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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.18

【連載小説】河原に真夜がいない!? これでお別れなのか――。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#18

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 五日が経ち、金曜日。
 ぼくは圭一郎と肩を並べて、川に向かって歩いていた。
 彼は週明けからエスキモーの服をやめて、普段着で通学している。美術部は手が治るまで休むそうで、今日からはもっと河原にこられると言ってくれた。今日は画材でも入っているのか、左手にアタッシェケースをぶら下げている。
「何見てんだよ」
 圭一郎がとがめるように言う。
「いや、嬉しいなって思って」
「何が」
「圭一郎が手伝ってくれることが。嬉しいよ、本当に」
「……吉見ってそういうこと、てらいなく言うよな」
 呆れたように鼻を鳴らしたけれど、圭一郎も悪い気はしていないみたいだった。
 このところ、彼も隼人も、真夜の姿が見えないのに積極的に河原にきてくれて、映画を観せたり音楽を聴かせたりしてくれている。真夜もそのことに感激していた。
「まあ、またこのメンバーで集まれるとは思ってなかったよな」
 圭一郎もまた、あの集まりが壊れてしまったことを、寂しく思っていたのかもしれない。
〈稲妻の日〉のあと、アルトの足は結局くっつかなかったのだけど、命は助かり、里親も見つかって無事に引き取られていった。
 でも、空想クラブは、完全に歯車が狂ってしまった。
 それまでみんな、それぞれにぼくの〈力〉を解釈していたのだろう。真夜のように科学的にとらえていた子もいたし、圭一郎や隼人なんかは単に空想力が強い人間だと思っていたようだ。涼子のように、関心をあまり払っていない人もいた。
 それが、あの時間のせいで、すべて変わった。みんな、ぼくのことを理解できなくなって、どこか怖がるような気持ちが出てきたのだと思う。放課後、何も言わなくても集まっていたぼくたちは、ひもがほどけるように少しずつバラバラになっていった。
〈共同幻想、なのかもしれない〉
 それでも、真夜だけはぼくのそばにいてくれた。
〈あの日は異常な天候で、アルトがいなくなって私たちも普通じゃなかった。みんな、心の底からアルトを見つけたがっていた。色々な要素が混ざって生まれた、共同幻想……〉
 そこまで言って、打ち消すように首を振る。
〈駄目だ。何の根拠もないのに勝手なことばかり言って、却って真実から遠ざかってる〉
 真夜は切実な目で、ぼくを見た。
〈お願い。またああいう日がきたら、一緒に空想を見てほしい。もっとあの現象のことを、研究したいんだ……〉
 ただ、ぼくと真夜は、二度と空想をともにすることはなかった。
 あのすぐ一ヶ月後に、同じように激しい雷雨の日がきた。ぼくと真夜は〈めがね公園〉に集合して、ナチュラル・ブリッジズ国定公園という、アメリカで一番暗い夜空が見える場所を見ようとした。
 でも、不思議なことに、どれだけ強く願っても、空想を共有することはできなかった。
〈くそっ。歯が立たない〉
 真夜は悔しそうに言った。
〈いつか私が研究者になったら、もう一度吉見くんのことを研究させてくれる? いまの私には、吉見くんの〈力〉がなんなのか、仮説を立てることすらできないから……〉
 でも、その「いつか」はもう、やってこない。胸に、痛みを感じた。
 気がつくと、ぼくたちは土手の下まできていた。
 圭一郎が、建ち並んでいるマンションを仰ぎ見ている。
「調査、進んでないんだろ?」
 圭一郎の質問に、うんと答えた。
 この四日間聞き込みを進めているけれど、成果を出せていなかった。子供が川にいたという目撃談どころか、茶髪の女子小学生すら見つからない。
〈親父のつてで、学校関係にもあたってるんだけど、話が出てこねえわ〉
 茶髪の女の子が深刻ないじめにあっているケースはないか、教育委員会や教師、隼人がいたサッカーチームにまで聞いてもらっているが、何の情報も出てこないらしい。〈川に放り込むなんて陰湿ないじめ、すぐに見つかると思ってたんだけどな〉隼人は不可解そうに言っていた。
 ここまで聞き込んでも目撃談ひとつ出てこないということは、川沿いの住人じゃないのかもしれない。だが、遠くからわざわざいじめのために川にくるものだろうか。それとも、いじめという仮説自体が、間違っているのだろうか。
「まあ、気長にやるしかないよな。ぼくが似顔絵を描けるようになれば、突破口が生まれるかもしれない」
「うん、そうだね」
「こんなことなら、左手で描く訓練をしておけばよかったよ」
 圭一郎は、本当に立派に部活をまとめてるんだな。彼からあまり感じたことがなかった優しさに、思わず顔がほころんでしまう。
 土手を上がると、空は夕暮れからたそがれに移り変わろうとしていた。ぼくの好きな時間帯だった。あかね色から紺色へ、グラデーションを作りながら変化しつつある広い空に、ぼくは少し見とれた。
 そのまま、河原を見下ろす。そこで、ぼくはぎょっとした。
 真夜の姿が、どこにもなかった。
「真夜?」
 真夜がいるあたりは、一面の芝生になっていて遮るものがない。だが、真夜の赤いパーカーが、どこにも見当たらない。
「どうしたんだよ、吉見」
 返事をする余裕もなく、ぼくは駆けだしていた。まさか、そんな。
「真夜!」
〈私、暗いところは怖くない。でも──この空は、怖いかな〉
〈私たちはとてもイレギュラーな存在で、宇宙がひとつの人体なら、人間なんて、細胞一個の中に入っているひとつの原子より小さい〉
〈私たちは、何かの気まぐれで、一瞬で、みんな一斉に消えちゃっても何もおかしくない、塵みたいな存在なんだって──〉
 河原まで駆け下りて、周囲を見回す。いない。半径二十メートルの、どこにもいない。
 まさか、これでお別れなのか?
「真夜!」
 何の心の準備もしていないのに、こんなに唐突に……?
「真夜っ! 真夜ーっ!」
「ちょっと! 声大きいよ!」
 突然、川の上に、人影が現れた。
 見慣れたボブが、川の中に立っていた。ぼくは、へなへなと倒れ込みそうになった。
「何やってんだよ、そんなとこで!」
「何って、川の中を見てただけだよ」
 真夜は川から上がってくる。当たり前だが、その身体には水滴ひとつついていない。
「この身体は便利だねえ。何時間潜ってても冷たくないし、川の中でも目を開けられるから水中観察もお手のもの。やっぱ冬の川は冷たいのか、小魚たちも岩陰に隠れてるね。あ、さっきはハゼを何匹か見たよ。この辺はハゼ釣りのスポットなんだよねえ」
 のんなことを言いながらぼくのほうに歩いてくる。「真夜が消えたのか?」圭一郎が息を切らせて追いついてきたので、ぼくは事情を説明した。
「吉見くん、私が消えたと思ったんだ? 私のこと、心配してくれてるんだね」
「当たり前だろ。心臓が止まりそうになったよ」
「心配性だなあ。大丈夫だって言ったじゃん。私は強い引力みたいなもので、ここに結びつけられてるんだって」
 吞気に言う真夜の言葉を聞いていると、高まった緊張がゆるゆると水位を下げていく。「次からはなるべく河原にいてよ」文句を言うと、ごめんね、と謝ってくれた。
 ──ん?
 緊張の水位が下がっていくのと同時に、その水の下から、何かが浮かび上がってくる。
 氷のような、何かだった。水の下から現れた氷は溶けだし、ぼくの心の奥を冷やしていく。凍っていた感情が、心を浸していく──。
「吉見。真夜に、見せたいものがあるんだけど」
 圭一郎が、リュックを肩から下ろしながら言う。生まれてしまった感情から目を逸らすように、ぼくは圭一郎に向きあった。
「見せたいものって、何?」
「望遠鏡。家から持ってきた」
「マジかっ!」
 真夜の絶叫が耳をつんざき、ぼくは思わず耳を塞いだ。
「親が昔使ってたのを借りてきた。吉見、手伝って」
 画材が入っていると思っていたアタッシェケースは、望遠鏡入れだったみたいだ。開くと、本体の筒のほかに、三脚や接眼レンズといったこまごまとしたものが入っている。
 右手が使えない圭一郎の代わりに、ぼくは指示通りに動いた。開いた三脚を設置し、その上に架台を置く。
「ずいぶん古い望遠鏡だね……って、ええ? アストロ光学製? 実物、初めて見るよ! うっわあ、変わった構造の赤道儀だなあ……鏡筒は屈折式かあ。伊丹くん、私が反射よりも屈折のほうが好きってどうして知ってるの? 焦点距離が七百ミリで、接眼レンズが二十五ミリかあ、倍率は二十八。口径が六十ミリだからF値は……」
 ぼくと圭一郎が組み立てているそばから、真夜が犬のようにまとわりついてくる。あの夜見せていた大人っぽい表情は、どこへやらだ。圭一郎にも、この喜びようを見せてあげたかった。
 十分ほどを費やして、セットが終わる。圭一郎が鏡筒に手を添えて言う。
「家で少し練習してきた。月の導入は、片手でもできるようになった」
「いいね、月。最近見てなかったから、逆に新鮮かも」
 導入というのは、対象の星を望遠鏡のレンズの中に収めることだそうだ。望遠鏡で見える範囲はかなり狭いので、少しずれただけで標的を見失ってしまう。
 圭一郎は接眼レンズを覗き込み、レバーを操作したり、筒の角度を調整したりする。細くて長い左手の指先が、時計を合わせるように細かく動く。
「できたよ」
 圭一郎がその場をどくと、真夜が駆け寄るようにして腰をかがめる。眼鏡を外して、接眼レンズを覗き込む。
 ふっと、真夜の目が変わった。

#19へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

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