垣根涼介『涅槃』上・下(角川文庫)の下巻の巻末に収録された「解説」を特別公開!
垣根涼介『涅槃 』文庫巻末解説
解説
大森 雅夫(岡山市長)
垣根涼介さんが、関係資料を読みこなし、類いまれな筆力、構想力とまっすぐな感性で備前岡山で生まれ育った英傑・宇喜多直家をこの『涅槃』で、歴史からよみがえらせている。同時に、彼は東の織田、西の毛利という超大国と渡り合った直家の胆力、人間力を記述することによって、現代の日本人にも必要とされるものを提起している。
直家は、よく戦国時代の三大梟雄(残忍で強く荒々しい人物)の一人と言われているが、単なる悪人がゼロからスタートし、五十万石の領土を獲得し、岡山という都市の礎を築けるものなのか疑問に思っていた。私は、市長になってからこの疑問に解を求めるべく、直家関係の歴史小説、関係資料を読み、歴史家の人たちと話し合ってきた。そして、私の中に直家像が固まりかけたところに、垣根さんの『涅槃』に出会った。読んだとたん、「これだ!!」と思った。真の直家の足跡にいざなっていただいたような気がした。
垣根さんは、長崎出身であり、岡山とも宇喜多家とも関係がない。このような垣根さんが直家にほれこんだ。ありがたいと思った。なお、垣根さんは『光秀の定理』『室町無頼』『信長の原理』といった斬新な歴史小説を書かれてきたが、本書『涅槃』のあとに足利尊氏を描いた『極楽征夷大将軍』で直木賞を受賞された。
それでは、ここからはお互いの共通する直家の評価についてまずは語ってみたい。
1 合理性、リアリズム
直家は、砥石城(岡山県瀬戸内市)に生まれ、幼少のころまで生活していたが、城主である祖父が討たれ、城から脱出した。そして、商人の家、尼寺で育つといういわばゼロからのスタートだった。したがって少ない戦力で相手に勝つためには知恵をしぼるしかない。「戦わずして勝つ」この孫子の兵法を第一とせざるを得なかった。正念場の明禅寺合戦を除けば、多くの家臣を死なせることなく領土を拡大している。
例えば、毛利氏と結び備中をほぼ手中に収めた三村家親が備前・美作国境に進出してきたため、彼を暗殺しようと、スナイパー遠藤兄弟を送り込んだ。この成功の鍵は、スナイパーを送るという発想の斬新さとともに、情報の的確性である。その他の事例も多々あるが、ここでは省略する。
ただ、何と言っても直家の真骨頂は、織田、毛利との渡り合いにある。将来を見据え、しがらみを捨て合理性を追求していったのであろうが、なかなかできることではない。
2 経済力の重視
備前福岡で商売をする阿部善定に育てられたこともあって経済を大切にするという気持ちが育っていったのだろう。浦上氏に仕えて、最初に自ら望んで得た城が吉井川河口にある乙子城。商品の流通を水運に頼っている商家からみれば、直家の海賊退治は嬉しかったに違いない。直家からみれば、通行料の獲得につながり、いざ合戦の際、町からの矢銭につながっていく。
ただ、吉井川の上流には、天神山城があり、そこには浦上宗景がいる。彼から通行料などもピンハネされている可能性が高く、これが直家を西に向かわせ、旭川という大きな河川を有する岡山の地を得ようとした理由の一つとなっているのではないか。(もちろん備中を手に入れようという領土的野心が中心だっただろうが)
商品の流通といっても、その当時の武将は、鉄砲など武器の入手がなにより重要である。鉄砲、火薬、弾の原材料の一部は、南蛮貿易なくしては手に入らない。直家たちは堺商人などを通じて、その武器を得ていたのであろうが、当然価格は高くなる。直家は、直接南蛮との貿易をしたかったに違いない。武器商人でもある阿部善定を呼び寄せ、岡山城の近くの旭川の中洲の土地を提供しているのもその表れではないか。また、直家の親族、家臣団にキリシタン信徒が多いのも、南蛮貿易をしやすくしようとの考えが見てとれる。
3 親族、家臣団を大切にする
裏切りが当たり前の時代に、直家の親族、家臣などに離反は見受けられない。勝ち取った城に親族、直臣などを配置しているが、彼らも当然毛利などからの調略はあっただろうに全く表にでていない。乙子城主時代、直家は十代後半の食べ盛りのときに、一日何も食べないいわゆる失食の日を設けるとか、宇喜多が羽柴軍の友軍になることが決まったときも毛利に人質に出していた重臣の戸川秀安の次男を取り戻すために、毛利家の外交僧安国寺恵瓊を生け捕りにし、交換したとかのエピソードが、彼の家臣たちに対する優しさを示している。
なお、宇喜多が一体として終始できたのは、直家の性格、信念によるものであることは間違いないが、妻であるお福のおかげともいえるだろう。
垣根さんによると、お福との結婚は、お福が沼城に来てから相当の時間を経てからのことで当時珍しい恋愛結婚に違いないとのこと。直家の合理性を重視しながらも優しい性格からみると、お福は三国一の美女といわれるだけでなく、しっかりして包容力があり、家内をまとめる能力があると認めたから結婚したのではないかと思える。だからこそ、家臣団との関係だけでなく、自らの子の秀家と直家の異母弟たちとの仲もうまくいったのであろう。
なお、直家の死後、安国寺恵瓊が毛利の重臣に宛てた手紙の中で備前にある虎倉城を毛利側に残すよう秀吉側との折衝で無理をしてはならない旨述べている。お福が秀吉に直訴すれば、もっと不利な交渉になりかねないと心配しているのだ。
これは、お福が宇喜多家の領土問題にも関与できる地位にあったことを示しており、直家生存中は、宇喜多家の諸々を直家とともにこなし、死後は女城主的な存在であったことを意味するのではなかろうか。
以上であるが、私がこのように直家の評価をまとめても全く面白くないが、垣根さんが描くストーリーは実に面白い。男女の機微の部分、特に直家がお福と出会い、心を通わせ、結婚するまでの流れはまるで見てきたかのようである。
なお、直家が今まで悪人の代名詞のように言われてきたのは、その息子の秀家が秀吉の五大老の一人になり、西軍の主力として戦い家康に敗れ、滅んだこと、そして江戸時代にできた君臣の絆などを説く社会秩序の中で下剋上が否定されたことなどが大きな要因であろう。こうした状況が岡山の街の建国の父とも言える直家に対する事実を歪め、批判が重ねられてきたから前述の評価になったとしか思えない。
歴史は常に勝者の都合によって捏造され、喧伝される。敗者は彼岸にて沈黙するのみである。これは、垣根さんの言葉であるが、我々は真の直家像にせまり、葬られた歴史から彼を救い出す必要があるのではないか。
作品紹介
書 名: 涅槃 上・下
著 者: 垣根涼介
発売日:2024年07月25日
『光秀の定理』で歴史小説に革命を起こした著者、最長1800枚!
悪とは、善とは何か?
梟雄・宇喜多直家の真実
天文年間、小土豪が群雄割拠する中国地方で没落した宇喜多家の嫡男・八郎は、その器量を見込まれ、豪商・阿部善定のもとで父母とともに居候していた。やがて成長した八郎は、直家と名乗り宇喜多家を再興、近隣の浦上家や三村家と鍔迫り合いをしながら備前一国に覇を唱える。武芸よりも商人としての感覚が勝る異色の武将は、いかにして成り上がったのか? 『光秀の定理』で歴史小説に革命を起こした著者が描く、歴史超大作!
上巻詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322312000902/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら
下巻詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322312000903/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら