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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.10

【連載小説】同居するときはこんな人ではないと思っていたけれど、義父はとても意地悪な人間である。 椰月美智子「ミラーワールド」#2-2

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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「はい、お待たせしました。どうぞ」
 中学生の男の子に声をかけると、スマホから顔をあげて椅子に座った。
はらすぎ中学校の生徒さん?」
「はい」
「うちの娘も原杉中だよ。一年生」
「知ってます。同じクラスです」
「あー、そうなんだ。いつもお世話になってます。ありがとね。お名前聞いてもいい?」
しんどうです」
 クラスメイトなのに来てくれるなんて、と隆司はうれしくなる。そういうのが、なかなか恥ずかしい年頃ではないだろうか。
「進藤くん、どのくらい切ろうか?」
「裾を刈り上げて、上は長めでお願いします」
「はい、了解」
 鏡越しに、進藤くんとアイコンタクトをしている背後を、義父がにらみつけながら通る。まるでコントだ。男は何歳になってもプライドの生き物だと思う。
 進藤くんのカットを終えると、時刻はちょうど七時になるところだった。進藤くんを見送り、今日はこれで店仕舞いだ。カットをしている間、わざと隣の鏡を拭いたり、これ見よがしにタオルを干したりと、仕舞い支度をはじめていた義父は、今やすっかり手を止めて、ゆうゆうと新聞を読みはじめている。隆司は一人ですべてを片付けた。
 レジを締める段になったところで、いきなり義父がむっくりと背後に立つ。
「いくらだ?」
「おさんのほうは、お客さん二人だったので七千四百円です」
「そんなことはわかってる。そっちはいくらだ?」
 隆司は小さく息を吐き出して、これから計算しますので、とだけ答えた。毎日一言一句たがわぬやりとりだ。
「あーあ、こんな婿、嫌だねえ。あー、いやだいやだ」
 芝居がかった様子で頭を振りながら、義父は二階へと上がっていった。
 隆司は元来陽気で細かいことを気にしない性質だが、義父の態度にはほとほとうんざりしている。義母は、基本義父のいいなりだ。
 義母父はここに越してくるときに実家を売り払い、まとまった金が入ったはずだが、土地購入や建築費用に一切の援助はなかった。もちろん絵里たちに家賃も払っていないし、光熱費はすべて絵里持ちだ。
 理容室SUMIDAの売り上げも最初の頃は折半だったが八割が隆司の客なので、それぞれの売り上げに応じるように変えた。そのときもひともんちやくあったが、理不尽な要求をつっぱねることができて本当によかったとつくづく思う。
 同居をするときはこんな人ではないと思っていたけれど、義父はとても意地悪な人間である。

「ママから言ってよ。おれが言ったところで波風しか立たないんだからさ」
「うーん、ジイジにも困ったもんだねえ」
「おれにだけならいいけど、お客さんが来ているときにわざと嫌み言ったり、大きな音立てたり、今日なんてハサミを持ってるときに小突かれたんだぜ。お客さんになにかあったらどうするんだよ、まったく。営業妨害だよ」
 話していたら、改めてムカついてきた。
「あんな態度だったら、お義父さんのお客さんだって来づらいと思うよ。あんなふうにギスギスしてて、店の雰囲気悪かったらさ」
「最近、ジイジめっちゃ怖いよ。店の前で友達と話してただけで、うるさい、あっち行けって言われた。ほんっと頭に来ちゃう」
 四年生のともかが口をとがらせる。
「なんだそれ。孫にまで八つ当たりしなくても」
「お父さんにもいろいろあるんだよ。許してやってよ、パパも、ともかも」
 実の娘である絵里は、深刻に捉えてはいないようだ。警部補の絵里は、生活安全課に勤務している。絵里は仕事の話を家ではまったくしないので詳しいことはわからないが、最近は忙しそうだ。目の下にクマを作っていることが多い。
 夕食はいつも八時過ぎだ。キャベツともやしの野菜炒めの上に、焼いた豚ロース肉をのっけたものと、豆腐としめじの味噌汁。我が家の食卓は、十五分以内でできる簡単料理ばかりだ。仕事を終えた隆司がササッと作る。
「こんな家、やだ」
 まひるが言う。中学一年生。夏休みを過ぎて、とたんに娘らしくなった。
「なんだよ、急に」
「おじいちゃんは意地悪だし、おばあちゃんはのらりくらりだし、お母さんは仕事のことだけだし、お父さんは愚痴っぽいし。みんなバッカみたい」
「おいおい」
「はーっ、もっとお互いに思いやりを持って過ごせないものかねえ」
 年寄りのような口をきく。まひるはクラスの学級委員だ。真面目というより、どこか達観したような、妙な貫禄がある。
「そういえば今日、まひるのクラスメイトが来てくれたぞ」
「誰?」
「進藤くんって子」
 うへえ、と顔をしかめる。
「そんな顔するなよ。来てくれてありがたいよ」
「あいつ、キモいんだよね」
「まひる。そんな言い方しちゃいけない。言葉に気を付けなさい」
 絵里がぴしゃりと言う。
「だって、あいつストーカーだよ。放課後に、わたしの机とか触ってるらしいんだよね」
「モテるじゃない」
 絵里が笑う。
「はあ? なに言ってんの? そういう問題じゃないでしょ」
「あはは、そんなにムキにならないでよ。まあ、男の子だからべつにいいじゃない」
「男も女も関係ないじゃん!」
「うまくかわしなさいよ」
「ストーカーをどうやってかわすのよ? お母さん、それでも警察官? だからいつまで経ってもストーカー被害がなくならないんでしょ」
「男のストーカーなんて問題ないわよ」
 妻の言葉に、まひるは呆れたように大きくため息をついた。ニュースになるような殺人事件はまれだが、ストーカー被害の相談は毎日のようにあるらしい。
 体格差を武器に、男性が女性に対して事件を起こすことは全世界で禁じられている。事件の大小に関わらず、十四歳以上は、いかなる理由があろうとも終身刑となる。この地球規模の法律のおかげで、男性の暴力は根絶されている。人類が生きていく上で、なにより大事な決まり事だ。体力差だけで優位に立つことは、世の中でいちばん恥ずかしいことだ。
「まひるは、将来の夢とかあるの?」
 絵里がたずねた。
「お母さんと同じ警察官?」
 ともかが聞くと、冗談じゃない! とまひるはぶるんぶるんと首を振った。
「わたしはね、絶対に警察官と教師にだけはなりたくないの」
「なんで?」
「一方通行的に権力を振りかざすような職種だけはイヤなのよ」
 絵里は目を丸くして首をすくめた。
「じゃあ、パパの床屋さんを継ぐの?」
「ちょっとやめてよ、ともか! そんなん、やるわけないじゃん!」
 そんなん……。隆司は心のなかで少々傷つく。
「まだ将来のことなんてわからないけど、仕事に振り回されるような職種にだけは就きたくない」
 吐き捨てるような言い方にドキッとする。
「わたしは警察官になりたいなあ。悪い人を拳銃で撃ちまくるの」
 ともかが言う。
「物騒だな」
 隆司の声にかぶせるように、ともかが「バンバンバンッ!」と、指を拳銃の形にして大きな声を出した。思わずビクッとしてしまう。
 二人の娘を授かったとき、これで澄田家は安泰だと義父はたいそう喜んだ。隆司くん、でかしたぞ、と何度も肩を叩いてくれた。男女の産み分けは、精子の染色体で決まると言われている。
 あの頃はやさしい義父だったが、同居して同じ職場で働きはじめてから、徐々に関係が悪くなっていった。
「末恐ろしい娘たちだね」
 隆司は妻に笑ってみせた。男の子が一人欲しかったなあと思いながら。

▶#2-3へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第206号 2021年1月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第206号 2021年1月号

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