角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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朱野帰子『くらやみガールズトーク』
解説 透明な呪いをかけられて
三 宅 香 帆 (書評家)
むかし、何かの本のなかで「ひとびとが怪談を求めるのは、怪談でしか語ることのできない情念が、この世にたしかに存在している証拠だ」という言葉を読んだことがある。これだけ科学技術が発達し、エビデンスを出せ、数字で説明しろ、と言われる世の中なのに、それでもホラー小説はなくならない。ネットで囁かれる都市伝説も増え続ける一方だし、事故物件だからと部屋の値段が下がることに私たちは何の違和感も持たない。考えてみれば事故物件ゆえに価格が安いだなんて非合理極まりないけれど、それでも私たちはそれを受け入れる。科学的な根拠なんてなくても、人が苦しんだ場所には、何かしらの情念が残っている……そんな前提を共有しているからだろう。
本書『くらやみガールズトーク』で描かれた怪談は、どの物語も、社会と個人の狭間で生まれた情念が発端となっている。社会というのは、家庭であり、学校や会社であり、複数の他人のことでもある。
人間が三人以上いればそこに社会が生まれる、という言葉があるが、そういう意味で、朱野帰子は社会を描くことに卓越した作家である。本書だけでなく、たとえばドラマ化された「わたし、定時で帰ります。」シリーズも、『対岸の家事』や『駅物語』『海に降る』といった小説も、会社や家庭といった身近な「社会」をテーマにした物語だ。
彼女の描く「社会」の物語の特徴は、そこにいつも三つの位相があることだと私は思う。つまり、まず国や会社といった大きな社会があって、もう少し小さい家庭という社会があって、そしてたったひとりである個人が存在する。朱野作品は、この三つの位相の狭間で葛藤する登場人物たちを描く。
そして怪談というジャンルは、国や会社といった大きな社会にも、家庭というちょうどいいサイズの社会にも、どうしても収まりきらなかった、行き場のない情念が生み出す物語のことだ。そう考えると、朱野帰子が描く怪談が、社会と個人のあいだで生まれた軋轢を描くことは、どこか必然のように感じる。
合理性や社会の慣習に収まりきらない、個人の叫びが、怪談を生み出す。鏡の向こう側で、花嫁が腰かけたベッドで、夜中の神社で。
昼間の社会では言えなかった言葉が、私たちの耳に、響く。
本書は子どもを育てることも、結婚することも、恋愛をすることなどもテーマとなっている。基本的に、そのどれもが個人がやりたいと思ってやることである。たとえば結婚式で「おめでとう」と言われるのは、結婚したいという意志があるはずだという前提が共有されているからだ。だから参列者は
その隙間に、怪談は生まれる。
「私はね、自分は死んだんだって思うようにした。そしたらようやく顎関節症が治った」
短編「花嫁衣装」のなかの一節である。この台詞に、どきりとしない読者は少ないのではないか。死んだ、というのはもちろん比喩だ。だけど私たちの社会で、心臓は止まっていないけれど「自分は死んだ」と思ったほうが楽なのか? と感じることはたしかにある。
この話に対して、もしかすると読者は「死ななくてもいい相手を探したら」とか「お嫁に行くときに死んだことにしなきゃいけない結婚なんて」とか言いたくなるかもしれない。しかしそれは、あくまで「個人」の位相のツッコミであると私は思う。たとえば友達が「結婚するとき死んだって思うことにした」と言ったら、「その相手は大丈夫なの」と心配する。一方で、社会と家庭と個人という関係を見たとき、どう考えても個人は死んだことにされているだろう、と言いたくなる場面は、残念ながらこの世に多々ある。もちろん個人の裁量で切り抜けることができたらいいけれど、そうはいかないことも多い。
しかし、だからといって社会や家庭の呪いを、個人が真正面から受けなくてはいけない理由はどこにもない。
作者は、社会の呪いを、怪談に逃がす。個人が受け止めきれない量の呪いを、そっと、怪談として夜に葬る。昼間には見かけない、バスに乗って、獣になって、幽霊になって、社会と個人の間にある軋轢をすくう。
家父長制によって抑圧された花嫁を描いた物語「花嫁衣装」に出てくる幽霊は、言う。
「名字のないところへ行け」と。
名字のないところとは、どこだろう。そんなユートピア、どこにあるのだろう。ふっと文庫本から顔を上げると、どこにも逃げ場のない、社会という名の檻が私たちを取り囲んでいる。
それでも、社会と個人の狭間で、もう少し呪いから逃げる場所を作り上げることはできるのではないか? 本書を読んでいると、そんな心地がしてくるのだ。
社会がかけてくる透明な呪いから、少しでも遠くに逃げて、その先でもう少し個人にとって心地のいい場所を作ること。──そんな営みを、朱野帰子は何度も描いている。
本書は、社会によって傷つく個人の存在を忘れない。会社や国でも、あるいは家庭でも、私たちは他人と共存するために、どうしても傷つく。個人を傷つける透明な呪いがこの世にはある。だからこそ本書は、怪談というかたちで、個人を取り囲む社会の檻を、呪いを、私たちに見せる。自分の体験と照らし合わせ「ああそうか、あれは呪いだったのか」と気づく読者もいるかもしれない。そのときはじめて、私たちは本書で描かれた、無数の情念を受け止めることができる。
知らないうちに、私たちは社会の呪いに縛られ生きている。それは仕方のないことでもある。他人と生きるためには、ある程度のルールや慣習は必要なのだろう。しかし、いつのまにかその呪いによって個人がいなくなってしまっては、意味がない。
社会と個人の狭間で、きっと今日も怪談が生まれる。そのとき、物語のかたちをとって、少しだけ私たちの恨みを、叫びを、寂しさを、逃がすことができたなら、まるで幽霊が成仏するみたいに、呪いが体から離れるのかもしれない。
朱野帰子の小説を読むと、いつもどこか肩の荷が降りる。それは私自身、社会で無数に存在する透明な慣習に呪われていたことを、ふっと思い出すからかもしれない。
作品紹介・あらすじ
朱野帰子『くらやみガールズトーク』
くらやみガールズトーク
著者 朱野 帰子
定価: 682円(本体620円+税)
発売日:2022年02月22日
「わたし、定時で帰ります。」で話題騒然の著者が放つ女性たちへの応援歌。
なんだろ? この不平等感! そろそろ口に出してもいいんじゃない? 『わたし、定時で帰ります。』の著者が放つ、女子たちの本音満載の物語。例えば――。
女性には”もやもや”がつきものだ。たとえば何回か来る人生の通過儀礼。結婚では夫の名前になり、旧姓は消えてしまう。義理のお母さんから孫を早く生んでと言われる。けれど嫁だから、夫の実家をたてて、自分の本当の気持ちはしまい込む……。最初はちょっとだけのがまんのはずが……。出産、親の痴ほう、失恋、引っ越しなど、人生は常に変わっていく。大小問わず、ふいに訪れる人生の節目で、これまで築いてきた人間関係は変わってしまう。どうして、女性ばかりがそれらを全部背負わなきゃいけないの。普段、人に言えずしまい込んでいる嫌な気持ちを、見つめ、解放してくれる物語の数々。くらやみから聞こえてくるのは――女子たちの本音。私たちはもう一度、生まれ変わる。解放される。自分のために!すべての戦う女性たちのための応援歌!
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