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レビュー

ギルバートの口ずさむ詩に、アンへの激しい思いが隠されていた!――『新訳 アンの初恋』モンゴメリ【文庫巻末訳者あとがき:河合祥一郎】

カナダの名作で世界中で愛される「赤毛のアン」が、NHKアニメ「アン・シャーリー」であらためて注目されています。
角川文庫では2025年4月に「新訳 赤毛のアン」シリーズ第2弾『新訳 アンの青春』と、第3弾『新訳 アンの初恋』(モンゴメリ 河合祥一郎/訳)を刊行しました。
訳者で東大教授の河合祥一郎氏に新訳の特徴をお聞きしたところ、氏曰く「文学少女アンをつくりだした作者の文学的教養がどのように織り込まれているかをこれまで以上に明確に訳出した」とのこと。
というのも、作者のモンゴメリはかなりの英文学オタクで、本作には、シェイクスピアやその他の文学作品のネタがたくさんちりばめられているのです。
英語圏の人々はそこかしこに差し込まれたモンゴメリの文学ネタにニヤニヤしつつ、その世界観にリアリティを感じ、ストーリーを楽しんでいたわけです。
英語も苦手で、英文学にもくわしくない、シェイクスピアもちんぷんかんぷん! でも当時の英語圏の人々と同じように「赤毛のアン」シリーズを楽しみたい! という、筆者のような読者の方々には、ぜひとも河合祥一郎・訳の「新訳 赤毛のアン」シリーズをオススメします。
じゃあ、具体的にどういう文学ネタが差し込まれているのか?
『新訳 アンの初恋』の河合氏による訳者あとがきを一部抜粋・編集してご紹介します。
このネタを知っていれば、ギルバートのアンへの激しい思いも、ちゃんと読み取れますよ!



モンゴメリ『新訳 アンの初恋』
シェイクスピア研究者・河合祥一郎による訳者あとがきを無料掲載!

訳者
河合祥一郎

『アンの初恋』の題名について

 アン・ブックスの第三巻として、先行訳と異なって『アンの初恋』という題名にした理由について、ここで語っておきたい。
 まず、原題『島のアン』(Anne of the Island)について考察しておこう。これは第一巻の原題が『緑破風グリーン・ゲの家イブルズのアン』、第二巻が『アヴォンリーのアン』であったことを踏まえれば、アンの世界が「家」から「村」へ広がったのち、本作では「プリンス・エドワード島」に広がることを示すものと言えよう。もちろん、アンはプリンス・エドワード島を飛び出して、ノバスコシア州キングズポート(州都ハリファックスがモデル)にあるレドモンド大学(作者モンゴメリが一八九五年から一年ほど通ったダルハウジー大学がモデル)に通うのだから、『島のアン』よりは『島を飛び出すアン』ではないかという気もするが、ノバスコシア州へ渡って「私は、骨の髄までプリンス・エドワード島の人間よ」という自覚を強めるアンの意識を考慮すれば、確かに本書は『島のアン』を描くものと言えるだろう。ただし、本書を『島のアン』と名づけたのは出版社であり、作者L・M・モンゴメリ(一八七四~一九四二)は当初別の題名を考えていた。
 本書執筆中の一九一四年十月十六日付の友人宛ての手紙にモンゴメリはこう記している――
「新しいアン・ブックを書いています――『レドモンドのアン』という題で、アンの大学四年間を扱う予定です」。ちょうど第一次世界大戦が始まった時期であり、しかも八月にはモンゴメリの第二子の男児が死産となってしまい、本作の執筆はかなりつらかったようだ。同年十一月二十日付の手紙にはこうある。「今日、『レドモンドのアン』を書きあげました。とてもうれしいです。こんなにひどいストレスのもとで本を書いたことはありません」。
 さて、本作の本邦初訳であるむらおかはな訳は、当初『赤毛のアン 第三』と題されていたが、翌一九五六年に新潮文庫に収める際に『アンの愛情』と変更された。一九五九年に角川文庫から出たなかむら訳は当初『アンの婚約』と題されていたが、『アンの愛情』に変更された。そして、その後の多くの翻訳が『アンの愛情』を踏襲してきた。
 しかし、本作の最大の山場は、アンが果たしてメランコリックで謎めいた黒い目の“麗しの王プリンス・子さまチヤーミング”からのプロポーズを受けてしまうのか、そしてギルバートの愛を本当に拒絶してしまうのかというところにある以上、本作のテーマは「愛情」よりは「初恋」(ないし恋愛)にあるように思われる。新訳の新味を主張する意味もあり、勝手ながら改題させていただいたが、『アンの初恋』と題した根拠として以下に述べる考察を掲げたい。

作者モンゴメリにとっての「初恋」の意義

 作者モンゴメリにとって、「初恋」は重要な意義を持っている。
 前巻『アンの青春』の最後で、ミス・ラベンダーが“初恋の人”と時を超えて再会して結ばれるというドラマが描かれたが、これは本作への伏線となっている。そして、作者はそのドラマの「初恋」というモチーフにふたつのきつこうする(逆向きのベクトルを持つ)力を加えていた。
 ひとつは、ミス・ラベンダーを迎えにやってくる“王子さま”であるスティーブン・アーヴィングが長身でロマンスの主人公の顔をしていて、まさに“王子さま”にふさわしいふうぼうであることによって、アン自身の恋愛への夢が刺激されることだ。いつもの夢想癖に拍車がかかり、自分も“麗しの王プリンス・子さまチヤーミング”からプロポーズされたいと想像力の翼で高く舞い上がってしまうのである。親友のダイアナも恋愛中であるし、自分も恋をしたいけれど、自分のお相手はもちろん“麗しの王プリンス・子さまチヤーミング”でなければならないと決めつけてしまう。
 しかし、ミス・ラベンダーの恋のじようじゆには、このときアンが理解していなかったもうひとつの力が働いている。すなわち、スティーブンはどこからともなく現れた“王子さま”ではなく、ミス・ラベンダーにとって“初恋の人”であり、彼女は彼しか好きになれず、スティーブンでない人と結婚するくらいなら一千年でも未婚のままでいいと言うくらい、彼が好きだったということだ。ミス・ラベンダーは自分の本心に忠実に従って、その恋を成就させるのである。
 そして、アンにとっての“初恋の人”は誰だろうか。賢明な読者にはおわかりのはずだ。
 すでに『赤毛のアン』第二十八章「幸薄きしらの乙女」で、かわで立ち往生していたアンをボートで救ってくれたギルバートが改めてアンに謝罪し、「友だちになろう」と言ってきたとき、「不思議な、どぎまぎするような新しい意識がアンの心に芽生え」、「どきどきと、心臓が、妙に小さく鼓動した」のだった。『アンの青春』の最終章でも、アンは「ギルバートに見つめられて」やはり心臓がどきどきして、「色白の顔がバラ色に染まった」。さらに、本書では第一章という早い段階で、アンは再びギルバートを意識することになる。二人で橋の欄干に寄りかかって夕暮れの時を味わっているとき、ギルバートがアンの手に自分の手を重ねるのだ。アンは思わず自分の手を引っ込めてしまうが、その場から立ち去ったあとも彼の手の温かみを自分の手に感じつづけてしまう。ギルバートが迫ってくると逃げるくせに、彼の温かみを大切にし、彼がそばにいないと違和感を覚えるようになっているのである。
 ところが、想像力の翼で高くしようするアンの恋愛観は、アン自身の心の中にあるはずの本当の恋人を見えなくしてしまう。本書の第二十章で、アンがギルバートをふったとき、フィリッパ・ゴードンがアンを批判し、アンが「理想の愛を想像のなかで創りあげ」てしまって、「本物の愛が見えてるはずなのに、それがわかってない」と言うのは、フィリッパの口を借りて作者が解説をしているのである。また、本書のエピグラフとして掲げられたテニソンの詩「白昼夢」の言葉に「大切なことはあとからわかり」とあるのは、アンがあとになるまで――危うく手遅れになりかかるときまで――本物の愛に気づいていないという筋に対応している。だが、テニソンの詩が語るように、運命の明かりが恋の隠れた真価を照らし出してくれるのである。
 アンがようやく本物の愛に気づくのは、ギルバートを失いかけたときだ。アンは、それがどれほどの苦痛を伴うことなのかを、はっきりとイメージしたときに知る。第二十章でフィリッパから「ギルバートなしの世界」で生きていくのかと問われたとき、アンはそれが「あまりにもさびしくて、荒涼とした世界」だと漠然と感じるが、まだ「ギルバートなしの世界」の本当の意味がわかっていない。それがわかるのは、第四十章だ。そのとき初めて、「彼がいないなら、何ひとつ意味などなくなってしまう。あたしは彼のもので、彼はあたしのものなんだから」と自覚する。
 ギルバートの温かみに自分が何を感じていたのか、彼の不在がどんな意味を持つのか、ようやくアンにもに落ちるのだ。本書第一章で、アンがギルバートに触れられる意義は大きい。好きな人から触れられたときのよろこびは、作者モンゴメリ自身が体験したものであり、『アンの青春』の訳者あとがきにも記したとおり、彼女の“初恋の人”ハーマンとのキスは体じゅうが燃え上がるようでこうこつとしたのに、エドウィンとのキスは氷のように冷たく感じられたという。少女小説に官能的キスを描くことは控えて、手を握る程度にとどめたのであろうが、アンがチャーリー・スローンに手を握られた経験を「おぞましい記憶」として、「天と地ほどの差がある」と書くとき、作者はその「天と地ほどの差」を自らしつしていたわけだ。
 作者モンゴメリは、「生きていると言える時は、ハーマンと一緒にいる時だけ」と“初恋の人”ハーマンへの思いをつづっているが、彼とは結婚できず、別れざるを得なかった。その後、彼がインフルエンザの合併症で死んだと知ったとき、モンゴメリは「彼は永遠に自分のものとなった」と感じたという。最愛の人の死を経験した作者は、まだ自分の本物の愛に気づいていないアンにも同じことを経験させる。そのとき初めて人は自分が愛しているのは誰かを痛感できることを、作者は知っていたからであろう。
 モンゴメリは、ハーマンへの愛を次のように綴る――「私はハーマンを、荒々しく、情熱的で、理性をはねのける愛をもって愛した。それは炎のように私を包み込み、私には消すことも、どうすることもできない愛であり、ほとんど完全なる狂気に近い激しさをもった愛だった。狂気! そうなのだ!」(一八九八年四月八日付『日記』)。
 アンはそこまで激しい愛をギルバートに抱いていない。だから、自分が彼を愛していることになかなか気づけない。しかし、ギルバートはどうだろう。アンに拒絶されてもくじけることなく愛の炎を消すことのない彼の愛はどうなのだろう。もちろん、外に表してしまってはアンの抵抗にあうから、抑えていなければならないが、あれだけはっきりと拒絶されてもあきらめないギルバートの胸中にはどんな炎が燃えていたのか。
 彼の胸中を示唆する意味深長な場面が第二十九章の終わりにある。ダイアナの結婚式が無事に終わった直後、月明かりの中をギルバートがアンをグリーン・ゲイブルズまで送る場面である。彼は家へ入る前に、“恋人の小道”を散歩しようと提案し、アンはすぐ賛成する。アンは、ギルバートにはクリスティーンがいるから、もう“危険”ではないと勝手に思い込んで、昔に戻りたいなどと思ってぼうっとしているが、ギルバートの心境はそんなものではないはずだ。彼がそのとき口にする詩の言葉「かくてこの世は移りゆく」が手がかりとなる。これはエレン・マッケイ・ハッチンソン・コルティソスが一八七五年十一月二十七日付の『オタゴ・ウィトネス』紙に発表した「かくてこの世は移りゆく」という詩である(一九〇〇年刊行のE・C・ステッドマン編『アメリカ詩集』所収)。全文を掲げよう。

思い出ははかなき抜け殻、        Memory cannot linger long,
喜びは死に絶える。         Joy must die the death.
希望は小さな銀の歌さながら     Hope's like a little silver song
ひと息にてき消える。       Fading in a breath.
かくてつらきこの世は移りゆく    So wags the weary world away
永遠に、危うく。          Forever and a day.

しかるに愛は、最も甘き狂気は    But love, that sweetest madness,
きんじやくやくして、ひときわ、       Leaps and grows in toil and sadness,
見えぬ目をば開き、         Makes unseeing eyes to see,
貧しきを富ませる働き。       And heapeth wealth in penury.
かくて良きこの世は移りゆく     So wags the good old world away
永遠に、心ゆく。          Forever and a day.

 ふたつのスタンザから成っており、第一連では希望のないてんが歌われ、第二連では「最も甘き狂気」である愛が、見えなかった目を見えるようにし、貧しきを富ませると希望を歌う。詩形式も第一連は四歩格と三歩格で交互韻となっているが、第二連は四歩格が続いて二行連句となっており、異なっている。プロポーズをして断られたギルバートにしてみれば、第一連の心境であるものの、こうしてアンと二人で“恋人の小道”を散歩している今、第二連の「最も甘き狂気」への期待を捨てきれないのではないだろうか。この詩はそのふたつを同時に歌うことで、ギルバートの心境を表している。つまり、彼は「クリスティーンのことを考えている」どころか、アンへの愛――「最も甘き狂気」――に希望を託していたと推察される。
 なお、ハーマンの死から十二年後、一九一一年にモンゴメリは結婚するが、もはや激しい恋愛を求めることはなく、子供に囲まれた愛のある暮らしを求めて、多くの人に尊敬される牧師ユーアン・マクドナルドを夫として選ぶ。牧師ジョーナスを選ぶフィリッパの気持ちに、そんな敬愛が反映されているのかもしれない。モンゴメリは、燃え上がるロマンティックな恋が必ずしも幸福につながるわけではなく、穏やかな交友関係の中から幸福を生み出すほうがよいと最終的に判断したわけである。


カドブンでのご紹介はここまで。
このあと本文では、モンゴメリの日記や、猫との関係、シェイクスピアのオセローの名台詞をアンの台詞に入れ込んでしまうセンスの良さなどについて語られます。ご興味のある方はぜひ本書をご一読ください。

作品紹介



書 名:新訳 アンの初恋
著 者:モンゴメリ
訳 者:河合 祥一郎
発売日:2025年04月25日

本当の恋は一生に一度だけ――。アンが人生で最も重要な決断をする第3巻!

Anne of the Island
By Lucy Maud Montgomery,1915

これからの女の子たちへ。かつての女の子にも。
【NHKアニメで話題】
本当の恋は一生に一度だけ。

アンが人生で最も重要な決断をする第3巻。
読んだら感動が倍増する徹底解説も掲載。

いよいよ大学に進学したアン。青春を楽しみ、花開いていくアンに男の子たちは夢中。もちろん幼馴染のギルバートも。だけどアンは戸惑い、逃げだすばかり。ある雨の日、理想の王子様ロイと出会い、交際開始。なのにギルバートに恋人ができたと聞き、落ち着かなくなり…。本当の恋って何? アンが人生で最も重要な決断をする第3巻。読んだら感動が倍増する徹底解説も掲載。作中の謎めいた詩や台詞から登場人物の心の秘密を解き明かす。

「新訳 赤毛のアン」シリーズ、発売中
1巻『新訳 赤毛のアン』
2巻『新訳 アンの青春』
3巻『新訳 アンの初恋』

英文学研究の第一人者だから訳せた、文学少女としての『アン』。
読んだら感動が倍増する徹底解説も掲載。

カバーイラスト/金子幸代
カバーデザイン/鈴木成一デザイン室

※本書は二〇二一年二~三月に角川つばさ文庫より刊行された児童書『新訳 アンの初恋(上) 完全版』『新訳 アンの初恋(下) 完全版』を一般向けに大幅改訂したものです。なお、訳者あとがきは書き下ろしです。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322411000268/
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電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら


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