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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.17

【連載小説】あの「稲妻の日」、僕らの関係は変わってしまった。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#17

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 外は土砂降りだった。傘を差したら瞬時に壊れるほどの豪雨と強風で、ぼくはレインコートを着込んで〈めがね公園〉まで走った。
 すでに、圭一郎もきていた。淳子が慰めてくれたおかげか真夜は泣き止んでいたけれど、涙と一緒に心も流れ落ちてしまったみたいに、うつろになっていた。
「足は、俺んちで氷で冷やしてある」隼人がささやいた。いつもアルトがいた「めがねの左目」を覗き込むと、トンネルの床に、絵の具をこぼしたみたいな血だまりがあった。アルトは誰かに足を切られ、連れ去られたのだ。
「私のせいだ」
 ぽつりと、真夜が呟いた。
「そうでしょ? おじさんの言う通り、飼ってくれる人をきちんと探してれば、こんなことになってなかった。私のせいだ。私のせいだよ……」
「真夜、お前だけのせいじゃねえよ。みんな、アルトとここで遊びたかったんだ。俺も、駿も、涼子も、圭一郎も」
 ぼくたちは、真夜を落ちつかせるように何度も頷いた。
「商店街に、地域猫を嫌ってるやつらがいるんだ。そのうちの誰かが、やったのかもしれない」
「それ、誰だ? アルトは、そいつが持って帰ったのかもしれない」圭一郎が問いかける。
「誰かは判らねえ。おじさんから聞いた話だと、アルトに餌をやってるときに遠くから怒鳴られたり、猫を飼うなって張り紙されたり、ちょこちょこと嫌がらせをされてたらしい」
「隼人のお父さんに聞けないの? この辺のこと、一番詳しいだろ」
「親父、今日は仕事でたいわんにいる……」
 圭一郎と隼人の表情が、ふたりで沈んでいく。
「捜そうよ」
 呟いたのは、真夜だった。
「犯人はたぶん、そういう人だと思う。でも私は、家につれて帰ってはいないと思ってる」
「なんでだ?」
「だってその人は、猫が嫌いなんでしょ? 嫌いなものを家には上げない。アルトは、どこかに捨てられてる可能性のほうが高いと思う。足を残したのは、おじさんへの見せしめ」
「それはそうかも……」
 空にある大きな食器棚をひっくり返したみたいに、雷が鳴った。きゃっと涼子が声を上げる中、真夜は怖いくらいに落ち着いていた。
「涼子、スマホ貸して」
 地図アプリを起動して、真夜は五人を手早くエリアに分けていく。心が凍っているように冷静だった。豪雨の中、てきぱきと動く真夜を、ぼくたちは見つめているしかなかった。
「捜そう。ゴミ箱の中、路地裏、道端……アルトは、どこかにいる」
 ぼくたちは頷きあった。ひときわ大きな雷が、あたりにとどろいた。

 ぼくの担当は、商店街から住宅地を抜けて、川までのエリアだった。
 このあたりは古い住宅地だ。細い道路があみだくじのように縦横に走っていて、その両脇に家がびっしりと建ち並んでいる。
 側道や排水溝、道端のゴミ箱なんかを見て回り、低い塀の家があったら身を乗りだして中を見る。だけど、アルトどころか、野良猫の影すら見当たらない。雨はますます強さを増し、排水溝を流れる水は鉄砲水みたいだった。
 視界が、悪い。グレーのどんよりした空から雨がでたらめに降っていて、時折落ちる雷が景色を白く染める。長靴の中は水で溢れ、歩くたびに蛙を踏んだみたいな感触と音がした。
 焦りと疲れで、のどが渇く。どこを見ても水だらけなのに、砂漠の中にいるみたいだ。
「アルトー! アルト、聞こえる?」
 雷がぼくの声をかき消す。あの低い声は、どこからも聞こえない。
 駐車場の車の下。自販機の上。道にせりだした生け垣の中。いない。どこにもいない。あるのは、アルトがいない現実だけだった。
 川──。
 住宅地を抜けて、ぼくは土手を登っていた。斜面を上がって川を望んだところで、思わず息をんだ。
 川幅が、いつもの倍くらいに広がっていた。
 増水した川は、いつもより速く、滑るように流れている。無尽蔵に降る雨をすべて丸吞みにした、蛇のようだった。
 空想が、溢れてきた。
 川に、猫が流れている。
 猫は湧いてくるようにどんどん増え、増水した川を埋めていく。黒猫、白猫、サビ猫、三毛猫。無数の猫が川の水面に浮かんで、にゃあにゃあと声を上げ、次々と沈んでいく。
 みんな、絶対に助からない。大雨を丸ごと吞み込んだ蛇なら、無数の猫をたいらげて消化することくらいなんでもない。ぼくは川から目をらした。なんでぼくの空想は、こんなものを見せるんだ。耳をふさいでも、沈んでいく猫の声は耳の中をぐるぐると回り続ける。立っていられなくて、ぼくはその場にうずくまった。
「おい、君!」
 横のほうから声がした。レインコートを着たおじさんが、赤い棒をぶんぶんと振っていた。
「川に近づくんじゃない! 危ないから家に帰りなさい!」
 大きな蛇は、まだだいぶ下のほうにいる。でも、このまま雨を吞み込み続けたら、いずれその舌はぼくのところにまで届くのだろう。
 言われなくても、もう決められた時間をオーバーしていた。ぼくは土手を、川の反対側に向かって下りはじめた。無数の、猫の声を聞きながら。
 雷が、鳴った。
 近くに落ちたみたいで、稲光が目の前を真っ白に染める。全身がこわばるほどの、暴力的な雷鳴──。
 それが、ぼくの中の記憶と重なった。
 こんな天気を、経験したことがある。
〈こんな日には、一緒に空想を見ることができるんだ〉
 あれは。
〈こんな、大変な日にはね〉
 宮古島の、果物と花のような香りがする暖かい風が、ぼくの鼻をくすぐった。
 そうだ。あの日の宮古島も、盛大に雷が鳴っていた。
 ──。
 それはあまりにも馬鹿げた思いつきだった。でも、やけくそに頼らなければいけないくらい、もう打てる手がない。
 ぼくは走りだした。雨が行く手を遮るように、ぼくの全身を叩き続けた。

「空想するんだ」
〈めがね公園〉に再集合した。みんなもアルトを見つけることができずに、落ち込んでいた。
「見えないものが見える。聞こえないものが聞こえる。そんな世界を、空想するんだ」
「吉見、黙れよ」圭一郎がいらついたように言った。
「お前の空想話なんか聞きたくないよ。そんな状況じゃないだろ」
「宮おじぃーが言ってたんだ。こんな日には、一緒に空想を見ることができるって」
 圭一郎は不気味なものを見るような表情になった。真夜も、ぼくの言いたいことを摑めないのか、あからさまに困っている。
「ぼくは、この世界にある色々なものが見える。この〈力〉は、ほかの人も共有できるんだ」
「私たちにも、吉見くんの見ているものが見えるってこと?」
 真夜の問いかけに頷き、ぼくは手を差し伸べた。
「小さいころの、雷が鳴り響く日だった。ぼくは宮おじぃーと一緒に、ひとつの空想を見たんだ。宮おじぃーが見たいものと、ぼくが見たいもの、それがくるくると入れ替わった、不思議な時間だった。あの力を使えば、アルトを捜すこともできるかもしれない。大勢でアルトの居場所を捜せば……」
「どうして雷が鳴ると、一緒に空想が見えるの?」
「判らない。でも、あの日もこんな天気だった。ぼくの〈力〉が、天候と関係している可能性がある」
 隼人が厳しい目を向ける。自分でもめちゃくちゃを言っているのは判った。ぼくが必死に話せば話すほど、場の空気が冷えていくのが判る。
「やろうよ」
 そこでぼくを後押ししてくれたのは、涼子だった。
「真夜はよく言ってるよね。ささやかでも可能性があるなら、やる価値はあるって」
「涼子……」
「やろう。みんな、アルトが好きでしょう? 駄目だって、別に何もマイナスにならない。駄目でもともとだよ」
 胸が熱くなった。あの、映画のときと同じだ。涼子はぼくたちが揉めたときに、的確に助け舟を出してくれる。みんな、彼女の言葉に心が固まっていくのが判った。
 ふと、真夜が、ぼくの手を握った。
「これでいいの?」
 その手は雨に打たれていて、金属のように冷たい。綺麗に切りそろえられた爪が、ぼくの手の甲をなぞる。ぼくは頷いた。
 真夜の手を、涼子が握る。ぼくの反対側の手を、隼人がゆっくりと握る。
「どうかしてるよ、みんな」
 文句を言いながら、隼人の手を圭一郎が握った。
「空想するんだ」
 ぼくは言った。
「アルトがどこにいるのか。いまどこで苦しんでいるのか。どこに行けばアルトを見つけられるのか。みんなで捜せば、見つかるはず」
 雷が鳴った。せんこうが、視界を引き裂くみたいに瞬いた。
「空想するんだ。考えよう。アルトを見つけられる場所を」
 真夜の手に力が入る。冷えた金属の手が、ほんのりと熱を帯びた。
 ぼくは目を閉じた。広大な闇が広がる。アルトは、この〈部屋〉のどこにいる? どこを見れば、アルトは見つかる?
 ぼくたちは空想した。アルトの姿を追い求める無数の手が〈部屋〉の中に伸び、交錯しながら遠くまで走っていく気がした。
 ひときわ大きく、雷が鳴った。

「……え?」
 声を上げたのは、涼子だった。
 目を開けると、ぼくたちは、空の上にいた。
 ワシが羽ばたくように手を広げたぼくたちは、輪になったままはるか空の上にいた。ずっと下に、光に満ちた街が見える。
 ぼくたちの脇を、雨が次々と通り過ぎていく。無数のビー玉がばら撒かれるみたいに、しずくが地上に落下していく。
「やった……! できた!」
 すぐ耳元で雷鳴が響き、視界が真っ白になる。真夜と隼人の手が、びくりと震えた。ぼくはその手を強く握りしめる。
「おい、駿、なんだよこれ!」隼人がぼくのほうへ向き直った。
「これは……こういうものなんだ! 昔と同じだよ!」
「説明になってねえよ。っていうか、落ちるぞ!」
 その瞬間、ぼくたちは引っ張られるように「上」にいった。風は一切感じずに、ただ景色だけが高速で移動していく。
 ぼくたちは、雲の上に出ていた。
 地上の光が雲で遮られ、真っ暗な空には満天の星が広がっていた。星の入った箱をひっくり返したみたいにめちゃくちゃに星がばら撒かれていて、白を薄くで塗ったみたいな天の川が、夜空を彩っていた。
「なんだよ、これ……」
 みんなぜんとしたようだった。真夜ですら、あつに取られて口を開けている。
「前と同じだ!! 誰かが何かを見たいと思うと、景色が切り替わるんだ。誰か、雲の上に行きたいと思っただろ!?」
 ぎゅっと、真夜の手に力がこもった。判ってるよと伝えるように、ぼくはその手を握り返す。
「行くよ!」
 叫ぶと、ぼくたちはものすごい勢いで、地面に向かって落下していった。
〈めがね公園〉の上空に出た。雨が地面を打ち続け、バチバチと音を立てている。公園には、レインコートを着たぼくたちがいた。
「つまりこれ……幽体離脱ってやつか?」
「隼人、話はあと。アルトがいそうな場所、どこか思いつかない?」
 空に出ると、歩いていては見えなかった場所がよく見える。人の家の庭も、屋根の上も、マンションの屋上も。ただ、街はあまりにも広い。あちこちに飛んで、片っ端からつぶしていくしかない。
「真夜、どこか思いつかない? アルトがいそうな場所が、どこか……」
「あそこ!」
 叫んだのは、圭一郎だった。
 彼の視線の先には、公園の脇に生えているイチョウの木があった。鮮やかな葉っぱが生い茂った緑の雲の中に、三色の塊が見えた。
「アルト!」
 近づこうとしたが、上手く近づけない。ぼくの空想は、そこまで細密に動けないのだ。
 ただ、アルトが普通じゃないのは判った。木の上にうずくまって、ぴくりとも動かない。死んでいるのか、死を静かに迎え入れようとしているのか──。
「助けなきゃ!」
 次の瞬間、ぼくたちは地面に戻っていた。重力がぐんと身体にのしかかって膝が砕けそうになったが、隼人はそんなものをものともせず、一瞬で木に向かって駆けだす。レインコートを脱ぎ捨て、裸足はだしになり、するすると木の上に登っていく。
「生きてるぞ!」
 隼人は叫ぶなり、木の上から飛び降りた。抱えられたアルトは、脱力しきった目でぼくたちを見つめていた。右の前足がざっくりと切れていて、赤い断面と骨が見えた。
「近くに動物病院がある。行こう!」
 隼人が走りだすのを見て、涼子と圭一郎が続く。ぼくも走ろうとしたところで、手を摑まれた。
 真夜が、ぼくの手を引っ張っていた。
「ごめん。腰が抜けちゃった……」
 真夜はその場に座り込み、ゆっくりと大きなため息をつく。三人はもう、公園から走り去っていた。
 取り残された公園で、ぼくたちは雨に打たれ続けた。真夜は地面を見つめたまま、深呼吸を繰り返している。
「すごかった」
 真夜が言った。
「すごい、空だった」
「やっぱりぼくたちを雲の上につれてったのは、真夜だったんだ」
「ごめん、つい。アルトを助けなきゃいけないって判ってたけど、無意識で……ていうか、君、なんなの?」
 真夜は、ぼくを見上げた。
「シャルル・ボネ症候群だと思ってたのに、検証し直しだよ。全く、吉見くんの〈力〉がなんなのか、判らなくなっちゃった……」
 あの真夜が、こんなにも混乱しているのは初めてだった。大量の雨も彼女の困惑を洗い流してはくれない。
 雷が鳴った。冷たかった真夜の手が、興奮で温度を増しているのが判った。

#18へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


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