
六車由実の、介護の未来12 たとえできなくなったとしても(後編)
つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく

介護という「仕事」を、私たちはどれだけ知っているのだろう。そしてコロナという未曽有の災禍が人と人との距離感を変えてしまった今、その「仕事」はどのような形になってゆくのか。民俗学者から介護職に転身、聞き書きという手法を取り入れた『驚きの介護民俗学』著し、実践してきた著者が、かつてない変化を余儀なくされた現場で立ちすくんだ。けれどそんな中で見えてきたのは、人と人との関係性そのものであるという介護。その本質を、今だからこそ探りたい――。介護民俗学の、その先へ。
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「できること」「役に立つこと」の危うさ
トウコさんに、箱の作り方を教えてもらった時のことである。
「まずは蓋に使う折り紙を二種類選んで。それぞれ4枚ずつ、全部で8枚使います」とトウコさん。無地の折り紙と模様の入った折り紙とをそれぞれ折って、交互に組み合わせるときれいだと言う。私もトウコさんも二種類の折り紙を4枚ずつ取った。そして、折り方を教えてもらった。折り方は意外にも簡単だった。けれど、その折った二種類の紙を交互に組み合わせていくのが何とも難しい。どの部分をどう組んでいくのか、一度ではわからなかった。トウコさんに何度も教えてもらって、漸く8枚の紙を組み合わせたものの、最後に箱の蓋の形に整えようとトウコさんの言うとおりに細部を引っ張ってみると、ますます形が崩れていき、せっかく組み合わせた8枚の紙がばらばらになって壊れてしまった。トウコさんに教えを請いながら、何度か再挑戦して、やっと一つ箱ができた。けれど、トウコさんが作った箱のように精巧なものではなく、中心部分の折り目が汚らしく崩れているようなものしか作れなかった。
私は言った。「トウコさん、想像していたのよりすごく難しいね。いくら頑張っても、トウコさんのようにきれいにはできそうもないよ」
すると、トウコさんは、「いくつも作れば、できるようになるよ。大丈夫よ」と落ち込む私を励まし、更に、こんなことを言った。「色の組み合わせを考えたり、箱に組み合わせた時の模様の出方を予想して作らないといけないの。結構、頭を使うでしょ。だから、私、脳トレだと思って毎日作っているんです。これ以上ボケて、息子やお嫁さんに迷惑かけちゃいけないから」
確かに、これだけ複雑な工程で箱を毎日いくつも作っていたら、脳は刺激されるだろう。でも、この脳トレを続けていたからといって、認知症の進行が完全に止まるというわけではないのもまた確かである。いつか箱が作れなくなる日が来るかもしれない。それでも、トウコさんは箱を毎日作り続ける。これ以上息子さんたちに迷惑をかけたくないという一心で。箱を作ること自体は楽しいのだろうし、それをもらってくれる人がいることはトウコさんの喜びなのだろうが、私には、家中に山積みになるくらい箱を作り続けているトウコさんがどこか強迫観念にかられているかのようにも思えて心配になった。
線引きの思考
すまいるほーむでは、これまでにも、縫物や編み物等の細かな手作業が得意だったり、それを仕事にしていたりした利用者さんたちがいて、その身についた技を活かして、みんなが使うマスクや小物入れ、手袋、雑巾等を作ってもらうということをお願いしてきた。だが、少しずつ、今までできていたことができなくなっていく。そして、身についていた技が使えなくなるばかりでなく、日常生活における動作も徐々にできなくなっていく。そういう時期を遅かれ早かれ、みんないずれ迎えることになる。今までできていたことができなくなったり、できないことが増えていったりするそのような現実を受け入れていくことに、それぞれが苦しんでいる姿を、私たちは何度も目の当たりにしてきたのである。
例えば、先日亡くなったタケコさんは、和裁の仕事をしていた経験を活かし、すまいるほーむに通い始めた頃は、暖簾や巾着袋を一生懸命に縫ってくれていた。ところが、視力低下と認知症の進行により、針を持つことが難しくなっていった。その後、ちぎり絵やごみ箱作り等、できることを見つけてやってもらっていたが、それもだんだんできなくなると、すっかり自信を失ってしまった。トイレに行ったり、入浴時に着替えたりという動作も自分一人ではできなくなっていったことで、「みんなに迷惑をかけるばかりで何もできない」とますます生きる意欲をなくしていったのだった。
「できない」「迷惑をかける」ということはイコール「自分には価値がない」ということだと、タケコさんは思い込んでいたのだと思う。「大丈夫だよ」「タケコさんだって、できることあるよ」「迷惑かけたっていいんだよ」といった私たちスタッフがかける言葉は、最後まで、タケコさんを「できること」「役に立つこと」こそ「価値がある」という呪縛から解き放つことにはならなかったのだった。
自分にできないことが増えることで「価値がない」と思う思考方法は、自分自身を追い詰めるとともに、他者への差別や攻撃へとつながっていくこともある。
認知症が進行し、言語的なコミュニケーションができなくなったり、食事や排泄に全面的に介助が必要となったりした重度の利用者さんに向けられるまなざしは、すまいるほーむにおいても決してあたたかなものばかりではない。むしろ、認知症の利用者さんたちの中から、「何を言っているのかわからない」「変なことばかり言う」「あんなふうにはなりたくない」「あんな人と一緒にいたくない」という言葉が聞こえてきたりするのである。できるだけ本人の耳にはそんな酷い言葉は入らないように、席を離したり、スタッフが間に入ったりするのだが、私たちスタッフもそうした心ない言葉に深く傷つき、自分たちの無力さややるせない思いに苛まれ、気持ちが落ち込んでしまう。
でも、想像するに、そうした言葉を認知症の進行した方に向けて発する利用者さんたちは、いつか迎えることになるかもしれない自分の姿を想像して恐怖におののいているのかもしれない。だから、自分と重度の認知症の方との間に明確な線を引いて、自分とは違う、と思いたいのではないか。それが、あのような他者を傷つける残酷な言葉を生んでしまうのではないだろうか。それはそれで、非難の言葉を発する本人も辛いのではないかと思う。
カナさんやトウコさんは、重度の認知症の利用者さんの言動を咎めるような言葉を発したりはしない。トウコさんは、積極的にかかわるわけではないが、特に嫌悪感を見せることもないし、クリスチャンのカナさんは、重度の認知症の利用者さんをあたたかく見守ってくれていて、時々、にっこりと笑顔を向けてくれることもある。
そういえば、自信をなくしていったタケコさんもそうだった。多くの利用者さんが顔をしかめたり、かかわることを敬遠したりする重度の認知症の方に対して、いつもとても穏やかに優しい言葉をかけてくれていた。重度の認知症の方を思いやることと、できなくなっていく自分を受け入れることとは、また別のことだったのかもしれない。
いずれにしろ、自分自身と認知症の進行した方との間には線が引かれており、その引かれた線を飛び越えて互いが連続していると感じ、受け入れていくことは、どの利用者さんにとっても容易にはできないことなのかもしれない。
生きることそのものを応援する
社会には生産性に価値があるとするような風潮があるが、何かができなくなったり、誰かの役に立つことがなくなったりすることは、その人の存在価値がなくなることだとは、私は絶対に思わない。何かができようができまいが、他人に迷惑をかけようがかけまいが、人はそれぞれ最後まで生きる価値があると考えている。けれど、それを説得力のある言葉で表現することもいまだできていないし、すまいるほーむという実践の場で、利用者さんたちやスタッフたちと、自分のこととしてみんなで考えたり、認識を共有したりしていくことも、とても難しいと感じている。
ただ、できること、役に立つことに喜びを感じ、自信を回復させているカナさんやトウコさんたちが、今できていることがたとえできなくなったとしても、絶望したりしないように、喜びや希望を感じ続けられるように、すまいるほーむをその拠り所となるような場所にしていきたい、という問題意識だけは、いつも持ち続けている。
そんな私に、かすかな光が差したように思える出来事があった。それは、レビー小体型認知症のフクさんをめぐる出来事である。
フクさんは、認知症の進行とともに、最近は老人性てんかんの症状も悪化して歩くことが困難になり、食事や排泄だけでなく、移動や移乗などあらゆる場面で、全面的な介助が必要となっている。また、幻視があるようで、何もない空間に話しかけたり、手を伸ばしたりすることもたびたびだ。車いすに座りながらいびきをかいて寝てしまったと思ったら、急に目が覚めて、話し始めるということもよくある。そんなフクさんの言動は、他の利用者さんたちには不可解に思えるようで、先程のような心ない言葉を浴びせられたり、直接的なかかわりを避けられたりすることもたびたびあった。私たちスタッフはそのことにずっと心を痛めていた。
ある日の昼食の時だった。フクさんはその日はとても体調がよかったようで、自分で箸を持ち、おかずをつまんで食べようとした。介助していたスタッフは、その様子に驚き、「フクさん、すごい!」と声を上げた。その声を聞いた私や他のスタッフたちもフクさんのまわりに集まって、箸を持って食べようとしているフクさんを見守った。私たちはみな嬉しかったのだ。最近は食事の時になかなか口を開けてくれないことも増えてきたフクさんが、久々に箸を持って自分で食べようとしていることが。実際には、箸で食べ物をつまむことはできなかったが、それでも、フクさんに精気が戻ってきたようで、みんなで、「フクさん、すごいよ」と言い合った。
すると、それを見ていた他の利用者さんたちも、フクさんを応援し始めた。
「いいじゃん」「頑張っているじゃん」「今日は元気があるね」
それらの言葉はフクさんにも届いたようで、フクさんは、「いいだろ?」と言って、にんまりと笑った。他の利用者さんたちも大笑いした。何だかいつになく、フクさんに向けられる利用者さんたちのまなざしがあたたかく感じられた。フクさんも嬉しそうな様子だった。
たったこれだけの出来事なのだが、私は涙が出そうになるくらい感動していた。この瞬間、フクさんと他の利用者さんたちとが初めてつながったように思えたのだ。箸を持つことができたから、他の利用者さんたちがフクさんの存在価値を認めた、ということではたぶんない。
みんなの役に立つようなことはできなくなったフクさんだが、一生懸命生きようとしている、その姿に利用者さんたちもスタッフたちも素直に感動し、頑張れ!と生きることそのものを応援したくなったのだ。それがあの時のみんなの気持ちだったのではないだろうか。
生きることそのものを応援する。それは、何かができるとか、役に立つとかとは関係のない、生そのもののまるごとの肯定である。生きることを応援し、生きていることを喜び合う、そんなつながりがここにあることが感じられたら、たとえ、できないことが増えていったとしても絶望しないでいられるだろうか。
フクさんの生をめぐってみんなが喜び合ったような瞬間が、これからも、すまいるほーむに訪れることを私は願ってやまない。
※次回は7月17日(土)に掲載予定