芥川賞作家を輩出し続ける、文藝賞受賞作『水と礫』杉江松恋の新鋭作家ハンティング
杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、反復と模倣の物語。
一粒で無限美味しい。
二〇二一年最初の「新鋭作家ハンティング」は、製菓会社のコピーをいただいて書き出してみた。藤原無雨『水と
文藝賞といえば、二〇一九年度の第五十六回は『改良』の遠野遥が第二作『破局』で第百六十三回芥川賞を授与され、同時受賞の宇佐見りん『かか』も第三十三回三島賞に輝いた。ご存じのとおり宇佐見は、第二作『推し、燃ゆ』で一月二十日に選考会が行われる第百六十四回芥川賞の候補にもなった。もし『破局』に続いて『推し、燃ゆ』が受賞することになれば、文藝賞出身者が二回連続という快挙だ。純文学系では最も勢いのある新人賞と言っていいだろう。この原稿を書いている時点ではまだ結果が出ていないのだが、今回の候補作中では『推し、燃ゆ』が一押しなので楽しみである(編集部注:無事受賞しました!)。
そんな文藝賞の最新受賞作が『水と礫』なのだ。すでに一部では話題になっているようなので、遅ればせながら読んでみた。なるほど、これは癖になる味である。
クザーノという青年がラクダのカサンドルが引く荷車に乗って不毛の砂漠を越え、その向こう側にある町を目指そうとするところから物語は始まる。こうして書くとどこか遠くの国のようだが、クザーノは故郷の町から東京に出て働いていたが、夢破れて帰ってきたのである。「東京へはバスと電車と新幹線を乗り継いで行けるけど、砂漠を越える道はない」という不思議な設定だ。ごく身近な現実と異邦感溢れる情景とがごたまぜになった、チャンプルー小説なのである。クザーノの弟分である甲一も同じ砂漠へ向けて旅立ち、そのまま帰ってきていなかった。彼を追うように出発したクザーノだったが、砂漠はあまりに広く、旅は長く、食糧も絶えてやがて荷車の上で意識を失う。気が付いた時、彼は見知らぬ町で人々に囲まれていた。助かったのだ。クザーノはその町で暮らし始める。
これが物語の基本となるピースだ。生まれ故郷から持参した葉巻を、見知らぬ町でクザーノが吸い始める場面でいったん話は終わる。続いて始まるのは、再びクザーノの物語である。東京の『北京』という中華料理屋で働き始めたクザーノは、その店が潰れてしまったためにドブ浚いの仕事を始める。だが、汚泥処理の機械の扱いを失敗して同僚に一生治らない怪我をさせてしまい、失意のままに故郷へ帰るのである。実家で無為の日々を送るうちにクザーノは、ラクダの引く荷車で砂漠を越えることを思いつく。弟分の甲一を誘ったが、彼には彼の計画があり、無理には連れていけない。かくしてクザーノはラクダのカサンドルだけを供に、砂漠へと乗り出していく。
1、2、3と番号が振られた章が何度も繰り返され、そのたびに砂漠の旅についての記述が行われる。基本ピースはだいたい同じだが、語られる時間は前後に長くなっていく。クザーノの父ラモンが登場する前日譚は、さらにその父であるホヨーが町にやってきた牧師の娘に惚れて結婚するという二世代前の逸話を引き出していく。後日譚も長く伸びていく。クザーノは到達した砂漠の向こうの町で食堂の娘と結婚し、コイーバという息子を授かる。さらにその子であるロメオは、祖父のしてきた冒険への憧れから、自分自身で砂漠の旅を志すようになる、というのが繰り返しの最後に語られる話だ。
短い三つの章の反復によって、五世代の族譜が浮かび上がってくる。語られる要素が増えるので、中心にあるピースが話の中に占める割合は相対的に小さくなっていく。また、同じ事柄でも反復が続くうちに内容に異同が出てくる場合もある。同じ話の繰り返しだが、すべて違う物語なのである。昔話や民話は、反復と模倣によって違う時代、違う土地で同型の物語が流布するようになる。そうしたメカニズムを私は連想した。また、伝承の小説でもある。クザーノを中心として成り立っている族譜の中では、父の行為が子のものとして語られるような現象も起こる。もちろんその逆も。長い間同じ家族が住んでいる建屋を思い浮かべるといい。実際に暮らしているのは別の人間であっても、その家の中でとる行動は同じようなものになるだろう。そうした形で、クザーノを中心として広がる族譜は重なり合っている。
クザーノが無謀な砂漠の旅に出たのは、死ぬためではない。東京で蓄えてしまった悲しい水分がタプタプと身中にある。それを乾燥させるためなのだ。どの反復においてもクザーノは、この東京の水を半分しか捨てられなかった人物として描かれる。この水とは何かという問いが本書においては重要なものなのである。
反復の繰り返しの果てに、初めにクザーノが果たした役割はごく小さなものになっていく。だが、最後に小説の中心にはクザーノが帰って来る。その場面で彼は孫のロメオに、誰の中にも自分以外が見た風景が詰まっている、すなわち関係性の網がその人を作り上げているのだということを語る。人生の大半を使って自分が抱えてしまった水を抜き去ろうとしてきたクザーノは、そうした網の存在に気づくことでようやく安寧を見出したのである。もちろんそうした境地はロメオには理解できない。それを知るにはまだロメオは幼すぎる。
使われているピースはごく単純なものなのに、それを用いて実に奥行きのある世界を作者は描き出した。人と人の結びつきを描き、時間の感覚にまで読者の思いを馳せさせる小説である。幾度読んでもそのたびに発見があるだろう。藤原無雨、畏怖すべき才能の持ち主だ。小説の著作はこれが最初ではなく、実はマライヤ・ムー名義で『裏切られた盗賊、怪盗魔王になって世界を掌握する』(一迅社ノベルス。今井三太郎と共著)という異世界ファンタジーものの著作があるのだが、私は未読である。そうか無雨はムーなのか。なんだかよくわからない引き出しがまだまだありそうで、なんだかわからない小説をどんどん書いてもらいたい。