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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.5

【連載小説】男がお茶を汲むという古い考えはもうやめたほうがいいと思います。 椰月美智子「ミラーワールド」#1-5

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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第二話

「おい、落ちたぞ」
 振り返ると、Aくんが立っていた。心臓がドクンと音を立てる。
「ほら、これ」
 そう言って、シャープペンを手渡された。
「あ、ありがと……」
 お礼を言うと、Aくんは、ああ、とうなずいて、照れたようにかすかに笑った。その顔を見たとたん、心臓が縮こまったようにキュッとなった。思わず胸元を押さえる。Aくんは他の男子に声をかけられて、そのままどこかへ走って行った。
 Aくんの後ろ姿が見えなくなるまで、同じ場所に立っていた。Aくんの声と笑顔を、何度もはんすうする。耳の下あたりが、きーんとする。ときめきが身体中をかけめぐる。
 神さま! こんな偶然を作ってくださって、どうもありがとうございます!
 祈るように手を組んだ。Aくんが後ろを通ったタイミングで、ノートの間からシャープペンが落ちるなんて、一体どのくらいの確率だろうか。
 窓から太陽の光が差し込んで、さっきまでAくんがいた場所を照らす。その瞬間、ふいに涙ぐみそうになる。
 Aくんのことが好き。大好きだ。改めて自分に確認するように、心のなかで唱える。
 初恋。

    *****

中林進

「男ってほんとバカだよね」
 ドリンクバーのコーヒーをひと口飲んで、三年副会長のなかばやしすすむは言った。はらすぎ中学校PTA役員会が終わったあと、ちょっとお茶でも飲んで行こうということになり、本部役員四人で学校近くのファミレスに来ている。
「え?」
 残りの三人が一斉に進を見る。
「どういうことですか?」
 一年会計のすみりゆうが聞いた。
「女にたてつこうとしたって、無駄ってこと」
「……それって、もしかして池ヶ谷さんのこと?」
 二年書記のみずしまが、遠慮がちに名前を口にする。池ヶ谷というのは、一年書記の池ヶ谷辰巳のことだ。
「うん、まあね」
 進は上目遣いでうなずいた。
いつ会長の言うことを聞いていればいいのに、あんなどうでもいいことで時間をとってさ。会長、かなり怒ってたぜ」
「確かに怒ってたな」
 と、二年会計のいのうえがうなずく。
「お茶いれて、菓子を用意するぐらい、なんてことなくないか?」
 進の言葉に、まーねー、とみんなが首肯する。進が言っているのは、来月行なわれる市のPTA総会のことだ。毎回順番で市内の小中学校から各一校ずつがお茶当番をすることになっている。来月は原杉中学校が担当だが、そのことについて池ヶ谷辰巳が異議を唱えたのだ。
「なぜ男性限定なんですか? おかしくないですか?」
 お茶当番には二校から五名ずつ男性を選出するという、長年の慣例がある。
「今の時代に、こんなことを強要するのはおかしいですよ。PTAって学校教育に密接に関わっている団体ですよね。ジェンダーにとらわれない活動をしないと」
 辰巳の言葉に場は固まり、会長の五木はあからさまに不機嫌な顔になった。
「池ヶ谷さん」
 と、声をかけたのは進だった。
「今さらそんなことを言っても仕方なくないですか。ジェンダー問題はみんな承知していますよ。でもこんなの、ただのお茶いれじゃないですか」
「ただのお茶いれじゃないですよ。こういうところから直さないと、いつまで経っても変わりません。悪しき慣例は気付いた時点で変えるべきです」
 五木会長が大きく息を吐き出す。これはどうにかしないと、と思い、進は他の四人を味方につけるべく、コホンと咳払いをした。
「池ヶ谷さん。『男性』という文言ひとつを変える、たったそれだけのことで、市内の小中学校全校に通知をいれて、決議を取らないといけないんですよ。その手間を考えてください。そもそも時間がないですよ」
 進は言った。
「そうですよ。こんな些細なことでも、決議を取らなくちゃいけないんですよ。これまでの決まりを変えるんだから」
 水島が加勢する。
「そうそう、そのために新たな総会を開かなくちゃいけないんですよ。その総会が開催されたとして、そこでのお茶当番はどうするんですか? まだ決議される前なので、どっちにしても我々がお茶いれをしなくちゃいけないんですから」
 井上の言葉に、みんなが笑った。
「今回だけはこらえてくれませんか、池ヶ谷さん」
 進はとびきりの笑顔で、辰巳に声をかけた。辰巳は進の顔をじっと見つめたあとで、
「やっぱりぼくは反対です」
 と言った。場が静まり返る。面倒くさい奴を役員にしてしまったと誰もが思っただろうし、進ももちろん思った。人がせっかく気を遣ってやったというのに、少しは空気を読んでほしかった。五木会長は能面のような顔で、誰もいない正面を見据えている。
「ねえ、池ヶ谷さん。お茶いれって言ったって、ペットボトルのお茶を用意して配るだけですよ。お菓子だって既製品を買ってきて紙皿に載せるだけー」
 進は少しでもいい雰囲気にしようと、わざと快活に言った。
「いや、ぼくが言ってるのは、業務内容ではなく、このプリントに書かれた男女の役割のことです。わざわざ男性指定にしなくてもいいじゃないですか。各学校から五人ずつ、それだけでいいですよね? なんで男性限定とわざわざ書く必要があるんですか? おかしいですよ。決議を取らないといけないなら、取るべきだと思います。気付いた時点で変えなければ、後任の人たちに問題を押しつけることになります」
「はあーっ」
 五木会長が大きなため息をつき、にらむように辰巳を見た。進は呆れた顔を作り、水島と井上と澄田に目配せした。
「じゃあ、多数決にしますか?」
 進はそう提案した。
「それしかないですね。多数決にしましょう」
 五木会長が即座に言い、辰巳以外の全員がうなずいた。
「では、今回のPTA総会のお茶当番は各学校から男性五人ということでいい人、挙手願います」
 苛立ちをにじませて、会長が声をあげた。ケンカを売るかのような早口だった。進は先陣を切って手をあげた。水島も手をあげ、井上も続き、澄田も挙手した。最後に、わたしもです、と言い五木会長が手をあげる。
「五人ですね。では、今回のPTA総会でお茶いれをしたくない人は挙手願います」
 五木会長が言うも、辰巳は手をあげない。
「池ヶ谷さん?」
 会長が不審そうに名前を呼んだ。
「ぼくはお茶いれしたくないわけではないんです。男性限定にされるところが嫌なんです」
 ふうーっ、とも、はーっ、ともいえない息を、全員が呆れたように吐き出す。
「では、PTA総会での男性限定のお茶いれに反対の人、挙手願います」
 会長が言い直すと、ようやく辰巳が手をあげた。
「五対一で、今回のPTA総会では、男性五人にお茶いれをしてもらうことになりました。以上です。よろしくお願いします」
 進が拍手をすると、水島、井上、澄田もそれにならった。
「いいですよね、池ヶ谷さん」
 進はやさしく念を押した。辰巳は無言で視線を落としている。
「……こんなことを続けてるなら、PTAなんていらないんじゃないでしょうか?」
 辰巳がつぶやいた。進はぎょっとして辰巳を見た。他の役員たちも、なにを言い出すんだ? という顔で辰巳を凝視する。
「毎年、役員を決めるのだって大変ですよね。みんながやりたがらないPTAの存続意味ってあるんでしょうか……?」
「ちょっと、池ヶ谷さん。今は来月の総会の話ですから。少し落ち着いてくださ……」
 取りなそうと進が慌てて言葉をかけたが、五木会長のことさら大きなため息がさえぎった。みんなが五木会長を見る。
「こういうことがあると、ほんと、会長なんて引き受けなければよかったと思います。みなさんが協力してくれるっていうから、引き受けたんです。時間が自由になる仕事だからって、暇なわけじゃないんですよっ!」
 進は思わず頭を下げた。辰巳以外の三人も、申し訳なさそうにうつむく。今期のPTA会長はなかなか決まらずに、最後には先生も交えて頭を下げてお願いして、ようやく五木さんが引き受けてくれたのだ。五木さんは生命保険の外交員で、調整すれば日中の時間も取れるということで、本当にありがたい人選だった。進はその経緯を知っているからこそ、辰巳の不用意な言動は許せるものではなかった。
「そもそも、こういう打ち合わせを日中にやるのもどうかと思います。働いてるお父さんだってたくさんいますよね。だから役員のなり手がいないんじゃないですか?」
 空気を読まずに、辰巳が続ける。
「申し訳ないですけど、これで今日の運営委員会を終わりにします」
 五木会長は不機嫌さを丸出しにして言い、誰にも目をくれずに出て行った。

▶#1-6へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第205号 2020年12月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第205号 2020年12月号

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