
六車由実の、介護の未来12 たとえできなくなったとしても(前編)
つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく

介護という「仕事」を、私たちはどれだけ知っているのだろう。そしてコロナという未曽有の災禍が人と人との距離感を変えてしまった今、その「仕事」はどのような形になってゆくのか。民俗学者から介護職に転身、聞き書きという手法を取り入れた『驚きの介護民俗学』著し、実践してきた著者が、かつてない変化を余儀なくされた現場で立ちすくんだ。けれどそんな中で見えてきたのは、人と人との関係性そのものであるという介護。その本質を、今だからこそ探りたい――。介護民俗学の、その先へ。
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洋裁学校に通っていたカナさん
5月に入ってから、すまいるほーむには新しい利用者さんが二人加わった。カナさんとトウコさんである。二人とも80代後半の女性でアルツハイマー型認知症と診断されている。そしてもう一つ、二人に共通しているのは、手先がとても器用で、細かな手作業が得意だということである。
実はカナさんは既に、自宅近くにあるデイサービスに通っていた。だが精神状態が不安定になることがあり、自宅では寝て過ごしていることが多いという息子さんの情報から、すまいるほーむを以前からよく知るケアマネジャーが、もう少し個別にかかわりを持ち、カナさんの生きる意欲が湧いてくるようなアプローチをしてくれれば、ということで紹介してくれたのだ。新しい環境に対して非常に緊張して警戒心を持つことが多いというカナさんだが、4月下旬に行った一日体験で、利用者さんたちやスタッフたちがあたたかく迎えてくれたこともあって、すまいるほーむの雰囲気をとても気に入ってくれた。そして、今まで通っていたデイサービスと並行して、すまいるほーむも利用してくれることになったのだった。
もう一つのデイサービスでは自由な雰囲気の中で読書をしたり、他の利用者さんとの会話を楽しんだりして過ごしているということだったが、ケアマネジャーからは若い時に洋裁学校を出ていると聞いていたので、利用初日の送迎車の中で早速カナさんに洋裁の話を聞いてみた。すると、よく聞いてくれたと言わんばかりに、カナさんはちょっと嬉しそうに話をしてくれた。
「私ね、学校を出た後に、洋裁の専門学校に通ったんです。だから、洋裁は得意だったんです。横浜に住んでいる時には、近くにあったデパートの店員さんたちの制服の仕立てをしたり、繕ったりしていたんですよ。『カナさん、私のもやって!』と店員さんたちとか、デパートで働いている人たちが次々と制服を持ってくるの。だから、休む時間もなく裁縫をしていました。今じゃ針を持つこともなくなっちゃったけどね」
デパートの店員さんたちの制服を縫っていたという話をしている時のカナさんは、遠慮がちながらも少し自慢げな様子だった。その話を聞きながら、ケアマネジャーから生きる意欲につながるアプローチを、と依頼されていた私は、すまいるほーむでも、カナさんに何か裁縫の仕事をしてもらえたらな、と思った。ちょうど、デイルームの椅子に使っている座布団のカバーがこの2年間で随分と擦り切れてしまったので、裁縫のできる利用者さんに手伝ってもらって座布団カバーを新しく作り直しているところだった。そこで、座布団カバーを作るのを手伝ってほしいと伝えると、カナさんは、「いやー、駄目よ、私は。もうずっと針持っていないし、右肩も痛いんです」と躊躇したのだった。遠慮しているのか、自信をなくしているからなのか、肩の痛みが相当に酷いのか、カナさんの本心はわからなかったが、その時はそれ以上、無理にお願いすることはしなかった。
「お役に立てることがあれば幸せ」
10時過ぎ、午前中の活動の時間になり、他の利用者さんたちがそれぞれ塗り絵を始めると、カナさんは、「私はこういうの(塗り絵)はちょっと……」と言って戸惑っていた。私は、再度、カナさんに座布団カバー作りをお願いしてみることにした。
途中まで縫った座布団カバーと裁縫箱を持って、私はカナさんのところに行った。
「今、ここで使う座布団カバーを作っているんです。私、途中まで縫ってみたんですけど……。この縫い代の部分を袋縫いにしたいんですが、お願いしてもいいですか?」
「ああ、座布団カバーね。いいじゃないですか。落ち着いた色のすてきな生地ですね。袋縫いにするんですね。何センチのところを縫えばいいんですか?」
興味を持ってくれて、生地を手に取り、縫う場所を確認している。
「1センチくらいのところでいいと思います」
「じゃあ、ちょっと印をつけるから、定規とチャコペンを貸してください」
きっちり1センチのところに印となる線を引くカナさんの顔はもう職人になっていた。
「なみ縫いでいいの?」
「半返し縫いでお願いしてもいいですか?」
「一本取りにします?二本取り?」
「丈夫にしたいので、二本取りでお願いします」
カナさんは、針に黒の木綿糸を通し、チャコペンで引いた線の上を丁寧に半返し縫いで縫い始めた。隣で細密画の塗り絵をしている美砂保さんが、針を運ぶカナさんの手元を時々優しいまなざしで眺めては、「すごいですねぇ」とつぶやいて頷いていた。
昼食を食べて、みんながコーヒーを飲みながらテレビを観て寛いでいる時も、カナさんは、「続きを縫います。ぼーっとしててもしょうがないし」と言って、座布団カバー縫いに取り組んだ。そして、しばらくすると、少し恥ずかしそうに、「縫い目が踊ってますよ」と言いながら、縫い終わったカバーをテーブルの上に置いて見せてくれた。縫い目は踊っているどころか真っすぐで、一目一目の長さも均等にそろっていた。私と隣で見守っていた美砂保さんが、「すごいね、さすがだね」と感嘆の声を上げると、カナさんは、「いえいえ、縫い目が踊ってます」と繰り返したが、その声も表情も緩んで嬉しそうだった。
「ありがとうございます。こんなに丁寧に縫ってもらって嬉しいです」と私がお礼を言うと、カナさんは、「縫物とか繕い物とか、私にできることは手伝わせてください。お役に立てることがあれば、私も幸せです」と言ってくれた。以来、カナさんがすまいるほーむを利用する時には裁縫のお手伝いをお願いしている。おかげで、座布団カバーはもう何枚もできあがり、みんなで使わせてもらっている。
裁縫をすることがカナさんの生きる意欲を支えることになるかどうかはまだよくわからない。でも、しばらく遠ざかっていたかつて得意だった裁縫が今でもまだ十分にできて、すまいるほーむのみんなの役に立って喜ばれている、ということは、カナさん本人の自信の回復に少しはつながっているように思える。
トウコさんとの出会い
5月から利用を始めたもう一人の利用者、トウコさんとの出会いは偶然だった。
息子さんが、SNSに、母親が作っている折り紙の箱が大量にあるのだが、何かに使えれば譲りたい、という趣旨の記事を箱の写真をつけてアップしていたのだ。それを見た私が、箱の美しさと精巧さに魅了され、是非、すまいるほーむの利用者さんたちにプレゼントしてもらいたい、というメッセージを送ったことに始まる。
息子さんによると、母親はアルツハイマー型認知症と診断されていて、自宅にいる時には折り紙の箱を作り続けているとのこと。福祉施設などへのプレゼントも考えたが、なかなか持ち込みも難しいという。そこで私は、息子さんに、こうお願いしてみた。もし可能であれば、お母さんと一緒にすまいるほーむに来ていただいて、箱を利用者さんたちにプレゼントしてもらえないか。きれいな箱をもらって喜んでいる利用者さんたちの姿を目の前で見たら、お母さんにとっても励みになるのではないか、と。息子さんは、それはありがたい、と喜んでくれ、来所の日程を決めた。
当日は、仕事がお休みだった息子さんの奥さんがトウコさんを連れて来た。私がトウコさんのことを利用者さんたちに紹介し、持ってきてくれた箱をテーブルの上に広げると、利用者さんたちは、「きれいだねー」「かわいいね」と一斉に驚きの声を上げた。折り紙で折られた色とりどりの八角形の箱は、SNSにアップされた写真で見るより更にきれいで、華やかで、細かいところまで丁寧に折られていることがわかった。利用者さんたちばかりでなく、私も、それらを見て、心がウキウキと踊るようだった。
トウコさんは、「蓋も身も、それぞれ8枚ずつ折り紙を使うんです」と説明してくれた。「折るの、難しそうですね」と私が言うと、「そんなことないです。簡単ですよ」と微笑んだ。その笑顔がとってもかわいらしくて、私はなんだか嬉しくなった。「今度、折り方、教えてもらいたいです」と言うと、「いつでも教えますよ」とトウコさんはまた爽やかに笑った。
私たちがそんな会話をしている間、利用者さんたちは、興味津々に、それぞれいくつも箱を手に取って、眺めていた。それに気づいたトウコさんが、「よかったらもらってください」と促すと、みんなは、「こんなすてきな箱、もらっていいの?」「本当に?」と少し戸惑いながらも、箱を選び始め、「私、これ」「じゃあ、私はこれもらいます」と次々と気に入った箱をもらっていった。中には2~3個手に取った利用者さんもいたが、トウコさんは怒るどころか、「どうぞどうぞ、たくさんもらって。家にいくらでもあるから、また持ってきますね。こんなに喜んでもらって、私、嬉しいです」と少し涙ぐんでいるようだった。
トウコさんの箱
トウコさんを連れて来てくれた息子さんの奥さんによると、コロナウイルスの影響で友達づきあいもなくなり、トウコさんは家に閉じ籠るようになってしまったので、半年程前から近くのデイサービスを使い始めたとのことだった。でもそこは大規模施設のデイサービスで、利用者さんたちが大人数なので、トウコさんは馴染めずに、あまり行きたがらないという。箱や他にも手作りのキューピー人形やアクセサリー等も最初は持って行って、他の利用者さんたちに渡したりしていたが、施設の方針で今は持って行くことを禁止されているそうなのだ。それを聞いて、私は哀しくなってきた。施設側にもいろいろな事情があるのだろうが、こんな美しい箱を作る、笑顔のすてきなトウコさんが辛い思いをしている。私たちで何かできないか?
「よかったら、週1回でもすまいるほーむに来てみませんか?」と私は思わず誘っていた。息子さんの奥さんは、「ちょうどお義母さんに合う、小規模のデイサービスを探していたところなので。ここの雰囲気はあたたかくていいなぁと思っていたんです」と私の誘いを快く受けてくれた。トウコさんも、「こんなところだったら、来てみたいです」と目を潤ませていた。
一日体験利用を通して、是非すまいるほーむに来たいと思ってくれたトウコさんは、それから間もなく、今までの大規模デイサービスの利用を止めて、すまいるほーむに通うようになった。毎回、折り紙の箱を持ってきてくれるので、すまいるほーむの出窓には、トウコさんの箱がいくつも高く積まれていくのだが、でも一方で、毎回のように、利用者さんたちが「欲しい」と言って、いくつか箱を持って帰る。
有料老人ホームに入所しているサブさんは、「施設の他の入所者さんたちや職員にも分けてあげたい」と言って、6個の箱を紙袋に入れて持って帰った。そして、次の利用日には、「あの箱、みんな『欲しい、欲しい』って言って持って行っちゃって、一つもなくなっちゃったから、もう少しもらえるかな」と言って、また、5~6個選んでもらっていったのだった。
トウコさんはそれがとても嬉しかったようで、「こんなに喜んでもらえると思ってなかった。すまいるほーむに来て本当によかった」とつぶやいた。声は少し震えていた。そしてこんなことも言った。
「前のところではね、他の利用者さんたちが喜んでもらってくれているのに、職員さんがそれを取り上げて、『もう持ってこないでください!』って、私に突き返してきたんです。私、本当に哀しかった。『どうして?』って泣きました。もう何もしないで黙っていようと思いました。でもね、ここに来たら、みんなが喜んでくれるじゃないですか。職員さんたちも駄目だって怒ったりしないし。私のことを認めてもらったみたいで、本当に嬉しかったし、ほっとしました」
施設側としては箱を持ってきて配られることで何か不都合が生じる事情があったのだろうが、トウコさんが、そうした施設の職員の態度や言葉に深く傷ついてきたことは確かだ。今のトウコさんが何よりも生きがいにして作っている箱を、すまいるほーむの利用者さんたちやスタッフたちが喜んでくれる、そのことが、傷ついたトウコさんの心を少しずつ癒やしているのではないかと思う。「私のことを認めてもらったみたい」という言葉は、箱を介して、利用者さんたちやスタッフに自分の存在を受け入れてもらっているという実感を、トウコさんが持ったということなのではないだろうか。
トウコさんの箱はどんどん増えていくが、スタッフたちは、まずそれらを、利用者さんたちが食事等の時に外すマスクを入れる箱に使おうと考えた。そして、自分のマスク入れ用の箱を利用者さんそれぞれに選んでもらい、側面に名前を書いて、毎回テーブル席の上に置くようにした。その他にも、納涼祭の時に駄菓子を入れて利用者さんたちに配ろうかとか、いろいろと使い道を考えているようだ。トウコさんの箱はこれからも増えていくだろう。そして、様々な形で活用されていき、利用者さんたちを喜ばせてくれるに違いない。
座布団カバーを縫ってくれるカナさんや、手作りの折り紙の箱をみんなにプレゼントしてくれるトウコさんが、すまいるほーむという場で、役に立つことで自信を取り戻したり、みんなに喜んでもらうことで存在を受け入れられていると安心したりしているのは、本当によかったと思う。けれど、私は、その一方で、「できること」「役に立つこと」が自信や安心につながる、という思考の方向性の危うさも強く感じている。
※次回は7月3日(土)に掲載予定