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連載

呉勝浩「スワン」 vol.10

死者21名、重軽傷者17名。無差別銃撃事件を生き延びた五人は、何を隠しているのか。呉勝浩「スワン」#10

呉勝浩「スワン」

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 PM12:00

 音楽が聞こえた。オルゴールのような音色だ。メロディは弾んでいる。音源は通路の先の突き当たり、黒鳥広場だ。
 もうそんな時刻か、と丹羽佑月はゴーグルを外して捨てた。急がないと、そろそろ邪魔が入るころである。
 歩を進めつつ、佑月は可笑しくなった。スワンは『白鳥の湖』を意識して建てられた。だから噴水を置き、からくり人形を仕込んだ。白鳥オデット、黒鳥オディール、それにジークフリート王子。こいつらをくるくる回らせとけば恰好がつく──。いかにもチープな発想、チープな美意識。こうした世界の醜さが、佑月少年のきらきらした感性をびつかせてしまったのかしら。
 そう考えると、笑えた。笑いながら、拳銃を撃った。とくに狙いもなく、気まぐれに。ほとんどの客が避難を終えている。有意義な獲物に出会う確率は低い。ガスの真似みたいでしやくだったが、銃弾を余らせるよりはマシだろう。
 ガス。図体だけ立派な腰抜け野郎。意気がってサントを撃ち殺していたが、肩は震えていた。目は泳ぎ、汗をだらだら流していた。途中で見かけた様子からも小心者ぶりがうかがえる。まったくもってピエロじゃないか。
 ドン、ドン、ぽいっ。いよいよショルダーバッグが軽くなった。中にはあと四、五個くらいしか残っていない。
 ドン、ドン。空の銃を放り捨てたとき、ひらけた場所にたどり着いた。眼下に黒鳥の泉が見えた。黒い衣装のオディールがくるくる回っていた。倒れている人間がいないか探してみるが、見当たらない。血の跡すらない。ふん。やっぱりな。しょせんガスはその程度の奴だ。
 両手にひとつずつ拳銃をにぎる。ショルダーバッグは空になった。拳銃の残りはチョッキにおさめた四個と腰に差した一個だ。
 佑月はエスカレーターで三階を目ざした。用なしのバッグを宙に放る。妙に身体が軽くなった。同時に、ぽっかりとした気分になった。
 初めその理由を、ゴーグルカメラの撮影が終わったせいだと解釈した。緊張が途切れてしまったのだと。映像に残そうと提案したのは、このドキュメントをたんなる記録ではなく「丹羽佑月の作品」にしようと思ったからだ。一方で、最後の最後は撮影しないと決めていた。名作や傑作には観客の想像力をかき立てる余白が必ず残っている。譲れない持論だ。
 つまり、この虚脱の原因は、ほかにある。
 何か、足りない。しびれるような快感、高揚。日常を超えた風景、研ぎ澄まされる五感。たしかにそれはあったけど、望んでいたとおりだったけど、けれどそれ以上じゃなかった。ゴヤの『マドリード、一八〇八年五月三日』やドラクロアの殺戮さつりく絵画を初めて目にしたときのような鮮烈を期待したのに。『ダイ・ハード』みたく初めから終わりまで、わくわくするかと思っていたのに。
 こんなものか、という失望が否めない。虚空に銃声を響かせたところで『ポンヌフの恋人』がすくいとった解放感にはほど遠い。
 エスカレーターに運ばれながら、何が足りないんだろうと考えた。やはり敵か。これがアクション映画なら、主人公に負けない魅力的な敵役が欠けている。いやこの場合、佑月たちが敵役か。すると求められているのは逆境に打ち勝つ、強烈な個性をもった主人公ということか。そんなもん、どうやって用意すりゃいいんだよ。
 自嘲しているうちに、三階に着いた。
 透明な筒が天空にのびている。その先にある、消失点。
 物足りない気もする。だが潮時だ。美しいものはたいてい、引きぎわを心得ているものだ。
 佑月は拳銃を手に、透明な筒へ向かう。この上にあるスカイラウンジ。そこが佑月のラストステージだ。
 ボタンを押す。けれどエレベーターはこなかった。
 ああ、と察した。異変に気づいたラウンジの客たちが上階で停めているのだ。その可能性をすっかり見落としていた。
 ふっと感情が込み上げ、佑月はエレベーターのガラスドアをりつけた。この日初めて、明確な苛立ちを覚えた。台無しだ。これでぜんぶ台無しだ。
 怒りにまかせドアを殴りつける。上空をにらむ。
 しかしそこにエレベーターの箱はなかった。もしやと思い見下ろすと、箱の天井が見えた。一階に停まっている。
 胸をなでおろし、もう一度ボタンで呼ぶが、やはり箱は動かない。電力が切られている? しかしエスカレーターは動いている。
 疑問はあったが考えても仕方なかった。下りのエスカレーターを駆けおりる。
 黒鳥広場に着き、やっと状況がわかった。エレベーターの箱とフロアにまたがる、女性が倒れていたのだ。胴体の部分が邪魔をして、ドアが閉まらなくなっている。
 くそっ。ガスのボケが。ほんとによけいなことばかりしやがる!
 佑月はうつ伏せになったその障害物に近寄り、八つ当たり気味に拳銃を撃った。後頭部と背骨のあたりに一発ずつ命中した。運動靴を履いた両足をつかみ、引きずりだした。
 箱に乗る。スカイラウンジ行きのボタンを押す。『四羽の白鳥』がやむ。黒いオディールが噴水の底へ沈んでゆく。
 箱は無事に動きだした。息をつく。これじゃあドタバタコメディだ。シナリオライターは死刑だな。
 ふたたび、佑月はむなしさを覚えた。なんだ、これは。この締まりのない感じは。なんだかな。なんだかなだぜ、ほんとに。
 上昇しながら外の風景を眺める。貯水池が目に入る。水面は静止画のように穏やかだ。あの池を死体で埋めて、真っ赤に染めるほうが美しかったかもしれない。
 貯水池の向こうに湖名川市の町並み。ずらりとならぶ建物は奇妙なほどおなじ背丈で、まるで人工の地平線だ。丹羽佑月が育った町。そして真っ青な空。
 箱が止まった。束の間の物思いを切りあげる。
 ドアが開き、佑月は思わずのけぞった。
 ああ──、そりゃそうか。
 エレベーターが動かなかったんだから。ならばここに客が残っていたって不思議じゃない。
 ドアの向こうで、不安げにこちらを見る顔、顔、顔。
「あっ──」
 佑月が構えた拳銃に、三人ならんだ女たちの、真ん中の子が反応した。「大丈夫だよ」と佑月は答えた。
「大丈夫だから、動かないで」
 救助を待ち焦がれていたのだろう。真ん中の彼女が絶望とともに息をのむのがわかった。その姿に、佑月は心のなかで喝采かつさいを送る。
 なんてことだ。すごいギフトだ。ドタバタの甲斐かいがあったってもんだ!
 細長い手足、身体。派手さのない顔つき、気が強そうな目の感じ。そして可愛らしいポニーテール。何もかも彼女は、文句なく、佑月の好みにぴったりだった。
 ここにいた。「物語」の主人公が。
 スワンを見下ろす頂上で、ひとり孤高の死を遂げる──そんなエンディングはご破算となったけど、代わりにこのB級映画のフィナーレを飾る、とても素敵なアイディアが降ってきた。
 佑月はにっこり笑い、箱の外へ一歩を踏みだした。

>>#11へつづく ※10/10(木)公開



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