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レビュー

【解説】また一つ続刊が楽しみなシリーズが生まれた――『令和中野学校』松岡圭祐【文庫巻末解説:タカザワケンジ】

松岡圭祐『令和中野学校』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



松岡圭祐『令和中野学校』文庫巻末解説

解説
タカザワケンジ(書評家)

 時代は令和。場所はなか学校。
 そして作者はまつおかけいすけ。この組み合わせを知って期待が膨らんだ。
 だが、「中野学校って何?」という読者もいるかもしれない。
 私が即座に連想したのは「陸軍中野学校」。大日本帝国に実在したスパイ養成学校である。今年でたいへいよう戦争が終わって八十年。戦争の記憶は遠くなり、知らない読者がいるのも当然だ。
 陸軍中野学校の開校は一九三八(昭和十三)年。日中戦争のさなか、太平洋戦争開戦の三年前である。欧米列強に比べて、情報戦で劣っていた日本は遅ればせながらちようほう員の養成を始めた。その性格上、中野学校の存在は秘匿され、一般に知られるようになったのは戦後である。
 むろん、私も陸軍中野学校をリアルタイムで知るはずもなく、戦後の映画、小説、ノンフィクションでその名に親しんできたにすぎない。
 一九六〇年代には中野学校ブームがあったようで、日活、東映、大映の各映画会社で中野学校を題材に映画化が相次いだ。中でも大映映画『陸軍中野学校』(一九六六)はヒットし、シリーズ作品が五作を数える。
 陸軍中野学校をモデルにした小説もある。やなぎこうの『ジョーカー・ゲーム』(二〇〇八)である。「魔王」と呼ばれる奇怪な個性を持ったゆう中佐により陸軍内につくられた「D機関」なるスパイ養成学校は中野学校をほう彿ふつとさせる。シリーズ四巻がこれまでに刊行されている。
 これらはすべて太平洋戦争の戦前、戦中を舞台にした作品だ。一方、松岡圭祐は令和における中野学校を描いている。戦争から遠く離れた現代の中野学校とはどのようなものなのか。
 主人公はとう。高校三年生の彼女は東京大学の合格発表を見るため本郷までやってきた。
 残念ながら掲示板に受験番号が見当たらず、失意のうちに東大をあとにした彼女は、住宅地で強盗に押し入ろうとする男たちを目撃してしまう。持ち前の正義感から強盗を追って家に入ったものの、強盗たちから襲われそうになり、危機一髪、若い男に救われる。その男こそれい中野学校の生徒、東雲しののめはるだった。この出会いから華南は中野学校に「入学」することになる。
 令和の中野学校は公安調査庁の管轄下にある、ちようこういん育成のための機関だ。諜工員とは超法規的対処によって、法では裁けない害悪を排除する実働要員である。公安調査庁に所属しながら、同時に公安警察の管理下にあり、状況によっては殺人も辞さない。むろんその存在は非公表。いわば国民と国家の安寧のために現場の汚れ仕事を引き受けるノンキャリアである。
 諜工員候補は、高校卒業後四年未満の優秀だが大学へ進学できない訳ありの若者たちから選抜され、中野学校で育成される。育成中から同世代と比べて高水準の給与が支給されるという仕組みだ。
 華南が令和中野学校への入学を決めたのも、東大を受験するほどの秀才ながら、私大へ行けるほど経済的余裕がない家庭環境だからである。
 華南のような若者はこの日本でまれな存在ではない。所得が中央値の半分に届かない者の割合を相対的貧困率といい、日本は15・4%とG7(主要7カ国)の中でもっとも高い。それが明らかになったのが二〇二一年。令和でいえば三年だ。
 二〇二一年は親ガチャという言葉が流行した年でもあり、いまではすっかり定着した。少子高齢化が進み、経済格差は広がるばかり。どこの家に生まれるかで人生が決まると若者たちは諦め顔だ。そんな状況を政府は改善できずにいる。それが令和の現実なのである。
 松岡圭祐の小説でいつも驚かされるのは、同時代に対するアンテナの張り方と、時代の空気をつかむ力だ。
 華南が中野学校に入った頃、東京二十三区内でたびたび異臭騒ぎが起きていた。現実でも異臭騒ぎは起きている。二〇二〇年頃からよこはまよこでたびたび異臭騒ぎが起きているのだ。ガスのような人工的な臭いがするというが、いまだに原因は判明していない。
 異臭騒ぎと前後して起きるのが道路陥没事故である。この小説が刊行されるほんの数カ月前、二〇二五年一月に起きた埼玉県しお市道路陥没事故を思い出さないわけにはいかない。この事件を機に、全国で規模は小さいものの陥没事故が起きていることが報じられた。この国のインフラが老朽化し始めている現実を直視せざるをえない事故だった。
 松岡はつねに「いま」を誰よりも早くすくいあげようとする。思い出すのは、時代、げんろく期を代表するじよう、歌舞伎作者のちかまつもんもんだ。近松の代表作の一つ『ざきしんじゆう』は、しよう問屋の手代と遊女の二人が起こした心中事件を、わずか一カ月後に人形浄瑠璃にして上演したもの。『曾根崎心中』は大ヒットし江戸に「心中もの」ブームを巻き起こした。
 近松の『曾根崎心中』が時事ネタというはんちゆうを超えて現在まで上演され続けているのは、そこに人間の色恋のかつとうと階級社会の不条理が生々しく描かれているからだ。松岡の現実に起きていることを採り入れる手法も、たんに読者の興味を引くためではない。これらの事件の背後にあるものに想像をめぐらせ、みつに構築したフィクションには時代を超えた普遍性がある。令和中野学校の生徒たちがこの国の危機に挑むというフィクションは絵空事ではなく、現代に起こりえるシミュレーションとして読むべきだ。
 この小説が令和の中野学校でなければならない理由はほかにもある。
 戦争だ。
 陸軍中野学校が日中戦争のさなか、来たるべき欧米との衝突に備えてつくられたように、令和の中野学校にも新たなる「開戦」の予感がある。
 二〇二二(令和四)年の暮れに、テレビ番組「徹子の部屋」に出演したタレントのタモリが、二〇二三年の展望を聞かれ「新しい戦前になるんじゃないですかね」と述べたことが話題になった。発言が注目されたのはそう感じている国民が多いという証左である。
 中国の軍備増強と台湾有事、日米安保体制のほころび、この国の防衛予算の増大など、日本が戦争に巻き込まれるのではないかという不安が漠然と社会を覆っている。私を含め、戦争など起こりっこない、と多くの日本人は思っているが、その根拠はと問われると言葉に詰まる。実際にはウクライナでもガザでも多くの人が戦争の犠牲になっている。
 戦争はいつ始まるかわからない。松岡圭祐はそれを裏付けるような小説を書いている。『ウクライナにいたら戦争が始まった』(二〇二二)は、単身赴任中の父とすごすため、母と妹とウクライナに訪れていた女子高生が、ロシアによる侵攻に巻き込まれる物語である。フィクションではあるが、実際にウクライナで戦争に遭遇した日本人たちの証言をもとに現実に即して書かれている。その中で主人公はもちろん、周りの大人たちもロシアの侵攻を予感することなく日常を生きている。気がついた時には巻き込まれている。それが戦争なのだろう。
 舞台が中野学校でなければならなかった理由はほかにもある。戦前・戦中の日本の若者と令和の若者とを重ねていることだ。たとえばこんなセリフがある。敵が諜工員候補に向けて放つ挑発の言葉だ。
「おまえらの世代を捨て駒にするのは、日本の大人どものお家芸だからよ」
 陸軍中野学校のみならず、日本の軍隊が若者たちを過酷な戦場に送り込み、無念の死を迎えさせたのは歴史的事実である。華南たち諜工員候補たちは捨て駒になるかもしれないという不安と同時に、目の前の危機に立ち向かうことで生きる実感を得てもいる。捨て駒にならないためには強くなるしかない。
 強くなろうと決意する華南は、松岡がこれまで描いてきた戦うヒロインたちを彷彿とさせる。たとえば、『令和中野学校』には「高校事変」シリーズのヒロイン、ゆうの名前がちらっと出てくる。どうやら同じ世界線にある物語らしい。
 また、令和中野学校の施設長は椿つばきらん。松岡圭祐の『タイガー田中』『続タイガー田中』に登場するなか斗蘭その人である。この二冊はそれぞれ、あまりにも有名なスパイ小説、イアン・フレミングの『007は二度死ぬ』『007/黄金の銃をもつ男』のじつたんとして書かれているが、田中斗蘭は日本の公安外事査閲局長のタイガー田中の娘であり、公安外事査閲局の現場職員である。初登場時二十五歳の彼女が八十六歳になっているのがこの『令和中野学校』なのである。
 これは余談だが、斗蘭の父、タイガー田中は、映画『007は二度死ぬ』(一九六七)でたんてつろうが演じている。そして丹波哲郎は、東映版の陸軍中野学校ものである『陸軍ちようほう33』(一九六八)において陸軍中野学校をけんいんするあきやま少佐を演じてもいる。たんなる偶然だと思うが、『高校事変』からの流れと、『タイガー田中』からの流れが合流した地点に『令和中野学校』があることは間違いない。
『令和中野学校』には華南の家族をめぐる葛藤、華南の一年先輩のさくらざわふくしゆう、そして、台湾有事の兆候とそれと同時進行するかのごとき危機が国内にも訪れる。しかしまだ「新しい戦前」は始まったばかりだ。「戦前」のまま平和を保ち続けられるかどうかは、華南たち若い世代の双肩にかかっている。
 華南たち令和中野学校の生徒たちがこれからどのように成長し、戦っていくのか。すでにいくつもの人気シリーズを放ってきた松岡圭祐に、また一つ続刊が楽しみなシリーズが生まれた。

作品紹介



書 名:令和中野学校
著 者:松岡圭祐
発売日:2025年04月25日

「高校事変」「JK」と同じ世界線、異なる物語――
高校3年生の燈田華南は、強盗4人組が高齢者宅に押しこもうとする現場に遭遇。勇気を振り絞って止めに入るも、強盗が手にする鋭いナイフを目にして腰を抜かしてしまう。絶体絶命の瞬間、チェスターコートを着た細身の男が現れ、強盗を撃退していく。助けられた華南に、男は「令和中野学校」へのスカウトを告げる――そこは諜工員を養成する特別施設だった。「JK」「高校事変」を超えるZ世代の青春バイオレンス、ここに開幕!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322501001694/
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