
六車由実の、介護の未来05 すまいる劇団「富士の白雪姫」(前編)
つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく

介護という「仕事」を、私たちはどれだけ知っているのだろう。そしてコロナという未曽有の災禍が人と人との距離感を変えてしまった今、その「仕事」はどのような形になってゆくのか。民俗学者から介護職に転身、聞き書きという手法を取り入れた『驚きの介護民俗学』著し、実践してきた著者が、かつてない変化を余儀なくされた現場で立ちすくんだ。けれどそんな中で見えてきたのは、人と人との関係性そのものであるという介護。その本質を、今だからこそ探りたい――。介護民俗学の、その先へ。
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継母役モンダイ
これまで「つながりとゆらぎの現場から」と題して、第1回から第4回まで前後編の計8回、すまいるほーむという小さなデイサービスでの日々の出来事を綴りながら、高齢者介護の現場での人と人とのつながりの在り方とは何かを探ってきた。私自身、連載原稿を書くことで、初めてひとつひとつの出来事にじっくりと向き合うことができる貴重な時間を過ごしてきた。けれど、いずれもシリアスな内容ばかり。このコロナ禍でのストレスも強い中で、じっと向き合い続けていると少し疲れてきてしまう。そこでいったんブレイクタイム。今回は、第3回後編で触れたすまいる劇団の演目「白雪姫」が実際にどんなお芝居になったのかを紹介したいと思う。
すまいる劇団は、利用者さんたちもスタッフも全員が参加する劇団で、毎年一回敬老会に向けて起ち上げられ、昨年は地域の老人会の方たちを招待して披露した。しかし今年は、コロナの影響で老人会との交流ができなくなったので、10月に文化祭と称して、内輪で披露しようということになったのである。
利用者さんたちと一緒に、今年は何のお芝居をしようかと話し合ったところ、「白雪姫」がいいんじゃないか、ということなり、スタッフの亀ちゃんがシナリオを作ってくることになった。亀ちゃんは、白雪姫役は、すまいるほーむ一番のご長寿・97歳のハコさんがいいと考え、日頃のハコさんの言動や好きな歌を取り入れて、ハコさんが主役を演じることを前提とした、「富士の白雪姫」と題したシナリオの下案を書いてきて、9月中旬にみんなの前で披露してくれた。
それは、だいたいこんなストーリーだった。
昔々、歌が上手なかわいい女の子がいた。富士の高嶺の白雪のように輝いていたので、白雪姫と呼ばれていた。白雪姫は優しくて人気者。それに嫉妬した継母が、白雪姫を駿河湾に臨む千本浜(※)に捨ててしまう。それでも、白雪姫は小人たちと「浜千鳥」の童謡を歌って楽しく過ごしていたが、それにまた嫉妬した継母が変装して千本浜までやってきて、白雪姫に毒リンゴを食べさせてしまう。そこに通りがかった王子様が、気を失った白雪姫を見つけ、助けようとする。今はソーシャルディスタンスの関係でキスはできないから、王子様が小人たちと一緒に元気になる歌を歌ってくれると、白雪姫は「よいとどっこい、きたこらさ」と息を吹き返し、元気になる。
「白雪姫」の物語の構成は変わらない程度にすまいる風にアレンジされたシナリオだった。
(※千本浜は、狩野川河口から富士市の田子の浦にかけて続く駿河湾の海岸である。浜沿いには、戦国時代に増誉上人が住民を塩害から守るために、5年の歳月をかけて手植えしたと伝えられる千本松原が広がる。千本浜から常緑の松原越しに臨む富士山は美しく、沼津市を代表する景勝地である。)
だが、亀ちゃんは、シナリオを読み終わった後で、継母はこれでいいのかと迷っていると言い出した。というのも、継母は意地悪な上に、白雪姫に毒リンゴを食べさせてしまう悪役だから、利用者さんの誰がこの役をやってくれるのか、そもそも利用者さんにこんな役を引き受けてもらっていいのかどうか、と不安になってしまったというのだ。
すると、総監督を引き受けてくれた六さんが、「継母はタケコさんがいいよ」と言った。その場に一瞬、緊張感が走った。指名されたタケコさんは、まだピンと来ていない様子。六さんは、こう続けた。「継母は、優しすぎちゃだめ。だから、しっかりしたタケコさんがいいの」と。確かにタケコさんは、日頃から、スタッフの言葉遣い等に厳しく、いつもがつんと言ってくれるから、そういう意味ではぴったりであると言える。タケコさんも漸く状況が呑み込めたようで、「私?」と自分の胸を指さしたが、こうも言った。「継母は嫌! 本当のお母さんがいい」と。そこで、タケコさんは、継母ではなく、母親役となった。
アレンジにアレンジが重ねられ
私からは、「意地悪じゃなくて、愛情はあるけど、厳しいお母さんでいいんじゃない。お母さんが厳しいので、白雪姫は千本浜に逃げて行ってしまった、とすれば」という意見を出してみた。タケコさんも、六さんも納得。でも、問題が残る。毒リンゴをどうするか?だ。
そこに、スタッフのまっちゃんが、タケコさんにこう尋ねた。「タケコさんは、娘さんを育てる時に厳しく育てたって言ってたけど、食べ物に好き嫌いがあったらどうした?」と。タケコさんは、「好き嫌いは許さなかったよ」と即座に答えた。
「じゃあ、毒リンゴじゃなくて、白雪姫がリンゴが嫌いだった、っていうのはどうかな」
「生で食べたら気絶しちゃったんだけど、六さんがおいしく調理して、これを食べてごらん、って言って食べさせたら元気になったとか」
「さすらいの料理人六さんが通りかかって、リンゴを調理するんだ」
「六さん、何に調理する?」
「う~ん、焼きリンゴかな」
「芯をくりぬいて、グラニュー糖を入れて、ブランデーを垂らして香りづけしてから、オーブンで焼く。ローリエがあったらもっといいね」
「おいしそう!」
「でも、そうしたら王子がいらなくなっちゃうね」
「そうしたら、六さんが王子になればいい。コック帽をかぶった王子様」
「王子? 嫌だなあ。料理人でいいよ」
「継母役モンダイ」という亀ちゃんの悩みの告白から、それを解決する話し合いの中で物語にアレンジが加えられ、継母も毒リンゴも王子様も無くなっていってしまった。
更に、白雪姫を介抱する看護師さんが出てきた方がいいとか、千本浜だから、小人じゃなくて、ウーさんは昔塩を作っていたんだから、千本浜で塩作りをしている人役でいいんじゃないか、とか様々な意見が出されていき、とうとう小人も登場しなくなった。
こうして「富士の白雪姫」のシナリオは、アレンジにアレンジが重ねられていった。
役者・スタッフ紹介
その後も、お芝居のシナリオは、利用者さんたちやスタッフの言いたい放題の意見が反映されて、亀ちゃん何は度も作り直していった。その中で、亀ちゃんは、登場人物の設定やセリフに、それぞれの利用者さんから聞き書きした内容や、普段よく使う言葉や好きなこと、しぐさ等を存分に盛り込んでいき、「白雪姫」の原型をほぼ留めない、全くのオリジナルの「富士の白雪姫」のシナリオを完成させた。
そこで、本連載の読者に劇の本番の様子をより楽しく読んでいただくために、まずは、登場人物役を担う利用者さんや、お芝居に関わったスタッフや他の利用者さんたちについて、ここに紹介しておきたいと思う。なお、名前の後の括弧内には、配役や役割を記した。
○ハコさん(白雪姫役):すまいるほーむ一番のご長寿97歳の元気な利用者さん。千本浜の近くに生まれ育った。長年詩吟をたしなまれ、師範の資格も持ち、お願いすると私たちにも教えてくれる。詩吟をされていただけあって、みんなで歌を歌う時には、腹式呼吸でお腹から声を出して大きな声で歌ってくれる。好きな歌は、「浜千鳥」。昭和24年に作られた「沼津夜曲」もよく覚えていて、時々口ずさんでくれる。口癖は、立ち上がったり歩いたりする時の掛け声「よいとどっこい、きたこらさ」。
○タケコさん(白雪姫のお母さん役):戦後生まれの利用者さん。二人のお子さんを厳しく育てられ、絶対に学校を休ませなかったという。私たちスタッフの言動にも厳しく、発音や言葉遣いが気になると、びしっと指摘してくれる。でも心根は優しく、面倒見がいい。
○きよしさん(物知りのご長寿きよしさん役):男性利用者さんの中での一番のご長寿95歳。昨年、夫婦合わせて185歳ということで、地元自治会から表彰を受けた。長年自分で工場を営んでこられた経営者だったためか、すまいるほーむの朝の挨拶の時に、「今日もいろいろあると思いますが、よろしくお願いします」とみんなにあたたかなエールを送ってくれる。最近は居眠りをしていることが多いが、こちらが問いかけると、「何バカなことを言っているんだ」と言うものの口調は優しい。口笛を吹いてマロンを可愛がってくれる。
○ウーさん(千本浜で塩作りをしているウーさん役):物静かだが、カラオケの大好きな男性利用者さん。小学生の時に東京から沼津に疎開してきて、千本浜の近くに住んでいた。板金の仕事をしていた父親の手伝いをする一方、終戦直後には千本浜から潮水を汲んできて塩を作り、売り歩いて家計を支えていた。当時、千本浜で塩作りをした先駆けは、ウーさん一家だったという。
○スズさん(千本浜で浜木拾いをしているスズさん役):大正生まれの女性の利用者さん。愛鷹山の麓の地域から、千本浜の近くの農家に嫁に来て驚くことばかりだったと、当時の話をよく聞かせてくれる。特に、煮炊きに使う燃し木にするために、台風の後に、浜木(浜に打ち上げられた流木)を浜辺に拾いに行くのに朝早くから起こされたことは、辛かったという。
○美砂保さん(看護師の美砂保さん役):芸術をこよなく愛する女性の利用者さん。すまいるほーむに来る前は、ステンドグラスの作品をたくさん作っていた。他の利用者さんやスタッフをいつも気遣ってくれる優しい心の持ち主。敬虔なクリスチャンであり、誰かが病気になったり、辛いことがあったりすると、幸せが訪れますようにと祈ってくれる。
○六さん(さすらいの料理人六さんの役、総監督):本連載第1回からたびたび登場している利用者さん。20代から調理師として、沼津の老舗レストランやドライブインのレストランで働き、その後、貿易船に乗って、洋上でコック長をした経験もある。船に乗っていた時には、各地に寄港するとよくディスコで踊っていたとのことで、演歌よりも、アバなどのダンスミュージックが好き。すまいるほーむでは、行事等の企画や運営時に様々な意見を積極的に言ってくれる頼れるご意見番である。
○テンさん(リンゴ売りの少女テンさん役):歌の大好きな元気な女性利用者さん。CDやカラオケで曲がかかると、初めて聞いた曲でも、メロディを口ずさむことができるという得意技の持ち主。一人娘を育てるために、呑兵衛のご主人に代わって、朝から晩まで働いたという。特に、うどん屋で働いていた時には、一番値段の高い「天釜うどん」をお客さんに薦めて注文を取るのがうまく、ボーナスをたくさんもらった、とよく話を聞かせてくれる。
○うみさん(庭にあるローリエを提供するうみさん役):最近、すまいるほーむの利用を始めた女性の利用者さん。自宅の庭には、大きな月桂樹(ローリエ)があり、送迎の時に、何枚か葉っぱをもぎって、「料理に使いな」とスタッフにくれる。当日はお休みをされたので、マロンが代役を務める。
○亀ちゃん(ナレーション、シナリオライター、黒子):すまいるほーむの若手介護スタッフ。高校の時に演劇部だったということなので、昨年入社した直後から、すまいる劇団のシナリオ作りを任せられている。シナリオの打ち合わせや劇の練習をするたびに、利用者さんたちやスタッフから次々と「こうした方がいい」と意見が出されるので、そのたびに何度も根気強くシナリオを書き直してくれた。
○まっちゃん(黒子):すまいるほーむの生活相談員。管理者の私が大雑把な分、環境整備や利用者さんの体調や関係性など細かいところによく気がついて対応してくれる。私は、「すまいるほーむのお母さん」と呼び、頼りにしている。今回も、耳の遠い利用者さんや認知症の利用者さんのフォローを丁寧にしてくれた。
○みよさん(小道具作り):連載第4回に登場した利用者さん。手先が器用で働き者。コロナ禍ではみんなのマスクを何枚も縫ってくれている。今回は、端切れでかわいいパッチワークのリンゴを10個も手際よく作ってくれた。
○カイさん(小道具作り):すまいるほーむの介護スタッフ。デザインの仕事をしていた経験を存分に活かし、デイルームの素敵な飾りをデザインし、作ってくれる。最近は、段ボールを使った作品作りに凝っており、今回の劇では、さすらいの料理人六さんが乗ってくる船を段ボールで作ってくれた。その作りは細部の模様まで本格的な出来栄え。
さて、こんなバラエティに富んだ人々によって作られた「富士の白雪姫」は、いったいどんなお芝居になったのだろうか。本番の様子は次回に。お楽しみに!
※次回は12月12日(土)に掲載予定