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連載

呉勝浩「スワン」 vol.1

無差別銃撃事件の最中に少女が見た光景とは――。 2019年最大の問題作。呉勝浩「スワン」#1

呉勝浩「スワン」


四月八日 日曜日──

AM10:00

 うすい雲が太陽にかかっていた。なのに空は、おどろくほど青かった。ありったけの幸福を、塗りたくったかのようだった。
 四月は残酷な季節だと、イギリスの詩人はうたった。わかるけれど不満もある。べつに残酷なのは、四月だけじゃない。
「ねえ、ヴァンさん」
 肩をつつかれ我に返った。妙におどけた幼い声がせわしなく話しかけてくる。「こっち見てくださいよ。ほら、あれです、あれ」
 いわれるまま、づきはふり返った。この半年でヴァンという呼び名にもすっかり慣れた。
 首をのばし後部座席のサイドウインドウへ目をやると、アスファルトの道が光を浴びていた。佑月たちが乗るハイエースの横を車が次々走り抜けてゆく。
 片側二車線の国道だった。前を見ても後ろを見ても、きれいにまっすぐのびている。ごみごみした都会とちがい、見上げるような建物はあまりなく、それがよけいにくっきりと直線性を際立たせていた。前へ進んでいるというよりも奥に吸い込まれていく錯覚を覚えるほどで、ここへくるまでの道行き、佑月は助手席のシートにゆられながら何度となく「消失点」という言葉を思い浮かべた。中学生のころ、美術の授業で教わったとき、妙に胸がざわついた記憶がある。すべてが消えせる地点。そこにたどり着いたらどうなるのか。考えるとおそろしかった。
 大人になって気づいた。ほんとうにおそろしいのは、むしろその先があることだ。終わらないということだ。絵画の技術じゃない現実の消失点は、近づくぶんだけ遠ざかる。
「ヴァンさん、ほらほら」
 後部座席の男──サントに促され、絶え間なく行き交う車両の先をぼんやり見つめる。反対車線の路肩に、一台の乗用車が停まっていた。ライトブルーのファミリーワゴンだ。
 ちょうどぽっかり草むらになった空き地があった。車を降りている父親らしき男性、母親らしき女性、そしてまだ幼い男の子。男の子がもじもじと短パンをおろす。しゃがんで介助する母親の後ろで、父親があきれ気味に頭をかいている。トイレが我慢できなかったのだろう。
 サントの早口が聞こえる。
「ああいうの、おれ、マジ許せないんすよ。だってあのガキのションベンを、誰かが踏むかもしれないじゃないですか。臭いがつく可能性もあるでしょ? てめえのガキの不始末なんだから、てめえの車で始末しろって話ですよ」
 草むらでは母親が、ポケットティッシュで息子の手をふいている。
「あいつらも、どうせ行き先はなんでしょ? 見かけたらおれ、まっ先にやってやりますよ」
「好きにしたらいいさ。運よく出くわしたらね」
 ええ、そうします、ぜったいそうします、おれ、やってやりますから──。
 と、車体が動いた。ハイエースが車一台ぶん前へ進んだ。座り直すまぎわ、佑月の目に五分刈り頭が映った。運転手をつとめるごつい男──ガスはむっつり押し黙ったまま、目の前の車列をにらんでいた。三人のメンバーのなかでとび抜けてたくましい身体つきをした彼は文句もいわず、都心からここまでずっとハンドルをにぎっている。
「っていうかこの列、どうにかなんないんすか?」
 運転免許すらもっていないサントが悪態をついた。
 ハイエースが到着したとき、すでに順番待ちの列ができていた。二車線道路の側道、立体駐車場へつながる特設レーンの最後尾にならんで十分、のろのろと前進を繰り返し、ようやく入り口が見えてきたところである。
「もういいじゃないすか。そこらにめて歩きましょうよ。いまさら駐禁きられたって痛くもかゆくもないんだし」
「痛いよ。準備の途中で誰かにとがめられたら」
 だからわざわざこの立体駐車場を選んだ。それぞれの「出発点」に都合がよい場所を。
「ああ、うぜえっ!」醜い叫び。「駐車場不足って経営陣どんだけ無能なんすか? 素人じゃないんだから計画してつくれって話でしょうが。責任問題ですよ、こんなの」
 絵に描いたようなくそガキだなと、佑月は可笑おかしくなった。まあ仕方ない。未成年だからほんとにガキだし、おまけにネット遊びしか能がないニートくんだ。おかっぱ頭に細いあご。薄っぺらい胸板。威勢は虚勢。朝からずっと、声は上ずっている。
 いいさ。少しは我慢してやろう。彼のいうとおり、どうせすべてはいまさらだ。
「ちくしょう、こいつら、ほかに行くところねえのかよ」
 ねえんだよ──。皮肉な想いで、佑月はそんな返事をのみ込んだ。
 メンバーのうち、がわ出身者は佑月だけだった。埼玉県の東部、さいたま市に隣接するこの地域で彼は育った。生まれは西のほうだが記憶はない。小中高と湖名川で暮らし、大学で東京へ出た。ほとんど実家に寄りつかず、もう七年間、家族とは音信不通だ。
 しん宿じゆくまで車でおよそ一時間。いけぶくろなら十分短縮。典型的なベッドタウンに遊べる場所などそうはない。
 いや、ここしかない。
 単調な風景をぶち壊す巨大な白い塊──湖名川シティガーデン・スワン。
 高さこそ三階にとどまるが、この本館の建物は横に、そして奥へ呆れるほどのびている。国内最大級の敷地面積を誇るショッピングモール。今も昔も湖名川市民の生活の中心をなす施設。
 佑月もずいぶん世話になった。初めての映画、初めてのゲームセンター、初デート……。
 べつに、恨みがあるわけじゃない。
 なんの気なしにバックミラーをのぞくと、反対車線のファミリーワゴンは消えていた。草むらが陽に照って輝いている。
 彼らの目的地がスワンなら、向かった先は別館の屋上駐車場か、わりと駐めやすい有料の青空駐車場のどちらかだろう。青空駐車場の奥には池がある。大きな貯水池だ。
 ハイエースが、また一台ぶん前に進んだ。サントはぶつくさ愚痴をならべている。気にしているのかいないのか、ガスはむっつりしたままだ。
 車が吸い込まれていく立体駐車場の入り口を見つめ、消失点か──と、佑月は思った。


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