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英文学オタク・モンゴメリの全力のシェイクスピアネタとは?――『新訳 アンの青春』モンゴメリ【文庫巻末訳者あとがき:河合祥一郎】

カナダの名作で世界中で愛される「赤毛のアン」が、NHKアニメ「アン・シャーリー」であらためて注目されています。
角川文庫では先月「新訳 赤毛のアン」シリーズ第2弾『新訳 アンの青春』と、第3弾『新訳 アンの初恋』(モンゴメリ 河合祥一郎/訳)を刊行しました。
訳者で東大教授の河合祥一郎氏に新訳の特徴をお聞きしたところ、氏曰く「文学少女アンをつくりだした作者の文学的教養がどのように織り込まれているかをこれまで以上に明確に訳出した」とのこと。
というのも、作者のモンゴメリはかなりの英文学オタクで、本作には、シェイクスピアやその他の文学作品のネタがたくさんちりばめられているのです。
英語圏の人々はそこかしこに差し込まれたモンゴメリの文学ネタにニヤニヤしつつ、その世界観にリアリティを感じ、ストーリーを楽しんでいたわけです。
英語も苦手で、英文学にもくわしくないし、シェイクスピアもちんぷんかんぷん! でも当時の英語圏の人々と同じように「赤毛のアン」シリーズを楽しみたい! という、筆者のような読者の方々には、ぜひとも河合祥一郎・訳の「新訳 赤毛のアン」シリーズをオススメします。
じゃあ、具体的にどういう文学ネタが差し込まれているのか?
以下にご紹介する、『新訳 アンの青春』の河合氏による訳者あとがきをご一読ください。
なんと、シェイクスピアも多用するオクシモロン(「きれいで汚い」などの物事には相反する二面性があることを示す、矛盾した表現方法)がこの物語でも使用されていたんです。



モンゴメリ『新訳 アンの青春』
シェイクスピア研究者・河合祥一郎による訳者あとがきを無料掲載!

訳者
河合祥一郎

 アン・ブックスの第二巻『アンの青春』の特色は、少し大人になった、でもまだ少女らしさが残るアンの想像力と愛と活力がみなぎっている点にある。原題は『アヴォンリーのアン』であり、アヴォンリー村の美しい自然を愛し、そこに住む人たちを愛するアンの温かい心が、読者をなごませる。つらいことがあっても、想像力の翼で高く舞い上がればいい。そんな「アンの哲学」は、難しい言葉を使わないが、実はストア派哲学にも匹敵する立派な哲学なのである。想像力の重要性を描く別の作家で、アンが頻繁にその言葉を引用する作家にシェイクスピアがいるが、シェイクスピアの特徴の一つとしてオクシモロン――物事には相反する二面性があることを示すべく矛盾した表現をするどうちやく語法――がある。そして『アンの青春』はまさにオクシモロン的に描かれた作品なのだ。たとえば第七章「それは義務なのです」では、誰かが「お伝えするのが義務だと思う」と言うときは「何か嫌なことを言おうとしている」から「それは義務だ」なんていう言い方は嫌だとアンは考えるが、最後にはそんなアンが「双子を引き取るのは、あたしたちの義務のようよ」とマリラを説得している。第十三章「黄金のピクニック」では、プリシラが「キスはすみれみたいなものだと思う」と考えを口にしたことに喜んだアンが「みんなが自分のほんとに思っていることを口にしたら、この世はもっとずっとおもしろいものになると思う」と言い、思ったことは口に出すべきだと主張しながら、森の池が「クリスタル・レイク」と命名されたときには、「池が可哀想」という思いはのである。
 本書で描かれる若き学校教師アンの背後には、一八九四年に教員免許を取得して教壇に立った作者L・M・モンゴメリ(一八七四~一九四二)の姿が反映されている。アンと作者の共通点は多い。作者は小さい頃、本棚のガラス戸に映る自分の姿を友だちケイティ・モーリスだと想像して遊ぶ子だったが、これは『赤毛のアン』でアンの話になった。また、一歳九か月で母を亡くした作者は、三歳のとき、教会でエミリーおばさんに「天国ってどこにあるの?」と尋ねたことがある。おばさんが黙って上を指さしたので、教会の天井を見つめながら「教会の天井裏に上がればお母さんに会える」と思ったそうで、これは本書の第十六章で利用されている。
 作者が七歳のとき、同い年のウェリントン・ネルソンと一つ年下のデイヴィッド・ネルソンという二人の少年が作者の住む祖父の家に下宿して遊び相手となったのも重要だ。というのも、“お化けの森”はこの子たちとの遊びから生まれたからで、「陽が沈むと、もう誰も森に近づけない。死ぬほど怖かった」とモンゴメリは自叙伝に記している。このネルソン少年たちが購読していた児童雑誌『ワイド・アウェイク』を彼女も読ませてもらっていたらしく、第十五章でアンとポールが想像力の王国の美しさを知っていると語る際に引用される詩句は、この雑誌の一八八六年二月号に掲載されたハリエット・トロウブリッジの書いた詩「白昼夢」のエピグラムだ。これはカナダのモンゴメリ研究者ベンジャミン・ルフェイヴ(Benjamin Lefebvre)が突き止め、二〇二二年十一月にインターネット上に公開してくれた貴重な情報である。

想像力が見せてくれる王国の     How fair the realm
 美しきこと、かぎりなし       Imagination opes to view
やわきエメラルドのはらの上、      Soft emerald fields
 溶けゆく青き空たかし!       And skies of melting blue!

 この最初の二行が本書に引用されている。偶数行が「なし」(view)と「かし」(blue)で韻を踏んでいるが、このように原文に押韻ライムがある場合は、本書でも押韻させて訳した。
 作者は十一歳のときこの雑誌を読んだわけで、ポールの年齢設定が十一歳であることを考えると、彼女は十一歳だったときの自分をポールに投影させているのかもしれない。アンはポールに「あなたは詩人になると思う」と言うが、モンゴメリは九歳で詩作を始めるという、ポール顔負けの詩人だった。しかも十六歳の誕生日の十日前には、全三十九行の彼女の叙事詩が新聞『ペイトリオット』紙(一八九〇年十一月二十日号)に掲載されるというスーパーさいえんだったのだ。
 この頃の彼女はオルコットの『若草物語』(一八六八)や当時人気を博したスーザン・クーリッジの『ケイティ物語』シリーズ(一八七二~九〇)等の児童文学を読んでいたと思われる。『赤毛のアン』とこれらの作品との関連を論じる研究者もいる(Shirley Foster and Judy Simons, What Katy Read: Feminist Re-Readings of ‘Classic' Stories for Girls, Basingstoke: Macmillan, 1995)。モンゴメリが当時有名なスーザン・クーリッジに親しみ、その詩「新しい毎朝(New Every Morning)」を読んでいたのはまちがいない。第十二章でアンとポールがどちらも想像力の王国の美しさを知っていると語る際にその詩を引用しているからである。原書(Susan Coolidge, A Few More Verses, Boston, 1889; 1891)で確かめると、第一連の最初の二行はこうなっている。


毎日はいつも、新たな始まり     Every day is a fresh beginning,
朝はいつも、新世界         Every morn is the world made new.

 モンゴメリは一行目のday(日)をmorn(朝)という語に置き換えて引用しているが、アンがぐっすり寝て起きてみると気分が一新したことを強調したかったのであろう。T・S・エリオットはdayをmomentに変えて「一瞬一瞬が新たな始まり」として戯曲『カクテル・パーティ』(一九四九)で使用している。一九六〇年刊行の人生指南書(Dan Custer, The Miracle of Mind Power, Prentice-Hall, 1960)も、クーリッジのこの二行を使って「朝のめいそう」の言葉にしましょうと指導する。
 本書の最後でミス・ラベンダーはめでたく結婚するが、モンゴメリ自身がきっとこんな結婚をしたかったのではないだろうか。というのも、モンゴメリは二十代のとき(アンと同様に)多くの男性から求愛されたが、彼女の最愛の“初恋の人”ハーマン・リアードにまつわる逸話があるのだ。彼と初めて出会った一八九七年、彼女はすでに別の男性エドウィン・シンプソンと婚約していたが、ハーマンと出会って「初めて恋をした」のだと本人は(ロミオのように)断言している。ハーマンとのキスは体じゅうが燃え上がるようでこうこつとしたのに、エドウィンとのキスは氷のように冷たく感じられたという。婚約者を裏切ってはいけないと苦悩して、彼女はハーマンと別れた末に、一八九八年には婚約をも解消し、ロマンティックな恋をあきらめてしまう。そして、その直後ハーマンがインフルエンザにかかって死亡したと知ってがくぜんとする。本物の愛が永遠に失われたのだ。彼女は三十六歳のとき牧師と結婚するが、この結婚生活は苦しいものだった。「神々は破滅させたいと思う人間を牧師の妻にするのです!」と彼女は手紙に記している(この表現は、「牧師の妻」を「田舎の女教師」に換えて、『アンの初恋』で用いられる)。以上を踏まえれば、ミス・ラベンダーが“初恋の人”を永遠に待ち続け、ついにその願いをかなえるのは、モンゴメリ自身がかなえたかった夢だったと言えるかもしれない。
 しかし、夢と現実はちがう。作者はアンにもそのギャップを味わわせようとする。アンがスティーブン・アーヴィングと初めて会ったとき、彼の顔がかっこいい「ロマンスの主人公の顔」だと知って、「こうでなくっちゃと思って、わくわくした」とあるのに気をつけてほしい。次巻『アンの初恋』では、アンの恋愛相手として、まさにそんな理想の男性が登場する。
 アン・ブックスの中で最もロマンス色の強い、ドキドキワクワクの続編『アンの初恋』も、ぜひ新訳でお楽しみいただきたい。


作品紹介



書 名:新訳 アンの青春
著 者:モンゴメリ
訳 者:河合 祥一郎
発売日:2025年04月25日

NHKアニメで話題!25年間の失恋。それが素晴らしい人生だと気づく瞬間

Anne of Avonlea
By Lucy Maud Montgomery,1909

これからの女の子たちへ。かつての女の子にも。
【NHKアニメで話題】
25年間の失恋。それが素晴らしい人生だったと気づいた瞬間――

実は作者の人生が盛りこまれた第2巻。読解に必須な徹底解説も掲載!

16歳のアンは母校の教師になり、生徒たちに愛されたいと奮闘する。家ではマリラが引き取った双子の世話に大わらわ。そんな折、新しい友人ができる。ミス・ラベンダーという白髪の女性で、25年前に婚約者とケンカ別れして以来ずっと独身だ。若き日の失恋に今も苦しむ姿に、アンは…。ギルバートとの関係に進展が? 実は作者の夢が託された第2巻。読解に必須な、作者の恋愛、結婚、愛した文学についても徹底解説!

「新訳 赤毛のアン」シリーズ、発売中
1巻『新訳 赤毛のアン』
2巻『新訳 アンの青春』
3巻『新訳 アンの初恋』

英文学研究の第一人者だから訳せた、文学少女としての『アン』。
読解に必須な、モンゴメリが愛した文学作品、その人生についても徹底解説!

カバーイラスト/金子幸代
カバーデザイン/鈴木成一デザイン室

※本書は二〇一五年三~四月に角川つばさ文庫より刊行された児童書『新訳 アンの青春(上) 完全版』『新訳 アンの青春(下) 完全版』を一般向けに大幅改訂したものです。なお、訳者あとがきは書き下ろしです。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322411000267/
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