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連載

呉勝浩「スワン」 vol.14

死者21名、重軽傷者17名。無差別銃撃事件を生き延びた五人は、何を隠しているのか。呉勝浩「スワン」#14

呉勝浩「スワン」

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 入り口をふさぐかたちで置かれたホワイトボードに、いずみは少しばかり威圧感を覚えた。ボードには横長の紙が三枚貼られていた。三枚ともにおなじ図形が描かれている。長い廊下のような見取り図だ。上から3F、2F、1Fとならぶそれがスワン本館を表しているのは一目瞭然りょうぜんだった。右端の大きな円は白鳥広場だ。3Fと2Fの図には別館へつながる連絡通路も描かれている。逆側には黒鳥広場があり、3Fの紙にはスカイラウンジの略図もある。ぱっと見、かなり詳細な図面のようだ。





 それぞれの噴水広場に丸いマグネットが打たれていた。白鳥広場のものには丹羽、黒鳥のほうには大竹と書かれている。
「十一時、ふたりはこの位置から犯行を開始しました」
 ボードの前に立つ徳下が道山を向いた。
「道山さま。いらっしゃった場所をご記憶ですか」
 男は身体を丸め、叱られた生徒のように答えた。
「……一階の、花壇の辺りに」
 徳下が手にしたバインダーに何やら書き込んだ。それからおもむろに、マジックで「道山」と手書きされたマグネットを1F図の中央付近に打った。
 スワン本館にはエスカレーターを備えた大きな吹き抜けが左右の噴水広場のあいだに五つある。徳下の見取り図では右の白鳥広場に近いエスカレーターから㋐、等間隔に㋑、㋒とつづき、黒鳥広場の手前が㋔といった具合に名づけられていた。道山がいう一階の屋内花壇は吹き抜け㋒の場所に位置し、かわいらしいリラの花をいっぱいに咲かせるこの花壇は、噴水広場とならぶ定番の待ち合わせスポットだ。
「生田さまはいかがですか」
「あまりよく、おぼえていないのだけど……」ゆるいパーマがかたむいた。「二階の、眼鏡屋さんの前だったんじゃないかしら」
「『キノメガネ』でしょうか」徳下の確認に、「たぶん……」と不安げに返す。
 そんな「たぶん」があるだろうか。いずみの頭を疑問がかすめた。
 徳下はかまうことなく「生田」のマグネットを2F図の左のほうに打った。黒鳥広場にもっとも近い、エスカレーター㋔のそばである。
 二階と三階は、フロアの中央がずっと吹き抜けになっていて、左右に通路がわかれている。行き来するには渡り廊下を使わねばならない。各エスカレーター間に三本ずつある渡り廊下も見取り図には描き込まれていた。
 わかれた通路の片方──見取り図で上部にあたるほうは「駐車場側」としてあった。ぴったりおなじ長さの立体駐車場がくっついているからだろう。
 反対の通路は「貯水池側」とされていた。生田のマグネットが打たれたのは駐車場側通路だ。
 報道によると、立体駐車場では慌てて車を発進させた人々によって衝突事故が多発していたという。車と車がぶつかる激しい音やクラクション、神経を逆なでする防犯ブザーといった騒音に尻込しりごみし、フロアから逃げそびれた者もいる。それが理由で被害に遭った者も。しかし彼らを間抜けと笑うのはしょせん、あの混乱の中にいなかった連中だといずみは思う。
「保坂さまは」
「三階だ。その図でいう㋐の、白鳥寄りのところだ」
「駐車場側通路ですか?」
「『モルゲン』というアウトドアの店にいた」
 へえ、という嘆息。波多野だ。
「登山がご趣味で?」
「君になんの関係がある」
「こりゃ失礼。お呼びじゃなかったですね」
 肩をすくめ、「じゃあ次はおれが」と右手を挙げる。
「黙秘します」
 みな、徳下に負けないくらい目を丸めた。
「べつにいいんでしょ? 嘘さえつかなけりゃ」
「いえ、さすがに困ります」
 徳下がとぼけた口調のままいう。「黙秘を認めれば真実の解明は遠のいてしまいます。消極的妨害とみなし、嘘と同様、『故意に重要な情報を隠すこと』として減額の対象とさせていただきます」
「答えたくない質問でも?」
「くだらんことでゴネるな」保坂が怒ったように吐いた。「たんなる居場所の確認じゃないか」
「そうなんですけどねえ。でも答えたくないんですよ。あ、答えたくない理由も答えたくないんで、もうオール黙秘ってことでお願いします」
「わかりました。もし気が変わりましたら会の終了までにお声がけください」
 妙な空気になった。道山や生田がそわそわしだした。むっつりとする保坂の目つきも鋭い。
 波多野が投げかけたのは黙秘というやり方ではなく、「この場で真実を語ってもいいのか?」という問いかけだった。いずみはざわざわするお腹を押さえ、きつくまぶたを閉じる。
「片岡さま」
 小さく息を吐く。
「いらっしゃった場所を教えていただけますか」
 目を開ける。ホワイトボードに貼られた見取り図へ向く。
「わたしは──」
 半年前の午前十一時。風のない春の陽気、青い空。
「スワンにいませんでした」

「なんだこの茶番は!」
 テーブルを叩くや、保坂がいきおいよく立ち上がった。
「わたしがこの会に参加したのは被害者の無念を弔うためだ。遺族に真実を伝えるのが生き残った者の使命だと思うからだ。それがどうだ? 黙秘にあからさまなでたらめとくる。こんなものに付き合ってられるかっ」
 いずみは彼のほうを見なかった。口をつぐみ、テーブルを見つめた。
 となりから波多野の苦笑が聞こえた。「心外だなあ、保坂さん。話したくないから話さないってふつうでしょ? 取り調べじゃないんだし」
「だから茶番だといってるんだ。金で釣るようなふざけた条件も人を馬鹿にしている」
「あなたが報酬を返上するのは自由ですけど、おれはごめんですね。無給労働は会社と家庭で間に合ってるんで」
 冗談めかして肩をすくめ、それに──、とテーブルに頬杖ほおづえをつく。
「おれの黙秘はともかく、彼女が嘘をついてるとはかぎらないでしょ」
「十一時にスワンの外にいた人間が、どうして事件に巻き込まれる?」
「あとから建物に入ったのかも」
「みなが逃げだしている波に逆らってか? 話にならん」
 保坂の視線が波多野から自分に移るのがわかった。
「君は恥ずかしくないのかっ。そんな責任逃れのような嘘をついてどうするつもりだ」
 いずみは答えない。それが保坂の苛立ちに拍車をかけるのだとしても。
「知ってるぞ。君はスカイラウンジにいたんだろ? そして囚とらわれた人たちを見捨てた」
 報道に、悪意があったとは思わない。少なくとも事件発生当初、片岡いずみの名が公になったのは、悲惨な事件に巻き込まれながら九死に一生を得た生存者としてだった。病院のベッドで過ごしたひと月とちょっと、母の計らいで事件報道にはふれなかったが、気の毒な女子高生に対する同情と励ましの声が寄せられていたのは想像に難くない。
 そうした善意が引っくり返ったのは、五月の半ば。
「人間のすることじゃない」
 聞き飽きた台詞。
「おなじ被害者としてくくられるのも不愉快だ。こうして顔を合わせていること自体が」
「いいかげんにしろって」
 鋭い響きだった。思わずいずみは顔を上げ、波多野を向いた。
「週刊誌とネット掲示板の見すぎだっつーの。べつにこの子が進んで人を殺したわけじゃないだろ」
「犯人に差しだしたようなものじゃないかっ」
「よくそんなこといえるなあ。あんたこそ、ほんとに事件の現場にいたんですか? 我先に逃げだした奴なんて腐るほどいたでしょうに」
 保坂の動揺から、彼に向かう波多野の真剣な表情が察せられた。
「ほら。あんたが怒鳴るもんだから生田さんも道山くんもびっくりしちゃってますよ。そのままお帰りになるか深呼吸でもしてお座りになるか、選んだらどうです?」
「保坂さま」
 徳下が口を挟んだ。「ご希望でしたら報酬は、秀樹氏が参加されている支援グループを通じて被害に遭った方々へお配りすることも可能です」
 保坂がどすんと腰をおろした。真っ赤に上気した肌にしわが刻まれている。
「片岡さま。先ほどの質問のつづきですが、事件発生時刻、スワンではなくどこにいらっしゃったのでしょうか」
「──スワンのそばの、貯水池です」
 ふたたび保坂から、文句をいいたそうな気配が漂う。
 その前に徳下が仕切った。
「わかりました。では次に進みましょう。ここからはNO動画に沿って十分ごとの行動を伺ってまいります。まずは十一時から十一時十分です。ちなみにスワンの防災センターから警察へ通報があったのが十一時五分過ぎ。十分は、ちょうど館内に避難指示の放送が流れだした時刻となります」
 この十分間、丹羽と大竹はそれぞれ犯行を開始した広場の付近にとどまっていた。
「片岡さまから伺ってもよろしいですか?」
「わたしは──」太ももの上で組んだ手に力がこもった。「貯水池からスワンへ向かっているところでした。道路を渡って、いちばん近くだったから……たぶん、屋内花壇の、黒鳥広場寄りの出入り口から、だと思います」
「おかしい」またもや保坂だ。「貯水池側の出入り口には避難客が殺到していたはずだ。屋内花壇にいた大勢の人たちがな。それに逆らって進んだだと? つじつま合わせにしか聞こえん」
「保坂さま。ご意見があればのちほど伺います。わたくしの聞き取りを遮るのはご遠慮ください」
 保坂が黙るのをたしかめ、徳下がこちらへ顔をもどした。
「館内の異状には気づいていたのですね?」
「それは、入ってすぐ。避難の放送が流れてたから」
「けれど中へお進みになった」
「待ち合わせをしていたんです。──友だちと」
 古館小梢の、整った顔が脳裏に浮かぶ。
「その子のことが、心配で」
「待ち合わせ場所へ向かった、ということですか」
「──そうです」
 徳下が、ペンでバインダーに何か書き込んだ。
「電話で連絡をとろうとは思いませんでしたか」
「いちおう、スワンに入る前に一度つながって……。でも、まともに話せませんでした」
 混乱でいっぱいだった。冷静な判断ができないほどに。
「待ち合わせの場所はどこだったのでしょう」
「──キッズショップの辺り」
 ふむ、とバインダーの紙をめくって確認してから、「この辺りですね」とホワイトボードの3F図、黒鳥広場のほうにある吹き抜け㋓の付近を指す。
 いずみが黙っていると勝手にうなずき、
「なるほど。わかりました」
 拍子抜けするほどあっさり、徳下はいずみを解放した。
「波多野さま、お願いします」
「ここでペラペラしゃべったら、さっきの黙秘が意味なくなるよね」
「館内放送が流れたときの居場所ならどうですか」
「今日のとこは、まあ、やめときます」
 攻撃的な鼻息が、保坂の席から聞こえた。波多野は平気な顔で受け流している。
「では次に──」
「あのう」
 生田がおずおずと手を挙げた。「急いでもらえません? わたし、そろそろ帰らないと、息子が部活から帰ってくるのよ。あの子、ご飯が準備できてないとすぐ怒るから……」
「かしこまりました。急ぎ足でまいりましょう」
 まず保坂が語った。事件発生時は『モルゲン』でアウトドア用品を物色していた。館内放送まで騒ぎには気づかなかった──。直線距離でいうと丹羽が犯行を開始した白鳥広場はすぐそこだが、一階と三階のちがいが事件を遠ざけていたのだろうか。狭苦しい店内には保坂のほか若い男性店員がひとりいるだけで、その彼もとつぜんの館内放送におどろいた様子だったという。
 生田は事情がちがった。本館二階にある眼鏡屋にいた彼女は吹き抜けから響く破裂音を耳にしている。黒鳥広場で大竹が上空に向け放った一発目の銃声だ。何事かと階下をのぞいた。すぐに二発目の銃声がして、悲鳴や怒号が聞こえ、次いで逃げ惑う人々の姿が目に飛び込んできた。
 パニックで頭の中が真っ白になったと彼女はいう。
「しばらく動けなくて……イベントか何かじゃないかしらって。でも銃声はどんどんするし、みんな走りだしちゃうし、とにかく、動かなくちゃと思って、たぶん、ちょっとふらふらと、その場を離れたのね」
「黒鳥広場から遠ざかる方向へですか」
「ええ、そう。みんなについていく感じで」
「館内放送はどこで聞いたのですか」
「それはちょっと、よく憶えてないのよ。だって通路はまっすぐだし、どこも似たような感じでしょ? ほら、カッとなっちゃうと、そういうことってあるじゃない?」
 ええ、そうですね、と徳下は子どもをあやすように大きくうなずく。
「階の移動はしませんでしたか」
「たぶん」
「ずっと駐車場側の通路を?」
「ええ、おそらく」
「脇道にあるトイレや喫煙所へ逃げ込もうとは思いませんでしたか」
「それは……それはあなた、そんなふうに頭はまわりませんよ。だって怖かったんですよ? 仕方ないじゃないですか」
 ふくよかな生田の頬が、いっそうぷっくりふくらんだ。
「もういいかしら? これ以上話せることはありません」
「はい、けっこうです。ありがとうございました」
「おれは──」
 待ちきれないといったふうに、
「何もしてないっ」
 道山が小さく叫んだ。
「おれは……」
 呆気あつけにとられる面々を見もせず、
「何もしてないんだっ……」
 手のひらを目頭に当てる。
 頭の片隅が、じわりと湿る感覚があった。道山が流す涙とちがい、自分のそれは毒の水だといずみは思った。
 とっさに北代医師の水槽をイメージした。かすかなゆらぎしか存在しない静寂の空間。ゆれそうになる心を、あの水槽に沈めなくては。
「そんなふうにいわれると、何かしたのかなって思っちゃうけど」
 波多野のつぶやきに、道山が血走った目をいた。
「冗談だってば」
「道山さま」徳下に動揺はいっさいない。「十一時から十一時十分までの行動をお聞かせください」
 彼はふたたびうつむき、目もとをぬぐった。「花壇の辺りに、いた」
「十一時からずっとですか」
「そうだよ」
 ふてくされたような口ぶりだ。
「お店にご用があったのですか? それとも誰かを──」
「どうでもいいだろっ。あんたがいう、菊乃って人の事件とは関係ないんだから!」
「たしかに」
 興奮を持て余したように、道山は自分の口もとをこぶしで打った。ぎりっと指をんでいた。
「よく、わかりました。本日はここまでとしましょう」
 しばしお待ちを、と断って徳下が小部屋を出た。居心地の悪い沈黙がおとずれた。うずくまるように身を丸めている道山、しきりと紅茶を口にする生田、忌々しげに歯ぎしりをしている保坂、だらしなくテーブルに突っ伏す波多野。身を硬くし、お腹を押さえている自分。親睦しんぼくを深めようなんて雰囲気は少しもない。
 やはり、失敗だったのだろうか。こんな会、参加するべきじゃなかったのかもしれない。
「お待たせしました」
 封筒を手に、徳下がもどってきた。
「みなさま、ほんとうにお疲れさまでした。本日の謝礼です」
 それぞれに配ってまわり、
「これにて一回目の会合を終わります。また来週、おなじ時刻にお待ちしております」
 散会を告げた。

 後ろ髪を引かれる気分で半地下の階段をのぼった。空はすっかり夜に染まっていた。通り沿いの軒先に明かりがともっている。秋の夜風が、薄着にちょっと涼しすぎる。
 ひときわネオンが光るパチンコ屋の手前で、背後からププッとクラクションが聞こえた。
「お疲れさん」
 乗用車が、いずみのそばに停まった。
「電車で帰るの? よかったら送ってくよ」
 運転席から身を乗りだした波多野の表情が、一瞬で凍りついた。
「そこまで、嫌がんなくても……」
 戸惑いをごまかすひきつった笑みに、いずみは言葉を返せなかった。
 自分でも異常な反応だと思う。たんに背後からクラクションを鳴らされただけ。けれどいずみの肌は汗を垂れ流し、血液は凍りついた。
「ごめん。デリカシーなかったかな」
 身構え、いまにも叫んで走りだしそうないずみを気づかうように、波多野がつづけた。「今日のことで誰かと少し話したくてさ」
 動悸どうきがおさまってきた。波多野に悪意は見てとれない。保坂の追及から守ってくれたことを思いだす。
 何よりいずみも、さっきの会合について誰かと話がしたかった。
「車が嫌ならどっかカフェでもいいし。ちょっとだけ付き合ってくれたらうれしいんだけど」
 後続車のヘッドライトに照らされた。路肩に停まる車を邪魔くさそうによけてゆく。
「……後部座席で、窓を開けてくれるなら」
「もちろん」
 いずみが乗り込むや、波多野は新松戸駅の方向へ車を走らせた。三郷の近くまでと願ういずみに、「方向がいっしょでよかった」と彼は返した。
「まあ、みんな似たようなものだろうけどね。おれたちってようするに、スワン仲間なわけだし」
 日本最大級のショッピングモールには県外からくる人たちも多いと聞くが、やはり大多数は周辺に暮らす地元民だ。
 前を向いたまま波多野が尋ねてくる。「片岡さんもスワンっ子なの?」
「……わたしは、『ららぽーと』のほうが近いから」
 三郷からひと駅のところにある、こちらも巨大なショッピングモールだ。スワンともたった三駅しか離れていない。
「そんな近くにふたつもつくらなくていいのにね。贅沢ぜいたくというよりわびしい気がしちゃうよ」
 中学時代、地元の友だちとつるむときは『ららぽーと』、ちょっとおめかししたいときは『スワン』と使いわけていた。地元の友だちと距離を置き、高校に進学し、どちらからも足が遠のいた。四月のあの日も、ひさしぶりの訪問だった。
 ここにはなんでもあるけれど、ほんとうにほしいものはない──。
 丹羽佑月の声が、耳鳴りのようによみがえる。ぎゅっとお腹を押さえる。水槽の中をイメージする。
「生田さんちはだいぶ近いみたいだね。自転車だったから」
 歌うように波多野がつづけた。「保坂さんは駅のほうへ歩いてったな。道山くんは逆方向へ」
「──見張ってたんですか?」
 散会ののち、まっ先に席を立ったのは波多野だった。
「あそこじゃ声をかけづらかったからさ。誰を誘おうか考えたんだけど、片岡さん以外はちょっとしんどそうで」
 うれしい気はしなかった。むしろなめられていると感じた。
「どうせなら有意義な意見交換がしたいじゃない?」
 その点は同感だ。保坂たちはクセが強すぎる。話し合うなら自分も波多野を選んだだろう。
 車は大通りを進んだ。
「まあ、変な集まりだよ」
 信号が赤になったタイミングだった。
「だっておかしいでしょ? 事件のことが知りたいならひとりずつじっくり話を聞けばいいのに」
「──まとめたほうが手間にならないからじゃ?」
「四回にわけるほうが手間だよ。毎回五人ぶんの交通費や参加費を払うのも非効率的だし。保坂さんみたいに高圧的な人のせいで口をつぐんじゃうリスクもあるし」
 まさにいずみがそれに近かった。
「お互いの記憶をすり合わせるためかなとも考えたけど、釈然としないんだ。徳下さん、嘘は見抜けるみたいな感じだったじゃない? でもそこまで情報あるならさ、そもそもおれたちの話を聞く必要ないじゃん」
 信号が青に変わる。
「犯人の動画だけじゃなく、防犯カメラの映像も手に入れてるっぽかったよね。でなきゃ嘘を見抜くなんて無理だろ。でもだったら、それをくまなく観ればさ、菊乃さんの死の真相なんてだいたいあきらかになるんじゃない?」
 おぼろげに波多野の疑問がわかった。いずみたちの嘘を見抜けるほど情報をもつ一方で、菊乃の死に対する疑問を解決できないという矛盾。
 ただし──。
「防犯カメラは、ほとんどの店舗についてなかったって、報道か何かで見ました」
 ネットの掲示板だっただろうか。フロアの共用部には運営側のカメラがあるが店舗についてはそのかぎりでなく、設置は借主の任意だ。売り場面積にもよるが、ショッピングモールでの設置率は一般的にも低いという。
 そして──。
「スカイラウンジにも、カメラはなかったはずです」
「へえ」波多野が大げさに感嘆した。「くわしいね、さすがに」
 いずみは黙った。相手の口調に悪意を探してしまう。これも事件以降に身についた習性だ。
「でも菊乃さんが殺されたのはスカイラウンジじゃなくて黒鳥広場でしょ? なら映像は残ってるんじゃないかな」
 犯人は明白だ。でなければ警察が黙っているはずがない。
「おれは最初、ったのは大竹だって思い込んでたけど」
 場所が黒鳥広場だったからだろう。しかし死亡推定時刻がはっきり否定している。十二時前後、黒鳥広場にいたのは丹羽だ。
「とはいえ、『だからなんだ?』って話だよね。犯人が丹羽だろうが大竹だろうが、そんなに変わりゃしないでしょ。ま、菊乃さんがエレベーターに乗ろうとしてたってのは気にならなくもないかな。身内のことだったら、ね」
 他人にとってはどうでもいいこと──そんな本音がにじんでいた。
「ほかにもネタがあるんだろうけど……でも徳下さん、よくできたアンドロイドみたいじゃない? 腹で何考えてんだかぜんぜん読めない」
 悲劇の総括──そう口にした徳下と、目が合ったのを思いだす。おかしな言い方だが、こちらを向いたあの眼差まなざしは、妙に人間っぽかった。居心地が悪くなるほどに。
 車が南流山を過ぎてゆく。
「もしさ」波多野の口調はわざとらしいほど軽かった。「もしも、吉村社長がNO動画とか防犯カメラとか、警察の捜査情報だとかをちゃんと手に入れててさ。それを吟味したうえで何か不審を抱いているんだとして。だったらよけいに手あたりしだい声をかけるなんて真似はしないと思う。すぐ避難しちゃったような、関係ない奴らを集めたってしようがないから」
「──わたしたちは、それぞれ理由があって声をかけられたと?」
「かもしれない。片岡さんの場合はわかりやすいよね」
 スカイラウンジの生き残りだからだ。保坂もいっていたが、菊乃の動きを知るためには欠かせない証言者だろう。
「でもほかの人はよくわからないな。おれもふくめて」
 江戸川にかかる橋が見えてくる。車が詰まっている。
「あのお茶会は、もしかして、懲らしめるためにやってるのかもしれないね」
「懲らしめる?」
「社長には目をつけてる人物がいて、そいつを狙い撃ちにしてるってこと。複数人を一堂に集めたのは吊るし上げるためでさ。ほかのメンバーはたんなる数合わせ」
「でも、それだと」
「うん。誰が吉村社長のお目当てなのか、気になるよね」
 波多野の推理に不自然さはなかった。ただ一点、彼自身のこと以外は。
「もちろん、ぜんぶ社長の勘ちがいって可能性もある。菊乃さんは気の毒な被害者のひとりで、事件に裏なんてない。社長はあらぬ妄想にとりつかれてお金と労力を無駄にそそいでいる」
「……徳下さんも、無駄とわかってつき合ってるってことですか」
「だから黙秘してみた」
「え?」
「あの人がどこまで本気かたしかめたくてさ」
 黙秘の宣言に対し、ふいをつかれた気配はあったものの、さほどの動揺は感じなかった。
「興味がないのか事務的にお仕事をこなしてるだけなのか。でもよく考えたらあんまり意味なかったな。だって嘘が見抜けるのがほんとなら、おれが話しても話さなくても彼にとってはいっしょだもんね」
 いずみは応じなかった。徳下の真意を見抜くヒントはある。帰りぎわに手渡された最大三万円のボーナスだ。会合の目的を邪魔する嘘をついた場合のみ減額すると徳下はいっていた。黙秘を選んだ波多野の場合は参考にならないが、この金額から徳下がもっている情報の精度を推し量ることはできるだろう。
 君はいくらだった? ──波多野に訊かれたら、どう答えようか。
 進まない車列にハンドルから手を放し、いずみに視線をよこしてくる。
「社長の正気は怪しい。けど、怪しさならおれたちだって負けてない。こんな怪しい誘いにのってるんだから」
「──わたしの目的はお金です」
「おれもそれ。嫁さんの命令。金がもらえるならどこへでも行ってこいってケツ叩かれちゃってさ。あんたの稼ぎじゃ子どもの学費もままならないって」
 やれやれと頭をかく。
「でも、ほかのみんなはどうなんだろうね。保坂さんはリタイア組かな。生田さんは所帯じみてたね。道山くんはフリーター? でもどうかな。のこのこやってきたくせに、あんなにびくびくした態度って変な気がする。たった一万円のために」
 波多野のいうとおりだ。手紙の時点では「交通費と一万円ほどの謝礼」という記載しかなかった。皆勤賞や成功報酬、ボーナスについて聞かされたのはついさっきだ。
「高校生には大金でも、大人が目の色変える額じゃないよね」
 最近の高校生も大金とは思わないのかもだけど──、と茶化し、
「何人に声をかけて、何人が断ったのか知らないけど、おれたちは集まった。保坂さんが主張したような正義の心なのか、お金のためなのか、もっとべつの理由か」
「べつの理由って?」
「こういう場合、ありそうなのはどっちかじゃない? 何かを暴きたいか、隠したいか」
「……隠したい人も、参加しますか」
 うーん、とうなってから、「ウチの嫁さんって口が悪くてさ」と唐突に語りだす。「おれなんか毎日ぼろくそにいわれてんだよ。外じゃあ猫をかぶってるそうなんだけど、近所のママ友とおしゃべりなんかしてるとうっかり、いつものくせできつい言葉を口にしちゃったりするらしくてね。で、あとでくよくよ悩むわけ。怒らせたんじゃないか、嫌われたんじゃないか。みんなに悪口をいわれてやしないか。ほっときゃいいのに気になってしようがないんだって」
 まゆを寄せたいずみへ、バックミラー越しに苦笑を見せる。
「嫌なもんなんだよ。自分のいないところで罪を暴かれるのは」
 いずみは唇を結んだ。罪──という響きが胸に刺さった。
「ま」と、ハンドルに手をもどす。
「このお茶会、集めた側も集まった側も、いろいろ事情があるんだろうね」
 ようやく前に進みだす。橋の上をのろのろ走る。開けた窓から涼しい夜風が吹き込んで、けれどじっとりにじむ汗がやまない。暗闇に沈む川面かわもから目をそらした拍子に、いずみは徳下から受け取った封筒の中身を思いだした。
 三万円のボーナスは、予想通り、ゼロだった。

>>#15へつづく



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