KADOKAWA Group
menu
menu

連載

呉勝浩「スワン」 vol.11

さあ、選ぶんだ。次に誰を殺すのか。呉勝浩「スワン」#11

呉勝浩「スワン」

>>前話を読む

 PM12:10

「名前は?」
 男の声は優しかった。
「……片岡、いずみ」
 自分の声はぎこちなかった。
「へえ、いずみ! いやあ、ぴったりだなあ。うん。大切だからね。名前は大切だ」
 後頭部に銃口が当たっていた。男のもう片方の手にも拳銃がにぎられていた。男はそれを、いずみの前にならぶ面々へ向けていた。ぜんぶで九人が、両手と両ひざをついて四つん這いになり、うなだれるように頭を下げ、組体操のように肩を寄せ合っている。
 エレベーターでやってきた男はスカイラウンジの客たちに、テーブルをどけて四つん這いになるよう命じていた。抵抗し、頭を撃たれた店長が、カウンターのところに倒れている。
「いずみはこの辺の子かい?」
 世間話のように男がいった。
「──いえ。ちょっと離れてて。市内だけど」
「ふうん、そっか。今日は何をしにきたの? 買い物? デート?」
「──誘われて」
「誰に?」
「……友だち」
「そっか。それは災難だったね」
 にこやかに、男がつづけた。
「ねえ、いずみはさ、良い子だろ?」
「え?」
「ぼくにはわかるんだ、心のきれいな子が。ひと目でわかる。これまで外したことはない」
 男が背中を向けているエレベーターは椅子でドアが閉まらないように押さえられ、助けがこないよう仕組んであった。
「ぼくはね、この世の中に巣くう心の汚い連中が死ぬほど嫌いなんだ。憎んでいるんだよ。自分勝手でわがままで、節度のない連中をね。自分の権利ばかり主張して、他人の権利をないがしろにするみたいな、ずる賢さを美徳にしているような奴らをさ。弱い者を虐げて踏みにじり、これが現実なんだって開き直る。弱肉強食がほんとうなんだって胸を張る。その訳知り顔の、醜さったらないよね。いずみもそう思うだろ? そんな奴ら、いなくなったほうがみんなのためだと思うだろ?」
「いえ、あの、はい」
「ぼくにはわかる。いずみはちがう。そんな汚い魂の持ち主じゃない。そうだろ?」
「──あの」
「そうだろ?」
「……はい」
 よし、と男が満足げに笑う。
「いずみはぼくとおなじ側の人間だ。だからぼくはいずみを傷つけない。わかるね?」
 とにかくうなずく。ほかの選択肢が浮かばない。
「だからいずみにもわかるはずだ。誰が、心の汚い人間か」
 ドン。
 とつぜん、耳もとでごうおんが響いて、四つん這いにならんだうちのひとりの、後頭部が弾けた。髪の薄い男性だった。彼はそのまま突っ伏した。
 空気が張りつめた。ひっくとしゃくりあげる声がした。「静かにしてね」と男がいった。「うるさい奴は要らないから」
 誰かが漏らしたおしっこの臭いがする。
「こいつは汚い人間だった。まちがいない。ぜったいだ」
 撃ったばかりの拳銃を捨て、チョッキから次のやつを取りだし、男は愉快そうにつづけた。
「わかるだろ? いずみもそう思ってただろ? だっていずみ、彼を見たもんね」
「え?」
「動かないで」
 ふり返ろうとした頭を必死に止める。
「さあ、次は誰にする?」
「……え?」
「選ぶんだ。いずみが」
 自分の呼吸の音が、耳に届く。足もとから人々のすすり泣きが、同時にそれを必死に耐えようとしている気配が伝わってくる。
 ドン。
 右から三番目の女性が撃たれた。呆気にとられた。彼女を見たつもりはない。ただ少し、右に顔は動いたかもしれない。
 いずみはとっさに、天井へ視線を逃がした。
「まだいるよ、いずみ。心の汚い人間が。それがぜんぶいなくなったら、この作品は終わりだ。みんな助かる」
 みんな? みんなって誰?
 もう、足もとを見られない。
「選ばないなら、みんな死ぬ」
 ドン。
 誰が撃たれたのか。確認するのが怖い。
「さあ、いずみ。選ばないとどんどん死ぬよ」
「……なんで、こんなことを」
「なんで? こんなこと?」
 男は優しい声色でつづける。
「理由なんてないよ、いずみ。あるわけないだろ、そんなもん。少なくともいずみたちが納得できる理由はない。納得してもらうつもりもない。ただたんに、やってみたかっただけだからね。もうどうでもよくなって、ごまかしの幸せとか安定とか、お金とか美味うまい食べ物や女の子にさ、興味がなくなっちゃったんだ。生きてるのがね、つまらなくなったんだよ。それで思いついたんだ。やりたくなったんだ。だからやってみようと決めたんだ。やる気があって、手段があった。実行した。足し算みたいに明快だろ?」
 ドン。
「ぎゃあああ!」
 女性の叫び声。
「うるさいってば」
 ドン。
 いずみはずっと、天井を見つめている。ガラスの向こう、抜けるような青空を。
「──そうだな。少しだけ理由はあるな。そう。いずみたちが、幸せそうにしているからさ。笑ったり喧嘩したりあいきようをふりまいたり、手をつないだり。うっとうしかった。だから教えてやろうと思った。四月は残酷な季節だって」
 男が左手の銃を捨て、チョッキの新しいやつをつかむ。すきはある。けれど誰も動かない。動けるわけがない。いずみ以外みな四つん這いで、顔は床を向いているのだから。
「ロメロの『ゾンビ』は観た? 『ミスト』は? スーパーやショッピングモールほど、悲劇にふさわしい場所はないと思わない? ここにはなんでもあるけれど、ほんとうにほしいものはない──。はは、こいつはなかなかケッサクなコピーだな」
 後頭部に当たった銃口を、ぐりっとこすりつけられる。ポニーテールが、かすかにゆれる。
「さあ、選ぶんだ。いっしょに悪を暴くんだ。そうしないと終わらない。みんな死ぬことになる」
「……無理」
「無理じゃない」
 ドン。ぎゃっ。
 天井を見たまま叫ぶ。「やめてっ。お願いだからっ」
「やめないね。やめるわけない。だってやめたくないんだもの。楽しくて仕方がないんだもん」
 あっはっは! ドン。ぽいっ。
「お願いだからっ!」
「じゃあ選べよっ」
 男が日本刀を抜いた。それをいずみの首筋に当てた。後頭部にあった右手の拳銃が、生き残っている四つん這いのふたりへ向けられる気配。
 どうしたらいい? どうしたら──。
「次は、子どもを撃つよ」
 反射的に、いずみは視線を下げた。
 顔をこちらに上げた人物と目が合った。
 ドン。
 息ができなかった。思考が止まる。
「あ゛っ、あ゛っ、あ゛っ──」
 ドン。
 撃たれて弾けた頭が、ぐらんとのけ反る。
 次の瞬間、
「ほらね!」
 耳もとではしゃぐ声。
「やっぱりこいつは悪だったんだ!」
 状況が、理解を超えていた。目が、離せなかった。血だまりの中に、バスの模型。二千五百円もする玩具。
「だからいったろ? いずみはちゃんと選べる子だって」
「ちがう……」
「ちがわない。いずみが選んだんだ」
 ちがう。ちがう。ちがう。
「あー」男の声が、歌うような調子を帯びた。「なんて残酷なんだろう。残酷だね。世界はほんとに残酷なんだねえ。正義も倫理も、暴力のまえには無力だねえ。──がっかりだ。がっかりだよっ。君はそうじゃないと思ってたのに!」
 突如、声のトーンが変わった。大げさで、芝居じみたしゃべり方になった。まるでべつの人格が現れたかのように。
「でも君もおんなじだった! 自分が助かるために他人を差しだすくそ野郎だった! ぼくが自分の楽しみのためにたくさん人を殺したのと、少しも変わりはしなかった。でもそう、それは君だけじゃない。みんな自分の都合で、機会と能力と必要さえあるならば、殺すんだ。他人なんて、虫けらみたいに踏みにじるんだ。そう。それが正しい世界のあり方なんだ。恥じることはないよ、君。君は正しい。一ミリの疑いもなく、正しい」
 あっはっは!
「いやあ、楽しかった。満足さ。ありがとう。真実を見せてくれてありがとう。これでぼくの物語はおしまいだ」
 耳もとにささやきが──。
「画家のピーテル・ブリューゲルはこう残した。──この世界が不実ゆえ、我は喪に服す」
 彼の手から日本刀が落ちた。
「ねえ、いずみ。がんばりなよ。負けちゃ駄目だよ、逃げちゃ駄目だよ。ちゃんと生きて、ちゃんと幸せになるんだよ」
 ドン。


紹介した書籍

関連書籍

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年5月号

4月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2025年5月号

4月4日 発売

怪と幽

最新号
Vol.018

12月10日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP