ここでも、認知症に対する理解が遅れた地域社会の現実が浮き彫りになった。
 家族は、こうも言った。すまいるほーむに行くことを嫌がったことはないし、毎朝自分で準備して待っている。だから、すまいるほーむは居場所になっているはずなので、これからもお願いしたい、と。「居場所になっている」かどうかについては、私にはまだ不安は払しょくできなかったが、ひとまずは利用を継続していくことで合意した。ただ、こちらの提案として、今はすまいるほーむだけの利用になっているが、できれば、すまいるほーむと並行して、他のデイサービスの利用も検討してほしいとお願いした。あゆみさんが頼れる場所が複数あった方が、あゆみさんも、すまいるほーむのスタッフも、行き詰まってしまうことを避けられるのではないか、と思ったからだ。
 これまでの経緯と、家族と話し合った内容は、担当のケアマネジャーにも伝えた。ケアマネジャーは早速いくつかの機能訓練系のデイサービスをあゆみさんと家族に紹介してくれた。そして、やっとそのうちの一つを体験利用することが決まったところだった。あゆみさんの5回目の飛び出しは、そんな時に起こったのだった。


苦渋の決断

 その日の夜、スタッフ会議を開き、今後のあゆみさんへの対応について、三国社長も交えてスタッフたちと話し合った。
 スタッフはそれぞれ率直な思いを語ってくれた。まっちゃんは、私と同様に、利用者さんたちを悪く言う言葉が自分に向けられているように感じ、苦しんでいた。あゆみさんのそういう言動に対して何も言うことができない自分も嫌だったし、他の利用者さんたちに対しても申し訳ないと思っていたが、どうしたらいいのかわからなかった。またいつ飛び出してしまうかも不安で、あゆみさんの来る日はいつも緊張して、気持ちが張り詰めていたという。
 できるだけあゆみさんに話しかけようとしてくれていた亀ちゃんも、実は常に緊張していたという。他の利用者さんたちに対しても、あゆみさんの言動や今回のような行動は決していい影響は与えないからどうかと思うが、すまいるほーむに来ることができなくなったら、あゆみさんはどこにも居場所がなくなってしまうのではないかと思うと、どう判断していいのか自分でもわからない、と自身の感じている迷いを語ってくれた。
 私自身も、あゆみさんと対話を始めようと、ひとまず運営推進会議に参加してもらおうと思っていた矢先の今回の出来事で、頭は混乱し、心も体も消耗しきってしまい、これからのことをどう考えていいのかわからない状態であることを伝えた。
 これ以上の対応は難しいから、利用の継続は断るという選択肢もあるが、そう決断してしまうことに少なからぬ躊躇があることも伝えた。亀ちゃんが懸念するように、すまいるほーむ以外にあゆみさんの居場所はないのではないか、とは思っていない。あゆみさんが叫んだ言葉からもわかるように、すまいるほーむは少なくとも今のあゆみさんにとって居場所にはなっていなかったと思うからだ。けれど、集団に馴染めないからといって、あるいは集団の他のメンバーに悪影響を及ぼすからといって、誰かを切り捨てるようなことをしてしまうのは自己保身にすぎず、私がかつて排除された集団とすまいるほーむが変わらなくなってしまうのではないかという思いがあった。すまいるほーむは、どんな存在も受けとめられる、そんな寛容でゆるやかな場所でありたい、という願いは捨てたくなかったのだ。けれど、あゆみさんと向き合っていかなければならないという決意が、今回の出来事で大きく揺らいでいたのも事実だった。私は冷静な判断ができないでいた。
 他のスタッフたちも、同様に、苦しみ、迷っている中、三国社長が口を開いた。

「無理しなくてもいいんじゃないかな。もう5回目でしょ、あゆみさんが飛び出したのは。これからだって同じようなことは続くと思うよ。今回は3人で対応しなきゃならなかったんでしょ、車に乗せるのに。実際その間は、スタッフ1人で他の利用者さんたちの対応をしたわけで、他の利用者さんたちも動揺しただろうし、何かあったら1人では対応できなかったかもしれないじゃない。他の利用者さんたちの送迎も遅くなってしまったようだし。スタッフが少ないうちみたいな小規模のデイサービスではやっぱり対応しきれないんじゃないかな、飛び出したりするのは。あゆみさんに対してもそうだけど、他の利用者さんたちに対しても我々は責任を負っているんだから、そのことも考えないといけないと思うよ」

 もっともな言葉だった。普段、あゆみさんとのかかわりの薄い三国社長の立場だからこそ言える、客観的であり、かつ冷たい判断だとも感じた。私たちスタッフは全員が巻き込まれすぎていたのかもしれない。巻き込まれた中でそれぞれがもがき苦しみ、あゆみさんへの思いと、他の利用者さんへの思いとの狭間で葛藤し続けてきた。そもそも、もっと俯瞰的に状況を見守らなければならない立場の私自身が、自分のトラウマに苦しんでしまい、あゆみさんとかかわることができないでいることも問題だった。戸惑い、苦しんでいるスタッフたちを救うことさえできなかったのだから。
 私は、三国社長が言うように、他の利用者さんへの責任も考えて、すまいるほーむの現状では、これ以上はあゆみさんを受け入れることはできないと判断するしかないと思った。他のスタッフたちも、それで納得した。もちろん、それぞれ思うところはあり、すっきりとした気持ちではなかったようだが。
 翌日、私たちが話し合ったことを家族とケアマネジャーに伝えた。家族は、利用中止を承諾してくれ、これまでいろいろと細かな対応を考えてくれて感謝していると言ってくれた。またケアマネジャーも、理解を示してくれた上で、あゆみさんの今後をどう考えていったらいいのか自分自身も悩んでいると吐露していた。
 あゆみさんとのかかわりを続けることを諦めざるを得なかった私たちにはもはや何もできないが、あゆみさんが心穏やかに、そして希望をもって過ごせる場所が見つかることを心から願ってやまない。


疼き続けるしこり

 運営推進会議でみんなの思いが語られた後、私は、本来はここにいてほしかったあゆみさんがすまいるほーむの利用を止めることになったことと、その理由を率直に伝えた。そこにいた利用者さんたちの何人かは、あゆみさんが飛び出していった経緯を間近で目撃していたメンバーだった。私があゆみさんのことを伝えると、それまであゆみさんのことに触れるのに躊躇いを感じていた利用者さんたちも、口々にあの出来事について語りだした。
 初めて、あゆみさんの感情的な態度と飛び出しを目の当たりにしたトウコさんは、その時の光景をリアルに思い出したのか、「私、本当に怖かったのよ。どうしてあんなふうになってしまったのかわからなかった」と身を震わせた。
 あゆみさんが激昂していくのを隣で何とかなだめようとしていたみよさんは、その出来事そのものを覚えていなかった。「そうだったっけ? どうして来ていないのかな、って思っていたけど、そんなことあったんだっけ?」と首を傾げた。それを見ていた他の利用者さんたちは、「みよさんは一生懸命に止めようとしていたよ。みよさん、すごいなあって思っていたよ」とみよさんの苦労を労った。
 あゆみさんの飛び出しを何度か経験しているきーやさんは、冷静にその時の様子を観察していたようで、身振り手振りを交えて、その状況を再現してくれた。あゆみさんが自分の描いた絵を引き剥がしてビリビリに破いた光景が一番ショックだったようだった。
 美砂保さんは、スタッフのことを心配してくれた。

「どうしてあんなふうにしか反応できなかったのか私にはわからないけど、由実さんや他のスタッフさんが外まで追いかけていって、車に乗せようと苦労しているのがよくわかって大変だなと思ったよ。私は何にもできなくて、申し訳なかったよ」

 それとともに、美砂保さんが普段感じていた本音も語ってくれた。

「私もね、あゆみさんに対してはね、すごく気を遣っていたの。あゆみさんが嫌な気分にならないように、言葉にも気をつけなきゃいけないなと思ってた」

 利用者さんたちは利用者さんたちで、あゆみさんの存在を受け入れようと努力しながら、気を遣い、葛藤していたのだった。あゆみさんとのかかわりを、ある意味、利用者さん頼りにしていたことに申し訳なさを感じた。
 あゆみさんがすまいるほーむの利用を止めることになったことに対して、それぞれ複雑な思いはあるようだったが、それでもみな少なからずホッとしたようでもあった。
 そんな様子を眺めながら、私は思いを巡らせていた。あの出来事が起きずに、あゆみさんが、この運営推進会議に参加していたとしたら、あゆみさんと私との、あゆみさんとスタッフとの、そしてあゆみさんと他の利用者さんたちとの関係は何かよい方向に変わっていったのだろうか? そもそも、みんなとの対話は成り立ったのだろうか? 想像してみるものの、私には、もうよくわからなくなっていた。ただ、硬いしこりのようなものが残るのを、心の奥に感じていた。今でもそのしこりは疼き続けている。
 いったいどこで私たちはあゆみさんと決定的にすれ違ってしまったのだろうか。どうしたらそのすれ違いを修正して、あゆみさんと向き合うことができたのだろうか。
 そして、みんなにとって心地よい居場所であることと、誰も切り捨てない、排除しないということが両立するとしたら、どのような環境を作り出せばよいのか。
 簡単には答えの出そうもない問いと、私たちは向き合っていかなければならない。


※次回は9月18日(土)に掲載予定


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