『くらやみガールズトーク』収録短編「藁人形」

【試し読み】「わたし、定時で帰ります。」「対岸の家事」で話題騒然の著者が放つ女性たちへの応援歌――朱野帰子『くらやみガールズトーク』収録短編「藁人形」を特別公開!
ドラマ化で話題となった『対岸の家事』(講談社)著者・朱野帰子の怪談短編集を、ウラモトユウコがタテスクロール漫画化した『くらやみガールズトーク』。
「私の話かと思った」と共感の声が殺到し、コミックナタリー主催「タテ読みマンガアワード 2024」国内作品部門にもノミネートされ大反響を呼んでいる本作、待望のコミックス第2巻が、2025年8月6日(水)に発売されました。
本記事では刊行を記念して、原作小説のうち、コミックス第2巻でコミカライズされた短編「藁人形」の冒頭試し読みを特別公開!
どうぞお楽しみください!
朱野帰子『くらやみガールズトーク』収録短編「藁人形」試し読み
藁人形
まじめに、人に迷惑もかけずに、一生懸命生きてきた。
なのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか。
祐実は電車に揺られながら、
藁人形には、高田圭介、という名前を書いた紙が貼ってある。
「この電車は終電になります」
アナウンスを聞きながら、電車を降りる時、
あと四十分もすれば午前二時になる。
やはり、都内で
いや、やると決めたのだから。祐実は歩きはじめた。
西武新宿から準急に三十分も乗ったのだ。ここはすっかり郊外だ。ほら、団地や小学校の上にぽっかりと闇が口を開けている。ああいう闇は都心にはない。
心配することはなかった。地図アプリを頼りに、迷いながら二十分程歩き、交差点を曲がると一気に暗くなった。道路の向こう側の一角は真っ黒に塗りつぶされたようだ。そこが神社だった。
来い。
野太い声が聞こえた気がした。祐実は誘いこまれるように横断歩道に踏みだした。
その瞬間、目の前をダンプカーが猛スピードで駆け抜けていった。
はっとして見上げると、信号機が赤い光を放っている。
ほんとに人を呪ったりしていいのだろうか。
高田圭介は、大手スーパーに勤める営業部員だった。
毎日スーツを着て、本社ビルに出勤し、仕入れ先との交渉を手がけていた。祐実の勤める会社にもよく来ていた。
初めて
「重いでしょう。運びますよ」
圭介はさっと段ボール箱を持ち、階段をとんとんと上っていった。
冷凍食品を製造する祐実の会社にとって、スーパーは大口の顧客だ。でも圭介はちっとも偉ぶらなかった。開発部の部長は彼を気に入り、そのうち二社合同の商品開発の話が決まった。
圭介は、祐実の同僚たちにも人気があった。来るたびにシュークリームや苺大福など、手みやげを持ってきた。
先輩の鶴橋さんは、わざわざお茶を用意して待っていた。
「再婚、狙ってるらしいよ」
そんな噂を聞いて祐実は驚いた。鶴橋さんはふっくらした美人だが、もう三十六歳だ。バツイチだ。
そんな女の人が、五歳年下の圭介を狙うなんて。
だったら、三十三歳の自分にも狙う権利があるのではないか。男性経験も少なく、戸籍だってきれいだ。
部長は打ち合わせに祐実を連れていくと、必ずと言っていいほど、「この子はとにかくまじめで」と褒める。鶴橋さんには一度も言わない。
そう思うと、勇気が湧いてきて、圭介が一人の時に話しかけるようになった。
「鶴橋さんは若い時からモテたみたいで、いろいろ経験豊富なんです。一度、ご結婚もされてるし。それにひきかえ、私は男の人とつきあったこともなくて、恋愛にも積極的になれなくて……」
必死だった。今思えば、なんて浅はかだったのだろう。
一度、帰りの電車で一緒になったことがあった。たまたま人身事故が起き、電車が動くまでの間に、圭介に飲みに誘われた。
驚天動地とはこのことだ。祐実の上に巨大な幸せが降ってきた。
圭介は飲みながら言った。
「僕、来月異動になります。商品ができるまでプロジェクトにいたかったけど残念です」
このままでは会えなくなる。祐実は焦り、しどろもどろになりながら、生まれて初めての告白をした。失敗したと思った。しかし、圭介はあっさりうなずいた。
「いいですよ、つきあいましょう」
まじめに生きてきた
頭がぼうっとしたまま家路についた。危ない、と駅員に叫ばれ、祐実は自分がホームの端に立っていることに気づいた。線路に落ちるところだった。
翌朝出社した時は、自分の幸せを告げてまわりたかった。でも、できなかった。
「つきあっていることは秘密にしましょう。面白く思わない人もいるだろうから」
と、圭介に口止めされたからだ。
たしかに、鶴橋さんは面白く思わないだろう。ベテランの彼女が、仕事が手につかなくなった、なんてことになったら、圭介にも迷惑がかかる。
考えた末に、彼氏ができたことだけを発表することにした。それでも大ニュースだ。
しかし、同僚の反応は薄かった。「へえ」とか「そうなんだ」とかしか返ってこない。
「大きな会社に勤めてる人なの。年収もすごくよくて……」
鶴橋さんの様子を
彼女は、祐実を見下している風があった。
「松本さんも一度は結婚したほうがいいわよ」
と言われたこともあった。男性に選ばれた経験のないあなたより、私のほうが上だと言わんばかりだった。
しかし、じきに周りの反応を気にする余裕はなくなった。
恋愛は生活のすべてを支配してしまうものなのだと、祐実は知った。
冷凍ピザの生地の伸び具合をたしかめている時も、メールの着信が気になってしょうがない。粉の選定をしている時も、圭介が発した言葉のひとつひとつを思い返してしまう。
まして、圭介の顔色が曇ったりしたら大変だ。自分のどこに落ち度があったのか、考えて夜も眠れない。寝不足のまま上の空で仕事をする。そんな日々が何日も続いた。
デートのある日は、定時になった瞬間に会社を飛びだす。圭介は時間に厳しい。
映画館での待ち合わせ場所を祐実が間違えた時などは大変だった。座席につき、予告が半分も終わってしまったことを知ると、圭介は言った。
「これじゃ、わざわざ映画館に来た意味がないよ」
祐実は映画の間じゅう手を握りしめていた。エンドロールが終わって圭介が、
「冒頭のあのシーンさ……」
と話しはじめた時は豆腐のようにくずれそうだった。
しかし、翌日、圭介と鶴橋さんが和やかに話しているのを見て、祐実は不安の沼に沈みこんだ。
二人は給湯室にいた。鶴橋さんは祐実たちが観たのと同じ映画を、二日前に観ていたらしい。主人公が戦いに挑む動機に共感できたとか、同じ監督の作品で観ておいたほうがいいものがあるとか、しゃかりきになって語っていた。
圭介は熱心に
「鶴橋さんと映画を観に行ったら、楽しいんだろうなあ」
「……そうでしょうか」
鶴橋さんの顔は真っ赤だった。
「だったら今度誘います。でも私、ちょっとマニアックなところがあるから。予告も全部観ないと気がすまないし、エンドロールも最後まで座って観るし……」
「ああ、それ、僕も同じです! 気が合うなあ」
リップサービスだ。そう自分に言い聞かせたが不安を抑えられなかった。
かといって、鶴橋さんに近寄らないで、とは言えなかった。指図する気かと怒られそうで。
翌週、圭介が経営企画室に異動した。これでもう、うちの会社には来ない。
祐実は昼休み、みんながめいめいの昼食を準備し、席についたところで、
「私の彼氏ね、実は高田さんなの。高田圭介」
と、ついに発表した。
「ええっ、ほんと?」
同僚たちは驚いている。
「やるじゃん……。へえ、仕事にしか興味ないと思ってた松本さんがねえ」
祐実はどきどきしながら、黒目だけを動かして、鶴橋さんの表情を窺った。これであきらめてくれればいいんだけど。
鶴橋さんは薬局に置かれているカエルみたいな顔をしていた。目は大きく見開かれ、硬直した笑いだけが口元に浮かんでいた。顔色は真っ青だった。
(気になる続きは、ぜひ本書でお楽しみください)
作品紹介
書 名:くらやみガールズトーク
著 者:朱野 帰子
発売日:2022年02月22日
「わたし、定時で帰ります。」で話題騒然の著者が放つ女性たちへの応援歌。
なんだろ? この不平等感! そろそろ口に出してもいいんじゃない? 『わたし、定時で帰ります。』の著者が放つ、女子たちの本音満載の物語。例えば――。
女性には”もやもや”がつきものだ。たとえば何回か来る人生の通過儀礼。結婚では夫の名前になり、旧姓は消えてしまう。義理のお母さんから孫を早く生んでと言われる。けれど嫁だから、夫の実家をたてて、自分の本当の気持ちはしまい込む……。最初はちょっとだけのがまんのはずが……。出産、親の痴ほう、失恋、引っ越しなど、人生は常に変わっていく。大小問わず、ふいに訪れる人生の節目で、これまで築いてきた人間関係は変わってしまう。どうして、女性ばかりがそれらを全部背負わなきゃいけないの。普段、人に言えずしまい込んでいる嫌な気持ちを、見つめ、解放してくれる物語の数々。くらやみから聞こえてくるのは――女子たちの本音。私たちはもう一度、生まれ変わる。解放される。自分のために!すべての戦う女性たちのための応援歌!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322102000158/
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コミックス紹介
『くらやみガールズトーク』タテスク版も配信中!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322310000333/
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プロフィール
朱野帰子(あけの・かえるこ)
東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2009年、『マタタビ潔子の猫魂』(「ゴボウ潔子の猫魂」を改題)でメディアファクトリーが主催する第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞し、作家デビュー。13年、『駅物語』が大ヒットに。15年、『海に降る』が連続ドラマ化された。現代の働く女性、子育て中の女性たちの支持をうける。主な作品に『賢者の石、売ります』『超聴覚者 七川小春 真実への潜入』『真壁家の相続』『わたし、定時で帰ります。』など。